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峨眉山での各組織指導者の特別研修について①

2014年3月7日


峨眉山

津村 喬
(津村は本を書く時や気功の先生になるときの名前です。高野のほうが本名です。どちらで呼んでくれてもいいです。以下は健身気功協会への報告なのですが、秘密にすることでもないので、一部固有名詞とか削って五回に分けて掲載します。)

国際健身気功連合会の催しとして、この2月20日から28日まで、中国四川省峨眉山で、各組織の指導者のための特別研修が持たれた。私は日本健身気功協会を代表して、これに2月20日より25日の間参加した。私はこれが「国際健身気功連合会」としての催しであること、「国際健身気功連合会として初めて幹部を育てるための企画であること」を正確に認識していなかった。それがわかっていれば、日本健身気功協会からもっと積極的に、何人かでも参加して、これらの企画に参加するよう促したいところだった。今後の課題としたい。
一昨年二月の杭州での国際...健身気功連合会発足に際しては、津村と副理事長のOが参加を表明していたが、日中関係が緊張していて中国側から参加しない方が良いとの連絡を受け、やむなく参加を中止した。その会議の様子は中国から何も知らされず、やむなく気功文化センターのブログから知る以外になかった。王健軍氏(日本語通訳兼国際部長)と私の直接連絡も途絶えていた。今回改めてつながって、認識のずれを補正した。その結果、この八月の九華山の大会にも、何人かで参加すべきだと考えるようになった。また十一月の東京での全アジア規模の交流会にも積極的にかかわっていきたいと考える。五月の雷斌来日から、八月、十一月と、きちっとリズムを作って、日本健身気功協会としての主体性を取り戻していかなくてはならない。というようなことを痛感した会議になった。つまり、国際健身気功連合会発足以降の状況にわれわれは対応していなかった。

今回招集されたのは、「国際健身気功連合会」の会員の協会責任者の培訓班ということだった。35か国96人が参加した。アメリカが9団体、カナダが6団体、日本が5団体、フランスが4団体などが一国で複数参加した。日本から参加したのは日本健身気功協会のほか、日本練功十八法協会(武田幸子)、全日本健身気功連合会(陳崢)、全日本健身気功連盟(劉超)、日本健身気功普及協会(竹花智子)の四団体である。その他、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、キューバ、エストニア、フィンランド、イギリス、ドイツ、インド、インドネシア、イラン、イタリア、韓国、香港、マカオ、マレーシア、メキシコ、モーリシャス、オランダ、ポルトガル、ロシア、南アフリカ、セルビア、シンガポール、スロヴェニア、スリランカ、スイスなどから参加した。正確にはわからないが、半ば以上が在外中国人である。中国側は中華全国体育総会の副主席でオリンピック委員会の副主席も務めた暁敏女史が以前に引き続いて国際健身気功連合会の主任を務めたが、中国健身気功協会の主席、国際健身気功連合会の主席は杭州大会までの冀運希氏が交代して、新たに常建平氏が就任した。


峨眉山での各組織指導者の特別研修について②

2014年3月7日



2月20日は成都の空港にたどりついて、各地からの便の人を集めて、峨眉山賓館に送り届けた。私は五時半に着いたが八時まで待ち、ホテルに着いたのは10時だった。
翌21日から始まった。まず八時半から開幕式、全員写真撮影。そしてすぐに楼宇烈北京大学教授の話から始まった。これは午前中が「健身気功の国際的普及と教学方法」、午後が「中華養生文化と健身気功」というような当たり障りのないタイトルだったが、内容は全く違っていた。「儒仏道三教の思想体系とその中での健身気功の位置づけ」とでも題すれば内容にぴったりだったろう。それも各流派のばらばらな紹介ではなく、易経などを共通の背景として、中国伝統文化の核心部分である「中国文化生生之学」「生生之謂易」(生きた生、生を生きる)「生生不息、生命不已、不断不停」「天地合気、万物自生、夫婦合気、万偶自生」の大原則を踏まえて...、そこから「1 医経2 経方3 房中4 神仙」という四つの課題を位置づけた上で、儒仏道がこの課題をどう説いているかを説明した。中和を中国文化の根本原理とし、『中庸』にある天和の気=天真の概念を取り出す。あいまいさを中道と誤解している人がいるが「喜怒哀楽未発の中」こそ中道であり中和である。儒教は人事を尽くして天命を聞くといい、道教は天命を聞いて人事を尽くすと言った。天人感応の立場から「人身は小天地」だという立場を取った。仏教は華厳の中で「一即多、多即一」の全息学の立場を取った。楼教授は儒仏道がそれぞれ宇宙原理と人生の究極をつかんでいながら、仏教がもっとも大きな世界を提出していると考えているようだった。
21日の晩には盛大な宴会がなされた。この時に主要組織の責任者はそれぞれの経験にしたがって、名誉段位の表彰状をもらった。私は四段まではつきあいでとっているが、名誉六段をもらった。
四川料理もすばらしかったが、皆30度の白酒で乾杯し、自然に表演大会に移っていった。歌あり踊りあり武術の表演あり、日本のドジョウ掬いも出た。みんななかなか芸達者である。


峨眉山での各組織指導者の特別研修について③

2014年3月7日


22日は引き続いて楼教授を囲んで質疑応答の中でさらに広々とした世界が提示された。とくにフランス在住のベトナム人僧侶ティク・ナット・ハンの「行もまた禅、坐もまた禅」「無修の修」つまり「習慣に昇華する」立場や、フリッチョフ・カプラの『物理学之道』(邦訳『タオの自然学』)を引用して、返す刀で1980年代の気功界における偽科学をばっさり切り、「直覚治病」「内観解剖学」の必要を説いて、「心をとぎすませて内観する以外に自分の体内に到達する道はない」とした。
これらは私が初めて聞いた話ではなく、ほぼすべて、過去の「観気旅行」の中で、あるいは日本で組織してきた講義の中で、故王松齢先生や王滬生先生、宋天彬先生や劉天君先生から聞いてきた話である。だが私はそれを日本の仲間たちに正確に伝えてくることができなかったし、まして健身気功の中でこういうことを論議できるとは...思っても見なかった。これを企画した王健軍氏とそれを了承した常建平氏の健身気功に対するまったく新しい意気込みを感じたのである。
この日の午後は雷斌氏による易筋経の中医学的解説を聞いた。基本的には教科書通りの話なのだが、個別の動作が経絡に効いている例などは独自のもので、さすがに経験豊富な指導者だった。
この日の夜は雑技を見に行った。もともとは川劇という。北京なら京劇、上海なら越劇、そして四川なら川劇という違う伝統のもとに作られている。しかしここでは単なるヴァラエティで、武術も舞踊も場末で見せられている感じだった。夫婦で芝居をする恐妻家の夫だけは深い演劇的素養と磨かれた芸を持っていた。川劇の看板である変面は、もともと芝居のある場面で仮面が瞬間に着けえられる芸なのだが、これだけを本来の川劇から独立させて、ショーのようにしてしまうと、はじめは物珍しいというだけで、なんの魅力もない。

翌23日は朝から導引養生功12式の講習だった。1 解析技術動作 2 講授呼吸、意念、経絡、穴位と動作の関係 3 講授教学方法(レベル別の教学)
4 功法考核 と書いてあるからどんなに魅力的な授業かと思ったが、実際には初めての人も多く、基本動作を伝えるだけで精一杯。私は坐式ならば一応できたが、站式だけだったので、午前中は見学し、午後は参加しなかった。
夜は「中医按摩の基本手法の健身気功中の運用」の講義だった。これも画期的である。とくにヨーロッパなどでは健身気功と按摩を並行して需要がある場合が多く、各地で試みられていて、その必要に応えるために試みたという。講師は12式と同じ北京体育大学の若い教授である。前後の話が長かったが、頭、首、背中、足などを一通りみんなをモデルにしてやった。相互にやりあうならばまだ面白いが、これでは例を示しただけである。そして私の感想としては、例として余りいいものではなかった。たとえば北戴河按摩功などをすればいいのにと思った。古典として定着したものからやるか、私が編集した五転・五浄・五触のように系統だった整理から出てくるものをしてほしかった。これではあまり意味のない一例にすぎない。
しかし、健身気功としてさまざまな按摩をとりあげていくのはいいことである。私は北戴河保健功をとりあえず健身気功候補にあげたらいいと思っている。また九転延年法も早くとりあげるべきである。





峨眉山での各組織指導者の特別研修について④

2014年3月7日



24日は朝から万年寺へ上がった。バスで20分ほどでロープウェイの乗り場に着く。ここから何キロか急峻な崖を上がって竹林やさまざまな常緑樹の中を進み、万年寺駅に着く。ここからが大変で、数百段の階段を降り、それを上回る階段を上る。途中で物売りがつきまとう。それも「猿除けのパチンコはいらないか」とかの非現実なものなので、つい不機嫌になってしまう。あとは安い装飾品を買わないかと下げている。左足が傷口がいくつも開いていて痛いのと、心臓に七カ所パイプを入れていて、ふだん鍛える機会がないから、体調的には最悪である。本来気の短いカウコがのんびり周囲の写真を撮りつつついてくれたが、ついに登り切って、万年寺の象に乗った普賢菩薩に対面する。ここは三度来ているが二十年以上前だから、どうしてももう一度会いたかった。まあ楽に来られる手段としては四人でかついでもらう「寝駕籠...」しかないのである。次にはあれに乗るしかないかな、と思う。ここでも乗っていかないかとたえずつきまとわれるのでる。いや、次に来る時はもっと体重を落として楽々登ってやるぞと思う。
指示された時間通りに駅に帰ったら誰も来ていず、それから皆がそろうまでに45分かかった。ロープウェイが片道150元する。昨日300いくら参加費を取られた時には高いと思ったが、まったくの実費だったのだ。
ホテルに帰って昼食を取り、この日は五禽戯の授業が始まるが、ここまで来て報国寺に行かないのはあんまりなので、独峰とカウコと示し合€わせて抜け出し、報国寺へ行くことにする。報国寺には歩いて行ける。裏の駐車場の山を少しあがって、竹林の中を越えていけばいい。立派な正門の背後に三重になった山の稜線が美しい。報国寺の文字は康熙帝による。天下無双の郭沫若の字も見える。文字と風景がマッチしているのが中国の観光地の景観だ。寺の中にも文字の額は至る所にある。報国寺は900年間に作られた万年寺よりはだいぶ新しく、1615年に作られた。やはり普賢を主に祀った寺だが、儒仏道を祀っているのが今回の講義の趣旨にぴったりである。山門、弥勒殿、大雄殿、七佛殿、普賢殿をメインに、数百の建物が整然と並んでいる。万年寺もよかったが、私はこの空間のほうがずっと好きである。万年寺は普賢菩薩堂以外のほとんどの建築物が火事で焼失して、復元は不可能と考えられている。
売店がすばらしかった。リアルな仏像もあり抽象化されたデザインの物もあり、白木もあれば塗りもあり彩色のもあり、見ていて飽きなかった。数珠類もホテルや土産物屋よりずっと安く、本物である。またお金をもってここに来たいと思った。白木の地蔵菩薩が特に美しかった。260元というから昨日換金した残りをはたけば買えないこともないが、執着だよと止める内心の声があった。
26年前に泊まった紅珠山賓館に行ってみたいとカウコが言うので行きかけたが、思ったより遠そうなので、一人で行ってもらった。昔は紅珠山賓館一件しかなく、峨眉山賓館のへんは森だった。50人以上の団体で紅珠山賓館で過ごして峨眉山に登った。昔の建物の一部が残っているだけで新築されていたそうだ。

その日の夜「こっそり」という感じで前の日に声がかかって、下の料理屋に来てください、少数で会食をしますと言われた。行ってみたら中国健身気功協会から二人、あとは18名ほど呼ばれていて、20名での火鍋の会だった。といっても本格の四川火鍋を食べられる人はあまりいないので、真っ赤な唐辛子汁でしているのは5,6人で、あとは白いスープの鍋だった。私は波動調整器の診断では唐辛子はしばらく避けたほうがいいとでているのだが、久々であるから赤い汁にした。それより白酒のほうが恐ろしい。ものすごく乾杯をする人たちで、底なしである。なんで、このメンバーを選んで、会食しているのか、こういうことが何も説明されないのが中国式なのだが、どうも八月に正式に就任する執行委員会というのがこのメンバーなのかなと思えてきた。杭州に来ていた人が大部分で、そこから話に付き合っている人は事情がわかっているのかも知れない。日本からは私と陳崢氏が呼ばれていた。陳崢氏は全日本健身気功連合会の会長で、この秋には東京でアジア規模の大会を開こうと準備している。
ただ食事をしただけで、あとは例によって歌になった。

 

 


峨眉山での各組織指導者の特別研修について⑤

2014年3月7日



終わってから、道で待ち構えていた王健軍さんと暗闇の中で一時間近く立ち話をした。主な点だけまとめておくと(数字の後が王さん、[ ]の中が私である)
① 今度のような儒佛道の話や中医学の話を次第に多くしていきたい。宗教的な要素は排除すると言っていたのは事実上撤回する。しかしいっぺんにこういう方向には行けないので、上手にやっていきたい。今回も四川なので仏教学の陳兵氏や道教学の李遠国氏とも相談をしたが、まず入り口の儒佛道全般に道を開いてくれる人として楼先生はいいと思った。
[陳兵氏や李遠国氏は永年のお友達である。楼先生の話はとてもよかった。初めてこういう無話を聞く人には、少し難しいが適度にやさしくて、いい入門だった。私は健身とは別のところでこういう話を組織してきたが、健身のなかで推進してくれるならありがたい。]

 

② 五月は行くメンバーが決まっていて、佐藤さ...んのほうに帰ったらすぐ連絡をとる。雷先生と健身気功の雑誌の編集長と、若い人だが優秀な人と三人だ。八月には九華山にぜひ来てほしい。ぜひ実務的な話の出来る人と二人で来てほしい。あるいはもっと学生を連れて。十一月には東京で全アジア大会を陳崢さんのところでやる。私も団長で行くことになると思う。ぜひ協力してほしい。来年には、また日本健身気功と中国健身気功が主催して峨眉山でしてもいい。考えてほしい。
[五月はもう決まっていて、安心している。東京でやらないので、東京のほうからも結構来てくれる。陳崢さんから関西に何人か出かけてもいいかと言われた。秋までに関係を強化しておきたい。八月はまだわからないが、できれば何人かで参加したい。来年のことは総会後の議論になると思うが、功法についてもより高いレベルで教われる、今回のような魅力的な理論講義とセットでする、ということならたくさんの可能性がある]

 

③ 健身気功雑誌は佐藤さんのほうに送ってもうついていると思います。これからは津村さんには別に送りましょう。津村さんの携帯に何度もアクセスしましたが通じませんでした。これからはメールでやりとりしましょう。
[健身気功雑誌のために短い文章を書いたので今度送ります。この六月で気功50年、健身気功10年になるのでその話です。私の出している通信も送るようにします。土屋昌明氏らの津村インタビューのパンフレットがあったので、これを渡します。あなたの知らない時代について学んでください。日本で出している通信やさまざまな文献はあなたと常建平さんと二人に向けて送ります]
そのほかいろいろな話が出たが、忘れた。まあ、王さんと同志的な関係を作れたら一番話が速いと思う。彼は若いし、これから実質的にますます中心になっていく人であり、基本的に思いも一致している。

 

翌朝25日、カウコと王健軍さんが送ってくれた。今日帰国するのは一人で、バスではなく乗用車で送ってくれた。空港で三時間あまりあったので、港式飲茶(香港式のヤムチャ)とネオンを出している実は韓国料理店があって、ここで麻婆豆腐と汁なしの韓国冷麺を頼んだ。本物のそら豆の豆板醤をたっぷり使っていて、いい味の麻婆豆腐だった。冷麺もうまいが、鶴橋ほどではなかった。
飛行機が大幅に遅れて、乗り継ぎに苦労したが、なんとか間に合って、0時過ぎに自宅に着いた。
峨眉山の研修は続いていて、この日は午前中五禽戯の続き、午後は質疑交流。
26日は武漢の石愛橋教授の「健身気功練習効果の研究」のあと、午後からベルキー、ポルトガル、日本、ドイツ、カナダ、フランスの各国の状況報告。ここで話してくれと言われたのが帰りの切符をとったあとだったので、断った。日本代表が誰になってどんな話をしたのか知らない。
27日もメキシコ、シンガポール、スペインの報告。昼には卒業式。午後は楽山大仏の観光で、帰国は28日になっている。

すでに述べてきたところと重複する点もあるが、以下のいくつかについて検討すべきだと思う。

 

  1. 懸案の教科書刊行をどうしていくか。とくに『大舞』について五月に間に合うようなものを作れるか。
  2. 八月九華山についてと十一月の東京については総会後に相談したい。
  3. 国際健身気功連合会の活動と会員が乖離しないように、情報を密に流していきたい。
  4. 国際健身気功連合会の役職を担当する人員を決めていきたい。
  5. 来年の中国訪問について検討したい。

 

 



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