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2015年12月

 



2015-16FINLAND

今日は移動日

12月1日 6:13

フィンランドに行った

エストニアのケーキが食べたくなる

今日は移動日。五時に起きて『きもの』を読む。きのうのことを書く。
九時半カウコが起きてくる。エレナへのみやげのケーキを買ってくる。エレナはエストニア生まれのロシア人だが、時々エストニアのケーキが食べたくなる。十時過ぎにマルトがタクシーで迎えに来る。港に行き、マルトと別れる。
昼頃に出港する。タリンは風がすごかったから海もさぞ荒れると思ったら、そうでもなかった。来た時の三分の一程度の波。後部デッキへ行って波を見ながら、ローストポークのサンドイッチと牛乳を食べる。引き続いて『きもの』を150ページほど読む。とにかく面白い。露伴よりわかりやすいし。
三日間の講習にフィンランドから車で参加した人がいる。彼と一緒の帰りの船だった。カウコは五日の誕生日のための酒を大量に買い込む。船の中の方が免税でだいぶ安い。家まで送ってもらって別れた。
エレナの「やせるコース」の授業があった。カウコとアリの男性陣も参加していて、あとは年配の女性ばかり五人ほど。みんな体重を測って、一週間で二キロ減ったとか交流し合い、一時間ほど自由に懇談。その間こちらは部屋の隅でコンピュータ打ってる。終わってからアパートの方へ。私はごはんを炊いて生卵とかつお節、キムチで食べる。カウコとエレナはそばの粒を焚いて、あと冷凍の野菜炒めみたいなのを食べている。カウコが作っていたのは冷凍のますのフィレにタルタルをはさんで衣をつけたものでフライパンで暖めるだけ。一つ分けてもらう。手軽でおいしいが、こういうのばかりたべていていいのかと少し心配になる。このビルの一階にミニスーパーに売っている。コンビニ文化だ。もっとも加工していない魚はこちらでは殆ど売っていない。HOMEに返る

 

 




2015-16FINLAND

カウコとエレナのアパートで一日過ごした

12月2日 4:41

フィンランドに行った


散歩してみようとか店に行こうという気は起きない。

ヘルシンキのカウコとエレナのアパートで一日過ごした。カギは預かっているが、どこか散歩してみようとか店に行こうという気は起きない。ただ昼前にこのビルの一階にあるSIWAというコンビニに行った。五分ほど歩けばピザとかカレーとかある行きつけの店もあるのだが、あまりお金を使いたくない。下のSIWAでぐるっと一回りしてカレリア風のパイを一つ、小さな三センチくらいの丸いドーナツを一つ、ソーセージをはさんだホットドッグの二個セット、唐辛子入りのツナ缶、レバーペーストを一つ、30%引きのヨーグルトを二つ、ミルク、それくらいだ。これで7ユーロくらい。900円ほど。レバーペーストは特に私の体にいいらしく、日本でも週に一度はいろいろと味付けを変えて作っている。こちらでは大きなスーパーに行かないとレバだけは普通に売っていない。レバペーストはいろいろなおいしいのを売っているのでそれを買う。サンタの顔を描いたヨーグルトが濃くてすごくおいしいが今日は安いのが手に入ったからまたにする。水を買ってもいいが、このあたりは水道水がおいしく、しばらくボトルに入れておけばそれで十分だ。
買い物に一度行った以外はずっと室内で過ごした。
戻ってからきのうのご飯の一部を卵粥にし、ホットドッグ一本を温め、レバーとかヨーグルトと食べる。昼過ぎたがこれが一応朝ごはん。夜は八時ころに残りのご飯を炒飯にする。昨日の残り野菜と唐辛子入りのツナ缶を入れた炒飯。ホットドッグもう一本分のソーセージも刻んで入れた。そして昨日カウコが買ってみたけどとても辛くて食べられないと言っていた唐辛子のペースト。これとミルク、みかん。
これで1.8ユーロの米の四割くらいで三食になっているから、コメの値段で言えば90円で三食すませている。日本ではコメは寿司の練習の時にしか焚かない。できるだけ高蛋白・脂肪食でしている。だがこうして一人暮らしでなるべく金を使わないでとなると、どうしても米やパンに頼ってしまう。治療食はけっこう贅沢なのである。
後の時間は幸田文の『きもの』の続き。250ページほど読んでいよいよ関東大震災のところだ。メールをいじっているとどんどん時間が経ってしまう。
途中思いついて包帯の洗濯をする。10本ほどためてしまった。どこに干そうと考えて、窓際の暖房がまあ目立たないし乾きやすい。共同生活だから多少気を使う。カウコたちは帰ってきてそば米を食べている。HOMEに返る

 

 

 



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一日がすぐ過ぎてしまう

12月3日 5:33

フィンランドに行った


知らない言葉がたくさん出てきてので、書きだしてみた。

 

一日がすぐ過ぎてしまう。『きもの』を読み終えた。だが知らない言葉がたくさん出てきてので、それに線を引いておいて、書きだしてみた。「綿入れの筒袖胴着は肩のところがはばったくて嫌なのだ」と一ページ目にある「はばったい」がもうわからない。なんとなく文脈でわかるけれども、江戸言葉の母親にもならっていない。「母さんはね、雪国の人だもので、綿を沢山いれちまうのさ」これは意味がわからないのではなく、綿入れとはそういうものかという確認である。「袷は五月一日から、単衣は六月一日から。六月いっぱい着る単衣は、たとえば久留米絣とか銘仙とか、織り糸の透かないものを着る。七月一日からは絽だのうすものだの、子どもたちも白地の浴衣を許されて軽々する、といったきまりなのである」と言うのもおおよその想像は付くが具体的なイメージがわいてこない。「いたみやすい不断着だからいくら丈夫な木綿でも切りかえ継ぎかえがかくしきれずに袖や下前に出ていて、絣がいざっていたり縞がくいちがっていた。貧乏だったのか、たまかだったのか、とにかくいたみやすい不断着でさえそうなのだから、まして他所行きはなおのことおさがりにきまっていた」もすらすら読んでしまうが「下前に」「いざって」「たまか」の言葉がわからない。たった三ページでこれである。俄然闘志が湧いて、ノートを作り始めた。わからない言葉、わからなくないが使えない言葉の一覧である。「式にはおかいどりを着たい」と姉が言い出すのは、全く知らない言葉で、説明もない。「母だけが意気地なくぼろついて」などは知っているが使えない。
実は露伴もこうしてノートをとった。将棋や釣りの話でも列仙伝でも知らない言葉ばかりである。これで露伴全集一通りやったらさぞ勉強になるだろう。谷崎を読んでも川端を読んでもそういう気持ちはまったく起きない。露伴に次いで、知らない「きもの」というジャンルのこととはいえ、こういう辞書を作りたくなったのは二人目のことで、面白いと思った。
幸田文のあとは高田郁の『あい』がまだちょうど半分のところから読み始めた。
朝エレナが近くの大きなSマートに車で連れて行ってくれた。一時間ほど買い物をして、また連れ帰ってくれた。ロールキャベツとか小魚のフライとか、あとは牛乳やバターや果物あれこれ。カウコのパーティの買い物はまた別にする。
あとは一日部屋で過ごす。外は雲一つない青空だが、ここは窓も閉めているので独房と同じだ。コンピュータを使えるし食料は豊富にあるところが独房と違う。メールで自由に話ができる点も違う。音楽は「この地域では使えません」と出る。もっとやりかたがあるのだろうか。
朝エレナの車に乗ったらチャイコフスキーが流れていて、ひさびさに吸い寄せられた。気持ちよかった。カウコに乗せてもらうといつもロックだ。嫌いではないが落ち着かない。エレナの趣味とはぴったり合う。「オペラとかシベリウスの生演奏とか行きたくない?」というのでむろん行ってみたい、シベリウスの方がいいと言った。12月にはたくさん機会があるはずだから探しましょうと言ってくれた。
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2015-16FINLAND

カウコの誕生日はもうあさってのことである

12月3日 6:23

フィンランドに行った


十二支のこととか少し話してね、と言われていたので

カウコの六十歳の誕生日はもうあさってのことである。
十二支のこととか少し話してね、と言われていたので、メモを作った。日本の皆さんにはひといき早く聞いてもらう。

カウコ、おめでとう。この特別な日を一緒にヘルシンキで過ごせることを嬉しく思う。西洋では六十年目の誕生日は特別の者でもないかもしれないが、中国や日本では暦の上で特別の日だ。暦では毎年の動物が変わっていくのを知っていますね。私は見かけと違ってネズミ年の生まれですが、カウコは羊の生まれです。それが12年ごとのサイクルをなしています。さらに十年を二年ずつに分けて、甲と乙は木、丙丁は火、というように五行で分けている。その組み合わせが、十と十二の最小公倍数で六十年に一度しか来ない。それを「還暦」つまり暦が帰ってくると言って、特別に祝うのです。
こういう考えはもう古代の殷の時代に有りましたが日本では鎌倉時代頃から広く知られたことらしい。当時は平均年齢が50までいかず、60といえば大変な長生きだった。中国でも杜甫が「七十まで生きるのは昔から珍しい」と詩に書いたので、70のことを古希という。88は米という字が八と十と八と書いてできているので米寿という。120まで行くと「大きな還暦」とよぶ。みんなが長生きになった今でもこれは本当に稀だ。
同じ中国文化圏でも、タイやベトナムでは羊はヤギになっている。モンゴルでは虎は豹になっている。イランでもあるのだがそこでは龍がクジラになっている。
十二支ではそれぞれの性格というものがある。そのひとつを紹介すると、カウコの羊年は人を憐れみ、品もよく、芸があっても高ぶらないといいことが並んでいる。ただし、取りこし苦労が多い、つまらないことに気をもんで、いつも迷いがある。これは案外当たっているかも。
十干のほうは「草木がまだ伸びないで、縮んでいる」と書いてある。これは希望がある、これからもっと大物になる。彼のウースオクサは「新しい枝」という意味ですね。
カウコとはもうちょうど30年のつきあいです。60年のちょうど半分を一緒に過ごしてきた。カウコは後半生の仕事として気功を選んだ。奥さんは何度か取り換えたが、一度として気功と別れようとしなかった。気功をうまくやって、もう60年、大還暦まで生き延びて下さい。草木をさかんにして大きな森をつくってください。HOMEに返る

 

 



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一時半頃突然電気が切れた

12月3日 11:01

フィンランドに行った


一人一人のバッグに分けていた時だったので、困った。

 

一時半頃突然電気が切れた。持ってきた食器とか食材とかを一人一人のバッグに分けていた時だったので、困った。カウコとエレナが治療所の方に泊まっているので、今夜やってしまおうという気持ちになったところだった。寿司の企画というので、作ってみせるのは簡単だが、みんなにある程度体験してもらうというのは道具立ても含めて、そう簡単ではない。それを買った時のまま荷物に詰め込んでいるから、めいめいに分けようということなのである。100円のバッグを12個用意してきた。入れる物は22種類ある。大体詰め終わって米をタッパーに小分けしようとしていたところだった。
近頃滅多に体験しない真っ暗になった。まずうちだけかどうか確かめるために廊下のドアを開けてみると、完全に真っ暗だった。つぎにブラインドを開けて向かいのビルとか見てみると、やはりまっくらだ。嵐とかでもないのに地域ごと切れているのなら復旧は早いと見た。でも完全真っ暗は困る。バッグに読書用のやたら明るいミニライトが入っているのを思い出して、これでまずトイレに行っておく。鏡の前には太い蝋燭が並んでいるが、点灯した雰囲気はないからやめておこう。抽斗に太い点灯した蝋燭があって、これを点けた。マッチもリュックに入っていた。税関の人が「ライターダメですがマッチ一個までいいんです」とか言っていたのを思い出したのだ。コンピュータはしばらくバッテリで動きそうだが復旧がいつになるかわからないから、スイッチを切る。電話がないから唯一外部世界につながっているのがコンピュータである。
カウコが朝急に来ても驚かない程度に荷物を片づけ、机の上を整理する。米を小分けするのは無理だから朝にする。布団に坐って水を飲みロウソクを消して瞑想に取り掛かったところで、五分くらいして電気がついた。こんなに明るかったかと思うほどだ。短い冒険が終わった。
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高田郁の『あい』の後半を一気に読んだ。

12月4日 19:52

フィンランドに行った


実際のモデルのある小説である

飛行機の中から読んできた高田郁の『あい』の後半を一気に読んだ。幕末に北関東で生まれ、蘭方医学を学び、銚子で名声を確立したが、徳島の殿さまに請われて一家で渡り、明治維新の戦争で軍医として全国にしられたが、名声を嫌って北海道に渡り農場を開発したという実際のモデルのある小説である。その彼と一緒になり夫を愛し続けたあいが主人公で、利益を求める機会はいくらもあったのに、庶民のための医療を追求し続ける夫を守り、貧窮を怖れずに家を守り続ける。山桃の木が初めからしまいまで彼女を守り続け、最後に自分が山桃になってごく若い夫がその木に寄りかかって泣いている、夫の最初のイメージの中で死んでいく。
まだ何冊か小説を持ってきているが、後半に回して、章炳麟に取り組む。岩波の章炳麟集と小林武という人の『章炳麟と明治思潮』である。このあとの本はカウコの車のグローブから発見されたもので、おととしの夏になくしていた。泊まっていたホテルとかあちこちに問い合わせてなかったものである。今研究しろと言われているようで、実際すいすい頭に入る。歓心はあっても「時期」を待たないと読めない本があるのだなあと思った。章は排満興漢の思想家で革命家であるが単に政治的な革命家ではなく中国思想を総体として革命しようとしたところがあり、今の中国でも汲みつくされていない。
今日からヘルシンキの授業が始まる。内経図のほうの話を少し準備する。エストニアでは修真図の本に引きずられて少し専門的な話になりすぎた。
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昨日はカウコの60歳の誕生日

2015年12月06日 17:13

フィンランドに行った


五六分の所に古い素敵な建物がある。

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昨日はカウコの60歳の誕生日だった。
カウコの治療所から五六分の素敵な古い建物がある。日本で言えば「洋館」といいたくなるような、木造白塗りの建物で、そこを借りた。この土曜日も講習はある。金土日と三日間三時間のコースだ。この日は10時から私が日本の健身気功の雑誌に書いた新年のあいさつの「道教気功の研究のすすめ」を最初に紹介した。昨日から内経図・修真図をやっているので、兆℉いいだろうと思ったのだ。そのあと、カウコの要求で坐式の亀蛇気功をした。ここまではDantianのスペースでしたのだが、それからその洋館に移って易筋洗髄経をした。六段までだがていねいに四回ほどやるとそれだけで二時間たってしまう。
二時に終えてから、準備にかかった。けさは四時に起きて、ご飯を炊き、稲荷ずしを作った。東京館で買ったのが40個分、日本から持っていったものの一部が36個分で合計76個。三時間ほどかかった。残りのご飯をリゾットにした。エレナの台所にあった葱、玉ねぎ、ニンニクに私の持っていたオリーブなど加えて炒めた。これは大鍋ごとの持ち込みである。
あとは実は津村料理とはいえないもので、東京館で買ったせんべい類とかピーナッツとか、人参のスティックサラダとかチーズの四種盛り合わせとか、ピリ辛の豆のサラダとか各種のパンとかチップスとか、フィンランドのパーティで普通に出てきそうなものに少し日本風が混じった取り合わせになった。こちらにしてみれば手抜きだが、フィンランドの人にとっては普通であるから、けっこう満足して食べてくれている。サーモンが届いて、さっそく刺身に作る。大皿に四つ。これと稲荷とがまあメインである。あ、うどん三把もあった。これにはこちらの唐辛子入りツナ缶を三個ぶちこんで、炒めていく。
四時前にてんでに話していたみんなを集める。カウコがあいさつし、私が還暦の話などする。彼が生まれた四時五分に乾杯。そのあとはカウコはプレゼントに埋もれていた。私は最後の調整をして五時からオープンにした。多分最大で七八十人の人が食べて十二時にはトルティーヤチップスとパンとみかんが少し余ったくらいの、ほぼ計算通りの一部始終になった。人数は、と聞いても「20人か30人か、もっと」というだけで何をどれくらい買っていいか見当がつかないわけだが、こういう修羅場で料理を作るのが一番得意なのである。
いつも的確な批評をしてくれるアルシカには「手抜きだな」と見破られたかもしれない。チーズと人参のスティックとパン、にしんなどを置いているサイドテーブルに坐って、赤ワイン、ウォトカ二種類、ブランデー二種類を七時間かかっと飲んだ。今日の気功の生徒さんたち30人は大部分そのまま参加していた。
久々に会えたのはトゥイヤだった。もともとフィンランド気功協会を始めた最初の事務局長の女性で、シュタイナー学校の先生をしていた。30年の間にずいぶんいろいろな体験を一緒にした。最近何年間かは事務局から手を引いて孫たちの世話などしているが、要所要所で出てきてくれる。
アンゾリがエストニアから駆け付けた。芸術学校の校長をやめて、全国にもっとダイナミックなネットワークを組織していく仕事を始めた。ヘルシンキでまだ学生時代香功の講習会に来てその後四川にも留学した。その後ずっと義兄弟扱いである。ラップランドの北東の端にいるヨンネも来た。広告会社をやめて、大自然の中でナイフ作りをしている。サーモンを切っている脇にはていろいろ話してくれた。前にはヘルシンキに家のあった時はしばしば滞在させてもらい、あれこれ話した。
こちらは覚えていないが、ラップランドのイナリの酒場で紹介されたとか、私の家のサウナに入りに来たとか、「旧友」にいろいろ会った。
その中でも、カウコを40年前から知っているというラッセ・シンダという白雪姫の小人みたいな雰囲気のおじいさん、といっても和多氏と同い年なのだが、髭も髪も真っ白な人に出会って仲良くなった。大型船のコックをしていて日本に渡り、東京と京都と神戸に何年かずつ住んだ。そごうでずっとパンを焼いていたという。ヘルシンキに住んでいるのでこれまでに合わなかったのが不思議だ。宴会の途中から厨房に入ってくれて、次々に空く食器やグラスをあらってくれ、なんと一番最後まで洗い続けてくれた。名刺をもらったら、垂水に住んでいたことが忘れられないと、tarumiが頭に着いたアドレスを持っていた。なかなか名前を言わなかったが、シンダという姓なので日本でからかわれたのかもしれない。気のやさしい人だ。
カウコの兄さんや弟の家族も来た。盛大な会になってよかった。
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飲み疲れで、一日ぼッとして過ごした

2015年12月07日16時間前

フィンランドに行った


昨日には及ばないが20数名が来てくれた。

みんな飲み疲れで、一日ぼッとして過ごした。とはいえそうも言ってれないので、今日は五時間の授業があった。昨日の30人には及ばないが20数名が来てくれた。朝易筋洗髄経の復習をし、休みの後胡耀貞気功の基礎をした。残り一時間何したいですかと聞くとやっぱり易筋洗髄経だという。そのあとにマッティとトンミは易筋洗髄経の写真撮りをしたいという。トンミがマックで細かい説明を全部書き取っていたから、ホームページでだしてれるのだろう。二週間後にクオピオの彼らのところに行くが、その時ビデオ撮影をしたいという。
易筋洗髄経は周稔豊先生のもので、健身気功の易筋経とはだいぶ違っている。おそらく易筋経と洗髄経が別々のものでなく一緒にやられていた古い時代のものを復刻したものと思われる。健身の易筋経の下敷きの一つになっていながら、内容はかなり違って深いものだ。
でもこちらはもっと内丹をするつもりだったのに、みんな易筋洗髄をしたがったのは、こういう骨太の導引が好きなのだろう。私もこういうのを繰り返しやっていると若返ったようになる。少し前には立ってやり続けることができなかった。今はらくらくである。
トンミたちは禅密功のとうに翻訳してある原稿を出したいとあちこちの出版社とはなしてきたが、明日かなり脈のあるところと会うから一緒に来てくれと言う。出版社がもっと気功全般の中でこれの持つ意味を書いた文章をくれということらしいので、それを書いてもらえるかと言っていた。導引の中の脊髄系統を代表するものが禅密系と背骨ゆらし系であるからすぐに書ける。次はクオピオに周稔豊気功の拠点になってほしいと言ったら嬉しそうにしていた。トンミとマッティはもう30年も禅密功を育ててきたのだ。カウコが30年亀蛇をやってきたように。
今日は何かの国民の祝日でしかも日曜だから、スーパーとかコンビニとかは徹底してしまっている。カウコの内に来ていたゆうべのクラッカーの残りでも食べておくしかないかと思っていたら、ピザを買おうかという。ひさびさに食べたくなった。クアトロスタジオ―ニというえびとツナとマッシュルームとハムのを頼んだ。鍋もカウコの方に行っているので、フライパンでお湯をわかした。
エレナがシベリウスのチケットを手に入れてくれた。あさって第一弾だという。何十年も通っていてやっと本場でシベリウスがきけるのが嬉しい。
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盛大に洗濯をした。

2015年12月07日 15時間前

フィンランドに行った


洗濯をするような場所ではない。

.講習が一段落したので、盛大に洗濯をした。もともとここで洗濯をするような場所ではないのである。台所の流しはさすがに遠慮をして、トイレについている小さな手洗いで洗濯する。作務衣など全部入らないから「分析的洗濯法」である。石鹸もないから手洗いのを投入する。作務衣の上下とパンツとくつしたとを洗う。明日でかけるまでに14時間もあるから作務衣も乾きそうな気がする。だめだったらもうひとつ上下がある。これをできるだけ絞る。永六輔が旅先で洗濯をしてどうしても出発までに乾かしたいときは、まず手でできるだけしぼってから、パスタオルにはさんで椅子の上からそこへ飛び降りると書いていた。あとは天候条件にもよる。東京のホテルではヘアドライヤを借りて洗濯物に当てる。夜中から朝まで三回ほどするとほとんど乾く。ここにはドライヤはなさそうだが、壁際の暖房にかければたいていの物は乾く。ここは窓を開けない設計になっているから、日には当てられない。
掃き掃除をする。とくに布団にたくさんついた私の足の皮膚をていねいに掃除する。回復期で、毎日毎日大量の皮膚がはがれて健康な皮膚が出てきているのだ。
10人分の寿司セットをバッグにまとめて本棚二段に入れた。これで二つのスーツケースはほとんどからになった。帰りは小さいがらがら車で引くバッグをスーツケース一つに入れてしまう。場合によってはリュックももう一つのに入れてしまえば手ぶらで乗れる。だいぶ荷物が整理できてうれしい。
この部屋はペリカンのセルフストレージの箱が十何個か積んであって、そのほかにも化粧箱や段ボールが積んであるから、そんなにきれいになる訳もない。ただきちんと片付いたところより居心地がいい。ただしテーブルの上に醤油とか酢とかミカンとか蜂蜜とか散らばっていると際限もないので、これだけは食べるごとに出してきて、しまう。いまは食べかけのピザがでているが、朝までにはきれいになるはずだ。
やっぱり胃がちいさくなっているのだと思う。きのうもトムヤム拉麺を作ったがこんなものが多くて、半分食べられないのである。ピザも一枚らくらくだったのに、半分で一杯。それにしてはやせないな。
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2015-16FINLAND

フィンランドでしか食べられないものの筆頭

2015年12月8日 3:41

フィンランドに行った


ブルーベリーのジュース

こちらでしか食べられないものの筆頭に来るのはおおけさだけれど、ブルーベリーのジュースだ。夏から秋にはフィンランドの広大な原野はびっしりブルーベリーに蓋われる。ほかのいろいろなベリーもあるしキノコ類も豊富なのだがブルーベリーは量が違う。もちろん自分で山すそを這いずり回って集めればそれはおいしいけれども、われわれは田舎に行く機会がなければコンビニで買うしかない。ブルーベリーのことはムスティカという。ムスティカのジュースではなくケイットと書いてある。別に鶏だしで割ったりしていないが、スープの扱いだ。普通にコップで飲んだり、ヨーグルトにまぜたり、ミルクやクリームで割ったりする。こちらに来た時にしか飲まないけれど、ああ、うまいもんだな、としみじみ思う。普通のジュースのように砂糖を加えたりしていない。甘いことは甘いがも何かしみじみのめるのである。一人でいるとどうしても二日に一本買ってしまう。値段は2.7とか2.9とかだから、130を掛ければ350円くらいになるが、こちらの物価感覚では300円くらいの感じだ。
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2015-16FINLAND

2.5mくらいの距離の出来事

2015年12月8日 3:52

フィンランドに行った


小さなとげが痛点に

デスクからテーブルまでほんの2.5mくらいの距離なのだが、この間でとげが刺さった。右足の裏である。丁度痛点に当たったらしく、ものすごく痛い。私の北京で買った韓国製の優秀な身づくろいセットがあって、これを持ってきているから、この中の毛抜きでいろいろとやってみた。とげがあまりに小さいのと、ちょうど見えないところにある。二時間ばかりジタバタしたがまだとれない。いよいよだめなら明日切開して、と思ったが、その前に馬油で顔を出してくることがある。とりあえば馬油を塗っておく。一ミリにも満たないこんなもののせいで、トイレに行くのもキッチンへ行くのも「大長征」である。足裏をつけずに伝い歩くことを試みている。それでも痛い。こういう時に好い機嫌でいるのは難しいものだ。昔なら酒を飲んでと言う所だが、今はいい赤ワインが何本かあるのに、とても景気があがらない。
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2015-16FINLAND

トンミとカウコと三人で出版社へ

2015年12月8日 4:19

フィンランドに行った


社はカウコとエレナの部屋の三階にあった

今日はトンミとカウコと三人で出版社をたずねた。トンミを連れて行くからという話ですっかり車でどこかに移動と思っていたら、なんと出版社は私の今いるカウコとエレナの部屋の三階にあった。
もう四五年になるだろう。劉漢文の『中国禅密功』コピーーさせてほしいとトンミから頼みがあり、もちろんすぐに渡した。彼は中国語は読めないがタンペレのほうにフィンランド語の出来る中国人の女性がいて、その人に頼んだ。むろん気功関連の翻訳は初めてだからすごく苦労したし、私も何度も会って相談に乗った。正確に覚えていないが二年くらいで大体仕上がったのかな。これを練習でずっと使って、未知の功法を次々にした。合宿をして樹林気功をしたこともある。トンミはこれをきれいなコピー版にして、出版社を探した。私にも一部くれた。なんと黒竜江に一緒に行ったとき彼が撮った、髑髏模型の隣に私が立っていて、「現在」「未来」というふうになっている楽しい写真を表紙にしてくれていた。もちろん本になった時には同じにはならないだろうが。とにかくトンミたちは1987年からずっと禅密功をやり続けていた。そしてたくさんの人に教えていた。まだ私が劉漢文さんと交流があり、その高弟たちから習っていたころである。
むろんフィンランド語で打ち合わせていたし、私の判断を聞く二三か所しか訳してくれなかったので全然内容はわからない。だが十分可能性はありそうだった。私はこの本は禅密功のことだけでなく、気功全般のガイドがあり、仏教気功についての解説があり、気功の中でも脊椎運動を主にする気功の説明をし、環境気功としての性格に更に触れるということを前書きに書けば広い読者を得られるのではないかと提案した。まあ、前向きに検討しましょうで終わった。
ここはティク・ナット・ハンの本の出版でも知られていて、マインドフルネスの出版のひとつの拠点でもあるらしい。トンミがずっと苦労してきたものが実りある形をとれたらすばらしいと思う。
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2015-16FINLAND

震え

2015年12月8日 12:04

フィンランドに行った


記憶にある限り初めてのこと

やれやれ。とげがささったのが何かのきっかけになったのか、急に全身が震えだして歯の根も合わないようになった。こんなことは記憶にある限り初めてのことだ。手も押さえつけていないとお湯とか持てない。それがこちらの時間で23時ころである。まもなくキーボードタッチもできなくなった。とにかく寒い。がたがたという感じ。ありったけの着る物を着て、外で着る上着も全部着て、羊毛や布団にくるまった。こんなさいだから気功をと思っても、からだのほうでそれどころではないと言っている。へえ。体が気功を拒否することもあるんだと新しい知見である。
水が必要だと判断して、コップ何杯かの水を用意して、すぐ飲んでしまった。震え、止まれ、と命じても命令系統が効かない。そのまま一時間ほど坐っていて、眠くなってきて、倒れ込むようにして枕に頭を乗せた。三時間経って起きておしっこに行くと震えはなんとか止まっている。まだ手足が異様な熱を持っているが、一応ヤマは越したようだ。足の裏は変わらず痛い。番茶が飲みたくなってポットにお湯をわかし、水のピッチャーにも並々水を入れ、ヨーグルトなど食べたくなれば枕元に並べた。夕飯を食べていないのだが、ヨーグルトにバナナをいれたものがありがたい。二口、三口だけどども。そして番茶がありがたかった。薬とて足の薬と京大病院の薬と痛み止めしか持ってないから、こういう時には役に立たない。ああ、番茶だなあと実感した。直観的に「もう大丈夫」と思ったが、手はひえきっているし両足ともつっている。仕事の雰囲気でないので、コンピュータには触らない。今触れるようになっただけで、すごい体力の回復を実感した。それまではキーボードに触ると生気が吸い取られていくみたい。鼻をかむと際限なく血が出た。脳出血の代わりに鼻血ですんだということにしておく。そう脳出血でもおかしくないんだ。電話はないがメールでつながっているから、ひどい状態の時はカウコをよぼうかと思った。何かそのほうが面倒で、自分で済ませた。全身震えたまま眠りにつく時は、ああもう退場かなと思っていた。いま四時半で実はおしっこに立とうと苦闘するときに半分くらい出てしまって、掃除をした。足の痛みはまだ角度によってという風で頼りないが、びっこを引きながらなら演奏会にも行けそうだ。京大病院の利尿剤は一日お休みにする。コンサートでおもらししたくない。現金なもので一日休めばその日は大丈夫なのだ。
自分が病人だという意識を久々に持った。水やブルーベリーや番茶のありがたさが身にしみた。よし、朝はハンバーグを作って等と思っているから、もう大丈夫なのだろう。
これは急性の風邪だと思う。震えという意味では三時間で立ち去った。こちらに来ての疲れがたまっていて、それが一気に噴出した。皆さまご心配をおかけしました。もう気功はできるが、まだやりたいという風ではない。
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2015-16FINLAND

ヘルシンキ中央部の教会でのコンサート

2015年12月10日 4時間前

フィンランドに行った


フィンランド随一の男声合唱団

カウコの部屋には大きなハワイイ語の辞書はあるけれども、日本語の辞書はない。日本語はほとんど音で覚えたから、辞書が必要なかったのだ。それで何も持ってきていない私はこのフィンランド語の演奏会のパンフレットが読めない。読めるのはラジオ・クラシックの宣伝の英語のタイトルだけである。
コンサートはヘルシンキ中央部の教会でやられた。登場の仕方もお客さんに紛れて、同じ入り口から来るという風だったから、教会つきの合唱団なのかなと思った。それにしては抜群にうまい。テナー、バリトン、バスがそれぞれ自分の歌を歌っていて、ぴったり合うというよりも、生き物のようにからみあっている。ぞくっ、とした。
あとで聞いたらフィンランド随一の男声合唱団で、1918年にシベリウスも参加して作られた。『フィンランディア』の初演も彼らがしたという。今日居たのは60人くらいだったろうか。
プログラムを丹念に見なかったから、最初の三曲の後でシベリウスが五曲続いたことも知らなかった。そのあとのパイプオルガンも、パイプオルガン付きで歌った何曲かも、ひとかたまりに音に圧倒された。ああ、こういう「認知を超えた音楽との出会い方があるのだ」と思った。終わりの方はクリスマスに耳にしそうな曲になった。そのとき歌い手たちは教会の三本の通路全体に展開した。真ん中の後ろの方にいた私の前には、トップテナーの丸坊主の人が来た。一メートル半離れてバリトンの人がいる。三メートル離れてバスの音がはてしなく遠くから聞こえてきた。トップテナーは私が見つめる前で、ごくごく高い声で、ひたすら静かに歌った。ああ、神が降りた、と思った。人の声をこれほど美しいと思ったことはなかった。涙が止まらず、私より若そうな彼が天上の声で歌うのを見つめた。さいごに、良く知られた聖歌をみんなで歌えるよう、プログラムに歌詞があるみたいだった。二番で全員が立ちあがったから、わけもわからずたちあがった。全部終わってから、聴衆が坐ると、プログラムにはない「清しこの夜」を歌い始めた。よく知っていて、陳腐なほど町で聴いている曲なのに、こんな「清しこの夜」があるのかと思った。私の前にいる天上の声が天使に思え、どこか遠くに連れて行かれそうになった。
出口付近で団員たちがCDを売っていた。ぼっとしていて、買おうという意識がおきなかった。今になるとひたすらほしい。出口でさっきのトップテナーと目が合うと笑いかけてきた。うなずいて、外に出た。こんな目に遭うとは、とつぶやきながら。
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ラハティはヘルシンキから100キロほどの都市

2015年12月10日 1時間前

フィンランドに行った フィンランドに行った


クストーは合気道の道場をそこに開いている。

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ラハティのクストーのところに行った。
ラハティはヘルシンキから100キロほどの都市である。そこにクストーは合気道の道場を開いている。合気道はもう古いし、弟子も多い。気功はヘルシンキの三年間のコースに参加して、卒業した。もう十分教えられる。気功の教室も少人数だがしている。その合気道の関係で日本にも何度も来ている。そのときに私のよみうりの教室に仲間と一緒に参加したこともある。
何をやろうと考えずに行った。注文に応じる。彼は「波動功」と「諸病源候論の風病導引功」を希望した。カウコが「六段選もいいね」といった。全体がに時間15分であるから、そうすると一回やるだけでせいいっぱいになってしまう。「とにかく波動功からしよう」ということにして、始めた。こういうものならば一度も復習とかなしに教えられる。
波動功は太極気功の一種で、太極拳に取材して繰り返しできるようにした気功だ。珍しく日本人が作った。
波動功を一度やってみると、クストーにはかなり細かいことまで伝えているが、ここではきちんと伝えていないことに気づき、少しずつ進めて行って一動作ずつ説明した。最初の命門から発する手足に伝わる波のこともクストー自身をのぞいてはほとんどできていない。命門を後ろに出すということがどういうことかをひとりひとり触らせて体験させた。と言うやり方ではさっぱり進まない。六段選はあきらめて、休憩も無しにして、波動功を一時間半した。途中から何人か参加してきた人も含めて16人。
自分でやってもらったらみんないろいろ違っているが、ほとんど正しいクストーだけ二カ所を直した。これでほぼ完成だからだ。
あとは諸病源候論の風病導引功を12種類。これは説明なしでやってもらって、ぴったりの時間に終わった。
最後に質問は、といったら、次いつ来るんですか、といった人が。カウコがひきとってこのあとのヘルシンキでのガン気功講習、クオピオの易筋経、一月のすし講習などを紹介して、あとは六月以降ですね。
すぐ続いて合気道の基礎練習を始めたので10分ほど見学していた。気功と同じような動作も多い。これは使いたい、というものもあった。帰りはドライブ・インでサーモンスープを食べて帰った。
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風邪をこじらせてしまったようだ

12月11日 13:33.

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こちらに来るころから咳をしていた。

 

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風邪をこじらせてしまったようだ。こちらに来るころから咳をしていた。肺が衰えているためかなと思っていた。授業中に咳とかのどの軽い発作が起こると迷惑なので、のど飴だけいろいろ持っていた。もうわずかしか残っていないが大宮通の「たんきりや」で買った生姜飴の強力なやつはいちばん気に入っていた。あとはミント系とか。それで対症療法だけしてきたのだが、二日ほど前に猛烈な震えが来た。よくわからないが一連のプロセスの一コマだったのだろう。昨日になってふつうの「のどの咳」という感じの咳が出出して、鼻水も突然増えた。一日でトイレットロール一つ鼻をかんだ。熱もある。昼間普通に起きて翻訳の仕事を続けているが、時々倒れるようにして一時間くらい眠る。夜カウコが来たので、風邪薬あるかと聞いたら、アスピリンと北京同仁堂の感冒清熱顆粒をくれた。アスピリンてありふれた薬だよなとおもったが、耳にはしていても生涯一度も飲んだことがない。少なくとも記憶にない。同仁堂のやつも、お湯で飲んだ。それから四時間ほど眠って、起きたところだ。せきはまだあるがしょっちゅうではない。鼻水もずるずるというのでなく十分に一度かみたいくらいになった。熱は下がっている。測ってはいないが感覚でわかる。はてしなく痰は出る。またアスピリンと清熱顆粒を飲んでみる。小さな活字で「疏風散華、解表清熱、用於風寒感冒、頭痛発熱、悪寒身痛、鼻流清涕、咳漱咽干」と並んでいていかにも効きそうではないか。荊芥穂というのは知識がないが、辛子の成分だろうか。薄荷、防風、柴胡、紫蘇葉、葛根、桔梗はまあわかる。苦杏仁、苦地丁と苦いが重なっているのは未知である。まあめったにない経験なので、楽しんでみるしかない。
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翻譯もだいぶ進んであと一息だ

12月12日 9:14 .

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YouTubeで聞いた。

翻譯もだいぶ進んであと一息だ。
この器械で全然音楽を聞いていなかった。メディアクラウドなど使うとあとが面倒だ。そうか、いきなりユーチューブへいけばいいのだと思い至った。結局台湾と中国の歌に行きついた。テレサ・テンがなんといっても仕事をしやすい。何百回も聞きなれてきたこともある。
仕事していて、ちょっと映像に戻ったら小さな女の子がテレサ・テンそっくりさんをしている。なかなかうまい。13歳だという。興味を引かれて次のも、要するに勝手にさがしだしてやっているやつなのだが、北京のTVの50分番組だと言うので、うへっと切り替えようとしたら、北京で有名な映画監督らしい人がお勧めのテレサそっくりさんがいるという。そのままずるずると見てしまった。足のめっぽう長い14歳の女の子が白いドレスを着て登場し、テレサの歌を歌った。これがほんとにうまくてびっくりした。二十歳くらいまで人生経験を積んで磨き上げればテレサにまさるともおとらない歌手になる、雰囲気があった。これから12月にデビューコンサートがあって、自分の曲も含めて売り出していくらしい。もともと人口の多いところだから、歌手になりたいと思う子も多いだろう。その中でたまたまこの監督に見出されたのは幸せかもしれない。でもそっくりさんは監督が言うように「時代と共に歌い方が変化する」と言ってもそれだけのことだし、どこまで自分の個性ある歌を育てて行けるかは、楽なスタートだっただけにもっと厳しいかも知れない。
そっくりさんているんだろうなと探してみたら、テレサのそっくりさんは大勢いた。脱北してきた人が、ルックスもまあよい、発音は上手でうたもけっこうという人だが「よ、ろ、し、く、おねがいします」みたいな歌を歌わされているのはぶち壊しだ。田舎の温泉旅館を連れまわす気だろうか。台湾にも中国系タイ人にもそっくりさんで売り出した人がいる。日本のメイも跡継ぎを看板にしていた時期がある。
テレサの歌はやっぱりテレサで聴きたい。日本語のものはあまり好きでない。中国語、英語やモンゴル語、広東の田舎の方言で歌ったものなどを順に聞いていくだけでかなりの時間はかかってしまう。
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二度目のコンサートに行った

12月13日 8:11

フィンランドに行った

今回はミュージック・ホールでのコンサート

 

12日。二度目のコンサートに行った。この間の教会の中での臨場感あふれたものと違って、ミュージック・ホールでのコンサートだ。地下に降りて、クロークをやりすごして歩いていたら、広い廊下のティールームでいきなり演奏が始まった。あれえまだ早い筈だが。ファゴットとクラリネット、ピアノの軽快な演奏だ。知らない曲だが、ほどほどに現代的でほどほどに保守的である。でも気持ちいい。コーヒーを飲みながら談笑している人もいれば真剣に乗り出している人もいる。空いているテーブルに坐って集中して聞いた。20分あまりで終わり、お辞儀をして店を畳んだ。シベリウス・アカデミー音楽院の学生がアピールしたものだろう。
チケットを見せて「どこ」と教えてもらうと、「この階段をふたつ降りて、一番前の席よ。青い服の人の隣」。二階席なのだが、すぐコントラバスを見下ろせる位置だ。咳が心配なので、咳止めの飴だけいろいろ持っている。
シベリウス・アカデミーはフィンランド唯一の音楽学校で、ここを卒業した者によるオーケストラはフィンランドはもちろん、ヨーロッパ有数の交響楽団である。さまざまな国際音楽コンクールの優勝者数ではベルリンのベルリン芸術大学、ロンドンの英国王立音楽院(RAM)、モスクワのモスクワ音楽院、フィラデルフィアのカーティス音楽院と並び、世界でも上位5校になる。生徒数は最大で1700人いる。
今日の指揮者はアッツォ・アルミタ。フィンランドを代表する指揮者だ。
最初は序曲を三つ。モーツァルトの『魔笛』、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』そしてワーグナーの『ニーベルンゲンの指輪』。これらはどれも新感覚で軽く、きめ細やかでよかった。ワーグナーなどいつもの嫌悪感が消えてわくわくしたほどだ。モーツァルトも「あっさり感」がよかった。お茶漬け海苔みたいだ。
やすみをはさんでのシベリウス二番はさすがに緊張した。こうして聴いてみると、これを聴くためにフィンランドに来たという感じだ。日本にいる日本人のなかでは私ほどシベリウスを沢山持っていて聴いている人はいないと(こちらに長いこといたピアニストの館野泉さんなどはもちろん別格にして)思っているがそのなかでもやっぱり二番はよく聴いてしまう。今はスコアを見ながらということはしないが、あそこの曲がり角まで知っている、という感じだ。それでいながら、生演奏で聴くのは実に初めてなのである。批評がましい言葉は何もうかばなかった。ただシベリウスに翻弄されて、主役になるチェロやホルンやフルートやオーボエやに順番に倒れ込むようだった。久々に最後の和音まで集中し続けた。たまにこういう所に来ないと、DVDで再現可能と思っているのではだめだな、と反省した。
と考え込みながらぼうっと拍手していると、まさかのアンコール、フィンランディアだった。これはほんとにぼろぼろ泣いた。過去に何度も尋ねたシベリウスの家を思い出していた。シベリウスが話していた木々たちがまだ生きていた。その庭の森を思い出しながら、聴いた。木一本一本ために作ったピアノ曲もある。あなたは大きな森のような存在になって、彼らの音楽とともにフィンランドを支えているのだな。モダンなコンサートホールが白樺やもみの林に包囲されていた。
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カウコの子どもの頃からの興味

12月14日 5:26

フィンランドに行ったフィンランドに行った

明後日からまたフィンランドです。

 

カウコは子どもの頃から日本の空手とかに興味を持ち、早い時期から少林寺拳法を習っていた。空手は海外で食えない人が日本でちょっと習ってきたのを教えたりというのは割りと多く、あまりそういう人に習おうという気持ちはなかった。日本に行ったのもその関係だった、だが、日本にはもっと深い武術がいろいろあることを次第に知り、結局本體楊心流に行きついた。古いスタイルの柔術だが、居合などさまざまな技も含んでいる総合武術である。欧州の支部長にもなったが、若い人にゆずって、身を引いた。いまでもヨーロッパ中に仲間はいるが、組織からは降りた。むしろ並行して見につけた指圧と気功で弟子をとっている。
彼の本棚に、武道館で出している『武道』が二冊ある。
一つは1999年11月号で日本の古武道のシリーズで「本體楊心流柔術」の特集をしている。十八代の宗家に当たる井上剛宗俊の写真が大きく出ている。西宮の今津に本部道場がある。海外支部には、イタリア、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、アメリカ、イギリス、スコットランド、ベルギー、オーストラリア、台湾、カナダと並んでいるが、むろん大きなところも小人数のところもあるのだろう。1600年代の半ばに奥州白石藩の武士だった高木折右衛門が流派の開祖となった。三代目から兵庫の姫路藩に移り、十一代からは赤穂藩に移った。十七代は一時東京に出たが、十八代で西宮に落ち着く。カウコはここに習いに行っていたのである。
もう一冊は同じ『武術』の2005年3月号。この時に井上恭一が19代宗家が継承した。これにはカウコの写真も載っている。当時の六人の海外代表支部長が顔をそろえたのだ。
この道場のすぐ下に居酒屋があって、カウコがいつも厚揚げのかつお節を載せていないのを注文するものだから、顔を見ると店員が「揚げ一丁かつお抜き」と先回りして注文しておくようになった。通い詰めていたのだが、今は一年に一度とかである 。
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ビルの向かいはきれいな緑地

12月14日 8:33

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そういう空き地というのは、ヘルシンキの街じゅうにある。

 

いま滞在しているビルの向かいが、きれいな緑地になっている。なだらかな昇りがえんえんと続いている。そういう空き地というのは、ヘルシンキの街じゅうにある。都心部の緑地はさすがに小さいが、ここらあたりだとかなりの時間散歩ができる。下の店に行くとき、いつもここを見上げていた。丘の正面に白い洋館があって、いつだか赤い前掛けをした女性が玄関を出たり入ったりしていた。洋館て、なんでも洋館なのだが、白い木造の、二階建ての少しお屋敷っぽいのが「洋館」という言葉にぴったりだ。このあいだのカウコの誕生日をしたところも「洋館」にぴったりのたたずまいだった。
その記憶の原型がどこにあるのか、今日突然思い出した。下北沢のけやきや柿の木や梅の木の生えていた家の一件東隣りが足立さんで、その一件向こうと言うのが、アメリカの家族が住んでいた。それが「白い洋館」で、私の「白い洋館」の原イメージを作った。その洋館は白く塗られていて、二階建てて、私の住んでいた家がよっつくらいすっぽり入りそうだった。高い塀の中にあった。「アメリカさん」が来たのはむろん戦後のことだから、以前は外務省のお役人が住んでいるとかのイメージだった。そこには同い年くらいの女の子と少し年下の男の子がいたが、彼らと一緒に遊んだりすることはなかった。ところが、親を通じて話が来たのだと思うが、その女の子の誕生日にご近所の子供たちが呼ばれたのだ。たった一度だけ、白い洋館の中に入って、へえこんなになっているのかと一部を見せてもらった。一応母の用意してくれた花とかを持っていった。サンドイッチとショートケーキと紅茶を出してもらった気がする。でも一緒に食べてから、英語と日本語では何も話すことがなかったから、ずいぶん気づまりな一刻を過ごして、早々に退出した。
そんなことを思い出しながら、緩やかな坂を上がっていくと、五分ほどでその白い洋館についた。いつも行くSIWAというコンビニがずい分下に見える。父親と息子が歩いていて、今日は日曜だと思い出した。誰も人はいない。弐回の高さがあるが、一階で天井が高いだけだとわかる。遠くから見るほどきれいではなく、老朽化した雰囲気もある。家の周りに白いベンチが四つほどおいてあったが、切りに濡れていたので坐らなかった。丘の上は相当に広い。家の裏に又家があり、ずっとつながっていた。遠くの家の前で男の子が二人ポニーを乗り回していた。それ以外には犬を散歩させている背の高い少女が一人通りかかっただけ。鳥がたくさんいる。白樺など丸裸である。やや高い岩場があって、そこから見ると反対側に別の通りがあって車が走っている。下の道からここまでの四倍ほどありそうだったから、そうとう広い空き地だ。日本だったらこういうところに競ってマンションを立てたりしてしまうのだろう。
雪が降ってきたので、今日はこれ以上進まずに、ぐるっと迂回して降りよう。木切れが落ちているので、びっしりと苔のついているのをいくつか拾った。ラップランドで森を放浪して、苔のついた木切れを拾って以来だった。下の店にたどり着いて、トマトとみかんと39%offのヨーグルトを二種類とりんごのパイを買った。店を出たらみぞれが激しく降っていて、震えあがった。向かいの白い洋館がすごく遠い。
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雪の中を逃げ帰った昨日

12月15日 4:09

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この部屋はブラインドを落とすと外のことはわからない。

 

昨日は雪の中を逃げ帰って、そのあとの積もり具合とかはまったく確認しなかった。この部屋もブラインドを落としてしまうと、まったく外のことはわからない。今日二時ころ外へ出たら、丘の上は真っ白だった。たくさん降ったというのでなく、緑の草がすっかり隠れない程度に、白銀の世界になっていた。
昨日と同じ道をたどって、「白い洋館」まで上がる。今日も人気がなかったが、周りに置いてあったいくつもの重いベンチが片づけられていた。右手の裏に回ってみると、その家には二台車が留まっていて、三台目が来てとまったところだった。きのう子供がポニーに乗っていたところは近寄ってみると大きな馬小屋でした。今日は人の気配がない。その奥には六七件の独立家屋がある。
一件の家の外庭に、丸い白い球がたくさんついた樹があった。初めて見るものだ。ブルーベリーのようだが真っ白だ。そして、何か果実には違いないのだが,皮が厚く、乾いている。七八個つまんでもらってきた。
そこからは広い岩山である。氷河が残していった岩むき出しの土地がヘルシンキだけでくなく全土にある。ヘルシンキの中でもこの岩を取り除いたりするのは金がかかるから、たいていそのまま公園にしてある。岩地と緑地が残されているから、ヘルシンキはゆったりとした雰囲気なのだ。中にはもちろん爆破して建物を建てる場合もある。有名な「岩の教会」はもともとの大きな岩をくりぬいて荘厳な教会にしている。
岩の上にたたずんでいたら、頭の上を飛行機が通って行った。ヴァンター空港に着陸するやつだ。まだ何時間でも歩いて行けそうなほど岩場は広い。一時間ほどうろうろする中で、散歩する老人に一人、赤ん坊を乳母車で押している女性が一人、昨日も見かけた犬を散歩させていて今日はボールのようなものを繰り返し投げては取ってこさせながら携帯をいじっている若い女性と、その三組に会っただけだ。ほとんど雲に覆われていたが、真上に青空があった。帰ろうとしたときに、突然西の空が一斉に夕焼けになった。ひとつひとつの雲の輪郭がはっきりして、バラ色になった。身近な景色でも、驚くような変化がある。
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郭林気功講習

12月16日 8:52

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ガンなのだが悪性ではなくて、たくさん腫瘍がある。

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三時間半ほどの郭林気功講習だった。ガンなのだが悪性ではなくて、たくさん腫瘍があるがいまのところ悪くなる恐れはないが、手術をしたければと言われている人が今回の生徒さんの中にいて、相談を受けた。たまたま別の生徒さんが「母にいつか郭林気功を勧めてくださったから、ユーチューブで見れる範囲でして、亡くなりましたがとても状態がよかったんです。私もこれからしていきたい」という話をしていたので、郭林をやりましょうか、ということになった。
郭林新気功は中国の有力な民間気功の一つである。郭林女史は80年台半ばに亡くなっているが、その後も大きく発展して、政府のやっている健身気功を除けば一番大きな民間気功の潮流になっている。民間と言っても北京市政府がかなりバックアップしていて、毎年大規模な「まだ生き延びているぞ」という大会をやっている。郭林さんのご主人もしているし、たくさんのリーダーが育っている。私は二度ほど一週間習いに北京に行ったし、その後も様々な形で交流してきた。ただ日本では萬田先生ご夫妻がしておられるし、萬田先生の京都の場を作ったりして自分で郭林気功で大々的にやろうという気は持たなかった。萬田先生のご主人が亡くなったのはショックだったが。私は個人的にガンの相談があったときだけ、お伝えしていた。
郭林気功はガンと共存する立場で、それで全部解決するということではなかった。でも人によってはきれいにガンが消えた人もいる。ガンを抱えたまま悪化せずに何年も生き延びた人もいる。郭林気功は紹介する価値があると思っていた。
最初にカウコの本棚に会った加藤清さんの『ガンと共存』の本を出して、カウコに紹介してもらう。彼は昔ガン治療で有名な加藤先生のところで弟子入りして指圧や断食療法を体験した。
郭林さんの話をしてから青島の趙継峰さんという指導者のユーチューブから取った映像を見せた。やりかたの映像はたくさんあったが、郭林さんのご主人が出てきて郭林の生涯と人物像を紹介していたので、それを見せた。なんと最初に見た時は気が付かなかったが、私も登場して趙先生と一緒に映っていて、日中交流の例にされていた。
三丹田気呼吸と三開合から始める。これはいろいろなやりかたの前と後ろに必ずつける。それから定歩風呼吸をする。三丹田気呼吸、三開合から左足前の定歩風呼吸、右足前として、三開合から三丹田気呼吸ともどる。つぎは腎臓に手を当てた腎呼吸をする。それから、たくさんある歩き方の中の標準になる一つを伝えて、歩いてもらう。
これでもう二時間近く使っていたので休みを取った。
再会してまず声を出す方法。ハーという音は誰でもしていい。フーの音はしゅようのある人。高血圧の人は高いところから降ろしてくる、低血圧の人はだんだん上げていく。
歩いていく気功の途中でしていい「昇降開合松静功」も伝える。そこまでをさまざまな組み合わせでやるやりかたを伝える。最後にマッサージを三種類。簡単な手と顏だけをこする方法。顔と頭の14箇所のマッサージ。最後に足裏のマッサージ。マッサージは記録しただけで味わう暇がなかったから、一月に帰る前にぜひもう一度やろうという話になった。歩き方の区別をつけて行けば、まだ伝えることはいくらでもある。喜んでもらえてよかった。
終わってから健身気功の資格試験をした。今日は導引養生功の四人の女性。カウコと私が一応審査員である。実はこちらもよくできないのに、審査員とはおこがましいが、気功としてできているかどうかの判断はつく。なかなかによかった。特に足腰がびっくりするほど安定していた。時々肩が上がることはあったが、まずみんな90点というところだ。カウコは立場上文句をつけないといけないので一人一人の細かい問題点を指摘していたが、カウコもびっくりの出来栄えだった。こういうふうにして気功がひろがっていくんだなと思った。
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今日は海を見に行った

12月17日 4:28

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寒いのでカウコのコートを借りる。

今日は向かいの山に上がるのをやめ、海を見に行った。寒いのでカウコが部屋に置いて行ったコートを借りる。少し小さいが、こちらのコートの中にもう一枚着るとかろうじて外へ出られる格好になる。出かけたのが一時半ほどである。晴れていて、青空があるが、太陽がない。
うちの前の通りを左にずっと行くとやがて電車通りになって、ヘルシンキの駅のほうにつながっている。右に行くと少しくねくねしてからパシラの駅に着く。以前はカウコの弟のアッテの家があって、よくそこに泊めてもらっていたから、目の前のパシラでは喫茶店に行ったり買い物したりしょっちゅう出入りしてた。パシラはヘルシンキから一つ北の駅である。今いるところから歩くと、ちょっと遠い。
今日はヘルシンキの方向に少し進んで、二つ目の路地を左に折れると、もう海が見えてくる、そのルートをとった。途中に大きな喫茶店が二つもあった。車で送ってもらっているとまったく気づかない。五階建て、七階建てのマンションがつづくが、その半分近くの部屋でクリスマスの飾りつけをしている。この時期の散歩はその比較観賞によい。白一色のツリーに電球だけを下げた物がわりあい多い。丸い木の枝の飾りだったり、三角のライトだけだったり、いろいろである。普通の窓でもそうして外向けに飾るのだが、ベランダのある角部屋には、ソファを置いたりバーベキューセットがあったりシャンデリアがあるかと思えば山小屋風にランプがあったりで外からも楽しめるように工夫されている。そこがクリスマススタイルになる。登場人物のいない舞台を見るようで無目的に散策する人にはひたすら面白い。
海なのだが湖に見える。対岸が迫っていて、長い入り江なのだが、外海は見えない。波はほとんどない。遠くに森があるようだが、そこで次の海につながっている。大きな石や小さな石が折り重なっている海岸線から二メートルほど入ったところに散歩道があり、そこから三メートルほどのところに自転車専用路があり、そこから一番近いマンションまで五十メートルほど緑地があいている。
湖畔のベンチにとりあえず坐った。左手からモーターボートが来て、止まって釣り糸を垂らし始めた。その穏やかな余波が、波打ち際までちゃぷちゃぷと伝わった。あとはひたすらな静寂。一時間半余り、歩いたり止まったりしてすごした。無数に並んでいる中に赤い石をみつけて、もらっておいた。今日の宝物である。
気功の中には、戸外を散策して「私の宝物」を探すというのがある。みんながてんでに拾ってきて、私のはこれですと見せることもある。みんながひとつの祭壇を作るために枯れ枝とか石とかを拾ってくることもある。もともとはラップランドや北米・中米のインディアンが首からシカやトナカイで作った小さな袋を下げて、そこに森で見つけた私とかかわりがあると直感した「神」を探してくる。普通は人に見せないが、ワークの時は見せ合う。その小さな袋のことをメディシンバッグと言っている。今はメディシンバッグは持ってきていないけれども、苔の生えた木の枝とかスノーベリーだとか無意識に集めてしまうのは、こういう習慣によっている。私とまわりの自然とのかかわりをいつも意識して、机の上にてのひらサイズの祭壇を作るのだ。
ずっと歩いて行ったら、もとエレナが借りていた海辺の部屋が見えた。そこの七階だかのサウナに入ったこともある。電車の終点が見える。そろそろ二時間、引き返すことにしよう。
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市電でヘルシンキに出た

12月18日 9:38

フィンランドに行った

歩いて15分のところに市電がある。

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市電でヘルシンキに出た。
市電はここから歩いて15分のところに6番の終点がある。この15分というのはあまり信用しない方がいい。今の私の足だと普通の足の長いフィンランド人が歩くのの二倍以上かかる。足が痛い、というより、痛かった長い時期に歩く訓練をしてこなかったからすたすたと歩けないのである。とにかく15分かかって、電車に乗る。一乗り3ユーロである。390円はちょっと高い。払わずに乗ってもなんのチェックもないから、ただで利用している人も多いのだろう。だが時々乗ってくる人が確かめて、払っていない場合は相当の金額をとられる。滅多にないが、ときどきある。ようすのわからない私などは律儀に払っておくに限る。
390円を支払うと、ある時間までは乗り換えが何度でもできる。今日買った切符だと11時何分かまでは乗り換え可能だ。京都の市バスは短い距離でも必ず買い直さなければいけないから、それに比べると便利だ。
ビルの前で降りればよかったのだが、気がつかなった。FORUMは洋服の店や飲食店が何十と詰まっているビルでそこにはあまり用はないが、後が坂になっていて、エスカレーターで三階に上がるとちょうど裏の街の一階に当たる。その一角に日本料理の材料店である東京館がある。関税がつくから高いが、仕方がない。100円のわさびが500円くらいしている。これはスーパーで買うのと変わりない。海苔巻用のかんぴょうの煮たやつを少量パックで2ユーロほどで売っているので、それを買う。沢庵のハーフサイズを買う。歌舞伎揚げの揚げせんべいが一ユーロとこれは安い。など物色して少量買う。包丁とか箸食器類や浴衣なども売っている。今日は親父さんはいなかった。いつも雑談して帰るのだが。
もう昼近くなっている。並びに長城飯店があるが覗いてみるとちょっと高いのでやめた。
さっき通ってきたFORUMの三階に寿司屋ができていたのが気になって行ってみた。どうかなといつも思ってもう七八軒はいっているが、日本だったらダメ印のところばかりである。ハンコヤの屋号で印の字がついているから、日本人がやっているのだろう。と思ったらあちこちにあるらしい。ヘルシンキ在住の人のネットで見た。ハンコという町で始まったそうだが。
「ハンコ寿司はショッピングセンターには必ずと言っていいほどあるので、どこにでもあるから見つけやすいのですが、私のお気に入りはヘルシンキの中心地・メトロ Helsingin Yliopisto 駅(元のKaisaniemi)よりすぐ、ショッピングセンターKLUUVIにあるハンコ寿司が大好きです。何故かって? 味は普通なんだけど、ここね、いつも静かなの。あまり混み合ってないから、バギーと一緒でも行きやすいし、何と言ってもトイレがタダ!」
味はまあ「普通」なのだろうが、ここは握っていない。型に入れて押し出しただけのご飯にネタを載せただけの、まあ日本では通用しない味。いつもながら思うがこれが日本の標準の味と思われては困るなあ。私の取ったのは13ユーロの普通の奴。生サーモン、火を通したサーモン、まぐろ、白身(正体不明。湯通ししてある)と二個ずつ、巻物がきゅうりとサーモン二種類で二個ずつ。わさびは入れずに別盛、しょうがも。味噌汁とお茶もついてくるが、お茶はおかわりはなさそう。
アウトドアショップで昔売っていたドライブで持っていくテントサウナを探すが今はなくなっている。ストックマンへ行く。ストックマンはもともとこの国唯一のちゃんとしたデパートで、まあなんでもある。いつも地下の食品売り場をチェックするのだが、今日は暮に買える魚類を見ておく。
そのまま地下の通路を通ってアカデミア書店へ行く。ここの二階の喫茶店のザッハトルテはおいしい。下手をするとウィーンホテルザッハやデメルよりおいしい。四五年前から必ず年に一度は食べている。ブラックのコーヒーと頼む。いつもなら買った本を読みながらだと自然なのだが、今日は買った物がないから岩波文庫の『章炳麟集』を読みながらだ。
結局アカデミア書店は居心地が良くて、三時間も過ごしてしまった。買ったのはカード類や小物ばかり。自分で使う0.5ユーロのノートも買った。
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昨日の続きである。

12月19日 12:02

フィンランドに行ったフィンランドに行った

港へと思い外に出たら雨がひどくなっていた。

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昨日の続きである。
懐かしついでに港まで足を延ばそうかと外に出たら雨がひどくなっていた。いろいろ着込んでいるが、むろん傘は持っていない。日本では雨の放射能を警戒しなければならないことが多いが、もともと濡れて歩くのが好きだ。それでも振りがひどくなってコートについているフードを上げた。ステーキが食べたくなって、Sマートがたまたま目の前にあったので、入った。うちの下にはいい肉がない。三センチもあるフィレは12.9ユーロもする。サーロインはやはり二センチ厚さで二枚で14ユーロで、少し高い。というかもったいない。八ミリ厚さのステーキ肉が6ユーロで出ていて、これに決めた。小さいミディトマトとマッシュルームを二個ずつ買う。7ユーロでおつりが来て、なんとなく嬉しい。
そのまま―ルまで歩いた。この一番のメインロードの名前になっているマンネルハイム元帥の銅像が駅前の中央郵便局の前にある。そこをすぎて、現代美術館を過ぎれば、国立博物館の熊の石像の向かいが、新しくできたミュージックホールである。この前シベリウスの交響曲二番を聴きに来たところだ。チケットのチェックもしないから、そのまま地階の大ホールに入り込んで、プログラムを買うと、どうもおかしい。マーラーの交響曲になっている。ドアボーイに確認しに行ったら、シベリウスはもう二階下ですよ、あそこのエレベーターで降りてと教わった。早く来ていてよかった。そこのホールではシベリウスの生涯や何度も言ったことのある彼の家の写真などが展示されていた。
今日は座席指定がない。自由席のようだった。200席ほどの小さいホールだが、半分くらいの入りだ。今日はチェロとピアノだけの出演だった。
前にシベリウスのコントラバスコンチェルトを気に入って、何百回となく聞いていた時期があるが、チェロはあまり意識して聴いていなかった。シベリウスは自分で歌うかわりにチェロを使っているとすぐにわかった。1900年代の曲はまだ底抜けの明るさが残っていた。1917年の戦争になると、不安と力強さが前面に出てきた。そしてあの第二部の「死の舞踏」。私はこれを管弦楽曲として何度も聴いていたが、チェロの独奏では初めて聴いた。胸をえぐられるとはこういうことを言うのかと思った。彼は死神と踊る体験をして、それをこれほどの美しさに仕立てたのだ。
アンコールで用意していた二つの小品も、むろんシベリウスだが、未知の曲だった。ひとつは全曲チェロがピチカットでピアノと対話する短い作品で面白かった。二曲目は打って変わってひたすら歌った。気持ちよさそうにのびのびと。こちらも引き込まれた。全体で20曲くらい。シベリウスは奥が深い、交響曲二番やフィンランディアだけのシベリウスではないと思い知らされた。
寒い雨と風の中、駅前まで戻って、市電に乗った。下の店はまだあいていたので、オニオンスープだけ買った。オニオンスープとステーキ、温野菜。シベリウスに乾杯、である。
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2015-16FINLAND

クオピオまでは列車で約四時間の旅である

12月20日

フィンランドに行ったフィンランドに行った

ヘルシンキから北東に上がっていく

クオピオまでは列車で四時間と十分ほどの旅である。ヘルシンキから北東に上がっていく。ヘルシンキを出て間もなく小雪になる。ずっとそのまま、雪は降りやまなかった。
一階席と二階席があって二階席の方が少し高い。一階席の真ん中の席だった。両側から背中を向いてきて、真ん中で出会って四人掛けのせきになっている。そこは広いテーブルが固定されている代わりに、非常用の出口でもあるので、ほかの席についている電源がない。そんなに何時間も仕事する気はないし、まず寝不足を解消したかった。食堂車が隣で、昔の列車の食堂車の風情がすきだつたから、一応顔だけだしてみるが、ちょっとした三角パン二つのサンドイッチが750円とかスパゲティが1500円とかかなり高いので、やめる。コーヒー紅茶も旅行者には法外と思われる値段だがみんな平然と支払っている。雰囲気だけで帰ってきた。それに、雰囲気と言っても、以前のようなテーブルクロスを敷いて花があってというのではないから、坐るだけの価値もない。やはり列車に乗るなら駅でサンドイッチを買っていくほうが正解だ。でも別にお腹がすいていないし、おとなしくしばらく寝る。終点までだから寝過ごすことはない。とろとろして、時折ネットを見て、窓の雪景色を見た。筋向いの席にはいかにも飲みすぎと言う赤ら顔のおじさんがマックブックをのぞき込んでいた。
三時半にクオピオに着くともう真っ暗だった。迎えがなかったが、雪で渋滞していたりするかと、待合室で15分ほど過ごしたらマッティが入ってきた。エンジンの調子が、と古い車に乗っている。昔何度か乗ったね、2000年に買ったからもう15年になる。おととし新しい小さい車も買ったけどこちらも使っている。運転席がチベット密教していて面白い。私があげた亀も下がっている。
まず泊まり場所が人が居なくなるかもというので行ってみる。もともと誰もいない。電話で外のキーのナンバーとか教える。部屋のキーは挿してある。せまい部屋にベッドが二つ、ひとつは二段ベッドだから三人寝られるようになっている。テレビがあって簡単な箪笥がある。シーツとタオルはおいてある。部屋の前がトイレとシャワーになっている。やや広いダイニングと、火口が八つのキッチンがある。最低限の生活はできるという雰囲気。
とりあえず簡単な食事を、というのでバーガーキングの店でハムとブルーベリーのスパゲティを頼む。ハムはおいしかったがチーズがよくわからない。
五時からの講習だったからそのまま会場に行く。湖の港に面した気持ちのいい会場。二十人ほどが集まってくる。今日はカウコは来ないから、英語でマッティの通訳である。トンミが主催者挨拶をする。理屈はカウコが来てからという感じで、まずは北戴河の保健功をする。それから背骨ゆらしのヴァリエーションで一時間。15分の休みの後、スワイショウのあれこれをして、最後の一時間禅密功をした。後半はすべてフリースタイルにつながるやりかた。けっこうこちらも疲れていたので、楽しんでやった。気功を教えて疲れるというのはおかしいので、気功をやれば必ず回復する。八時ちょうどに終えた。
マッティがまた送ってくれたが、助手席のドアが凍り付いて動かない。まだ雪は激しく降っている。後部座席に乗ってスーパーに行って買い物。帰って簡単な夜食にした。包帯やパンツを洗たくしたり頭を洗ったり、忙しくして過ごした。
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2015-16FINLAND

のっぽのマッティ

2015年12月21日 6:30

フィンランドに行った

昔から「のっぽのマッティ」で通っている

10時15分にマッティが迎えに来た。昔から「のっぽのマッティ」で通っている。190くらいあるのではないか。トンミは逆に小さい。でこぼこコンビと言ったところだ。まだ誰も来ていない。昨日と同じ湖畔の会場だ。惜しむらくは会場からは湖は見えない。人が少ないのかと思っていたら昨日と同じ20人ほどが集まってくる。カウコは昼には着くはずだ。禅密功をやりたいというので、二十分ほどかけて昇降開合から順に気を開いて行って、そのまま築基功に入って、きもちよくやった。ぴつたり12時に収める。これはこれで大した技術なのである。昼休みに入った。
トンミがサーモンのサンドイッチとバナナをくれる。生徒さんの一人からベーグルを勧められる。半分くらいは近所にレストランを探しに行く。あるいは行きつけのところがあるのかもしれない。夏には港にいくつも出ていたムイックという小魚の店が冬にはない。あとの10人くらいは何かかってきてキッチンのテーブルでわいわい言いながら食べている。
カウコが電車で来た。雪だから車を避けたのだろう。私のこちらでの長期滞在の荷物を持ってきてくれた。車だと思ったから気楽に頼んだが大変だったろう。彼は私を置いて明日帰る。年末に迎えに来る。
午後からは易筋洗髄経をしてほしいと要求があったので、用意していた内丹功や簡易動功は引っ込めて、易筋洗髄を全訳したのをまず歴史、九つの秘訣、無極式と太極式、一勢から三勢まで一気に伝える。これはカウコの通訳がないととてもできない。それを繰り返しやる。それに二時間かけてから、どうしますか、進みますかと聞くともっとしたいというので、五勢までをまた読み、それを繰り返しやる。四時四十分になってしまい、質問があいついで、またびったり五時に終わった。
荷物を部屋に置きに行って、中心街の広東料理の店に行った。トンミとイルマ(トンミのお母さん)が先に行っている。バイキングで、ほかの物も注文できるのだがほとんどこれを食べている。12ユーロ50。トンミがおごってくれた。サーモンの寿司や海苔巻がいろいろある。フィランドではどこでも寿司をおかない中華料理屋はなくなったのだという。それ自体も妙だが、その寿司たるや握ったものはなく、成型寿司だ。稲荷も握りにちょこんと載せている。この方式なら一個分で八個は作れる。沢庵とサーモンを巻いていたり明らかなミスマッチもある。でもまあ仕方がない。フィンランド風のサラダバーがあり、魚の揚げ物やバナナの揚げ物、春巻きがあり、やきそば、白飯、野菜炒め、鶏炒め、牛炒めと並んでいて、別の場所に酸辣湯があり、水とかコーヒー紅茶とかもある。いつも期待だけして、がっかりしてしまうから、今日はいいところだけを考えることにした。でもどれひとつとして本格中華はない。中国人の男性が作っているようだが、こんなものは家庭料理でも作らないだろう。寿司といい中華と言い、ずいぶん水準の低いものでこちらの人に愛されてしまっている。余生はこちらでレストランでもという話はずっと昔からある。それなりに繁盛するだろうが、果たして受け入れられるものか、考えてしまう。
みんなはバナナのフライに生クリームとチョコレートをかけたのを楽しんでいた。私はもうお腹がいっぱい。
部屋に戻って、カウコがここの女主人を呼んで支払いをしていた。一日40ユーロ。5200円は安い。一日カウコと二人なので50ユーロ。彼女はロシア人ですごい訛りだというが、気のいい人でカウコも気に入ったようだ。このあいだのベトナム人たちのグループは来て部屋を見てからこんなところにいられないと怒って帰っちゃったのよ、五つ星のホテルでもきたつもりだったのかしらと陽気に笑った。
ふたりでそれぞれコンピュータ・ワークをした。トンミが明日易筋洗髄だけでなく、双雲功の撮影をしたいというので、ええとどんなのだっけ。ユーチューブで一つ見つけたが、ええ、こんなのかよ、というひどい奴で、トンミに中国語のテキストを持ってきてねとメールを打ってもらった。禅密功の築基功そのものはきちんとしたものがユーチューブにいくつかあった。
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2015-16FINLAND

今日は最終講習

12月21日 11:27

フィンランドに行った

迎えが来ない。

今日は最終講習。なのだが迎えが来ない。どうしたのだろう、雪で事故では、などと思っていたら11時5分前に電話があって今起きたという。11時からの講習を20分遅れで始めることになった。のこっている易筋洗髄の五と六を詳しくやって、午後は易筋経外経という練習方法を紹介し、最後にもう一度通した。
撮影をしたい、というので、トンミがDVDをとるのだと思ったら、プロのカメラマンを頼んでいて、びっくりした。易筋洗髄経の1から6までを撮った。一回でOK。7から12をまず訳したものを読んであとでカウコにフィンランド語に訳してもらうことにした。そのあと7から12を実際にやってみせるが、これは完成したものではないので、夏までのトンミの練習用にしてもらう。もう易筋洗髄経のパンフレットは作れるわけだ。
中華の別のところに行きますかというので、おとといマッティの言ってたネパール料理はどうなのと言ったらそれに決まった。マッティが車で来てくれた。トンミとカウコは歩いて来た。昨日の広東料理の店よりはだいぶ高級感の漂う店だがメニューは高くない。シェフのスープとラムの辛いカレーに即決する。両方で20ユーロくらい。スープがびっくりするほどうまかった。辛いのだがとても上品だ。ラム・カレーに期待したが、これはだめだった。カウコは野菜カレーを食べた後で、ピザを買いに行った。彼は八時前の列車でヘルシンキに帰った。
私の方は25日に特別講習とクリスマス・正月パーティをすることになった。まだ四日ある。稲荷とか切り干しとかごまめとか使える物もあるし、巻きずしなど作るのは簡単だ。前日魚と野菜を少し買う。でも一応計画は立てておかないと。昨日友だちが撃ったといって大鹿のヒレとひき肉をくれた人がいた。それも使える。ヒレは刺身にもできるかもしれない。でなければ叩きに。ひき肉は松風に焼いてみようか。大鹿の松風など前代未聞だ。あとはサーモンとこちら特産のムイックでいろいろできる。
久々にあちこちのサイトを覗いた。すべて世はことも無しと言いたいが、レニングラードで原発事故があつたようだ。東の風で放射能は全部フィンランドにと書いていた。スプートニクやAFPには報じられていない。せっかく日本の放射能からしばし逃れられるかと思ったのに、もう世界どこでも同じだ。
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夜中に思いついて洗濯

12月21日 17:46

フィンランドに行った

洗剤や石鹸は持っていない。

夜中に思いついて洗濯にとりかかった。洗剤や石鹸は持っていないから、トイレの押すと出てくるハンドソープだけが頼りだ。作務衣を洗い、ずっと外に着てきた大きなシャツを洗い、Tシャツを二つ、パンツを二つ洗って、包帯を五本洗った。トイレ・シャワーが広いのが取り得だ。幸いお湯が出るので楽ちんだ。絞るのに結構体力を使う。昨日はパンツが一つしかなく、講習までに乾くかどうか冷や冷やだったが、きちんと乾いた。荷物が届いていろいろ服はあるが汚れものばかり。きのうは真夜中に洗ったので、今朝は乾いているのは包帯だけだ。干した包帯を巻いていくのも一種の瞑想である。さいわい今日は何もない。夜マッティが来てくれるから、小さい石鹸を買うことにしよう。
作務衣が乾いたら、今着ている作務衣も洗いたい。靴下もこちらでもらった分厚いのを履いているが、一度洗いたい。替えは二つあるのだが、つい同じのを履き続けてしまう。
トンミが作ったポスターには私が夏に着ていた大胆なぐるぐる模様の浴衣を着た大きな写真が載っている。ひとつくれよといったら、余っているからたくさんどうぞと勧められたが、まあ二枚もらった。300枚も刷ったのだという。大半の人は知らせなくても来てくれる人ばかりで、あまり宣伝の対費用効果はあがっていない。HOMEに返る

 

 



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フライパンを使い鍋をした

12月24日 1:14

フィンランドに行った

ご飯も炊いた

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昨日は白菜とベーコン、サーモンの団子の鍋をした。フライパンを使った。白菜とベーコンは昨日買ってきたもの。サーモンの団子はカウコが食べるつもりで買って、おいていったものだ。ゴーダチーズも自分で二三枚食べてあと置いて行った。白菜だけのシンプルな鍋に融けるチーズも加わった。ご飯も炊いた。250g程度だが二日たべてまだ半分残っている。鍋も三回食べる量があった。
おとつい昨日と雪がやんで道が乾きかけたところに、また今日は朝から細かい雪が散っている。なんとなくわくわくする。キッチンのすりガラスの窓を開けて、ガラス越に雪を見れるようにする。
今日は昼頃から少しずつあさってのパーティの準備をした。田作りというが単なる煮干しなのだが、ていねいに炒って白ごまをちらす。黒豆を探したがないので、紅いうずら豆の缶詰を買って少し砂糖を加えて煮る。奇蹟的に牛蒡が手に入ったので、一本は叩きに、一本はおでん用に。日本のもののようにたわしで洗えばとれるという土のつき方ではないので、皮を剥き、日本で作る時よりは念入りに煮て、酢醤油に漬けた。この豆、田作り、叩き牛蒡を一応三趣として、日本から用意してきた小皿三つに飾る。焼き物の猿とかもある。きんかんの小さいのがあったので、三個だけ買ってきた。これは100円ショップの鏡餅に載せるのである。
これだけニシンを食べる人たちなのに、数の子は売っていない。自分で食べる習慣がなく、全量を捨てていたのが、日本には高く売れるとわかって、すべて輸出されている。あんなもの、どうやって食うんだか。そもそもああいう形の子供がいることを知らない。
だて巻きやかまぼこを試みたこともあるが、失敗だった。何もいれない卵焼きを作って巻き簾でまとめて形を作る。これは簡単だ。かまぼこは魚を叩いても労力のわりにむくわれないから、しない。かにかまは世界中で使われている。さいはてのスーパーにも、二三種類は置いている。形のいいのは寿司にしようと思っていて、棒状のはカットして、おいしいエビサラダを見つけたのでそれで和える。
千切り大根はいくつか持ち歩いている。稲荷揚げの二枚粉を刻んで焚き合わせる。これも私の好みより甘いが、甘くした方が喜ばれる。
きんとんを作った。苦労したわりにあまりおいしくない。さつま芋がなく、アメリカ産のさつま芋もどきしか手に入らない。これが粘りが足りない。マッシュに作ってから片栗粉を入れてまとめる。栗を売っているのを見つけたときは嬉しかったが、むずかしいものだ。ピザを切る程度の包丁だから、栗を剥くなどありえないのである。非常に苦労をして、まず中の皮を残して外の固い皮だけ向いた。それで結構長時間ゆでる。さまして、この皮を剥こうとするが、なかなか完全な形では剥けない。最後の五六個は筋だけ取って皮の大部分を残した。むろん皮も食べられるのだがきんとんの時はあまり歓迎されない。これをさつま芋のマッシュに入れると、間違いなくきんとんになった。
おととい、生徒さんから大鹿の肉をもらった。友人が最近撃ったものだという。一人で食べるようにと差し入れてくれたのだが、これもおせちに回そう。二種類あって、ヒレ肉とミンチがある。今日の昼から解凍しはじめたが、六時間ではぜんぜんもどらない。ヒレ肉はちょっと炙って、刺身にする。しょうがとにんにくを添える。ミンチのほうは松風にする。小さなアルミホイルの四角い容器を買ってきた。半分は卵とかまぜて、もう半分には紅ショウガをみじんにしてまぜて、表側に白ごまを振っておいて、焼く。うらが寂しいので松風という。といってもわかりにくいが、能で須磨で「松風(待つ風)ばかりで浦寂し」というのに掛けて本来表だけけしの実を振ったことからの名前。
これをしようと待ち構えているが、まだ解凍に時間がかかりそうだ。本来鶏挽きであっさり作るのだが、大鹿=エルクで作ってみたらどうなるか、というところだ。
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2015-16FINLAND

今日は男性が私を除いて三人泊まっている。

12月24日 8:19

フィンランドに行った

12時から22時まで台所ですごす

 

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今日は男性が私を除いて三人泊まっている。私は今日は12時から22時まで台所ですごしているから、顔を合わせても軽くうなずくだけの人もいれば、何度でもニコニコする人がいて、千差万別である。ふつうは簡単なサラダとパンで済ませるのだが、一人はえらくこった鶏料理をしていた。自前のフライパンを持っているというのはプロなのか。おいしそうだが、あまりのぞきこんでも失礼なのでほどほどにする。私は昨日からの残り物のサーモンとベーコンと白菜の鍋にご飯を入れたのを昼夜と食べて、もっぱら明後日の用意をした。
三日前に雪が降ってから、おととい昨日と積もった雪もかなり解けたと思ったら、また今日23日も細かい雪である。また嬉しくなって台所の窓を開ける。
七時にマッティが来た。今日は買い物はいいよと言っていたのだが、念のために来てくれたのだ。この夏から保存してあるイチゴとムスティカとラズベリーのタッパー一つずつ、凍らせてあるのを持ってきてくれた。さっそく解かしてみる。あさってのオープンサンドに使えるかな。
マッティは易筋経外経の1から6までの動作をキッチンで復習して行った。
大鹿=エルクの挽肉がやっと解凍できた。玉ねぎを切る。といってもみじんができるような包丁でないので、えらく苦労する。これを練りに練る。時間をかけて練るほどおいしくなるのは間違いない。卵とスパイスを加えて、更に煉る。できあがったものをフライパンで焼いてみる。おいしいが少し塩が足りない。これを2対2対1に分ける。ひとつの2はそのまま胡麻を散らすだけ。もうひとつの2は紅ショウガの微塵を入れる。最後の1は牛豚ひき肉と混ぜる。これを銀紙のパックに入れてオーブンで焼く。肉が余ったので昨日の冷ご飯に載せて、やっぱり焼く。250度20分で火は上と下からにする。
焼いている間に20個ほどゆで卵を作る。10個は半分に切って、その半分はイミテーションのキャビア(昨日食べてみた。なかなかおいしい)半分はイクラの小粒のとまぜて白身に戻す。あとは刻んで卵サラダにする。
おせちなのだが、日本調だけだとあまり食べられない人もいるから、オープンサンドも用意しようと思っている。
大鹿はきりっと焼きあがったから、なにもかも空いている戸棚に入れて、お鍋とか全部洗って、磨き上げる。昼もみんな皿とかカップとか流しに出しっぱなしで出かけてしまったのにはびっくり。来た時よりはきれいにして返す。何日いても一日ごとにきれいにする。
10時に部屋に引き上げた。一つ残っていたムスティカのケーキにマッティの持ってきてくれたベリーあれこれを載せて食べてみる。うーん。冷凍なのにひたすらフレッシュ。明日は8時半にトンミとマッティが来てくれて、魚市場に行く。24日も午前中だけやっていて、早く行かないといいのが売り切れるおそれもあるのだ。もうそんなに買い込むことはないのだが、サーモンとムイックだけはあったほうがいい。
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2015-16FINLAND

12月24日の第一報

12月24日 17:26

フィンランドに行った

八時にマッティは迎えに来た。

 

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24日の第一報。
八時にマッティは迎えに来た。シティホールの前が大きな広場になっていて、そこにマーケットホールもある。その前に仮設の店がたくさんあるが、今日はまだ来ていないのか、あるいは今日はないのかも知れない。マーケットホールもKマート、Sマートも今日は昼で終わりだ。日本のように稼ぎ時だからと営業することはしない。
マーケットホールも早いせいか魚屋が二軒、甘いものとお茶を売っている店が一軒、チーズ屋さんが二軒開いているだけだ。中にトンミが待っていてくれた。新鮮だが、種類はご少ない。鮮魚は六種類、そのうち三種類はサーモンかトラウトの系統。それを焼いたり燻製にしたりがいろいろ。もういろいろはいらないので、トンミにあまり金を使わせたくない。刺身でOKというサーモンと、ハウキの片身を買う。マッティも車を置いてきて、それぞれの買い物をする。その間に裏の店に入り込んだら珍しいチョコをいろいろ売っていたので、ベルギー産のコスタリカの70%のチョコを買う。3.8ユーロと結構高いが、その店では一番の低価格。
あとの買い物はと聞かれて、バゲットがほしいといったら、裏にあるKマートに行こうということになった。まだすいている。「ほとんどの人は寝ている。うちの奥さんも」とトンミは言っていた。バゲット以外は自分のためのもの。やみつきのムスティカのジュースとかたまにはおいしいファザールの焼きたてのパンとか、みかんとか、クリスマスに食べる風車型のパンとかを買った。ここでもそれぞれが自分の買い物。しかしトンミが出してくれるという。申し訳ない。いいえ、ぼくがと強く主張するのも嫌だし。ここにきてほとんど自分の金を使っていない。
マッティが車を取りに行っている間、トンミと立ち話していたら、易筋洗髄経の後半を確認し始めた。台所でのマッティの外経といい、二人とも本当に「学びて厭わず」の姿勢だ。
クリスマスだからと気を使って、昼はフィンランド料理に行きましょう、トンミは家があるけどぼくは一人だから、とマッティが言ってくれた。12時にまた会うことになった。
ホステルに戻って、魚を冷蔵庫に入れ、ファザールのパンときのうもらったベリーを解凍したのを食べた。極上の幸せである。
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12月24日の第二報

12月25日 2:07

フィンランドに行った

とんとんとノックがあっておやと思ったら

 

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24日の第二報。
とんとんとノックがあっておやと思ったら、なんと禅密功の仲間のTuulaだった。彼女はクリスマスの風車のパンとチョコレートケーキ、クッキー二種類を二つの紙皿にクリスマスのパックをして持ってきてくれた。トナカイのカードにTuulaと署名してある。何度もありがとうを言ったが、実のところびっくりした。こちらから上げられる物は何もない。明日のパーティに出られたらいいのに。
マッティは「少し遅れる」と電話してきて、15分おくれてきた。レストランに行くと聞いたのは誤解で、彼の家でクリスマス料理を作ってくれたのだった。こちらでいう二階、日本式には三階の部屋だ。おととい下の車で待っていた時には、電灯が煌々とついて植物を照らしていたが、いまは大分グリーンを分散させて、窓際をすっきりさせた。半円形に突き出した五角の窓で、なかなか素敵なのである。そこがダイニングキッチンになっている。
入ると大きな居間になっていて、例のガラスで覆われたベランダがついている。それ以外にベッドルームが三つ。自分のと、娘のと息子のと。娘と息子は別のところに住んでいて、時々しか帰ってこない。これでいくらにの、と聞くと、月々払えば200ユーロくらいなのだけど、月賦で買い取ったローンが月に100ユーロとちょっとといっていた。100ユーロって一万三千円である。この広さで?
マッティの恋人は前紹介してくれた人と違って、ドイツの女の子だ。27日から会いに行く。1月7日間で帰ってこない。ヘルシンキの気功に来ていたが、マッティと一緒にいると胸くらいしかない小さな女の子だ。18歳違いと言っていた。トンミの奥さんはオックスフォードに行っていて時々しか帰ってこない。で、トンミも来た。いつも歩くスキーのストックを使っている。
料理はまずサーモンの燻製といろんな野菜を取り合わせたサラダ、アボカドを半分に切って生クリームとスパイスを振りかけたのとが最初に出た。それからサーモンの片身を焼いたものと、野菜を20種類くらいとり合わせたグラタン。パンはなく、じゃがいもをゆでたものと、自然食のチップスを二種類。サーモンに添えるスメタナと言うロシアの生クリーム、イクラの小ぶりのやつ(日本のような大粒はこちらでは見たことがない)、イミテーションキャビアと言っていたもの。これはキャビア―トと言う名前で、食べた感じではほうき草の実だ。日本のほかの魚卵に黒く色を付けたものよりは食感がおいしい。あと刻んだ玉ねぎとか。二時間食べ続けたから相当のものだが、全部は片付かない。
「クリスマスの時は飽食が美徳とされるそうだが」と笑う。本来のクリスマス料理は豚のローストとか鶏のローストとかやたらに肉を食べるが、マッティはサーモンに置き換えている。とてもおいしかった。
その場できちんと片づけていたのは感心だ。ふたりでよく働いてウォッシングマシーンに入れた。
トンミが易筋洗髄経をやろうよという。いま最高のお気に入りになっている。私も86年に習ってその記憶で教えていただけだが、今回全訳して見ていろいろ新しいことに気が付いた。去年撮ったビデオとは少し違うから、新しいバージョンでしてくれた言った。次の夏にぜひ正式の物を全部撮りたい。気の長い話だ。
帰って料理しなくちゃ。何かここにあるものを持っていかないでいいか。スメタナとか欲しかったが我慢して、包丁がひどいんだ、何かあるかなと聞くといろいろ出してくれた。奇蹟的に出刃と菜切りがあった。どうしたのというと雑誌の通販で買ったという。安物で刃がきちんとついていない。銘のところに「刃先」とある。インチキ臭いがホステルの物よりは何倍もいい。この二つとペてナイフと借りることにして、帰った。
帰ってゆで卵を16個剥いた。こんなことで時間がかかるものである。料理屋の下働きの心境だ。10個は半分に切ってイクラをまぜて立て直させる。たまねぎをみじんにしてみると、久々に叩くではない「切る」感覚がよみがえってきた。
日本のクリスマスはもう夜半である。
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2015-16FINLAND

12月25日

12月25日 8:00

フィンランドに行った

何人か集まってくれる

 

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25日
25日に何人か集まってくれる料理の会のメニューと出来上がり具合を紹介しよう。

《三趣》
田作り
煮豆 黒豆のはずが赤いんげんである。
叩き牛蒡
《和風お節もどき》
卵巻き
きんとん 芋がとにかく頼りないが、栗の味はよさそうだ。
かにかまのサラダ 市販のエビサラダで和えて少し味を調整した。
切り干し大根と油揚げ
ゆで卵イクラ乗せ 半分はイクラを、半分はキャビアアート(箒草か)
大鹿のロースト これは挽肉をまとめたもの。ご飯入りのと五つもできた。
《刺身と叩き》
サーモンの刺身
ハウキの刺身
大鹿ヒレの叩き まだ中が赤いように肉の塊をローストした。直前に切って。
《カナッペ》
卵サラダ ゆで卵とポテト、オニオンをバゲットに載せる。
えびとアボカドとわさび醤油
きゅうり
ラズベリーとブルーベリー
《焚き合わせ》
ポテト
にんじん
マッシュルーム
ズッキーニ
いんげん
赤・黄・橙ピーマン
高野豆腐
ユーストレイパ チーズだが醤油味で煮るとうまいことを発見。
《寿司》
てまり寿司
サーモン
えび
にしん
巻物
梅きゅう巻
たくわん巻
サーモン巻
アボカド巻
いなり寿司
軍艦
きゅうりとイクラ
かにかまとディル
《雑煮》
もち半個
すまし雑煮
かいわれ、ルッコラ
《デザート》
鹿児島のげたんはにマスカルポーネ

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2015-16FINLAND

夜中の二時ころまで三時間寝て

12月26日 18:11

フィンランドに行った

私のシャワーは温熱療法である。

夜中の二時ころまで三時間寝て、シャワーをした。私のシャワーは温熱療法である。とくに首の大椎を執拗に温める。それだけで、さっきの疲れは何なの、と言うようになる。付け加えれば肝臓、小腸、そして腎臓。本当に気持ちいい。「ちょっと熱め」でする。ただ体はいずれにしても相当疲れているから、無理して起きないで二度寝してみる。足の手当てをして、それで気持ちよくまた寝た、はずだったのだが、九時ころになって足がひどく攣った。膝から下の全方向という感じで、しかも両足はめずらしい。歯をくいしばって起きあがって、マッサージを始めた。痛いままである。攣るというのは血行の一時停止だから、軽い時は問題の筋肉をストレッチしてやって必要なマッサージをすればじきに治る。だが、重症だった。二日がかりで料理をすると、いつもこうなるのを久々に思い出した。台所にも椅子を持ち込んだりしているのだが、やはり立ったまま長時間ということが多い。まず水分補給をして、つかまり立ちをして、タオルを抱えて、またシャワールームまで、這うようにして行った。幸い部屋の真向いである。今日はことのほか気温が低い。せっかくさっき巻いた包帯だが、はずす。幸い右足はもう必要がなくなって、左足に小さな傷口が開いているだけだ。もう一度シャワーで、今度は下半身を念入りにかける。たちまち痛みは消えた。でもしっかり温まるまでやる。体重の少ない人はこういう経験をしたことがないだろうな。こんなになる前に、昨日からシャワーで温めておけばかった。馬油以外に何も持ってきてないので、こういうときに頼りになるのは温熱療法である。カイロとかは予防的に効果があるが、いざという時はシャワーだ。
昔ニューヨークの友人宅で共有のプールがあって、泳いでいる途中で突然足が攣ったことがある。誰も泳いでいなかったし誰の助けも得られない。その時に大腿四頭筋、ハムストリングス、膝窩筋、腓腹筋、アキレス腱、前脛骨筋、母指短指連絡筋などなどが順番に緊張した。痛い思いをしながら、ああ、あれが解剖図で見たあの筋肉だなと妙に冷静に自分を見続けた。この時は幸い溺れないで、5分くらいでプールの縁にたどりついて、まもなく収まった。歩き疲れを放置するとこうなると解らせられたが、その後も痛みがおきてからしか思い出さない。
ともかく痛みは治まったので、包帯やパンツの洗濯をした。もう一度たっぷり水を飲んだ。一応もとに戻った。包帯をやりなおして、日常に戻った。
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2015-16FINLAND

もう27日だが

12月27日 8:41

亀蛇神社

25日のこと

 


もう27日だが、25日のことである。お皿を並べる料理の数がおおすぎて、銘々皿がなくなった。マッティに電話して、皿持ってきてねと頼む。コップとかはいいの。コップは余っている。ボウルとかは。なくていいと思う。雑煮はコーヒーカップですませる。ナプキンは。ええと、なくてもいいが、余っているならもってきて。予定人数がもともとそんなにいないから、頼むのも安心だ。
その少ない予定から二人来れなくて、来たのは四人。たまたま帰ってきたイタリア人を誘って五人プラス私になった。アッティ(仮名にしておく)は日本語を少し話す。彼はトンミとマッティにはフィンランド語の村上春樹をプレゼントしていた。私には太い蝋燭のなかなか趣味のいいの。私はトンミには彼女と色違いのぐるぐるの書いてあるご飯茶わんと、うちの近くの京都の設計図の起点になった亀の神社の亀と蛇の絵馬をあげる。マッティには桜マークの飯茶碗と兎と桜の汁椀、そして同じ絵馬。女性の参加者には桜の手拭いをあげた。アッティにはまた別の茶わんとあまっていた鏡餅を上げた。

いろいろな飾りつけの説明を通訳してもらうが、かなり難しい。日本から持ってきたいろいろな仕掛けで壁の机一つ分のスペースを飾り付けた。富士浅間神社の富士山の絵馬。半島来訪者の富士恐怖に由来する浅間神社の説明、絵馬の説明でいちいち難しい。もともと雨を祈願して馬を殺していたが、それが絵に描いた馬になり、さらに馬以外に何でも書くようになったとか。全国に6000以上ある富士の噴火を封じ込める浅間神社のトップの地位でとか。ああ、面倒。もともとアイヌの土地でフチ、アイヌ語のグレートマザーから来た話まですると長すぎる。日本とアイヌの長い話をしなくてはならないし。

 猿の形の鈴。十二支の猿の話。狩野だれとかの虎の屏風絵の模造品。招き猫、獅子舞の小さな人形。もとのものを知らないと可愛さがわからない。後に立ててあるのは飛行機の中の弁当の蓋で、たまたまファーストクラスに坐らせてもらえた話は前に書いたが、その弁当の蓋が絢爛たる正月模様だったので持ち帰った。あとは冗談で、日本の寿司セットと甘い物セットのミニチュアがある。

これを背景に三趣は田作りを小さな籠に、叩き牛蒡と豆は小さな皿に入れてある。これだけは日本から持ってきた。三趣はどれも葉固めのためのもので、年をとることの自覚のためにある。まめというのはよく働くという意味だ。小魚は普段肥料にしているものを食べて「農と漁」への思いを固めるための物。あとは昨日書いたメニューが所狭しと並んでいる。ま、料理も伝えたいが日本の伝統文化も伝えたい。かつてアイヌのものだった広大な土地の大部分は今や放射能で危険な状態だが、だからこそ伝えなければならない。日本の漁民の心も、短い話では伝わらないだろうが、そのさまざまな生活を伝えたい。せめてポリネシア系の海洋民族と朝鮮系の焼き畑文化と江南からの弥生式文化の違いは伝えたい。餅はうるち米ののずっと前に文化でした。さらにその前に赤米があって、日本人は正月という記念日にそのすべてを残したくて、餅をつき、赤飯を焚くのです。という話にどこまで興味を持ってもらえただろうか。今日来た人は皆知的な興味をもってくれる人ばかりだ。フィンランドにはこのように古くから伝えた文化がはっきり残っているということはない。ただアッティの通訳がかなりあやしいところがあるので、どこまで伝わったかわからない。
伝わらない分を味わってほしい。
三時間にわたってよく食べた。最後の黒糖のカステラにマスカルポーネをかけたので、イタリア人も喜んでくれた。食べ物ではごまめ、高野豆腐、もち、げたんはだけは日本渡来、あとはクオピオの市場でかったものである。話をしているうちに餅がスープにとけてしまって、残念だった。火にかけていたのをわすれていた。

トンミがいくら支払えばいいですか、とみんなを代表して聞いて来た。もちろんいりません。材料費をトンミとマッティに出してもらったのだし。でも労働費は。ぼくの趣味だからいいです。日本の文化を知ってもらうための。お皿をみんなで洗ってくれた。マッティは明日からドイツに彼女に会いに行って10日かえってこない。トンミが毎日顔を出してくれる。27日の特別講習は6、7人だという。トンミは毎日易筋洗髄経の質問を抱えてやってくるだろうな。
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2015-16FINLAND

クリスマスの満月

12月27日 10:20

フィンランドに行った

ずっと曇っていた気がする。

 


クリスマスの満月を見られなかった。ずっと曇っていた気がする。
ニューヨークの五番街では例年のサンタの熱狂が見られず、人手もほとんどない、「例年のクリスマスは死に絶えてしまったようだ」とウォールストリートジャーナル。もともとフィンランドには冬至の習慣としてトントゥという小人におかゆを捧げる儀式があるが、コカ・コーラ社がサンタをでっちあげるときにこれを参考に「フィンランドがクリスマスの本場」という神話を作り上げたらしい。キリストの誕生とは一番縁のなさそうな土地に、である。その虚構からみんなが覚めてきたという所だろうか。もともとが人に「要らないものを買わせる」方策のひとつだったのだから、この時代になくなっていくのは仕方がないかもしれない。クリスマスソングと言うのは人の心を躍らせつつ敬虔な思いを組織してきた。これもまた全体としてはコカ・コーラ文化だったのだろうか。ロシアでは24日はレストランで禁酒と言うのが効いて、ひっそり家庭でちびちびやるのが標準になったらしい。こちらでも自宅でひっそり自慢料理を披露するだけになったのなら、とてもいいことだ。24日のもう店も閉まるという時間に、Kマートでは七面鳥とか豚の塊とかが山のように売れ残っていた。
サンタは実はサタンという語呂合わせはあちこちで言われているみたいだ。コカ・コーラがサタンなのは間違いない。隣りの部屋の中年男性も、毎日おいしそうなチキン料理を夕方一時間かけて作るのだが、自販機のコーラと食べているので、ちょっとがっかりしている。
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27日

1212月28日 6:15

フィンランドに行った

臨時の追加講習

 

 

 

27日、日曜日は臨時の追加講習だった。また今日も「もう一日してくれないか。行ける人は?」と聞いて6、7人手が上がっていた。とても熱心なのである。まだ何度でも習いたい。今日にしても、次にやるとしても、通訳なしから、私が片言の英語でしゃべって、トンミがそれをこれまでに仕入れた何倍もの知識を乗せて通訳してくれる。むろんそれも悪くない。いつものカウコはエレナとお楽しみ中だし、彼がいないときに英語の通訳を死なれているマッティはドイツの彼女のところだ。とにかくトンミはひたすら熱心でまじめだ。
参加したのは11人だった。みんな疲れた顔をしていたから、マッサージから始めた。北戴河の保健功を少し変えて、でも大筋はもとのままでする。今日はおなかや膝のマッサージ片方100回ずつを体験してほしい。40分くらいかけて終わった時はみんな顔がぴかぴかしている。気功教師の嬉しいときである。
それから一回易筋洗髄強を通して体験してもらう。初めての人もいて、少し難しいが仕方がない。全体としてまず体験してもらうということが大切な時もある。終わると一時間半たっていたので、10分間の休憩。
そのあとは、まず坐ったままで「洗髄」だけ取り出して体験してもらう。12動作のうち最初の二つを除き10動作は洗髄の動作がある。始まりに洗髄が来るのもあれば、最初と最後にするのもあり、最後だけの物もある。原典より一カ所増やしたところもある。額から通していくやりかた、百会から通していくやりかた、片手で通すやりかた、手をおろしてから意念でやるやりかた、合掌で降ろしてくるやり方と五種類をAからEまで分類する。ともかく覚えにくいので、トンミはずっとマックを叩いているが、ほかの人はメモも取らない。おい大丈夫か。ぼくでさえ覚えるのにこれだけ苦労しているのに。トンミのプリントが回ってくるのを待っているのか。
それから今朝作ってみた易筋洗髄の練習方法を八勢までやったら七時になってしまった。全部で20ある。一番目は指の鍛錬方法でそれだけで九つある。終わらなかったがみんな結構満足していたようだった。実は易筋経外経の12まで全部教える用意をしていたのだが、これは時間が足りなかった。もう一回が実現したらぜひやろう。今朝になって、二つの練習方法を作り、ひとつを全訳した。日本でも教えたいが、はて、誰が興味を持ってくれるだろうか。
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28日。

12月31日 3:49

フィンランドに行った

トンミは四時ころに来た


28日。トンミは四時ころに来たので、昨夜から用意していたいくつかの文書を渡した。ここにはプリンタがないから、手書きで渡すしかない。日本語の出来る人はいないし、私はフィンランド語ができないから、英語である。周稔豊の年譜をまず渡した。こうしてみると、底知れない実力の割に、たいした地位についていない。やはり満州族の出身だから、自分は評価されないと言っていたのは本当だったのだろう。呉鑑泉ら五式太極拳の中心メンバーもみな満州族だった。幸い10数冊の著作は残してくれたが、まだまだ大きな仕事をしたはずの人なのだが。トンミは今度の本に禅密功だけでなく、一連の気功を入れたい。禅密功だけでは「誰が買うの。クオピオで何冊か?」というかんじだから、背骨ゆらしとか、この易筋洗髄経とか、胡耀貞の初歩の練習とか入れたい。そしてちょっと偏ってはいるけれど、総合的な気功の入門書にしたいと考えている。私もそのトンミの意図にうすうす感づいていた。カウコは禅密だけで一冊にしたほうがいい、易筋洗髄は二冊目にしたほうがいいと考えていた。本のありかたとしてはそうである。だが、出版事情が許さないのではないか。しかしそうなると、何らかの「気功入門」的な部分が必要になる。禅密功と背骨ゆらしを並べるだけだったら説明は簡単に済むが、劉漢文と周稔豊と胡耀貞を体系づけて説明するのは大変な作業である。私が書くとしたらカウコの仕事が果てしなく増えていくことになる。
私が英語で書ければいいのだが、簡単な動作説明以上はなかなか書けない。誰かに頼むにもお金がない。
トンミにはあと三つの文書を渡した。ひとつはきのうやりかけた「易筋洗髄経の繰り返し練習体系」である。20まである。きのうは8までやった。これは本にはない。私がクオピオ市民のために(?)作ったものである。もうひとつは「洗髄の五つの方法」である。一つがメインだが、少しずつ変化がある。坐ったままこれだけ通してやってもとても気持ちがいい。これも本にはない。またもうひとつは「易筋経外経」の全部の紹介である。最低限の説明で、これとイラストなり私の写真があればすぐできるようになっている。易筋洗髄の動功部分の基礎練習としてはとてもいい。これは簡単にしてあるが本に沿っている。
トンミはこの周稔豊の本に載っている洗髄経の解説をぜひほしい。昔の本のままの印刷書体で載っている。昔の文章だから私も辞書がないと訳せない部分がある。家に帰れば何冊かのテキストがあるので、比較しながら訳せる。これは帰ってから。
トンミに健身気功易筋経の英語のテキストを見せたが、全然興味を示さなかった。写真を見て違いますねと言っただけだ。私ならどこが違うかを確かめたいが、トンミは易筋洗髄一筋だ。かつて禅密功ひとすじだったように。これでも間口が広がってきたのである。
テキストのイラストの写真を撮った。易筋洗髄の中の古いイラストをまず。骨が折れるのではと心配になる細いじいさんがやっている図がほとんどだが、「三盤落地」で千斤(約500kg)を持ち上げるという時はでっぷりした私のような体形の人がしている。あとは易筋経外経を最後まで、私が動作をして、それから本のイラストを撮ってと言うのを12まで繰り返した。
彼は望みの物が手に入って喜んで帰った。きっと今から私の汚い字の英語に苦労しながらフィンランド語に直すのだろう。
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持ってきた最後の日本語の本

12月31日 3:50

フィンランドに行った

帰りの飛行機で読みたかった。

 

 

持ってきた最後の日本語の本である。帰りの飛行機で読みたかったが、待っていられなくなった。どうせ飛行機では寝るに違いない。出発前日三条のブックオフで見つけた高田郁の『ふるさと銀河線』(双葉文庫)である。中味について何も知らず、彼女のものなら何でもいいという感じで買った。『みをつくし料理帖』でブレイクする前、ずいぶん長い間、彼女は川富士立夏というペンネームで漫画の原作を書いていた。そのときコミック誌『YOU』に28回にわたって書いた小説連作『軌道春秋』から八編を選び、一本だけ別のところから持ってきたものを加筆して本にした。軌道というからには毎回鉄道にからむテーマなのだろう。
最初の「お弁当ふたつ」を紹介しよう。主人公は中年の主婦で、大学に入ったばかりの息子と高校生の娘がいる。毎朝みんなを送り出すためのどたばたから始まる。最近高血圧の診断が出たらしい夫のための弁当作りをする。不機嫌に新聞のテレビ欄だけ毎日目を通す息子と、遅刻しかけて何度もお弁当代と称して金をふんだくっていく娘。父親は無気力に
決まったメニューを食べて出かける。
お昼は息子のPTAの役員と一緒になった三人と一緒にホテルの昼食に行く。昼の値段ならそれほど決心せずに楽しめる。帰りがけに夫の上司の好きなケーキがウィンドウに残っているのを見つけ、久しぶりに届けてやろうと思いつく。
ここまではいつもの日常が描かれていた。ところが遠くはない会社に立ち寄って夫を呼び出してもらうと、二か月前に辞めたという。その間何も聞かされず、平然と会社に行くという夫を送り出してきた。元の部下を見つけて話を聞くと、リストラされたという。帰ってきた夫を問い詰める気力はない。ただ毎日どこに行っているのか、後をつけてみようと思う。翌日それなりの変装をしてサングラスもかけ、夫の後をつける。夫は東京方面に行かず、安房鴨川行きに乗る。
「ここへ来て夫がリストラに遭って無色になるとは思いもよらなかった。その上、説明のつかない行動をされて、佐和には夫がわからなくなっていた。これで女のもとへでも行かれたら、決して許すことなどできない」「少しばかり薄くなった頭頂部を眺めるうち、胸ぐらをつかんで問い詰めたい気持ちに駆られる」
結局夫は女のところなど行かず、外房線と内房線を二往復しただけだった。もし、リストラされたのが私だったらこんなバカな時間の使い方はしない、という思いが、いつしか、ハローワークに行き、あちこちに頭を下げてありとあらゆる努力をした結果、ここにいるのだろうという思いにたどりつく。
翌朝彼女は自分のお弁当とお茶を用意して、快速で千葉に向かう。夫が時間つぶしのために快速に乗らないのはわかっていたから、追いつける。安房鴨川を過ぎ、夫が弁当を取り出した時には車内には他に誰もいなかった。彼女は夫の前に現れ、驚く夫に、これからのことを話し合う前に一緒に食べたかったと告げる。いやそのように説明しさえしない。今日は夫の好きなものばかり、以前の味付けでいれておいた。一夜干しのカマス、隠元の肉巻き、出し巻き卵に酢のものに浅漬け。その献立だけで、大丈夫、あなたを許してる、大変だったのね、これから一緒に戦いましょう、と伝えている。二人とも目を潤ませているが、出てくる言葉は「旨いな」「そうね」だけである。
高田郁という人は『みをつくし』よりもずっと前から、献立に語らせるということを一貫してしてきた。これをたとえばフィンランド語に直しても、隠元の肉巻きが醤油味濃い目に仕立ててある意味はだれにもわからないだろう。ただ夫がリストラを打ち明けられなかったというだけの話が、最初の鶏肉、高野豆腐、さわら、トマトの減塩弁当から、この「体に悪い」弁当までに描かれている。「お弁当ふたつ」はその時間軸でもあり、夫と自分の空間を狭くするための空間軸を表すタイトルでもある。
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2015-16FINLAND

29日。

12月31日 4:00

フィンランドに行った

コンピュータがつながらなくなった。

 

29日。コンピュータがつながらなくなった。昨日、月曜日の深夜からである。
器械は普通に動いている。インターネット・エクスプローラーがどうやっても反応しなくなった。原因がわからない。ネットの異常ではない。器械の異常なのかどうか、ほかは全部正常なので、そんな気もしない。電話線に代わるハイ・リンクというのを差し込んでいるが、それも異常はなさそうだ。何度立ち上げ直してもだめだ。しかたない、日記はキングソフトで書いてためておくことにする。面白い連載記事を見つけて読んでいる最中だったがそれも一時あきらめる。メールも別に急ぎのことはない。昨夜はトンミに周稔豊の顔を見せたり気功文化のホームページを見せたりしていたのに、おかしいなあ。
ま、だめなものはだめで、しかたがない。
きのうトンミがショッピングセンターまで1.5キロといっていた。5キロの水を買ったりするにはちょっと重いが、ちょっとしたものなら大丈夫そうだ。一人で行く分には片道30分40分かけても誰にも迷惑はかけない。もう足は痛まないが、二年以上痛かったから歩きなれていない。すこしずつ歩けるようになっている...。ヘルシンキでも一日あちこち歩いた。ホテルにいてもつながらないエクスプローラーにいらいらするばかりだから、ちょっと出てみよう。
一時半頃出た。雲一つない晴天である。隣りの発電所なのか、クオピオ・エネルゲイアというところの煙突から白い煙がもうもうと出ている。この煙が目印になってどこからでも帰ってこれそうだ。クオピオ・エネルゲイアがクオピオ気功センターでもいいわけだななどと思う。この発電所のはずれのところで曲がる。湖からぐいと上り坂になっている。交差点があるがなんとなくもうひとつ上がるような気がしていて、大部山の手に入ってしまった。しばらく左に歩くと、下の方にSマートが見えてきた。やっぱり上がり過ぎだった。さっきの自動車道をまっすぐいけばよかった。でもまたいろんな家を見たり、まだ残っているクリスマスの飾りを見たりして楽しんだ。二時ころはいちばん夕日がきれいな時だ。
あまり買うものはない。マッティのところで出たスメタナというロシアのクリームがおいしかった。関連の商品をいろいろ買って比較してみよう。菓子パンを少し。水とかジュースとかは車のある時にしよう。マックとフィンランド資本のハンバーガー屋が向かい合っているが、そのフィンランドの店の方に入って、コーヒーと小さな菓子パンを頼んだ。しばらくそこで易筋洗髄の資料を読む。やはり古文はむつかしい。
四時半過ぎるともう真っ暗になっていた。今度は近い道をもどった。煙で見間違えようがない。
五時ころトンミから電話があって、やってきた。きのうのをコピーして、ついでにまた疑問点を聞きに来たのだ。こちらもあいまいなままやったりしているから、翻訳を見ながらチェックしていくと、やはり何か所か抜けていた。トンミにコンピュータがおかしいんだというと、カウコに電話してみようといってしてくれた。カウコはああそのハイ・リンクは一か月の期限しかない奴だったと思い出し、トンミに買ってくれと伝えた。明日まではつながらないが、原因がわかってよかった。今日はせいぜい翻訳に力を入れるしかないな。
トンミがスペインのロゼを差し入れてくれた。これも日本へおみやげだな。赤ワインの開いたのがあるが一週間たってもちっとも減らないのだ。それにしてももう一か月経つのか。
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易筋経外経のやりかた

12月31日 4:01

フィンランドに行った

三つあるうちの第一套です

 

 

易筋経外経のやりかたを簡単に紹介します。これは三つあるうちの第一套です。
緊張するときは限界まで緊張し、緩めるときは徹底して脱力しますが、だらしなくならないようにします。1820年に手書きの無署名の文書で現れ、1842年に王寿が『調気錬外丹図式』として本に載せ、「探天地奥義之書」といわれました。その後さまざまな文献の中で少しずつ整理されてこの形になりました。外丹の鍛錬のようですが、本質的には内丹の修練法とされ、精気神を内煉して、生殖と生命の中枢の神を胎児の原始生命の状態によびさまして、老化を逆転させると言われます。京都と東京王子では一月から易筋洗髄経とともにやります。
1 腰の両側で指を跳ね上げて掌を押す。挙げるとき緊張し緩めるとき吐く。
2 腰の両側で四本指を握り親指を強く跳ね上げる。挙げるとき緊張し、ゆるめて掌になるとき吐く。...
3 腰の両側で握固する(親指を握りこむ)。握るとき緊張し、ゆるめて掌になるとき吐く。
4 両腕を肩の高さに前に挙げ、掌を剥き合わせて握拳する。握るとき緊張し、ゆるめて掌になるとき吐く。
5 両腕を頭より高くまっすぐに挙げ、上で握固する。握るとき緊張し、少し落として下向きの掌にする時にゆるめる。
6 耳のそばで指を握る。緊張し、ゆるめて掌にして額の前で重ねるとき、リラックスする。
7 わきから上げてのけぞって握り体をそらせる。そらせるとき足先が上がる。両手をひろげたまままっすぐに伸ばし、からだもまっすぐになり、足も降ろして全身をリラックスさせる。
8 両手を前に肩の高さに挙げ、親指を握りこんで握固する。吐く時に両手がリラックスし、斜め下に向いたてのひらになる。
9 鼻の脇で握固する。そのまま両肘を両側に引き、顔は上を向いて緊張し、両手が顔の前に重なってリラックスする。さらに両手をてのひらを後ろに向けて頭の上に高く伸ばして緊張し、顏の前で重ねてリラックスする。
10 山の字で首を左転して緊張し、両手が顔の前で顔に向いてリラックスし、右転して、交互にする。
11 へそ両脇で親指はねあ交げて緊張する。リラックスしてそけいぶの前で掌になりリラックスする。
12 ?両手上で斜めに広げて緊張し、かかとを上げ、頭の上で下に向けて吐きながら下にかがんでいき、リラックスして吐く。
②しゃがんでからかかと上げて伸びをし、吐きながらスワイショウで強く振り下ろす。
?左足を右に蹴る。右足を左に蹴る。そのあとしばらく散歩する。
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1月9日10日京都講習

12月31日 4:03

フィンランドに行った

9日  土曜日


1月9日10日京都講習
9日  土曜日
1:00-2:30   背骨ゆらしほか入門編
2:30-4:00   フィンランドの気功仲間たち...
とくに郭林新気功と易筋洗髄経のことなど
フィンランドで新しく出る本の事
フィランドでやった気功からちょっと紹介(郭林気功など)
4:00-5:30   李少波・真気運行法と胡耀貞簡易動功
6:30からフィンランドから持ち帰ったものを中心に簡単な食事(別料金1000円)
10日 日曜日
7:00-8:00   張宇・内丹功
8:00朝粥(別料金500円)
9:00-12:00  周稔豊・易筋洗髄経
12:00昼食(別料金500円)
1:00-3:00 周稔豊・易筋経外経


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2015-16FINLAND

トンミに提案した

12月31日 4:05

フィンランドに行った

今度の本に書く私の解説の大要。

 

 

 

トンミに提案した今度の本に書く私の解説の大要。
英語は恥ずかしいので日本語原文を掲載します。

気功とはどういうものか        
歴史
三調
五大歴史潮流
五大流派
本書で取り扱う気功は
私はどのように気功を学んできたか
16歳での出会い
日本の気功の探求
観気旅行の10年から
たくさんの先生、たくさんの流派
健身気功と伝統気功
新しく国家が作った九つの健身気功
90年代の異常現象
どんな伝統気功を残していくか
四つの代表的伝統気功
臨在禅からの背骨ゆらし
劉漢文の禅密功
周稔豊の易筋洗髄経
胡耀貞の簡易動功
どうやって気功を学んでいくか
自分で学ぼうとするのはよいが
それでも先生は必要だ
フィンランドでの86年からの伝統の蓄積
健身気功を学ぶには
内丹気功へ
・・・
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2015-16FINLAND

30日の一

12月31日 4:07

フィンランドに行った

ずっと部屋の中で過ごした。

 

 

 

30日の一
ずっと部屋の中で過ごした。昨日スープとステーキを作った時はキッチンに行ったが、それとトイレに行く以外はずっと部屋の中である。朝もヨーグルトだけですませた。暖房が控えめなので、明け方などはコートを来て書いたり寝たりしている。それでも寒い。昼頃には少し楽だ。同宿人は二人、二人とも夜帰ってくる。一人は毎日例の鳥のクリーム煮を作っている。冷蔵庫にはもうタッパー三つたまっているが、昨夜も作っていた。もうひとりの長身の人はサンドイッチでも買ってきているのか、お茶を入れにくるだけだ。二人ともフィンランド人である。トンミは何かと話しかけて「調査」している。イタリア人の学生は宴会に参加した翌日どこから行ってしまった。まあ京都にいてもいつも一人だから、クオピオもあまり変わらない。マッティやトンミが来てくれるだけいいようなものだ。
部屋で何をしているかと言うと、翻訳をしている。あるいは企画を次々に作ってトンミに渡している。今日は夕方何人か来て授業になる。「この間は四五人かもといっていて11人になった。今日は6人来ると言っていたから何人来るかな」とトンミは言っていた。あとでマリアが来て車で買い物に行ってくれる。もうあまり買うものもないが、ジュースとかミルクとかちょっとだけ。こちらのミルクは常温で置いておくとヨーグルトになる。昨日もコーヒーにいれようとしたら固まっていた。二日目なのに。キッチンの冷蔵庫までいちいちしまいにいかないとならない。この部屋の寒さにしてこうである。チョコレートやバターなどはかちんかちんだ。
あまり部屋にこもっていてもいけないな、と少し外に出て見た。昨日とは比較にならないくらい寒い。コートの喉のところをしばってみても、夏用の作務衣を着ていてはだめだ。自分のいる建物が私の部屋とキッチンとでこじんまり思えたが、二階建てで40くらいの部屋が並んでいることが横から見てわかった。それに三階の建物がつながっている。いくつも入り口があるので、私のいるところは10部屋もない。50メートルほどで湖畔にたどりつく。この間波打っていた湖は完全に凍っていた。たくさんのヴイが氷の上に倒れ、あるいは埋もれている。ここは大きなヨットハーバーらしかった。今は引き上げて一隻もない。ただ船着き場が10ばかり並んでいる。せまい入り江になっていて、対岸の工場の灯がわびしい。右手を見れば例のクオピオ・エネルゲイアの煙突である。今日は波のような雲で、ひとつひとつもうピンクになりかけている。五分もいて逃げ帰った。まわりは団地街になっていて、結構車は通るが、人はみかけない。
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30日二

12月31日 12:46

フィンランドに行った

五時にマリアと旦那さんが来た。

 

 

30日二
五時にマリアと旦那さんが来た。買い物に連れて行ってくれる。いつものSマートだ。Sマートでトンミが待っていてくれた。といっても、わざわざ買いたいものはあまりない。明後日にはヘルシンキに帰る。カウコに一日は開いていないだろうし二日の買い物はいいのかと聞いたら、二日の朝買い物して作れる範囲でしたらいいのではという。まあそれでもいいことにする。フィンランド式ならパンを切っていろいろ並べれば格好はつくから一時間でできる。だが寿司がメインだとそうはいかない。やれる範囲でということだな。
それで今日はリンゴジュースとミルクとヨーグルトだけの控えめな買い物になった。マリアと旦那さんの自分の家のための買い物やトンミがこれからの気功の会のために買ったお茶やチョコレートなどの方がずっと多い。
トンミがハイパーリンクの次の一か月のを買ってきてくれた。これでまたフェイスブックやヤフーが通じるようになった。通信がつながっていないコンピュータと言うものは頼りないもので、筆記具でしかない。ただ二日間せっせと翻訳を進め、企画を作った。
今日はうちのホステルのロビーを借りてした。6人の予定が9人か10人集まったのでいっぱいになった。こういう集まりはいつでもお茶から始まるか、そのための休み時間をとるのが当然になっているのが面白い。今日は二時間だから休みは入れない。寒い中を集まってくれた人はお茶から始めている。北戴河の保健功マッサージからしたいという声が強かったので小一時間それをした。100回のを今日は全部50回にしたが。覚えましたか、というと、気持ちよくてそれどころだはないという。じゃ明日トンミにわたしておきますと約束する。
それから易筋洗髄経を通してやる。45分。11番目の洗髄の手順を間違えたので謝って訂正する。最後の15分、洗髄だけを取り出してやる。これは微妙な違いを記憶しやすくするために作ったものだが、その私でさえ間違えるからけっこう覚えにくい。トンミの凝り性のおかげでこんなに徹底して易筋洗髄をやれた。クオピオ滞在の一番の収穫である。
トンミに今度の本に書く私の解説の目次と、後方のところ詳しい解説を渡した。禅密功は全訳してあるから彼が書けばいい。易筋洗髄の本体と胡耀貞簡易動功はすでにそうとう詳しく情報を渡してある。背骨ゆらしは日本語の完成された者があるので、それをカウコに渡せばいい。カウコがすんなり翻訳してくれればいいが。
良いお年をとみんな帰って行った。トンミとはまた明日も合うだろうが。
夕飯はいろいろ食べようと計画していたがあまりおなかが減っていない。残り物は基本的に明日中に処理しないといけないから、明日はひとり宴会だな。おおみそかの教会と広場のセレモニーに行きますかと誘ってくれた人がいたが、ここから全部歩いていく自信はない。マッティが帰っていれば車があったのだが、あきらめた。でも市場と教会のある広場には小一時間で行けるだろうから、調子がよければいけるかな。しかしその前にたまっているワインを処理したら、もうだめである。テレビで夜中の広場の中継と朝のミサでも見るだけかな。そうだ、北戴河保健功の手順を渡す約束をしたんだった。
今日はヨーグルトとスメタナ、アップルケーキの残りで夕食にした。スメタナと言うのはロシア風の生クリームで日本にはこういういろんな度合いの0.2%から20%というような多種多様なクリームをまったく売っていない。行きつけのSマートでいったらこういう乳製品の棚が40メートルくらいあって、選択に苦労するのである。
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30日の三。

12月31日 13:53

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たくさん買い込んでいたチョコレート


30日の三。
たくさん買い込んでいたチョコレートからチリとカーダモンが半分ほど残っていたのと、ミントの新しいのを残して行ってくれた。どれも70%のあまり甘くないやつだ。部屋にはファザールのゲイシャのダークと、コスタリカの71%がまだ残っているから、バレンタインでもないのにけっこう「チョコ持ち」になった。ひとつ3.8ユーロ(800円弱)と言う値段だから、自分ではあまり気楽に買えない。リンゴジュース1.7ユーロなどと言うのを見つけると、つい買ってしまう。同じリンゴジュースでも6とか7ユーロのがあって、品質の違いを見せつけられるが、かといって1リットル2000円近いジュースはなかなか買えない。
トンミは紙コップに無造作に挿した紙幣を私にそのまま渡した。日曜が確か160ユーロ、水曜が140ユーロである。300ユーロと言うと、四万円くらい。三日間の講習の分はカウコが持っていっているから、知らない。思わぬ臨時収入になった。
本来はこのチョコレートやお茶の数種類とかも当然講習収入から出すべきだが、トンミはこともなげに自分で負担をしている。
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