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2016年9月

 



2016年9月かかった!

2016年9月1日 1:49

ネズミ


また新たなネズミがかかった




このところ二ヶ月ほど台所に君臨していたネズミがネズミ取りにかかった。つい先週は別のネズミがぺたぺたと全身がくっつくシートにかかって、それだとばかり思っていたのだが、また新たなネズミがかかった。今度は生きたままである。もう半年前に刺しておいたハムのかけらに反応してしまった。明日あたり死刑を執行しようと、今夜一夜反省してもらっている。
 食べるネズミ毒をここに何日かかじっていて、判断力が大幅に弱った物と見える。こいつはどうやって処刑するかというと、猫でもいれば残酷な事は彼らに任せるのだが、時々覗きにくる近所の飼い猫も最近はご無沙汰だし、安直な所で湯沸かし器を最大にして石川五右衛門になってもらう。それからアルミ箔に包んでゴミに出す。戒名は特に付けない。ついでにネズミ取りを洗剤で洗って、次のハムを仕込む。
 今度は沖縄ハムである。またぺったんシートの方も買っておこう。私はネズミ年だから、同胞虐殺である。いつもおいしいもののある台所だから、仕方がない。これだけ出てくるという事は建物にはまだたくさんいるのだろう。
 ベトナム兵を探しているアメリカ兵の気分になって来た。
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2016年9月『うまいぞ! シカ肉』

2016年9月1日 2:55

鹿


身もふたもないタイトルの本を買って来た




『うまいぞ! シカ肉』という身もふたもないタイトルの本を買って来た。農文協である。天満橋のジュンク堂書店には四冊の専門書があったが、3500円とか高い本ばかりなので、1800円のこの本を選んだ。五人の著者が共同で書いていて、野菜ソムリエ、フードコーディネーターの人とかその名も鹿追町の役場で食品加工の指導をする人、フランス料理の専門家、レストランの経営書、諏訪の猟友会会長といった肩書きの人が一緒に作っている。アロゼというバターを溶かして鹿肉に根気よく振りかけて行き、中は赤いままだがしっかり火を通して行く技術が基本で、真空低温調理法とか、部位別の調理の仕方、鹿肉の保存法、解体法、各種加工法、シカ害対策との関連などの項目が並ぶ。あまり家庭向きの本ではなく、鹿肉をどうやって食卓に挙げるかの専門書である。

ただ家庭でできそうな調理法も載っていて、鹿肉のポワレ(ステーキ)からハンバーグ、テリーヌ、生ハム、カレーライス、しぐれ煮、立田揚げなどいろいろ。いい鹿肉が手に入ったというとひたすら刺身で食べる事を考えてしまうが、厚生省は生食はウィルスなどがいることもあるからやめたほうがいいとアドバイスしている。現に昨日も鹿刺しをたべているが、これは超低温で何ヶ月も保存したのをおくってきているから問題はないはずだ。これからは月一くらいで取り寄せていろいろな調理法の研究をしてみよう。肉屋で買える肉にどうも不満がある。

フランスなどヨーロッパ諸国では、もう長いジビエ料理の伝統があるわけだが、日本と一番違うのは、できるだけ血を残して血の料理を味わうという考えだが、日本では殺したらすぐ徹底的に血抜きするところが違っている。血抜きをしすばやいワタ抜きをして、おいしい加工肉ができる。この差はいかんともしがたい。ヨーロッパではその分ソースにこり、シカ二頭分に赤ワイン40本を入れて煮たりする。日本の肉の仕上げは刺身が理想だが、それに近いソテーや短時間の煮物に特徴がある。
本の後ろを見ると『山と田畑をシカから守る』『これならできる獣害対策』等の本が並んでいる。なるほどいろいろな事情と一体になってシカの日常食化が課題になっているわけだ。
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2016年9月小原さんがカリフォルニアに

2016年9月1日 20:38

California


DVDが必要なら自分でつくらなければならない




 小原さんがカリフォルニアに行ったので、DVDが必要なら自分でつくらなければならない。易筋洗髄経がよく売れて、 小原さんが作ってくれた30枚があっというまになくなった。探して見ると、二条城の所にある虹映社というところが断然安い。北大路の北村カメラなど六倍の料金だ。自転車で虹映社に行って相談してみた。51枚を越えれば200円。80枚頼んで16000円だ。盤面印刷はこちらでデータを渡せばやってくれるが、小原さんからもらい忘れている。易筋洗髄経と気功文化研究所の文字だけ入れてもらう。これで普通のDVDケースで渡してくれるので、もうそれで行く事にした。印刷が可能かどうかは研究してみる。やれそうならやるが、だめならこの形で十分だ。お金をしはらって、来週早めにという事で送ってもらうことにする。

丸太町のイズミヤには主として涼みに寄る。二階のモスバーガーに行ってアイスティとえびかつバーガー。これでお昼だ。しばらく本を読む。
今出川のリカーマウンテンに寄って、ティオペペとルビーポートを買う。ティオペペはスペインの酒、ルビーポートはボルトガルの酒だ。久米島の久米仙を別格とすれば、世界の酒ではこの二つが一番好きだ。スコッチよりもコニャックよりもこちらがいい。今出川まで来ないと手に入らないから、年に二度ほど買ってちびちびやる。ティオヘペペもルビーポートも、現地でよりは英国で愛された。とくに船でわざわざ喜望峰まで行って帰ってくる「赤道越え」が愛された。オークのたるの中で絶妙な揺られ方を体験したティオペペだけが英国紳士の好みに合った。世界の海を支配した連中の好みを受入れるのはちょっとしゃくだが、食前酒としてはティオペペがベスト、食事中にはワイン、食後酒としてはルビーポートが一番、そのあとはコーヒーリキュールのあとにコニャックというのがこれ以上ないという順番であることは間違いない。世界中の酒をあさってみた結論ということだ。ただ久米島の久米仙と菊の露だけが彼らの情報網にひっかからなかった。泡盛を愛するにはまた別の教養がいるのである。

今出川の少し上で路地にはいったら古道具屋があって、表に出ていた湯のみの古い漁村と海に浮かんで魚を釣っているのと向こうに山を描いた藍の絵がついたのが気になり、手に取ったら50円の値札が着いていたので、自転車を降りた。積み重ねられた中から菊を描いた50円の湯のみ、赤唐辛子と青唐辛子を描いた少し大きめの小鉢(京窯と書いてある)が100円、ひとつしかない雪模様の小皿、赤い葡萄の小皿が100円、小がに二匹を描いたおてしょが50円のを二枚、藍で紫陽花を描いた小皿50円二枚、ひとつだけ値の張る、といっても280円なのだが、茶色の円周に松葉が二本刻んであるのを二枚買った。〆て1160円。まだよく探せばいくらも掘り出し物がありそうだ。おいしそうな猪口も50円から山ほどあったが、またの楽しみだ。このあたりいくつか道具の店が並んでいる。
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2016年9月独峰に

2016年9月2日 12:26

津村喬


馬肉はドイツでは厳重に禁止


 独峰に馬刺と鹿刺しを出した時に、彼は「馬肉はドイツでは厳重に禁止されています。私も初めてです」といったのでびっくりした。「じゃあ鹿は?」と聞いたら「鹿は普通に食べています。レストランでもメニューに載っています」というのでまた驚いた。日本ではまだしも馬のほうが一般的で、コンビーフに馬肉を混ぜ込んだ物や、馬肉だけの物がある。独峰は「どちらもおいしい」といって食べていた。超低温保存したものだから刺身はまず大丈夫だが、鹿肉もたいていローストやシチューで生で食べるのは初めてという。
 そもそもどこで馬や鹿を食べているのか。馬については明暗がはっきりしていて、イギリスでは法的に禁じられてはいないが、まず食べる人はいない。「eat a horse」という言葉は馬が食べられるほど腹が減っているという表現で実際に食べる事とは関係ない。フランス料理店と一部のサラミの原料としてこっそり輸入されている。2013年には馬肉を牛肉と偽って販売した事件があって、余計に食べられなくなった。アメリカではいくつかの州で厳重に禁止されている。肉屋に馬肉が並ぶ事はない。フランスでは馬肉は一般的に売られていて、肉屋の店頭に馬の首を掲げる所も多い。ナポレオンが戦場で死んだ馬の肉を消費するよう奨励した事から広く食べられるようになったが、現代では0.4%しか占めていない。ドイツのことは書いてないが、イギリス同様食べられないようだ。
 中国では李時珍が書いた『本草綱目』に馬は有毒とされ、「傷中を治し、余熱を下げ、筋骨を育て、腰や脊を強くし、壮健、飢餓感を抑える効果がある」が少量を薬として食べる事が奨励されている。馬乳は無毒であり、またロバは無毒とされる。広西チワン族自治区、貴州省、カザフ地区では食べたり腸詰めの原料にしている。中国は世界最大の馬肉輸出国だが大部分はソーセージ、肉団子などの加工食品用に出されている。
 日本では江戸時代には桜肉として珍重され、吉原に行く前に食べると強壮効果があるとして馬刺し・馬鍋屋も近くに作られた。現在流通している馬肉の大部分はカナダ産で、メキシコ産、ブラジル産なども流通している。一部の廃用となった競馬馬も使われている。国内産では熊本産が圧倒的に多く、福島、青森、福岡、山梨、秋田、長野の順である。
 鹿の方はどうか。ドイツやハンガリーでは鹿肉を始めとする狩猟野生動物の肉(game meat)は高級レストランで特別に食べられる「最上」の肉として扱われる。最大の鹿肉消費地はドイツで世界から輸入している。鹿はE型肝炎が心配などといわれるが、E型肝炎にかかったことのある肉というE型肝炎抗体の保有率でいうと一般の豚が85%、イノシシが17.2%に対して鹿は0.9%であるから、豚は加熱して食べた方がよいが、鹿は99%は大丈夫という事になる。
 日本では鹿は北海道、兵庫、長野などで駆除した鹿の食肉や缶詰利用が試みられているが、まだまだマイナーだ。一部のcoco一番屋などでは、鹿肉カレーが作られ、学校給食にも応用されている。
 独峰と一緒に馬鹿を食べたきこりが、その後大鹿村に行って、鹿肉のカレーや缶詰が並んでいるのを見つけて写真に撮った。せっかくだからぜひ送ってほしいと頼んだ。 ・・・・・・・・・・・・・・HOMEに返る

 

 

 



2016年9月図書館でたまたま見つけた本

2016年9月3日 0:31



琉球独立宣言・実現可能な五つの方法』という本

 図書館でたまたま見つけた本に『琉球独立宣言・実現可能な五つの方法』という本があって、読んだ。講談社文庫。本の帯は図書館でははずされているが、「居酒屋から論壇へ、独立論のフィールドが変わった」という池沢夏樹の言葉が書いてあったらしい。
 沖縄で生まれ、早稲田の政経学部、大学院を出てからクァムやパラオの日本領事館、大使館で働いてから龍谷大学に落ちついて経済学部教授になり、現在に至っている。島嶼経済が専門である。この本は2015年9月に文庫書き下ろしで書かれた。以前から『琉球独立の道』『琉球独立論』などの単行本を出して来た。09年に「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」を、13年には琉球民族独立相合研究学会を設立し共同代表となっている。
 本の印象だが、もっと生き生きと沖縄の現場の闘いや模索の描写があると思ったが、それはすごく少なかった。これまでの本には書かれていて、それを要約したようなこの本では原理論しか感じられないのかも知れない。むしろスコットランドやパラオなどの小国がどのように独立への道を押し進めているかの描写の方が面白い。沖縄より人口が少し多いか、少ない国を並べてみると、バーレーン、東チモール、モルディブ、トンガ、ミクロネシア、マルタ、アイスランド、セーシェル、ドミニカ、バハマなど59カ国、島だけでできている国家が33カ国ある。中には人口一万人のナウル共和国やツバルなどは、それでも国連で一票を持ている。140万人の琉球が独立できないわけがない。
 しかも過去独立した琉球国があり、中国東南アジア韓半島日本をつなぐ貿易立国が成り立っていた国である。柳宗悦等は琉球の民芸を評価しようとするあまり、日本と琉球の「同祖論」を協調し、豆腐をおかべというなど昔の京都言葉が琉球に残っている事をもって古い時代の日本文化は琉球にあると論じたが,そうした言葉は多くはなく、古代にたまたま伝わった日本語だけをとりあげて日琉一体を説いた。沖縄語は日本語と明らかに違う言語だという。とすれば、誰もが日本語をしゃべっている様に見えるがウチナーグチ(沖縄語)と日本語の二重生活をしているといえる。昨今の沖縄を琉球語沖縄方言(琉球語派沖縄語)は、琉球語奄美方言→「奄美語」・琉球語国頭方言→「国頭語」・琉球語宮古方言→「宮古語」・琉球語八重山方言→「八重山語」・琉球語与那国方言→「与那国語」とともに、それぞれ独立した1個の言語「沖縄語」とみなされた。2009年に調査したユネスコの担当者は、「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当」と述べた。それを受けて参議院議員の糸数慶子は沖縄の言語についての質問書を政府に出したが,政府は沖縄語が方言か独立した言語かは「お尋ねに一概にお答えすることは困難」と答弁した。要するに沖縄語が日本語か外国語かはわからない、と白状しているのだ。
 沖縄タイムスや琉球新報もウチナーグチは大切にしているが、日本から分離して琉球国を独立させるという方向を打ち出しているわけではない。翁長知事も最近「ここ数年活発化している「琉球独立論」についても言及した。心情的には一定の理解を示しながらも、「サンフランシスコ講和条約で(本土から)切り離されたように、沖縄はもう1回切り離されるんじゃないか」などと述べ、逆に「切り離される」懸念を表明した」。琉球自立論が中国の意を体しているという「右」からの論議もあり、慎重である。著者自身北京で開かれた琉球自立シンポジウムには慎重に出席をことわった。
 松島は
①琉球人の独立賛成派を増やす
②日本で独立賛成派を増やす
③国際世論を味方にする
④国連、国際法に従って進める
⑤日米両政府に辺野古新基地建設を断念させる
という実現可能な五つの方法を提示しているが、下からの抵抗・解放の動きと国際的な合意とがうまく呼応し合って行けるかどうかが問題だ。 ・・・・・・・・・・・・・・HOMEに返る

 

 

 



2016年9月本棚に前からあったが

2016年9月3日 11:41

山田和秋


青年歌集と日本のうたごえ運動ー60年安保から脱原発まで


 本棚に前からあったが読んでいなかったものから、山田和秋の『青年歌集と日本のうたごえ運動ー60年安保から脱原発まで』という本を読んだ。『青年歌集』は子供時代の私のバイブルだった。全11巻、隅から隅まで読んで、歌った。引っ越しを重ねるうちになくしてしまい、その後ある出版社からうたごえ運動の歴史を書かないかといわれたとき、『青年歌集』の全巻のコピーをもらった。ぐずぐずと書かないでいるうちにどこかにしまい込んでしまったが、これはまだどこかに入っているはずだ。今でも中央合唱団と引けば出てくる新宿区大久保の住所に二年間くらい通って、アコーディオンを習っていた。小学校三年生の頃で、なんとか弾けるようにはなったがものにはならなかった。だが、この時期に毎年大きな盛り上がりを見せた「日本のうたごえ」の祭典には、何年か聴衆として参加し、大きな影響を受けた。
 山田は1961年に早稲田を卒業しているから、ちょうど10年先輩だ。早稲田大学高等学院から入ったのも同じだ。社会主義研究会などを作る事は当時の学校では不可能だったので「歌う会」ということで14,5名が集まった。
 「ぼくたちは毎週石神井川の土手に集まって、栗山君の指揮で歌うようになった。そのとき歌集として使ったのが、当時歌声喫茶などで流行っていた『青年歌集』だ。『青年歌集』は当時1?4篇まであり(後に10篇まで出版された[11篇デス])主としてロシア民謡、労働歌から、日本を含めた世界の民謡などが含まれていた」
 「若者よ」とか「われらの仲間」とか歌った。「われらの仲間」はロシア新民謡で、「若者よ」は戦前からの共産党員ぬやまひろしが詞を書いて関鑑子の弟の関忠亮が作曲したもので、やがて拷問でひどい目に合うからからだを鍛えておけ、という凄惨な歌だが、なぜかさわやかな青年の歌として流通していた。
 彼らの学院歌う会は1956年に初めて日本のうたごえ祭典に参加した。8歳の私もこれに聴衆として参加していた。他校とまとめられて高校生のうたごえとして100人くらいで林光の「歌声よ明日のために」とショスタコーヴィチの「ピオネールは木を植える」を歌った。紙パ労連、三池炭坑、全国金属と労組ごとの合唱団が次々に登場して歌った。このころに大流行した「しあわせの歌」に私は当時から違和感があって、三十年後に中央公論に「幸福の強迫観念」を書いた時にこの曲の批判を枕にした。
 山田はそのまま早稲田に入り、劇団自由舞台に入り、日本共産党に入党した。そのころ沖縄出身の学友と出会い、沖縄はアメリカ占領下にあったのだが入党したいといわれて推薦状を書いた。「二人で高田馬場まで歩きながら自然と口をついて出た歌は『沖縄を返せ』だった。この歌をこんなにも身近に感じながら心の底から歌ったのは初めてだった」むろんこの時には「沖縄を返せ」か「沖縄に返せ」など迷う人はいなかった。
 山田がこの本の中で歌詞を並べている歌の一覧を作っておく。
 赤旗の歌、アカシアの雨がやむとき、南葛労働者の歌[琵琶湖周航歌の節で](楽譜付き)、聞け万国の労働者、国際学生連盟の歌、民族独立行動隊の歌、原爆を許すまじ、手のひらの歌、カチューシャ、トロイカ、仕事の歌、若者よ、我らの仲間(楽譜付き)、しあわせの歌、ピオネールは木を植える、晴れた五月、全世界民主青年歌、心さわぐ青春の歌、さらば恋人よ、バイカル湖のほとり(楽譜付き)、沖縄を返せ、平和を守れ、兵隊が戦場に行くとき、ラ・マルセイエーズ(楽譜付き)、インターナショナル(楽譜付き)、ワルシャワ労働歌、ともしび、イムジン河、モスクワ郊外の夕べ、同志は倒れぬ、がんばろう、おお牧場はみどり、どん底の歌、美しい十代、友よ、サマータイム・ブルース、ずっとウソだった[ずっと好きだったの替え歌]、世界をつなげ花の輪に の38曲。その中で私が楽譜無しに歌えないのはピオネールは木を植える、平和を守れ、サマータイムブルース、ずっとウソだったの4曲である。大部分の軌跡を共有して来たことがわかる。
 山田はロシアでロシア語の雑誌『今日の日本』を出している。そしてもう出番はないだろうと思っていた「原爆ゆるすまじ」等を歌いながら昔の仲間と反福島のデモを繰り返す日々である。 ・・・・・・・・・・・・・・HOMEに返る

 

 

 



2016年9月数千の馬肉メニュー

2016年9月4日 0:38

馬


辺境の味

数千の馬肉メニューから12点を厳選してコレクションしてみる。
また馬肉を取り寄せているので、順次試してみる。
といっても刺身が一番うまい気もするが。これらのメニューは馬刺に食べ飽きた人々が工夫をしているのである。
馬肉料理に着いては熊本と秋田、青森に偏っている。まさしく辺境の味なのである。

1 馬肉のバター醤油炒め

馬肉150g  玉ねぎ半分  ピーマン一個
バター5g  醤油大さじ1/2  塩こしょう適量
玉ねぎを炒める。馬肉も炒める。レアのうちにバターを落とす。
ピーマンを入れて素早く混ぜる。炒めすぎないのがコツ。

2 ハーブ風味の馬肉ステーキ

馬肉350g  オリーブ油大さじ2  バター小さじ2
セージ、ローズマリー、塩
焼く30分前に冷蔵庫から出し常温に。スライスする。
油を熱しバターをとかし、ハーブを一分ほど火を通す。
塩をした馬肉を焼く。レアなら片面45秒。ミディアムならもう少し長く。

3 桜鍋

馬肉  白菜  ネギ  ごぼう  人参
舞茸  春菊  豆腐すべて適量
醤油、砂糖、生姜、にんにく
かいわれ
肉に火を通しすぎない。ごぼうは前日スライスしてポリ袋に酒、醤油、砂糖、生姜、ニンニクで味をつける。

4 馬肉ユッケ

馬刺肉150g  玉ねぎ半分  卵黄一個  ココナツパウダー大さじ一
めんつゆ小さじ一  出し大さじ半分 醤油、りんご酢(なければ普通の酢)  
味噌小さじ一  ごま油大さじ半分
すりおろしにんにく、七味は適量
ココナツからりんご酢までを火にかけてさまし、みそ、ごま油、にんにくを混ぜる。
馬肉を一×四センチ程度に切って盛り付け、玉ねぎを下に敷いて真ん中に卵黄を盛り付け
たれを適量かけて食べる。

5 カルパッチョ

馬刺赤身50g  パルミジャーノレッジャーノ30g  ルッコラ10枚程度
ニンニク、レモン、オリーブ油、塩こしょう
皿にニンニクをこすりつけておく。パルミジャーノのカタマリから、馬刺しの毎数分一ミリ厚さで削ぎ切りにし、馬肉を重ねて盛りつける。

6 馬肉のビーフン揚げみぞれ酢かけ

馬刺用の赤身200g馬刺のように薄く切る。
白ネギ一本八等分。ごぼう50gはピーラーで長く切る。
大根おろし80g  大葉四枚
粒子の細かい米粉大さじ3?4
揚げ油、三杯酢  塩麹
馬刺に塩麹をかけて二時間ほど置く。米粉を水で溶いて衣を作り、馬肉とネギを衣をつけて揚げる。ごぼうは素揚げする。大葉を敷き馬肉、白ネギを
盛り、上からごぼうを乗せる。

7 馬肉ソーセージ

馬肉一キロ  牛腸60?80cm  にんにく、塩、胡椒、レッドペパー、ディルなど
腸をよく洗う。片側を竹串などで止め、肉を押し込み、反対側も止める。塩水で二時間煮る。小麦粉の中にしばらく放置して乾燥させる。
脂身をどの程度入れるかで柔らかさと味が決まる。まったくいれないとばさばさになりおいしくない。最低20%程度、中央アジアでは80%くらい油を使
っている。

8 馬肉のタルタル

馬肉100g  塩、胡椒、マヨネーズ、生クリーム、うすくち醤油
馬肉を包丁で細かく叩く。塩こしょう、生クリームを入れる。
残りの調味料を混ぜる。
バゲットなどに乗せて食べる。

9 馬ろう(馬肉のなめろう)

和風のタルタル。馬肉50g  青ネギ大さじ一小口切り  生姜すりおろし大さじ1/2
にんにくすりおろし小さじ一  味噌大さじ1/2  醤油小さじ一
全部の材料を混ぜる。

10 桜納豆

納豆一パック  馬刺納豆の半分くらい。適量  ベビーチーズ二個  しょうゆ 芥子
すべて粗みじん。

11 馬肉入りいなり寿司

馬刺200g  戻したかんぴょう100g  戻した椎茸100g
しいたけの戻し汁二カップ  しょうが  人参
寿司揚げ12枚分を半分に  こめ三合
◆寿司酢 酢100cc 砂糖100g 塩大さじ一
◆調味料A  砂糖大さじ3 醤油50cc みりん50cc
◆砂糖大さじ1 醤油1と1/2 みりん大さじ1
しいたけ戻し汁にAを入れかんぴょう、椎茸を煮て、小さく刻む。
いなりあげをBで煮て味をつける。
馬肉は圧力鍋で15分煮て小さく刻む。
いなりずしを作る。

12 うま蒲焼き

馬肉バラやサガリなど脂が多いもの200g。塩麹に一日漬けておく。
馬肉に小麦粉をまぶし、サラダ油で焼く。
砂糖、濃い口醤油、みりん、バルサミコ酢で一分煮る。
ご飯の上に乗せて山椒を振る。
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2016年9月津村さん大阪では右立ち左空けです

2016年9月5日 10:52

津村


空いていれば自然と人の並んでいない方に



 「津村さん大阪では右立ち左空けですよ」と大阪の女友達から何度注意されたかわからない。エスカレーターでどちら側に立つかという問題である。
別に東京育ちのせいで左立ちになっているわけではなく、空いていれば自然と人の並んでいない方に立ちたがる。京都は左側というが一度もどちらに立った方がいいと意識したことはない。巨体が反対側にいたら邪魔だろう。まあ、前後を少し空けて、通りたければどうぞという意思表示をしておく。京阪の出町柳などみんなすごい勢いで駆け抜けて行く。走りたい人はすぐ隣に階段があるのだから、階段を使えばいいのにと思う。エスカレーターの速度に走る早さを加えたいような仕事を持つ人が何人いるのだろうか。
 と思っていたら、喫茶店で読んだ週刊ポスト9月9日号がこの問題を取り上げていた。この右立ち左空けは1944年にロンドンの地下鉄で始まったことで、欧米、オーストラリア、中国、韓国みなそうだという。イギリスとアメリカでは車の運転席に応じて逆かと思ったらそうでもないようだ。日本ではなぜか大阪神戸(姫路まで)だけが右立ち左空け国際標準で、東京、福岡、札幌など大部分の土地は左立ち右空けだという。
 別の資料では大阪で右立ちが始まったのは1967年の阪急電鉄が「お歩きになる方のために左側をお空けください」とアナウンスし始めたのが最初だという。70年万博の時に何が国際標準か調べて、右立ちを明確に決めたのだが、万博では人数が多すぎて片側を空けるどころではなかった。
 大阪市営地下鉄は2010年から「歩かないで」のステッカーを周辺に貼り始めた。放送でもそうよびかけるようになった。障害者から「並んで立てないのは問題」と指摘を受けたためだ。
 ポストに戻ると,ロンドン市交通局は最近ある駅で実験し、片側通行だと一時間に2500人、両側だと3250人がエスカレーターで運べるという結果になった。
 東京消防庁はエスカレーターでの事故がこの三年間に3865人出ているとして、片側で急いで歩くのをやめようというキャンペーンを始めた。名古屋市交通局はもっと以前から「両側で停まって乗る」指導を徹底しており、エスカレーターで歩く人はいなくなった。
 「今や両側に立って歩かないというのが最先端なんだよ」と女友達にいってやらなければならない。
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2016年9月気功的経験100のメニュー (1)

2016年9月6日 0:15

北欧


地球と自分のいい関係を知る20のテーマ


試してみたい !
気功的経験100のメニュー

五回にわたって掲載します。
今でも魅力的な企画ばかりですね。こういう旅行社を作りたいくらい。
地球と自分のいい関係を知る20のテーマを厳選して、それぞれ5つずつ、 合計で100種類の本当の気持ちよさを味わえる「気功的経験のメニュー」を用意しました。このひとつひとつのワークは、あなたがのびのび開放され、
無限の可能性を見つけ出すきっかけを作れるような楽しい趣向が凝らされています。 この中から、あなたが体験したいものをひとつだけ選んでください。 たとえばあなたが「太陽と交際する」というテーマが面白そう、 そしてその中の「ハワイ・熱い太陽と仲良しツァー」が一番気持ち良さそうで経験してみたいと思われたら、012と明記してご応募ください。 みなさまのご希望の多い順にメニューを組み合わせて 最高に気持ちいい素敵なイベントを開催します。 また、もしもあなたが「こんなメニューもあるのでは?」「こんなメニューを体験したい」などアイデアをお持ちなら、101番目のメニューとしてその企画をお送りください。
ご応募の方法は最終ページでご案内しています。たくさんのみなさまのご応募をお待ちしています。

津村喬  [93-94年ころのプロフィルです]
(評論家・関西気功教会代表)
気をめぐる国際交流に意欲を燃やし、
日本国内はもちろん中国、フィンランドをはじめ世界各国の
気功愛好者のネットワーク作りに貢献。
現在も「気脈を通じる」運動を展開して講演、評論などで大活躍中。
『気功・心の森を育てる』『気脈のエコロジー』『気功・癒しの人間学』など
著書は約100冊に及ぶ。93年4月よりNHK教育テレビで
「気功専科2」の講師を務め、同年6月好評のうち終了。

01 太陽と交際する
   万物の命を育む太陽とあらためて向き合い
   すべての命と自分のつながりを実感してみる
01-1 白夜の北極圏ツァー・陽の気が満ちる夏至の日に一日中太陽を浴びる
01-2 ハワイ・熱い太陽と仲良しツァー 
01-3 太陽が育てた沖縄サウンドを聴く船上コンサート
01-4 夕焼け楽団による日没コンサート
01-5 縄文時代の光通信の痕跡をたどる

02 月と響き合う
   人間のからだの水に働きかける月
   鏡にして無意識のリズムを知る
02-1 ルナティックナイト・高原の満月の宴体験
02-2 南の島の浜辺のフルムーン・パーティ体験
02-3 月と一体になる修行・月輪観体験
02-4 聖なる水に満月を映して・京都鞍馬山の月祭り体験
02-5 満月のパワーを知ってきれいになる講座体験

03 火と語り合う
   生命の源である「火」を色々な角度から見て
   心とからだの元気を補う
03-1 フィンランド・セウラサーリのコッコ(夏至の大焚き火)体験
03-2 火に誘われる瞑想キャンプファイアー体験
03-3 星空を彩る夜景を見ながら・ナイトハイク体験
03-4 伝統の護摩神事による火の芸術体験
03-5 柳の枝で組んだテントでインディアン式サウナで生まれ変わる

04 水と融和する
    いのちのもと、水
    暮らしの中で生命力みなぎる水を取り戻すために
04-1 世界の水、飲み比べ体験
04-2 中国四川省の水の聖地[九賽江]を歩く体験
04-3 水の中にからだを浮かべて・海中浮遊瞑想体験
04-4 日本一きれいな川・四万十川で遊ぶ体験
04-5 水辺のホタルをたずねて散策する
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2016年9月きこりが大鹿村の鹿肉製品を送ってくれた

2016年9月6日 10:19

缶詰


鹿肉味噌煮の缶詰


 きこりが大鹿村の鹿肉製品を送ってくれた。
鹿肉味噌煮の缶詰         鹿食免
鹿サラミソーセージ        ヘルシーMeat 大鹿
野性鹿肉ウィンナー        ヘルシーMeat 大鹿
鹿肉スティック          鹿食免 猟師さんの鹿肉スライスサラミ風  鹿食免
漁師さんの鹿肉ジャーキー     鹿食免
 鹿食免は茅野市の信州ナチュラルフーズのブランドで、昔諏訪大社から認可を得たものだけが鹿を殺生することが許されたという。ヘルシーミート
のほうは大鹿村の製造者。
 郵便局からは鹿児島の大田くんがイノシシ肉を送ってくれたのが届いた。オスのあばらとメスの胸肉が二つ。
 皆さんありがとう。
 明後日くらいには私が注文した伊奈のスズキヤの羊、鹿、馬が届く。冷蔵庫は獣肉でいっぱいだ。
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2016年9月夕方百万遍の印刷所に行った

2016年9月7日 3:49

猫


隔月で出している


夕方百万遍の印刷所に行った。『気功文化』の6,8月合併号をこの間出したばかりだが、隔月で出している『新脈脈』の遅れている七月号と九月号を作った。どちらも16ページと控えめで、この前の合併号の半分である。それに四ページのお知らせを別刷りで作った。七月号は手抜きと言えば手抜きで、新しく書き下ろした「声を出す気功について」を除けばここに掲載した93年の気功的生活から八本ほど載せた。これで七月号をすませる。九月号の方は十大功法の一ということで五つの功法についてやや詳しく載せた。十のせられるつもりだったがまた32ページとかになってしまうので、半分にした。これだと80円で二冊はいるはずだ。

16ページが二冊と4ページのチラシも折って組んだ。六時半から初めて、二時に終わるはずだったが、二時半になってしまった。明日のよみうりには持って行ける。明日の晩また封筒の宛名張りと封筒詰めをしなくては。 この間のネズミ取りにかかったので当分終わりかと思っていたら、台所がちゅーちゅーと騒がしい。あの粘着型のネズミ取りを100円ショップで買っておいておいたのにかかっていて、助けてと絶叫しているのだ。ごていねいに毒入りの餌も一袋おいといてやったので、それを食べようとして入り込んだらしい。そのままふたをしてゴミ袋にほうりこんでもいいのだが、このさい熱湯の刑に処してやることにし、小鍋に沸騰させて、アーメンと振りかけてやる。まあ最期にお清めをするようなものだ。大掃除をして、食器とかも洗い直さねばならないが、なかなか時間と体力がない。天井裏を走ったりもしているから、またどうせ出てくるだろう。頼りになる猫はいないものか。 ・・・・・・・・・・・・・・HOMEに返る

 

 

 



2016年9月気功的経験100のメニュー (3)

2016年9月7日 20:44

山音


一回ごとの呼吸が私たちの命を燃やしている

気功的経験100のメニューの三です。


09 呼吸プログラム
    一回ごとの呼吸が私たちの命を燃やしている
    安定した、深い呼吸が私をどんなに輝かせてくれることか
09-1 からだをきれいにする体内浄化呼吸ワーク
09-2 北京で大評判、痩せる呼吸法全公開
09-3 全身浄化=体力回復の亀の呼吸を中心に基礎気功法ワーク
09-4 呼吸法+瞑想法で本当にくつろいだ、自由な心を取り戻す
09-5 右脳発達プログラム・もっと自由に生き生きするためのレッスン

10 自分の可能性を開くボディワークプログラム
    生まれてから一度もしたことのない動作をすると
    脳に新しい回路ができます
    私を代えたい人の早道は新鮮ボディワーク
10-1 すぐ覚えられる新編集コンパクト太極拳を身につける
10-2 亀や熊や鳥のまねをしてもっと別の自分を探して見る
10-3 からだの内側からの癒し・瞑想と自発運動体験
10-4 インナーセックス・ここで身に付けたイメージコントロールをパートナーと
    深めてください
10-5 坐ったままの総合的運動・呼吸・瞑想ワークショップ

11 森に抱かれる森林瞑想体験
    森と深く出会うことで心の森を育てることができます
    これでもうあなたも森の住人
11-1 中国四川・峨眉山樹林気功体験
11-2 シアトル・北カリフォルニア・レッドウッド樹林気功体験
11-3 アイルランド・ケルトの森樹林気功体験
11-4 バリ・一本でも森・ガジュマル気功体験
11-5 秋田白神山地ブナ樹林気功体験

12 足裏感覚! ウォーキングメディテーション
    どこかへ行くためでなく、大地をふみしめゆっくり歩くだ    けでなんとさまざまな学びと癒しの機会をもてることでし    ょう。
12-1 秘境の湖と露天風呂。水をたどって大地の癒しの力を実感する長時間ハイキング
12-2 のどかな尾根伝いに龍脈(大地の気の流れ)をたどるロングコースハイキング
12-3 原生林の力を体験するための樹間ウォーキング
12-4 せせらぎの音楽とともに歩く渓流コース
12-5 いにしえの信仰と巡礼の道をたどって歩く古道ウォーキング
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2016年9月天満橋のスーパーで

2016年9月7日 23:45

わさび


「きざんだわさび」という商品を見つけた

天満橋のスーパーで「きざんだわさび」という商品を見つけた。「香り立つ。芳醇なわさびの香りが凝縮した安曇野産わさび葉ペースト入り」「粗めにきざんだ茎の香りとシャキシャキした食感をおたのしみください」「魚料理肉料理に直接つけてお召しあがりください」と表には三行。「要冷蔵」の文字もある。裏側には刺身、ステーキ、そば、お新香の写真があり、その下には「お刺身焼き魚など」「ステーキ、ポークソテー、焼き鳥など」「お茶漬け、手巻き寿司、ざるそばなど」「冷や奴、板わさ、納豆、お漬け物など」とある。わさびの根と葉のイラスト。わさび葉ペーストというタイトルで「わさびの有効活用を目的とした研究をして、わさび葉ペーストの開発に至りました。わさび葉ペーストを製品に練り込むことで、より一層わさびの鮮やかな緑色と風味を香り立てることに成功いたしました」ここになると文章少し変。安曇野市の穂高に本社のある丸佐食品株式会社の販売。わさびの茎と葉を刻んで塩漬けにし、酒粕に混ぜるのが普通のわさび漬けだが、ここでは酒粕を使っていない。その分強烈にわさびそのものの味が迫ってくる。ただアミノ酸系の調味料が少し舌に残ったのがつらい。ほとんど及第点なのだが。わさびの味だけで十分だと思う。現地に行けばまだいろいろ未知のわさび製品があるのだろうか。 ・・・・・・・・・・・・・・HOMEに返る

 

 

 



2016年9月いつもの鞍馬口の木曜古書市

2016年9月8日 18:47

鞍馬口の木曜古書市


ぴったり1000円なのが気に入っている


いつもの鞍馬口の木曜古書市。10冊で1050円でも1080円でもなくぴったり1000円なのが気に入っている。

◇現代本記録全集19大陸を駆ける夢 筑摩書房
 宮崎滔天、北一輝から犬養健、城野浩までの手記に武田泰淳と青地晨の対談がついている。
◇C・W・ニコル バーナード・リーチの日時計 角川選書
 一回対談をしただけで友だちのつもりでいるが、まだ読んでいないものがいろいろあって楽しみだ。
◇前田俊彦編 ドブロクを作ろう 農文協
 この中に「世界のどぶろく作り」についての文章を書いているので、当然持っているのだが、珍しいから買っておこう。航思社でふっかんしたほう
がいいんじゃないかという話が盛り上がり、検討しますということになった。
◇中濱潤子 アイルランドB&B紀行 東京書籍
 Bed & Breakfastの簡易宿泊所のことだが、それぞれの女主人たちが楽しそう。
◇マイケル 太陽の遺産 幻冬舎
 星川淳が訳しているスピリチュアル・アドベンチャー。前から評判だけ聞いていてまだ読んでいなかった。
◇上田紀行 スリランカの悪魔祓い 徳間書店
 これも持っているが誰かがほしがるかと思って。最初の本が一番面白い。
◇池澤夏樹 異国の客 集英社
      イラクの小さな橋を渡って 光文社
      花を運ぶ妹 文芸春秋
 小説では読んだものの方が少ない。
◇広瀬隆 いつも月夜とは限らない 講談社
 92年の作品。ルクセンブルグの小銀行から始まる世界金融危機。

まず「アイルランド」を読んでみたい。 ・・・・・・・・・・・・・・HOMEに返る

 

 

 



2016年9月揮発性有機化合物

2016年9月8日 21:35



ホルムアルデヒドのような化合物


「揮発性有機化合物(以下、VOC)は、たとえば、アセトンやベンゼン、ホルムアルデヒドのような化合物であり、ガスとして放出さ\れて、それを吸入 した際に短期的および長期的な健康への影響を引き起こす可能性がある。 これらは、塗料、家具、複写機やプリンター、清掃用品、さらにはドライクリーニングの服から発出することがある。
 これらの VOC を大量に吸い込むとすると、それによりシックハウス症候群を誘発される人たちがいる。シックハウス症候群になると、生産性能力が低下し、さらには、めまいや喘息、アレルギーを引き起こす可能性がある」
「研究者たちは、一般的な家庭に置かれている5種類の植物を用意し、そして、8種類の一般的な揮発性有機化合物(VOC)をテストしたところ、特定の植物が特定の化合物の吸収に優れていることがわかったのだ。たとえば、 VOC のうちのアセトンに関しては、5つの植物すべてがそれを除去することができたが、その中でも、ドラセナが最もアセトンの除去率がよく、化学物質の 94%を除去した」

In Deepさんは「今回のことからもわかることは、
「植物は、地球上に人類が登場する以前から、人類が登場した後に人類が人工的に作り出すであろう有害な化合物にまでも対処できる濾過能力を《あらかじめ》持っていた」 ということになりそうです。人類が登場してから、その能力を獲得するのでは遅いですし。 
 それにしても、たとえば、大自然の中で育っていたドラセナが「マニキュアに含まれる有害物を除去できる能力を持っている」なんていうのは、すごいことではないですかね。
植物が人類の文明の道のりを把握していたかのような錯覚さえ覚えます。 しかし、この「植物が、自然物質だけではなく、化学化合物への濾過能力を持っている」ということは、これは偶然ではないはずです。
植物(と微生物)は地球のあらゆる出現物に対しての「浄化能力」を持っているのだと思います。そして、これは、植物の持つ「人間と常に共生していく」という存在の決意の表れだとも思います」とまとめています。
 とりあえずドラセナとカネノナルキを買ってきました。カネノナルキは外側のティーカップも入れて200円です。ドラセナはおおきく広がるタイプので、100円で二つ買いました。ついでに、サボテンは育てやすいので、オプンチア、ブロンズヒメ、キンエボシも買いました。ゆっくり他のタイプのも探しましょう。今まで家の中の他人と言えばネズミたちばかりでしたので、急に友だちが増えたようです。 ・・・・・・・・・・・・・・HOMEに返る

 

 

 



烏丸通りの鞍馬口から少し上がって

2016年9月8日 22:47

陽


「陽」という喫茶店がある


 烏丸通りの鞍馬口から少し上がって紫明通りに出る前に「陽」という喫茶店がある。たぶん「はる」とか読むのだろうが自分の中で「よう」と言っていて、長年の付き合いなのにまだ確かめたことがない。
 ドアを開けると古いチェンバロがあって、視線を遮っている。右手にひとつ四人席があり、それに続いていま使っている縦型のピアノがある。コンガとかがインテリアとして置いてある。左側に四人席が六つ、ピアノと同じ側に二人席が二つの、そう大きくはない空間である。正面にカウンターがあり、奥の飾り棚には洋酒が並べてある。


 落ちついた、いいインテリアである。全体が焦げ茶に塗られた木と落ちついた縦の壁紙模様とで統一されている。窓際に大きな花がいけてある。
 手前の席に坐ってピアノのほうを見ると、世界各地からと思われる仮面が天井近くにかけてある。入り口そばのチェンバロの上の眼をぎょろりとさせた仮面はたしかインドネシアのものだ。アフリカのものや日本の仏像らしきものもある。正面の使えるピアノの上には韓国の老爺の仮面がある。その右脇には映画『モーツァルト』の舞踏会の場面に出て来た貴婦人の仮面がある。ピアノの上には、バド・パウエルやアート・ブレイキーと組んだ伝説のテナー奏者デクスター・ゴードンの大きなポスターが貼ってある。A Swingin` Affairと書いてある。
 ここは夕方六時までの営業だが、土曜日の六時半からはコンサートが開かれる。クラシックのフルートなどもあるが、ほとんどジャズである。私はまだ来たことがない。私の来る時間にはたいていほかの客はなく一人で、長いこと落ちついて本を読んでいられる。コンサートの時には人でいっぱいになるのだろう。昼飯を食いそびれていたのでBランチをもらう。ハンバーグとかにコロッケと目玉焼きにベーコンとポテトサラダとキャベツサラダがついている。コーヒーも大きなカップでくれる。わりにうまい。ここではいつも週刊朝日を読む。週刊誌はそれしかない。家の近くの翡翠は週刊文春とかプレイボーイとかポストとか現代とかおいていて、ビッグミックがないとき(人に読まれているか、もう読んだというどちらか)には覗いてみることがあるが、まあ全体にひどく下品だ。プレイボーイがややまともな記事があることがある。それに比べれば週刊朝日はまだいい。始めにも終わりにもヌードがない。ヌードは別にいやではないが報道のための週刊誌にはなくてもいいと思う。田原総一郎とか室井佑月とか嵐山光三郎とか賛否は別にして一応終わりまで読む価値はある。それから買って来た古書のチェックをする。  二日間の発送作業で体は陰気に傾いている。古本を買ってここに来ると、陰陽の平衡がいい線になっている。
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2016年9月明日のための料理です

2016年9月9日 22:48

上田淳子


作ったことのない料理を試してみて遊んでいます


明日のための料理です。何人来るか分からないのに、よくいろいろ作ると言われますが、こういう時に作ったことのない料理を試してみて遊んでいます。今回は上田淳子さんの『フランス人は三つの調理法で野菜を食べる』(誠文堂新光社)の範囲を少しアレンジしています。それと『バスク料理大全』と半々です。この二冊の素晴らしい本はまた紹介します。
◆サラダ・ニソワーズ
 いろんなニース風サラダがありますが、まぐろを入れてポテトをいれないのは初めての体験です。
◆いのししと焼野菜のサラダ
 本来豚でするのですが、せっかくイノシシがいるので、少し削ぎ切りにしてソテーさせてもらい、ごぼう、れんこん、イチジクとプルーンの干したのとでサラダにします。ごぼうもれんこんも焼き目をつけて焼いています。
◆トマトサラダ
 トマトと玉ねぎ、赤ワインビネガーとフレンチマスタードだけのシンプルなサラダです。
◆イワシのオムレツ
 これはバスク風。にんにく、玉ねぎ、緑ピーマン、パセリに頭と骨をとったイワシが入ったスパニッシュオムレツです。
◆揚げ野菜のマリネ
 ズッキーニとれんこんとかぼちゃをフライにして酢に漬けたものです。
◆イワシの衣揚げ
 イワシが安いのでつい使ってしまいます。薄力粉と卵をまぶしてフライにし、赤ピーマンを焼いて縦長の三角に切ったのを一匹ずつ乗せます。
◆馬肉のユッケ
 馬刺の刺身にする部分の切り落とし肉なので質は上乗です。これを少し叩いて、ごま油と豆板醤をまぜ、玉ねぎのスライスと大葉の上に乗せて卵黄を乗せます。
◆豚のリエット
 豚の屑肉をラードの中で一時間煮て作るのですが、今日は挽肉を使ってしまいました。玉ねぎ、せろり、にんにくのみじんが入ります。ペースト仕立てです。これにフランスパンを何切れかつけます。(鶏レバーがあるのでまぜることにした)
◆バスク風羊のラグー
 おいしい羊があるので豚とまぜていろいろな野菜を入れ、しっとりした挽肉炒めにします。これをご飯に乗せて出します。
◆焼きりんご  丸のままではなくてカットしたりんごをハニーをかけて焼きます。くるみをふりかけます。
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2016年9月気功的経験100のメニュー (最終回)

2016年9月10日 0:12

ジョンレノン


香りのある暮らし


100メニュー。最終回です。
16 香りのある暮らし
    匂いはもっとも原始的な記憶
    香りの演出に熟練してくると自分の深い部分と
    高次元の調和がとれ、気分も能力自由自在です
16-1 体調を整える自分の香り作り体験
16-2 香りのコンサート・香りによる人体刺激とヒーリングミュージック
16-3 スパイス識別コンテスト・スパイスの歴史のお話と香りあてクイズ・そしてパー
    ティ
16-4 ハーブ園で究極の方向気功体験
16-5 伝統の香道を学ぶ

17 地球の音を聴くコンサート
    人間が無理に作った音よりも
    地球が鳴る音、風と水の音が一番美しい
    自然ともっと深く出会うための音体験
17-1 森の中で風と鳥の声を聴きながら「自然を歌う」コンサート
17-2 大地に抱かれて本格派インド音楽シタールとバンソリの終夜コンサート
17-3 琉球の風にまかせて・伝統の歌新しいサウンド
17-4 太鼓の記憶を呼び覚ます縄文太鼓コンサート
17-5 地球の音、惑星の音を聴くアストロノミックコンサート

18 映像メディテーション
    人類の眼は地球がわが身をふりかえるために与えられたのだ
    美しい地球の映像、苦しんでいる地球の映像を見る時
    わたしの中で宇宙が宇宙を見つめているのがわかる
18-1 ひろがるガイアネットワークの共感の輪・「地球交響曲」を見る
18-2 かくも美しき地球・ハイビジョン環境映像特選鑑賞
18-3 自然の中の子どもたち・いま世界の伝統社会で子どもたちはどう生きているのか  
    の特選映像
18-4 イマジンをもう一度・ジョン・レノンに学ぶ良いイメージを持つことの大切さ・映
    像と討論
18-5 地球について知りたい人のための環境映像連続上映

19 気脈を通ずるためのタッチングプログラム
    手は偉大な愛の道具。ハイテク時代のハイタッチと言うけれど
    人にふれ、ふれられる具体的な体験こそが人を変える
19-1 気功按摩・ポラリティとセラピューティックタッチ体験ワークショップ
19-2 インド伝統アーユルヴェーダのオイルマッサージ体験
19-3 自然とふれあい、仲間とふれあうタッチング中心のネイチャーゲーム
19-4 足裏徹底研究・自分でできるゾーンセラピーネットワーク
19-5 イルカと一緒に泳いでみるウォーターフィットネスワークショップ

20 地球人としてのネットワークづくり体験講座
    自分が地球の神経になり
    毛細血管になることで私の癒しは完成する
    ネットワーカーとしてのメディアを持ち、場を作るための技術講座
20-1 般若心経の読経・写経・講義・討論による縁と空の思想の体得ワークショップ
20-2 地球に祈るための私の祭壇作り・私だけの手作り自然宗教と場作りの体験講座
20-3 手作り微小循環メディア・レター篇・パーソナルレターをワープロとコピー、ファ
    クシミリで作る
20-4 手作り微小循環メディア・ビデオ篇・パーソナルビデオで地球の「いま」を撮る
20-5 気脈を通す場の作り方・宴会から運動体までの総合体験講座
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2016年9月ひとりでできる気のワーク (1)

2016年9月10日 22:24

津村喬


ボディワークの欄がありました

気のワーク12ヶ月  
フェリシモのパンフレットの続きでボディワークの欄がありました。
01  イメージの力を知っていますか 
1 伸びる指
【指が長くなる・短くなる】

 自分のイメージがどんなふうにからだに影響を与えているかを知るいろいろな方法があります。誰でもすぐにやってみることのできる「伸びる指」を
ためしてみましょう。
 手首の内側に横の線がありますね。基準がないと伸びたのか手の合わせ方がずれているのかわからないので、この線を会わせることを基準にしてい
ます。もともと指の長さの違う人をのぞけば、こうして合掌してみると中指の先がほぼそろっているはずです。
 右手を軽く耳の少し上に挙げて、「右手が伸びる」とイメージします。指を上に向けていますが、別に気を入れて指を伸ばしはしません。でもそのイメージだけでもう一度手首の線を合わせて合掌すると、右手の指の方が長くなっていませんか。人によっては8ミリから一センチくらい変化しているはずです。
 左手で同じようにしてみます。両方揃いましたか。もう一度耳の上に挙げた手を下に引っ張るようにして(力を全くいれずに)「右手が短くなる」とイメージしてください。たしかめて、両手がまたそろったかどうか見てください。
 もちろん左手を長くして揃えることもできます。自在に長くしたり短くしたりできますが、その幅は自ずから限度がありますね。
 右腕を肩と水平にし、右手首を時計回りにまわして、「長くなる」とイメージしてください。同じようにできましたか。今度は時計とぎゃくまわりにまわして「短くなる」とイロージしてください。なれれば動作なしにイメージだけで変化するようになります。

 このように、自分のからだについて萎縮してイメージを持っていれば、実際にからだが萎縮してくるし、のびのびとしたイメージを持てばからだものびのびしてくるということがわかりますね
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2016年9月ひとりでできる気のワーク (2)

2016年9月12日 1:36

津村喬


イメージの力を知っていますか


02  イメージの力を知っていますか  2 上を向いて歩こう
【腕の上側をイメージすると抵抗力は強くなる】

 ひとり(A)が片腕(利き腕のほう)を肩の高さで前に出して、もうひとり(B)が手首のところを上から押し下げるようにし、Aは抵抗して上に向けて力を入れます。最初にこういう感じで力を入れてテストしてみるのですが、この後の変化をたしかめられればいいので、あまり力まかせにはしないようにします。でも一定の力は必要です。
 このとき出ている力は①頭で命令して出せる力、プラス②全身の無意識の(頭に支配されない、気に支配された)筋肉のバランスの力から成っています。意識的に同じ力を出そうと思いながら実際に出る力が変化したとしたら、それは気の力が増えたか減ったかの目安になります。気の変化を確かめるための実験です。
 Aに「イメージを挙げている手の手首側(下側)におく」ようにいいます。そして「同じように力を入れて腕が下がらないようにしてください」といいながらBが手を押し下げるとAはさっきのように力が入りません。「今度は手の甲の側(上側)にイメージを持って行ってください。入れる力は同じように」といって上から押さえると、今度はすごい力が抵抗できます。
 これはどうしたのでしょうか。わずか2,3センチの差ですが、腕の下側にイメージを持って行くと気は下がり始め、その方向に沿って下に押されるのでぜんぜん力が入らなくなるのです。上側にイメージを持って行くと気が上がって、力が増えます。「イメージしたところに気が行くことがわかります。
 頭のてっぺんや足の裏をイメージするとどうなるのか、やってみてください。「上を向いて歩こう」という歌がありましたが、上を向くと気があがり、下を向くと気が下がるのは本当です。
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2016年9月洛北日記抄

2016年9月14日

ほんやら洞


ほんやら洞

洛北日記抄

ほんやら洞

 

洛北日記抄から
2007年、京都へ移って来たばかりの時に書いた「ほんやら洞」の話である。
失われたものへのオマージュ。

ほんやら洞

 ひょんなことから左京区に住むことになったとき、まず考えたのはほんやら洞のことだった。ある夕方訪ねると、甲斐さんがいて、「いらっしゃい」といってから顔をじっと見て破顔し、「津村さんお久しぶり」と思い出してくれた。京都に知り合いは多少いるけれども、なんといってもほんやら洞だった。

ほんやら洞はかつて京都の若者文化を代表する店として知られていた。今もユニークなライヴスポットとしてあちこちに紹介されている。昨今の「カフェ」とはまったくおもむきが違う。普通の意味でしゃれていないし、きれいでもない。かといって京都の六曜社とかソワレとかの伝統的なこだわり喫茶とも違う。もちろんスタバやそのまねのチェーンとも違う。四半世紀前の「たまり場」のイメージをまだ保存しているのだ。入り口の「ほんやら洞」という手書きの文字を囲んでさまざまなポスターとかが貼ってある。300円均一の本がごっちゃに積み上げてある。最初に甲斐さんの古い写真集を買い、最近は関川夏央の読書歴みたいな本を買った。中は甲斐さんの写真集の数々だけ積み上げて売っている。珈琲やカレーも出すが、本や写真も売るのである。

右手はカウンターになっていて、左手に長いベンチが作り付けてあり,その前にテーブルがあって、向かい側の椅子も置いてある。店の壁もポスターや写真でいっぱいである。古いCDカセットからいつも70年代ふうの歌が流れている。

どこかのサイトから甲斐さんの経歴を引っ張ってくると、「1949年大分生まれ。同志社大学入学するも即除籍。1972年、岡林信康らと喫茶店ほんやら洞開店」とある。別の所には「1972年、中尾ハジメ、早川正洋らとほんやら洞オープン」とある。岡林はフォーク歌手であり、中尾はのち精華大学の学長、理事長になった。早川は東京にやはりほんやら洞(今は満月洞)を開いた人である。

ベトナム戦争の基地になっていた岩国で反戦運動をしていた人たちの人脈だという。反戦といっても、ブラカードを立ててデモをするというようなことだけでなく、戦争をしたくないという米軍脱走兵をソ連経由で中立国スゥエーデンに逃がすとかかなり真剣な動きを作っていた。ベ平連、ベトナムに平和を!市民連合の時代だ.岩国から戻って来て京都バーもそういう拠点を作ろうということになって、一種の文化センターとしてのほんやら洞ができた。岡林だけでなく、たくさんのフォーク、ロックの歌手がここで唄い、中山ラビなどは東京国分寺に自分のほんやら洞を作るまでした。「その後、高知市、東京国分寺、西荻窪,西陣にも姉妹店ができている。店名はつげ義春の作品「ほんやら洞のべんさん」から取られた。そもそもほんやら洞とは新潟県五日市地方の小正月の行事として作られる雪のかまくちのことである」

東京にいた頃西荻のほんやら洞が満月洞と名前を変えた頃にまたがって、月に一度の「津村夫妻の料理の日」というのをしていたころがある。テーマを決めてランチを作り、売り上げを店と分け合うのだ。途中まで早川が店長をしていた。満月洞の三階のスペースで気功や太極拳を教えてもいた。だからこのころも京都に来たらまずほんやら洞に顔を出したのだ。

どういう事情でか、甲斐さんが京都ほんやら洞をやっていくことになり、85年からは更に木屋町にヤポネシアン・カフェバー「八文字屋」を開いた。ヤポネシアは島尾敏雄さんが奄美の図書館長をしていた頃に日本とかジャパンという名前をやめてミクロネシアやインドネシアみたいに「島々」という意味のヤポネシアという名前にしようと言い出して、読書人には大きなインパクトを与えた。私も86人には徳之島出身で海風社という出版社をしていた作井満と組んで『月刊焼酎通信』を出した時に「ヤポネシア焼酎文化圏」を打ち出した。時代の言葉である。

甲斐さんは写真家である。たくさんの写真集を出してもいる。それだけでなく、出町周辺の普通の人々の写真を撮りまくって、河原に「あなたが写っていたら差し上げます」と人を集めたり、「八文字屋の美女たち」というタイトルでお客さんの写真をねたにしたりもする。猫を追って路地裏を撮り続けた写真集もある。写真集だけでなく文章もよく書いていて、自前のメディアも出すし、本も出す。写真家と著作家と二つの店のマスターを兼ねているのは相当なものである。2000年をすぎてからはボストン、ベルリン、ジュネーブなど海外の写真展も増えて来た。
最近はなんと『生前遺作集』というタイトルの写真集を出した。分厚い写真集で、300人を越す友人が「お別れの言葉」を乗せている。春頃体調を崩して死にそうだったというが、どうせ冗談だとまわりは受け止めている。しかし近所のガケ書房で甲斐さんの写真が貼ってあって『生前遺作集』というタイトルを見たときにはいっきり逝ってしまったのだと思わされた。京都気功会の谷口会長も京都新聞に載った記事を見てそう思ったらしく、「残念ねえ、若いのに」とまじに言っていたから、誤解したままの人も多いに違いない。あまりジョークにしても怒る人もいるだろうから新聞記者にはしんみりして見せたに違いないが、二つの店のやりくりで相当新郎があるのは間違いない。

カレーと定食をもらった。話すうちに二階で気功をやりませんかと言ってくれた。二階は20人くらいが坐れるミーティングルームになっている。7,8人くらいならテーブルの周りに立ってもできる。なんと会場費は要らないという。参加する人が何か一品取ればいい。さっそく隔週の「ほんやら洞の気功の日」の企画を立てた。京都気功会の会場に遠く、また階層が違うので邪魔し合うことはないだろう.それから何回かしてみて、ある時は五六人、ある時は二三人という程度だが、まあ順調に始まっている。

二階がその貸し会場なのだが、甲斐さんの本が積み上げてある。私の借家が小さくなって入らない本棚が何本かあるので、もらってもらった。この二階にいて本に囲まれていると、大部分呼んだことのない本だし、すでに読んだ本ばかりのわが家にいるのとはまた違った幸福感である。ここに通って、片づけながら、毎日本をと って読めたらさぞ幸福だろうと思う。


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2016年9月洛北日記抄 (1)

2016年9月12日 18:06

久保田万太郎


左京区に住んでいた時の雑文集

洛北日記抄から
左京区に住んでいた時の雑文集です。


寒おすな

   湯どうふや
   持薬の酒の いち二杯
というのは久保田万太郎の俳句である。万太郎の俳句や川柳やちょいとした歌詞に、山田抄太郎が小唄の節をつけて弾いているのだが、そのレコードを
母から譲り受けて、すり切れるほど聞いた一枚になっている。「いち二杯」のあとに雪の合方が入って、聞いている方は背筋が寒くなってぞくぞくつとしてくる。そこへ玄関があいて「寒おすな」の台詞が入る。唄なら歌えないことはないがこり台詞が素人には難しい。母親が晩年に私に仕込もうとして中途半端に終わった一曲である。
 「寒おすな」というのはむろん京ことばであるから、祇園であれ島原であれ芸者を連想させる。おそらく独酌して待っている所に、玄関か襖か開けてこう挨拶したのである。酒が持薬というのは、もう色事でもあるまいという年寄った旦那が昔の馴染みに会いに来たのか,とにかく体調も思うに任せない、情けない状態だが、かといって医者の言う通りにする気などさらさらなく、持薬は酒だと開き直っている。それでも「いち二本」ではなく「いち二杯」にしておく分別は残っている。その情景の中心にあるのが「湯どうふ」である。しみじみと淡味を味わっている。味付けといえば生醤油にかつおとねぎ、生姜だけ、うき加減だけがこつである。もう浮き浮きもせず、枯れてもいない気持ちが湯どうふに重なっている。
 雪の合方というのは、ワグナーのライトモティーフのように、ある旋律が流れたらこの情景を連想しなさいという約束事のつきまとうメロディのことである。そんなにたくさんはないが「雪」と「虫」「佃」(隅田川下流の水音)くらいは誰でも知っている。「千鳥」もあり、「楽の合方」と呼ばれるものもある。雪だから湯豆腐がありがたい、ということは文字の中には一言も出て来ないが、雪の合方がはさまると、そうか、外はしんしんと降っているんだなといやでも伝わってくる。佃の方はある程度写実的だが雪は本来音がするわけではないから、「雪の音を弾く」というのはもともと無理難題であるが、約束事を知ってしまえば考えるまでもなく、これこそが「雪の音」である。
 母の晩年にひとしきり三味線を習って、当時つきあいのできたばかりの、俳優からヨガ指導に転じつつあった岡島治夫[瑞徳]とか演出家の江口正彦とかをさそって、遊び半分で教わっていた時に、母はこの六左右衛門と万太郎の唄をいくつも教えた。どうせ本格的に小唄の道を進むわけでもあるまいし、宴会で二つ三つ疲労するならわかりやすいものをという気持ちもあったと思うが、母自身が、従来の小唄らしさの枠を突き破ったとも言えるこのしゃれた、シャンソンにも似た響きを持つ小品に惚れ込んでいたのだと思う。それに母が中央公論の現役時代、万太郎は担当の一人であって、どてらを引き?ぐように進まない原稿を剥ぎ取って来たものだった。万太郎の原稿用紙の使い方は独特で、一マスに点ひとつ入れ、「・・・」で改行してしまう。「と」で一行稼ぐ。空白の部分等も原稿料は払われるから、ずいぶん効率のいい物書きだったと母は笑って話したことがある。
 「湯どうふや」ならば俳句とも言えるが、万太郎が山田と組んで作った中には、冗談としか言えないものもあった。
    白鷺のいうことにゃ
    鶴や亀の子が この世になけりゃ
    おらや すっぽんなんぞが
    島台に乗るであろ

というのはひかみ根性を堂々と歌ってかえって嫌味のない境地に達している。すっぽんは古代中国には亀より珍重された時代があるが,今はなるほど亀に似て亀より栄養はあるがシンボリックな品格は及ばないとされている。白崎も優雅なものだが、鶴の神秘性はない。あいつがいなきゃおれが課長なのに、とか、私こそ舞の一番手になれるのにと密かに思っているのを白鷺の嫉妬として言い当てられると、かえってふつと解放感を覚えて、わが身も一緒に笑える、そういう歌詞である。
 島台というとお茶の初釜の重ね茶碗を思い浮かべる方も多かろうが、ここでいうのは婚礼などの飾りに使う松や富士山があって鶴と亀がいる台のことである。ひな祭りの三人官女の真ん中の女性が持っているのが三宝でなければ島台で、蓬莱を乗せている。折口信夫の「日本美」という文章にこの島台が出てくる。
 「婚礼のとき、坐式に島台を飾っておきます。高砂の尉と姥の飾り付けをしたこの島台は何かと申しますとこれが宴会の花と同じことなのです。島台のことを古くは洲浜(スハマ)と言っています。水の流れて寄つている洲のことで、島台の形に何かうね?した波の寄る砂浜の様子が見えてゐるからかう言ふのでせう。京都の古風なお菓子に《洲浜》というのがあることはご存知でせう。さういふ川の砂浜の様子をかたどつた台の上に、いろいろなものを飾つたものです。人形を飾ることも、植物を飾ることもあります。さういふ動物・植物をのせて宴会の席に飾る訳で、江戸時代の中頃までは、正式な宴会の絵を見ると屋敷の中心に洲浜が飾つてありますし、又、舟遊山の時にも洲浜の据ゑてあるのが描いてあります。普通は草の花木の枝を飾り、場合によると人形を飾ります。で、つまり婚礼ばかりでなく、宴会の時にも飾ったので、これを飾るのはそれを目当てにしてお客が来られるように飾つておく訳なのです。また神が天から降りて来られるとき、村里には如何にも目に付く様に花が立てられて居り、そこを目印として降りて来られるのです」
 もうひとつ、覚えているうちから戯れ唄を。
    いい顔は 人に迷惑かける顔
    いい声は 人にめいわくかける声
    いい人は 迷惑かける人
    さりとて まずけりゃ なお困る
 自分が横恋慕したくなるような美女を思い出して、困ったものだとうなずく。これを唄っている人も、ああいい声だな、迷惑なと思う。しかし人に迷
惑かけるいい人ってどんな人じゃいと思いかけての落ちである。そりゃそうだと笑いが出る。自分の身勝手が笑える形で差し出されるのである。
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2016年9月洛北日記抄 (2)

2016年2016年09年14日 1:40

豆餅


左京区に住んでいた時の雑文集


洛北日記抄
左京区に住んでいた時の雑文集です。


豆餅

洛北のうまいものといえば、ふたばの豆餅はまず筆頭の部類に属する。滋賀にいた頃から月に一度は京都気功会に通っていて出町を通るので、そのたびに寄ってみるが、夕方には終わっていて、なかなか手に入ることがなかった。たまに昼間に来て、そうだ、ふたばに並んでみようと言う時間の余裕のある時にはその機会を逃すことがなかった。京都にさまざまにある上品な和菓子もうまいとは思うが、自分から食べたいといつも思うのは大福である。それもできれば赤豌豆の入った豆大福がいい。東京駅で売っている銀座の「あけぼの」の豆大福もうまいとは思うが、ふたばのほうがあっさりしていて、いつまでも食べていたい危険な雰囲気である。それでもそれに理の抑制は利いていて、生徒さんや遠来の客に食べさせようという以外は、二つ以上買う時はないが。
 ふたばはいつも行列ができている.少ない時でも四五人はいるし、四五十人というのも度々見かけた。かつては出町橋を越えて並んだこともあったという。今はいくつかのデパートとかでも手に入る様になったから、極端なことはないが、それでも並ばずに買ったことはない。普通「大福」というが、ここでは「豆餅」と呼んでいる。それも豆だけの餡が入らないのと、餡入りと、両方ある。いつ行っても「餡なしの豆餅は売り切れです」という小さな看板が出ていて、客のほうは「よし、いつか食べてやる」と思わせられることになっている。私はそれに気づいてから四年目くらいにやっと味わった。餡入りもうまいが、こちらのほうが上等かも知れない。それを客の欲しがるだけ作らないというのも、商売のこつなのだろうか。
 ネットの語源辞典に大福の由来があった。古くは丸い形から鶯餅とよばれていたらしい。同じ理由で、またそれだけで腹いっぱいになるということで「腹太餅」(はらふともち)とも呼ばれた。そのころはもっと大きく、また砂糖が貴重品だったので薄い塩だけで味をつけたものだったらしい。明和八年(1771年)に江戸の小石川箪笥町のおたよという女性がこれを小さくして砂糖を入れ、「大腹餅」と名付けて売った。麻婆豆腐は陳さんという後家さんの発明といわれて未だに「陳麻婆豆腐」が発祥の名店として知られるが、このおたよさんも後家さんだった。腹が膨れるというのは当時はマイナスイメージはなかったようだが、のちに幸福になるという価値観につなげて大福餅になった。寛政の頃には夜大福を売り歩くのが流行して、寒い夜には火鉢で焼くのが風物になったという。ふたばの大福を硬くなるまで放置しておいた経験はないが、そのへんのコンビニで買ったりしたら、まずはあぶったほうがおいしい。
 ふたばでは豆を強調して豆餅というが、普通はこの形状のものを大福と呼んでいる、と思っていた。しかし知らなかったのだが、ふたばでは餡入りの豆餅と餡無しの丸餅のほかに、つぶあんのはいったものを大福と呼んで売っているのだという。豆餅と言っているのはこし餡で、量も少ない。質量ともに自己主張が強すぎないようにしている。つぶあんの大福の方は持ちよりも餡が主役ということらしい。
 出町ふたばは明治32年にこの場所で創業している。初代は石川県の出身である。京都ではなぜか石川県出身の銭湯創業者が多いと聞いたが菓子屋もそうとは知らなかった。石川では粽のように神様へのお供えとして作られていたものを売り出してみた。砂糖というのは特に田舎では貴重品だったが、京都では贅沢に使われていた。小豆に塩味を効かせた石川の餅は、甘い菓子に慣れていた京都っ子にかえって歓迎された、ということらしい。いまの飽食の北京で最も貧しい黒龍江の田舎料理がブームになるようなものかも知れない。
 で町という場所の特性もあった。もともと町の出入り口という意味である。京都の北の出入り口に当たり、大原女が薪を売りにくるなど往来が多かった。歩きながら食べたいという人にも対応できるよう、一個二個の客にも喜んで売ったのが、箱単位で売っていた以前の和菓子屋との差別化にもなったらしい。今は店で一日1000個、自分の店以外でもう1000個売れているという。四人で一時間に200個作るのが限度というから六人いれば七時間労働で少し休憩もできる,と想像すると、なかなか大変な労働である。餅作りは器械にさせて、餡を包む所を職人芸でしているらしい。
 豆餅は赤豌豆を塩煮したものを餅に混ぜ込んでいる。これが豆餅にコクと奥行きを与えている。食べつけると豆の入らない大福がいかにも頼りなくなる。真夏に赤豌豆の天日干しを総出でするが、急な雨があったりしたら一年分を駄目にしてしまう。一番気を使う所だ。ふつう使われている赤豌豆は二分四厘のもので、ふたばもそれを使っていたが、数年前から二分六厘のを使うことになったと言う。昔のスタイルを守りながら、微妙な改良を加えて行く姿勢が京都らしい。
 大福と言えば最近の話題は「いちご大福」ばかりである。餡と苺を取り合わせるというシュールな発想が20年かけて定着した。1985年に新宿の大角が売り出したのが最初だとは全国菓子業者組合も認めているが、いやうちが本家だ、うちが発祥だという声も絶えない。まねをしたのか、同時多発と理解すべきなのか、判然としないが、86年からいっせいに各地で登場してくる。大角は粒餡に苺だが、前橋の金内屋の小倉餡に苺、津のとらやの白餡に苺、新宿のふじ乃はストロベリー餡に苺と少しずつ違っていて、それぞれ元祖を名乗っておかしくなさそうだ。むろんあちこちで食べた経験があるが、どうも一度も感心したことがないところを見ると、好きなものとはいえない。こうした変わり大福には栗大福、オレンジ大福、ピーチ大福、メロン大福、ブルーベリー大福、梅大福、コーヒー大福、カフェオレ大福、マロンクリームのモンブラン大福、プリン大福、ティラミス大福などがあるが、どうも大福にしないで食べたほうがおいしそうなものばかりだ。よもぎを入れた草大福くらいまではつきあう気力はあるが、それ以上は想像しただけで胸がいっぱいになりそうだ。
 伝統のある物に工夫して革新を加えることがすべて悪いということはない。しかし長く続いて来たものの文化としての品格を落とさずに改良を加えたり新機軸を打ち出したりというのはなかなか容易なことではなく、ひとりよがりになりやすい。図書館で借りて来た邦楽CDの中に一流の端唄や新内のアーティストにコロンビアオーケストラのストリングスなどのまったく余計な伴奏をつけたのがあって吐きそうになったが、モンブラン大福やティラミス大福もそんな感じである。せっかく京都に住んだのだから,年に何度かでもふたばの豆餅があればもういい,という気分だ。
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2016年9月迷いに迷ったあげく

2016年2016年9月14日12:00

津村喬


MacBookproを買った


今日は迷いに迷ったあげく、MacBookproを買った。Macがよく揃っている円町のエディオンである。今はメインの器械はマックの大型のデスクトップを使っているが、旅に出たりという時は最近ではとくにacerの安い器械を使っていた。Windowsの10いくつか知らないが、遅くて変換がアホで使い物にならない。やはりMacを持ち歩きたいと切実に思い、多少余裕ができるたびにどうしようかと迷って来た。ここ何年来の悩みだった。Macのラップトップはもう10台目を越えている。ハードな使い方をしているから故障も出やすく、そのままになっていたりする。一度などはエストニアでベッドで仕事していて、うっかりベッドから落としてブラックアウトしてしまった。相談に行った先で二万台のacerを勧められて、ついにWindowsに膝を屈した。そのあとVaioを買ってみたりして、いろいろ揺れ動いた。acerもVaioもIという店の名前のついた激安のコンピュータも使いにくかった。Macはほとんど値引きしない。こんな安い値段で手に入るならとWindowsマシーンに浮気して、この四五年いいことは何もなかった。 ついに決断した。10回払いとかにすればそう心配しないで手に入ることが分かった。Macのラインナップの中では一番安い。 ついでに、今使っているMacのためのDVD作成の機械が壊れているので、それを買った。これでDVD,CDの制作ができる。MacBookProにはDVDの装置が内蔵されている。
もうひとつ、かばんに入る小さなプリンタを買った。小さいがA4が印刷できる。天満橋のエディオンでは「そんなものは出ていません」と言われて来たものだ。うちのプリンタはCanonで共通にした方がいいのだが、Epsonの器械のほうが断然小さくなるので、やむなくこれにした。これで中国に行ってもフィンランドエストニアに行っても印刷物を配ることができる。
三つで少しずつ値引きしてもらって、16万、月に1万6000円である。 さて、機動力が大幅アップした所で、どんな大仕事に取り組もうか。 ・・・・・・・・・・・・・・HOMEに返る

 

 

 



2016年9月二条城駅前の立命館の七階

2016年9月14日 12:30

tawawa


Tawawaというレストランがある


二条城駅前の立命館の大学院のビルの七階にTawawaというレストランがある。ネットで見ていてなかなかおいしそうなので、ちょっと行って見た。昼は1300円で食べ放題。ほかにメインコースは鶏とかハモのいずれも洋風料理から選べる。90分取り放題のランチサラダバーは上賀茂の八百屋さんが地場野菜を組織してのメニューで、生野菜丸かじりのホールスタイルから、さまざまな野菜サラダ、煮野菜、ひじき、自家製豆腐の奴仕立て、等の中から何度でも選べる。一回きりなのはメインコースだけ。あとは自家製パンとかあれこれドリンクとか。「野菜にやさいをかける」というコンセプトで、多様なドレッシングも野菜からできている。制限時間90分。一人だと細々した野菜料理の手抜きをしやすい。野菜不足を感じたら行ってみたらいい。
夜も来てみたい。夜はさらに充実したメインコースの他二十品食べ放題で1500円だ。
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2015-16フィンランド洛北日記抄 (3)

2016年9月15日 4:36

銭湯


左京区の銭湯

 

洛北日記抄


左京区の銭湯

 わが家には小さいながら明るい光の差し込む快適な風呂場がついているのだが、銭湯に通うというのはまた格別のことである。心斎橋の清水湯の主人がどこかで「自宅の風呂はインスタントコーヒーみたいなもの、銭湯はコーヒー専門店のプロの味と思って欲しい」と話しているのを見た記憶があるが、団地の決まったパターンの最小限度の風呂に入っている人はしぶしぶなりとも認めざるを得まい。清水湯ほど充実していて銭湯料金ならば、聞いていて嫌みな感じはない。地下水もラドンもごちそうで、家庭の風呂では望めない。あ、記憶が定かでないがラドンとサウナは追加料金だったかも知れない。
 追加のない銭湯でも京都では390円するから[2007年頃の値段。以下同]そう毎日というわけにはいかない。二人で二十日通ったら15000円は越えてしまう。それなりに時間も食うから、ある程度気持ちの余裕がないと行けない。草津ではスーパー銭湯には行っても普通の銭湯に余り行かなかったから、この銭湯料金というのが自治体ごとに違うというのを知らなかった。調べてみたら東京と神奈川は430円、千葉は420円でこれが全国で一番高い。一番安いのは佐賀で280円、二番目は宮崎の300円である。
 外部の人間として京都に来ていた時は、三条寺町の桜湯と五条大宮の五色湯くらいしか知らなかった。左京区に住んでまず考えたことは、左京区にあるラーメン屋を全部調査したいということと、すべての銭湯に入ってやろうということだった。なにしろラーメン激戦区なのだそうだ。そして京大の学生さんのせいもあって、銭湯が一番多い区なのだそうだ。
 昭和30年代に600軒あった京都の銭湯は、今や280軒になっている。年に10軒ずつきえていったころもあったが、今は少し歯止めがかかってきた。風呂に「専門店の味」を求め始め、銭湯の方もそれなりの自覚をして設備投資をするようになったためだ。内プロのない貧乏人が行くだけでなしに、多少とも気持ちの贅沢をしたい人が行くようになった。

 京都府講習浴場環境衛生同業組合の公式サイトというのがあって、そこから左京区の地図を開くと銭湯の所在地がわかる。地図には32カ所載っているが、そのうち8カ所はここ数年でつぶれたらしく、地図はそのままだが一覧表には24しかない。越して来て二ヶ月ほどの間にそのうち七つほど行って見た。
 最初に行ったのが銀閣寺湯である。東京の古い銭湯によくある丸くカーヴした屋根とかはこちらではあまり見かけないが、銀閣寺湯は門構えも屋根も立派な方で、十分レトロである。小さな湯船、サウナは五名程度、赤茶色の漢方風呂があるがこれも定員一名か? ジェットバスには金属管の水枕が付いていて快適だ。
 小さくくぎっていろいろあると、なるほど日本の縮み志向、幕の内文化だわてと思ってしまう。ちまちまと小さな風呂に入って変化を楽しむのはきらいではないけれども。
 それから家に一番近い大黒湯に行った。ここは路地の奥なのになかなか広く、熱めの浴槽もぬるいほうが大きい。ドライサウナとスチームサウナがあるのが特色だ。ドライサウナというのは一応「フィンランド式」である。一応というのは本物とはずいぶん違っているという意味で、ストーブに水をかけて蒸気を立たせてたのと無のが本来だが、日本では同じフィンランド輸入のストーブを使っている場合でもなぜか水をかけるのを禁じているので、火と水の対話もなしにじっとがまんの子でいないとならない。また一般に温度が高すぎるし、密閉しているので息苦しい。フィンランドのサウナはドアの下が開いていていつでも空気が流れているし、80度前後で、日本の銭湯のサウナのように厚くしていたら趣味を疑われる。

 蒸気のサウナはいわゆる「ローマ風呂」だが、京都で言ったら釜風呂のようなものとも言える。ドライサウナより厚く息苦しい感じがなれないとあるが、実際の温度は50度もない。「普通のサウナと違い心臓に負担はない」と書いてあるのがご愛嬌で、隣には入るなとしか読めない。
 銀閣寺湯の前の川沿いの道を10分あまり歩いて探すと、路地の奥に銀水湯がある。大文字山に登る道の少し下である。なかなかフリの客がここまでは来ないだろうと思うが、学生も多く外人も入っている。サウナはトルマリンのマイナスイオン効果があるとか水は軟水でお肌すべすべとか、いろいろ工夫しているが、サウナにテレビがあるのは日本式で、折角の機会に瞑想できないようになっている。テレビがあるだけで、サウナは自分との対話の場所でなく、じっと我慢をしながら閑をつぶす場所になってしまうのだ。
 鈴成湯は修学院駅の近くで、うちからは大黒湯についで近い。サウナが中二階、水風呂が中地階になっていてそれぞれ広い。サウナが隅々まで磨いている感じで日本の銭湯サウナにありがちのこもった匂いがない。経営者がサウナ好きとわかる。薬湯も黒く濁った漢方湯でなかなか快適。震災前まで夙川にあった漢方湯を思い出した。鈴成湯は鈴成荘というすごく古いアパートと一緒にやっているらしく、そこが駐車場に指定されていた。風呂大込みの家賃なのだろうかと余計なことが気になった。

 下鴨神社の西側の一角で葵湯とか相生湯というのを車でぐるぐると探したがみつからなかった。一軒だけニューいなり湯というのが目立っていて,そこに入った.道を隔てて駐車場があるのがありがたい。きいてみると葵湯も相生湯もここ数年で廃業したという。ニューイナリ湯は平成元年に建て直して生き残りを図った。一階が女性二階が男性になっていて、洗い場も28席あり、かなり広い。低温、高温、ジェット、薬湯(ローズヒップ)、電気、打たせ湯、サウナ、水風呂と一そろい。電気というのは湯の中に体が震えるほどの電流を通していて、余り楽しんだことはない。東京では知らなかったから、京都だけだろうか。西日本ということだろうか。
 サウナを低温に設定して中で自己マッサージとか簡単な運動をしたらこれほど気持ちのいいことはないし、効果もとても大きい。一人ではいつでもしているが,サウナの中で使える耐熱耐水の下履き程度の、見ただけでできる気功のテキストでもあったらいいのにと思ってしまう
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2015-16フィンランドひとりでできる気のワーク (5)

2016年9月16日 1:25

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スワイショウをしてみる


05  ひとりでできる気のワーク   
5 スワイショウをしてみる

【前後のスワイショウ】

 二人でする気の実験が続いたので、ひとりで気功的な気分をあじわってみるやさしい方法を紹介しましょう。  足を肩幅に開いて、両手を揃えてぶらぶらと前後に振るのです。余り大きな動作でなく、前に行ったときも指先がへそよりは上がらない程度です。肩、肘、手首を脱力して、楽にやります。だんだん振り子のように自分で動いて行く感じが出てきます。
 早すぎもおそすぎもしないで、大体1.2秒に一往復くらいの速度で続けます。ひたすら立って、腕を前後に振って行くだけの簡単な方法です。こういう腕を脱力してやるさまざまなやりかたを総称して「スワイショウ」といいますが、中でも一番やりやすいのがこの前後に振る方法です。標準で2000回ほど、40分前後続けます。もちろんそれだけしないとだめということではなくて、五分でも10分で有効です。

 肩がほぐれて温かくなり、なめらかな動きになってくると、まず心臓の裏が楽になってきます。肩甲骨の間がほぐれて血行がよくなると、心臓から頭に楽に血が上がるようになり、頭で使った血も下りやすくなるので、胸が楽になり、同時に頭がすつきりしてきます。肩の前側の鎖骨の周辺がほぐれると、呼吸も深くなり、胃腸も活発になり始めます。簡単な動きが全身にいい影響をおよぼします。
 しかし何と言っても脳が独特の深い安静状態になるのが魅力です。ぜひためしてみてください。これだけでもう立派な気功法です。
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2015-16フィンランドスワイショウはなにやら究極の秘法

2016年9月17日 2:37

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ネットで評判になっているようですね。


スワイショウはなにやら究極の秘法としてネットで評判になっているようですね。もともとひねり系統と前後系統のスワイショウがあるのですが、ひねりのスワイショウを二本で最初に紹介したのは楊名時さんです。楊さんの八段錦は焦国瑞の八段錦の焼き直しですから、一緒に焦さんから習ったもののように思いますが、それについて本人は私の知る限りは語っていないようです。でも初期から晩年まで、スワイショウ、八段錦、原則についてのお話を一つ、24式太極拳、というパターンをずっと崩さずに守ったのは頑固というか一徹というか、すごいものです。
前後のスワイショウは台湾から早島正雄さんが仕入れて来たものです。初期の著作では普通に紹介していましたが、あとの本では紹介しなくなって、「ン十万で教える秘法」としてセミナーを開くようになりました。私はむろん本代だけで習いました。

私は70年代からこの二つの方法を私流にまとめて指導してきましたが、1985年7月『気功精選続編』が出版されたとき、上海の太極拳指導者というか、楊澄甫の太極拳のイラストを描いた人として有名な周元龍の「用手」を見つけてすぐに訳しました。ほかにも気功雑誌に多くのスワイショウ論が載っていますが、ほとんどがこの一部分のパクリです。ここでは前後のスワイショウだけが取り上げられていますが、普通の「前七後三」のスワイショウが「太極」、数も数えない動作もコントロールしないで前後に揺れてもいい揺れなくてもいいというのが「無極」、「前七後三」と「前三後七」を皇后に繰り返して行くものを「皇極」といいます。 それを改めて2000年の『気功文化』一号にも掲載しました。それが十数年を経て次第にひろがっているようです。私にとっては1975年前後から、ほとんどすべての教室を二つのスワイショウから始めて来ました。1995年の阪神大震災以来、立ってやる時はスワイショウもやるが、坐ってする時は基本は背骨ゆらしからするという方法に変わっていきました。
スワイショウは中国では「やり過ぎて倒れた人がいるそうだ」という噂で一時ほとんどやられなくなりましたが、一部ではずっと続けられています。むろん病気を治したい一心で六時間して倒れたおばあさんのやりかたが違っているので。スワイショウは10分から初めてせいぜい30分で収功します。ランニングハイに近い状態になり、もっともいい状態で打ち切ることが大切です。ネットで中途半端に情報が流通しているので、その由来と注意点を書きました。
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2015-16フィンランド洛北日記抄 (4)

2016年9月18日 11:26

山端

叡電・異界への鉄路


 


洛北日記抄から


叡電・異界への鉄路

 車を使うことが多かったから、叡電に乗ることなどほとんどない。宝ケ池の無人電停までは五分もかからないから、便利だ。出町まで行って京阪に乗り換えると、そのまま淀屋橋まで行ける。また三条で地下鉄東西線に乗り継ぐと、そのまま浜大津、坂本、石山寺につながっている。もっともこれは京阪のネットワークで、もともと叡電もその一部だったはずだが、昭和60年から独立したらしい。
 叡電というのは要するに比叡電鉄の略である。出町から比叡山の登り口の八瀬まであり、宝ケ池で別れて岩倉、精華大学を経て貴船口、鞍馬までつながる。八瀬からはケーブルカーとロープウェイをつないで延暦寺まで上がれる。名前の通り、比叡に上がるための電車だったのである。ケーブルカー、ローブウェイと比叡電鉄の出町・八瀬間は大正14年に一緒にできている。昭和2年に鞍馬電気鉄道ができ、3年に宝ケ池と市原間ができ、4年に市原と鞍馬の間ができた。当時は宝ケ池駅は山端駅といつた。
 わが家の[2007年頃の]住所は山端大塚町である。「やまばな」と読むのを知らないで、最初は「やまはた」とか「やまはし」とか言っていた。近くに「山ばな」という料亭があって、その看板で読み方を知った。この料亭を「ちょっといい店じゃん」とか言い合っていたが、普通の会席が二万円、昼の山掛けご飯が4000円というのではいささか近寄りがたい。
 出町というのはもともと「ここから町を出て郊外になる」という意味らしい。出町橋のたもとには「鯖街道口」の石碑がある。鉄道のない頃、若狭の小浜で上がった鯖に浜塩をして京都まで運ぶとちょうどよく塩が回っているというので、鯖寿司に喜ばれた。実は私はこれを飛脚のように歩いてみようと思い立って、小浜に一泊して明け方から歩いたことがある。さばを運んで味を見たかったのだが、その日はなんと揚がらず、しかたなく焼き鯖を運んだ。これでは実験の意味はない。もっとも朝六時過ぎから歩いて、23時間くらい歩いても着かず、相当よれよれになって、花瀬で止まってくれた車にさからわず乗って三条まで送ってもらい、サウナで寝たという次第だったから、飛脚のように歩き通してはいないのである。飛脚はすぐ折り返して小浜に帰る訳だから、体力のケタが違う。このあたりの敗北記は『風土食の発見』に書いている。

 比叡はいつも滋賀側から上がって、こちらからは上がったことがない。八瀬の釜風呂は有名で、サウナ好きとしてはぜひ体験しておきたいが、風呂だけが独立してあるのではなく、宿泊とか料理とかでないとはいれないので、これもいつか余裕のある時にということになってしまう。釜風呂をまねたスーパー銭湯くらいで我慢しないといけない。
 貴船口は貴船神社の入り口であり、鞍馬は鞍馬神社への登り口である。大分前に焦国瑞先生の合宿を鞍馬でしたことがあり、何日か泊まった。そのとき奥の院へ行きそびれて、あとから一人で来た記憶がある。
 鞍馬神社は独特の雰囲気がある。人類をはじめすべての生き物を生かしている根源の気(宇宙生命)を尊天として信奉し、ひとりひとりが尊天と合一するために、自己のうちなる尊天に目覚め、与えられた生命を輝かせながら、明るく正しく強く行きて行くことを目標とする。とすればそれは気功そのものではないか。だが具体的な功法なり修行法なりというものはない。
 尊天は愛と光と力となって働き、それが千手観音菩薩(月の精霊)と毘沙門天王(太陽の精霊)と護法魔王尊(地球の精霊)の三尊の姿で表わされる。この宇宙の大霊、大光明、大活動体である三位一体の尊天を教義上に確立し、千二百年にわたる鞍馬寺の歴史を踏まえて昭和二十年十月に鞍馬弘教が立教開宗された。歴史上では天台から真言になり、また天台になり、今は伝統宗教を越えた立場と言えるが、「650万年前、護法魔王尊(サナート・クマラ)が金星より地球の霊王として降臨した」というところが妖しくて面白い。

 貴船神社の方は神社のホームページから引くと、「第18代の反正天皇の御代(1600年ほど前)のご創建といわれています。難波の津に黄色い船に乗った女の神様が現れ、『我は玉依姫なり、この船のとどまる所に社殿を建てて、そこの神様を大事にお祀りすれば国土を潤し、庶民に福運を与えん』とのお告げがあり、その船は淀川、鴨川をさかのぼって水源の地奥宮あたりの川のそばから水の湧き出る所に船を留め、そこにご社殿を建てたと伝えられています」とあり、この黄色い船が貴船になったらしい。水源地である所からの水の神様であることは天河とよく似ている。京都の奥座敷であるために朝廷との縁も深く、日照りや長雨の時には朝廷から勅使が来て儀式をしたらしい。
 左京区の区役所に行った時に、鞍馬の火祭りとかあれこれ紹介するビデオが流れていて、けっこう長時間引きつけられてしまった。今年はいこうと思っているうちに気がつくと10月22日は過ぎてしまった。叡電が沿線の紅葉をライトアップしていて、それも最終日に気づいたので、夕飯の途中で近くの宝ケ池まで行って乗ってみた。精華大を過ぎた頃から社内の灯りを消して、外のライトアップされた紅葉を見る。そのために作られた外向きの座席がある車両である。紅葉のトンネルの幻想の何分かだった。貴船口で神社に行くバスがあったが、帰りは徒歩で帰らないといけないというので、そのままもう一度「ライトアップ最終」で帰った。

 時間にすればわずかなものだが、往復で700いくらかかった。叡電は刊行電車なので割高で沿線の人が毎日使っていたらつらかろう。六甲山に住んでケーブルカーで高校に通うようなものである。ただ身近な所に「異界」につながる電車があることがわくわくさせる。 
 わが家は踏切まで数十メートルなので、夜間や早朝はちんちんという警報とがたんごとんという電車の音が響いてくる。うるさいかと思ったが、これがなかなか風情がいい。ぼっとして聞いていると宮沢賢治の軽便鉄道のシグナルとシグナレスの世界に連れて行かれそうだ。叡電は、乗るよりも聴いたほうがいい。
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2015-16フィンランドひとりでできる気のワーク (6)

2016年9月19日 1:47

サボテン


ゆすりと気の体感

 


06  ひとりでできる気のワーク   
6 ゆすりと気の体感
【全身を揺する・首を垂らして揺する・手首を振る・気の体感】
 足を肩幅に開いて立って、膝から全身を上下に揺すります。あまり早くても疲れてしまうし、遅すぎてもリズムがとれません。自然にボールがはずむように気持ちいい速度でゆすります。だんだん全身がリズムに乗ってくると、そうやって揺れていること自体が快感になってきます。自分が存在であるより、波動であるという感じがしてきます。
 首を前に倒して揺すると背筋と首が伸びて、だんだんにゆるんでくるのがわかります。首を後ろにあずけたり、左右の方に載せるようにして揺すってもいいです。
 膝からの動きに乗せて、手首を振ってみます。肘から先を全部脱力してやります。ワープロやバソコンの作業を長時間すると、肩腕が疲労するだけでなく、キーボードからの微弱電流が全身的な疲労をもたらします。こうして手を振ることでかなりの回復が可能で す。
 しばらく強く手を振ってから止めて胸の前で向かい合わせて掌を近寄せたり離したりしてみると、あいだに何かあるような気がしてきます。両手を少しずつずらして回してみると、磁石を持っているような気がしてきます。
 ビストルごっこのように右手の二本指を伸ばして左手の掌に少し離して向けると、何か風か光か電気のような物が当たっているのがわかります。右手を動かすとその感覚も動くのがわかります。手を振ったことで掌や指の血行がよくなり、ツボが開いて、ふだん感じにくい気を感ずるようになったのです。気を出す、というようなことは難しいことではありません
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2015-16フィンランド気と場の勉強会〜五禽戯特別講習

2016年9月19日 4:42

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「馬鹿になってみる」お料理での宴会


【セミナータイトル】気と場の勉強会〜五禽戯特別講習と「馬鹿になってみる」お料理での宴会〜
【日時】2016年9月24日 11:00 - 17:00
【当日天気予報】 · 17~22° 雨

【主催】 れんげ舎檜原BASE
〒1900211 東京都 西多摩郡檜原村2810-8
【基本データ】
ディスカッション
投稿する画像/動画を追加アンケートを作成

詳細
「気と場の勉強会」は、れんげ舎のメンバーが、津村喬さんを招いて、自分たちのために開いている勉強会です。一般の方もご参加になれます。

気功の体験だけでなく、津村さんのお話は他ではなかなか聞くことの出来ない、とても興味深く貴重なお話です。初めての方もどうぞお気軽にご参加ください。

今回は11時にスタートし、17時までじっくりと気功に取り組みます。恒例の津村さんお手製のお料理での宴会は17時30分頃スタートを予定しております。いつもより長い時間での開催になりますので、気功講習のみの参加でももちろんOKです!

【今回の気功講習の内容】
「熊になったり、鶴になったり 五禽戯特別講習」

 2,000年前の華佗が作ったといわれる動物模倣の体系があって、五禽戯と呼ばれています。虎、鹿、熊、猿、鶴の五つの動物です。儒教はキリスト教徒と似たところがあって、生命の中で人間だけを特別のものと考えている所がありますが、道教はむしろ時間をさかのぼって、大人が赤ちゃんの振りをしたり,都会人が農作業を真似たり、人間が樹木や動物の真似をします。私の親を真似てルーツを確かめるということをずっとさかのぼって行くと、ネアンデルタール人を真似たり、オランウータンを真似たり、恐竜を真似たり、結局のところ宇宙の誕生にまでたどりつくことになります。「先祖をまねて、先祖の体験をしてみる」というのが道教の方法です。私の中には無限の情報があると道教は言ってきましたが、それがDNAという形で確かめられて来たのが現代の科学です。だから、動物模倣は最先端の科学をからだで実験してみる方法なのです。
 檜原村での気功講習、11時から17時までぶっ通しのレッスンで、動物模倣を通じての自分探しをしてみてください。

①まずやさしい周稔豊五禽戯で基本パターンを身につけてください。

②郭林五禽戯や焦国瑞五禽戯、現代五禽戯の源流というべき胡耀貞五禽戯からいくつかの動作を紹介します。

③すべての古典を踏まえて現代アメリカ人のために作られた張宇五禽戯の25式の大部分を伝えます。

④健身気功五禽戯を作った虞定海の基礎研究になったDVDの一部を見てもらいます。

⑤お話もしっかり聞いてください。ノートをとってください。
   気功で「真似をする」ということ
   華佗という古代の医師のこと
   運動療法、経絡療法から見た五禽戯
   人間らしさを脱ぐということー心理療法としての五禽戯
   世界の動物模倣とシャマニズム

⑥自分の「動物」を知るための行動心理分析(表を書いてもらう)

⑦周稔豊五禽戯、張宇五禽戯をベースに自由に動いてもらう。

17時30分からの宴会は
「馬鹿になってみる」
をテーマに馬肉、鹿肉、熊肉などの料理を出します。
野菜メニューも豊富です。

【日 時】:2016年9月24日(土)11時〜17時
@れんげ舎檜原BASE(東京都西多摩郡檜原村)

【タイムスケジュール(予定)】
11時~17時 気功の勉強会
17時〜17時半 料理準備の休憩
17時半~   懇親会

【参加費】6,000円(パンフレット付き)
【 宴会費】2,000 円
【講 師】津村喬さん

◇津村喬さんの著書(参考情報)
https://www.amazon.co.jp/%E6%B4%A5%E6%9D%91-%E5%96%AC/e/B004L0LQ1W

【交通のご案内】
最寄り駅はJR「武蔵五日市駅」になります。
武蔵五日市10時03分着の電車で、到着後まもなく10時08分藤倉行きのバスに乗り「千足」のバス停で降りていただくと、10時45分くらいには、れんげ舎に到着できます。
お車でのご来場をご希望の方は駐車場もございます(応相談)。詳細はお申し込みの方にご案内します。

【宿泊のご案内】
気功講習は17時までとなりますが、その後宴会となりますので
ご希望のかたは、そのまま宿泊も出来ます。
*宿泊費3,000円がかかります。
*檜原BASEから武蔵五日市駅までの終バスは20時35分です。

【温泉のご案内】
車で数分のところに「瀬音の湯」という日帰り温泉があります。
なかなかいいお湯ですので、お時間があれば行きませんか?
こちらは900円で入浴できます。
*れんげ舎にも岩風呂がありますが、温泉ではありません。

参加をご希望の方は、「参加」をクリックの上
  class@rengesha.com  までメールでご連絡ください。
宿泊をご希望の場合は、その旨お書き添えください。

【お支払い方法】
・カード決済の場合、下記から決済をお願いしま
す(VISA/MASTER) ※宴会費は当日に現金でお願いします。
https://spike.cc/shop/rengesha/products/d0cvWRyg
・現金の場合、当日お支払いください。

※(キャンセルポリシー)
お支払い方法にかかわらず、下記の通り、キャンセル料が発生いたします。
・7日前~4日前までは、参加費の50%がかかります。
・3日前~当日は、参加費の100%がかかります。

*キャンセル連絡は、メールで受け付けます。
*日付は0時で切り替わります。

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2015-16フィンランド私の易筋洗髄経の講義

2016年9月19日 4:59

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自発の問題をやや詳しく話さないと


今日は健身気功協会での練功会のあと三時から五時まで私の易筋洗髄経の講義がある。功法実技が中心なのだが、易筋洗髄経における自発の問題をやや詳しく話さないとやる意味がない。八ページのレジュメのうち六ページは「やりかた」だが、それ以外の二ページ分をここに掲載しておく。

易筋洗髄経は日本でやられて来た気功にとって
何が「新しい」か

 易筋洗髄経の無極椿功の部分でこう述べられている。
「体の各部の関節、筋肉のリラックスの状況を確認し、緊張があれば微々たる蠕動を使ってほぐしていく。全身の筋肉をできるだけリラックスし、内臓 、血管などの形あるものから精神にまで及んでゆるんでいく。一切の雑念を排除し、洗心滌慮、清虚洗髄を意識する。この心身一体で精神は内を顧みる方法は、『黄帝内経上古天真篇』には「恬淡にして虚無ならば、真気これに随い、精神を内守すれば、病はどこからも来ない」と表現されている。これは気持ちの上で安らかに清く静かに、雑念がなく,真気が自らめぐり、精神が外に流出せずに内に守られ、病もどこからも生じない。道家はこの状態を「無極」といい、仏家は「観自在」という。自在とは自然存在の意思にまかせるという意味で、観はそれを見守っている意味で「内視」「返視」「返照」ともいう。観自在は体内の億万の細胞が自由自在で喜んでいる状態である」

 太極椿功では「次第に衝脈を打開し「衝気をもって和する」大通の境地になる。練習の時は足から気血を引導して、内観するさいに「両目を内に集め、静かにめぐらせて行き、忙しく中を落として行こうとしない」

 衝気を以て和するを註釈する。経絡としての衝脈は会陰から胃袋付近まで上がっているが、百会までは上がっていない。しかしこれを理想化して百会まで上がらせて、任脈督脈を統合する相合の脈ととらえる捉え方が気功家の中では一般的になった。しかし鍼灸の人、中医の経絡理論からはこれは認められていない。これは何に由来するかというと、チベット密教の「中脈」を積極的に誤解する所から始まった。中脈は後頂から会陰までまっすぐに降りているとされ、すべてのチャクラはこの上に配置されている。気功では衝脈を中脈と重ね合わせて太極図の真ん中のラインとみなし、任督を統一するものとして理想化した。概念が混乱しているので、特に注記する。

 まず泥丸(松果体の古代の呼び名)を内視し、脳と頭が清らかに明晰になり、朝露のように清らかに感ずる。
 意気が降りていき、のどを内観し、頸がゆるみ、やわらかくなり、気脈が通じていくのを感じる。意気が降りて行き、心臓を内観し、心竅が通じるのを感じ、さわやかで、心の美しい音楽が鳴るのを感じ、胸は海のように広いとずる」
 「全身内外がリラックスしたあとの快感、頭から足に流れ、何度も繰り返して行く。リラックスと静けさは次第に深くなり、頭から足に流れて行く気感を感ずる。全身が清らかな水にうちも外も洗われて行くようであり、「心身の毒を排除して、自分の中の本当に清らかなものを保存する」とイメージする」


 このことは 『易経』では「黄中に理を通し、体は正しくバランスが取れ、美はその中にあり、四肢はのびのびとしている」と表現されている。
『周易参動契』で魏伯陽が述べているところでは「黄中は漸く理を通し、潤沢にして皮膚のすみずみまで達し」「淫淫と(惑わすような)春の沢のように、液液と氷が解けた水のように、頭から流れて足に達し、結局の所また上昇し、往来して無極の洞窟に流れ込み、谷の中を流れて行く」。
隋の巣元方は『諸病源候論』の中で「上に泥丸を引き、下は涌泉に達する」と言っている。宋の張紫陽もこのことを「上通泥丸、下は涌泉を透す」。


 黄中とは丹田という意味である。黄色も真ん中の色でさらに中が加わっている。黄中に理を通すとは、自分の中心線を天地の線と一致させて、私がここにいても天地は私の中にあるという意味である。
 「私は私」と守っているのでは気は通らない。気功法の特徴は常にどの瞬間も「私は宇宙である」という地点から後退しないことだ。

 少し脇道に入るが関西気功協会の五周年のスローガン「大通於同」を記憶されているだろうか。荘子の言葉で、張壹順(チャンイルソン)先生が書いてくださった。「だいつうにおなじくす」と読む。

 これは「人と人がひとつの気で通じ合っている。人と社会が通じ合っている。人と宇宙が通じ合っている」という意味で、小さな功法世界に立てこもるのではなく、常に宇宙と私がどのように一つのものであるかを確認し合わなければ、気功法などやる意味はない、という意味である。
 易筋洗髄経は繰り返し自分の狭い世界を打破して宇宙大に拡がり、宇宙全体の中での自分を確認し、宇宙全体の情報を持って自分が普段感じている世界に戻ってくるための訓練である。これはほかのバージョンの易筋経にはないか、きわめて希薄なテーマである。

 第一勢の始まり。 「五本の指がかすかに震えだし、それから前にゆっくり持ち上げていく。肩の高さに挙げ、掌は向き合い、肩関節は伸展し、指先までリラックスして、前に無限に伸びていくようにイメージし、そのまましばらく止まる。かすかな動きは動くに似て動かない、動かないようで動くので、あまり大きな外動を作らない。手指を大きく動かすと内部の気血の動きを妨げてしまう」「小指から親指を一本ずつ解き放つようにわずかな自発的な動き」

 ここに易筋洗髄経のもっとも重要なポイントがある。
 浹骨洗髄の手順。詳しく説明していない所がある。
①両手を脇から挙げて行って頭の上に高く挙げ、掌心を向合わせ、あごをあげて上を見る
②掌を外に向けて大宇宙に気を広げて行く。
③掌を内に向けて気を集め、仮の私に戻して集めてくる。
④掌を百会に集める。
⑤脳髄、頸椎の脊髄、胸椎の脊髄と順に落として足裏まで抜く。
⑥百会から気を落とし、額と額の奥の気を落とし、喉の気を落としとヘソまで順に降ろす
⑦手はヘソまで下ろし、気は会陰まで降ろしてから中丹田に上がってくる。
⑧その時に下を向いていた掌がへそのほうに向く。両側に落とす。


 白鴨抖水の自発動
 左足は半歩移して肩幅になり、両手をゆるめて少し揚げ、肩腕肘をリラックスし、全身を振るわせる。白い鴨が水から上がってきて水を振るい落とすようなしぐさである。



DVD
NO 品名 注文番号 価格
19 易筋洗髄経 (外経)   2,000


お問い合わせご注文のメールは kikoubunka@yahoo.co.jp  

  FAX 075-777-7719 でどうぞ。

 お支払は送料が確定してからの後払いです

他にもいろいろとそろえていますので、ご一緒にご注文ください


連絡 他の商品

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2015-16フィンランド馬鹿(うましか)パーティ

2016年9月19日 8時間前

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月曜には注文しないとなりません。


馬鹿(うましか)パーティはもう来週に迫って来たので、月曜には注文しないとなりません。馬刺280gを2180円とか馬のサガリが180g1200円、鹿のすじ肉500gが650円とかがやや高価な方で、羊スジ450g350円カレー用とか、豚スジが500g300円、マトン焼き肉用300g700円鶏腿肉1枚255円馬のたてがみの脂身生食用500円など多彩なお肉から何を作ろうか計画中です。たてがみは薄く切って馬刺に添えると「極上トロか」というくらいの味になります。カレーはいずれにしろいいね。いろんなスジで作った絶品カレー。これは現地で作ります。キコリさん提供の鹿のサラミなどもたべてみましょう。熊は「手に入ったら順番に」だそうで、急に割り込んでもだめだな。冬の熊鍋を準備しましょう。7000円以上注文すると送料がただになるので、もう少し考えましょう。いまのところ参加者は7人で一人2000円入るので、肉を7000円買っても野菜などの分がまだ7000円ある訳です。自分に残そうという気持ちがなくて、会費ありったけ使ってしまうのを「少し反省しては」と言われているのですが、どうも改まりません。

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2015-16フィンランドひとりでできる気のワーク (7)

2016年9月19日 7時間前

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首をほぐす



07 ひとりでできる気のワーク 7 首をほぐす

【首を弛めて回す・首をなでる・タオルで温める・つまむ】
 首を前に落として、前から右へ、ゆったりと回してみます.力を入れて押し付けるのではなく、頭の重さで自然に動いて行ってしまうというふうにです。二回や三回でなく、できたら十回くらいしてみます。それから反対回しもしてみます。
 こんな簡単なことが気功なのかと思われるかも知れませんが、これが気功の中の気功なのです。1300年以上前から、総合的な効果を持ったし自己治療法として注目されていたものです。
 首にはほとんどすべての内臓につながる気の流れが通っているので、首をほぐすことはすべての健康につながります。首がほぐれると特に胃が元気になります。首にある延髄は脳の自律神経中枢にもミゾオチの太陽神軽叢にもつながっているので、首をほぐすことは神経の深い部分でリラックスし、調和を取り戻す早い方法です。首が柔らかくなると気持ちがやさしくなるのはそのためです。脳の血液の流れが良くなるので、頭がすっきりし回転がよくなった気がします。

 でも首はずっと緊張して「世間に顔向け」してきたので、ゆるみにくいのです。いつからかというと、産まれて何か月かして首が坐ってからずっとです。首を徹底してほぐすことは、赤ちゃんの時代に帰って、私の中のいのちの始まりからの生命力をもらってくることです。それは「産まれ直す」ほどの精神的体験です。
 ずっと首が坐らないのも困りますが、一日のうち何分か赤ちゃんに帰ってもいいと思います。
 ほかに、首筋を掌でなでたり、首とのどに手当てをしたり、湯に浸したタオルで温めたり、ネコみたいに自分でつまんでみたり、いろんな方法があるので、気に行ったものを組み合わせて習慣にしてください。

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2015-16フィンランド思考実験でメニューを作ってみました

2016年9月19日 6時間前

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「はてしなく愛おしい馬・鹿と動物たちとの饗宴

 


思考実験でメニューを作ってみました。まだ変更もあるでしょうが。
「はてしなく愛おしい馬・鹿と動物たちとの饗宴」


鹿サラミ、鹿ソーセージ取り合わせ

馬刺とたてがみ、鹿の刺身盛り合わせ
  大葉、みょうが、かいわれ、
馬のサガリのユッケ風
  にんにく、しょうが、山椒、桜かいわれ、卵黄
鶏腿肉の南蛮漬け
  胡瓜、たまねぎ
鹿すじ肉、マトン焼き肉用の焼き肉
  焼き野菜・玉ねぎ、ピーマン、にんじん、ナス
イノシシの猟師鍋風
  ねぎ、白菜、さといも、大根、しめじ、ごぼう
ニース風サラダ
  ジャガイモ、玉ねぎ、サーディン、レタス、ゆで卵
トマトサラダ
白菜と春菊のサラダ


羊スジと豚スジ、鹿のスジと野菜のカレー

これを食べるために五禽戯もしてみるかという人も当然いていいと思うのですが。

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2015-16フィンランド洛北日記抄 (5)

2016年9月19日 1時間前

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八瀬童子は鬼の子孫


洛北日記抄
八瀬童子は鬼の子孫

 わが家の近くの宝ケ池で叡電は東西に別れる。西に行けば精華大前、岩倉を経て貴船神社、鞍馬に行き着く。東側は三宅神社を経て八瀬で終点である。もともと比叡電鉄というくらいだから、八瀬が目的地ではなく、八瀬から比叡に上がるケーブルがあってのもので,短いがこちらが本筋である。車で行けば北大路の陸橋を越えて右折すればもう五分とかからずに八瀬であるから、ご近所の感覚だが、八瀬という土地からそれ以上特別の印象を受けていたわけではなかった。天武天皇が矢傷を癒したという八瀬の釜風呂は有名だが、今は料理屋で食事と一緒になっているから、貧乏人には近寄りがたい。

 ただ、何度も反芻して読んで来た戸井田道三の『能・神と乞食の芸術』の中に、崇拝されつつ排斥される翁と同じ二重性を鬼が持っていると論じる箇所がある。蓬莱の鬼が留守をしている女に懸想し、隠れ蓑、隠れ笠、打出の小槌を巻き上げられた挙げ句に「鬼は外」と追い払われる狂言「節分」である。女は恐ろしがるが鬼も一緒に恐ろしがり、やがて自分たちが恐ろしがられていることを知って驚愕する。鬼は子孫の繁栄のために異国から財宝をもたらすものだが、それが恐ろしがられ、罪穢れを背負って退散させられるものになっていく。喜田貞吉は大和の宇智郡五条の近くに十数軒、宇陀郡などにも鬼の役を演じる家系があり、各地の神社や寺に祀りの際に雇われて鬼役として打たれて来た特別の家筋があった。海幸彦と同様敗者のものまねをしなければならない家系が作られたのである。その文脈で八瀬が出てくる。

 「京都の比叡山の麓八瀬の村人も鬼の子孫と言っている。この人たちは鬼役になって打たれたことは記憶していないが、勅使山門に登る日、神輿をかくことを名誉ある特権としていた。つまり寺院で言う力者の仕事を受け持っていたのである。八瀬の人たちも神輿を担ぐことが名誉であると同時に共生された義務であって、たぶん鬼役が敗者の状をまねなければならぬような事象があったのであろう」

 力者という言葉は論語の「怪力乱神」を連想させる。孔子が敬遠した特別の力技の人々四種類の一つである。その力を持った人たちが「おに=大人」と呼ばれた後に中国渡来の「鬼」の字を宛てられた特別の被差別の存在になって行く。それは芸能者とも重なる。能の『道成寺』で鐘を鐘楼に持ち上げるために呼ばれる者はワキ僧から「いかに能力」と呼びかけられるが、『鞍馬天狗』ではこの能力が「一曲奏で候へ」と言われて謡い踊る。

 たまたま左京区図書館で宇野日出生の『八瀬童子/歴史と文化』という本を借りて来て一驚した。童子というのは子供のことではなく、寺の下働きをする階層につけられた言葉だが,八瀬という地名をつけて呼ばれることはほかに例がない。当然に隣接する比叡山の関わりが強い。平安中期にはのちに天台宗三門跡のひとつとなる青蓮院の所領となり、叡山に労働力を提供していたことがわかる。南北朝に後醍醐天皇が足利尊氏の包囲を逃れて二度にわたって比叡山に逃れた時、天皇を駕籠に乗せて担いだと見られるが、その世話が誠意に満ちたものだったために後醍醐天皇は諸役免除の特権を与え、また国名(くにな)を名乗ることを許した。諸役免除とは公共事業に労働力を提供することを免除することであり、これは江戸時代に継承され、さらに年貢所役一切免除という特権地区になった。これはなんと第二次大戦の終戦まで続くのである。

 また国名というのは実際に各地の権力と関係なしに家柄によって国の名を名乗ってよいということであり、500戸あまりの八瀬村の家が河内、近江、讃岐、若狭、武蔵、伊予など13の国名を家系の呼び名としたのである。女官や僧侶がこのような国名を与えられることはあるが、村の家系全体にこうしたいわば名誉称号が与えられることは他に類を見ない。八瀬の人々は比叡の下働きということを越えて、南朝に直結した思いを持ったに違いない。吉野とどう具体的につながったについては『八瀬童子』にも記述がない。しかし天武が矢傷を釜風呂で癒したという伝承はある。

 宝永五年(1708)に信長の焼き討ちなどで低下していた比叡山の地位を再確立するために比叡山の領域改めが行なわれて、これまで慣習的に薪など取りには言っていた山麓の八瀬などの住民の立ち入りが禁止された。平安時代の寺域が一方的に回復されるのを老中連も認めたのである。いまも「女人牛馬結界」の石が残るが、八瀬童子もそこから立ち入り禁止ということになった。八瀬童子は再三幕府に抗議するが相手にされない。しかし将軍綱吉が死んで家宣が継いだときに、事態が動くのである。家宣の妻の父親に当たる近衛基煕が禁裏御料を管理していた人であり、八瀬の釜風呂の愛用者でもあった。家宣のブレインだった新井白石が綱吉の影響を一掃するために八瀬の肩を持った。山門に入れないという決定はくつがえせないが、年貢諸役一切を免除することとし、毎年二条城に収めて来た竹なども免除になった。後醍醐天皇が世話になったことも記憶によみがえり議論された。このことは白石の『折りたく柴の記』にも書かれているという。八瀬に今も伝わる赦免地踊りはこのことを喜ぶ踊りであるが、室町時代の風流踊りの面影を残していて、その間に能狂言を挟むものである。現在も10月10日に近い日曜日に繰り返されている。

 明治元年の九月に明治天皇は京都から東京に行幸したとき、48名の八瀬の村人が駕籠丁として供奉した。明治五年より皇居は東京に移るわけだが、それとともに宮内省仕人典輿丁(つこうどてんよちょう)の辞令を受けた。辞令を受けたのは16人だったが、三年ごとに8人を交代として、村に与えられた特権だった。さらに天皇が亡くなった時にこの棺をかつぎ、また即位式でも駕籠をかつぐ仕事を与えられた。これはずっと続いて来たものではなく、明治天皇のもとで改めて決まったことである。

 昭和天皇の崩御と平成天皇の大嘗祭には八瀬童子は仕事をつなかったらしい。だが天皇皇后の京都来訪の度に御所に迎えて、赦免地踊りを披露するなどしてきた。美智子皇后が2004年に詠んだ歌が八瀬の天満宮社に石碑になっている。

   大君の御幸祝ふと八瀬童子 踊りくれたり月若き夜に  税金を払わない特権は戦後にはなくなった。力仕事の伝統もなくなった。それでも皇室からは文化財保護の明目で毎年下賜金が今も出ている。

 宇野の八瀬童子研究は文書と聞き取りによる実証を下敷きにしたものだが、戸井田のいう鬼の伝承との関わりは出て来ない。「たぶん鬼役が敗者のまねをしなければならぬような事象」というものがこの限りでは心当たりがない。その点が宮中で敗者の汚名を着て犬のまねをさせられたり片足踊りをさせられてきた隼人などとは違う。しかし単に後醍醐天皇が御を感じて特権を与えたというだけでは済まない何かがあるような気がする。昨日までとご近所を見る目がかわってしまった。

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2016-9ひとりでできる気のワーク (8)

2016年9月19日 2:47

亀


一番古い気功



  ひとりでできる気のワーク (8)   

一番古い気功

【亀の呼吸】
 気功には千年、二千年の伝統を持つ方法がたくさんありますが、その中で一番古い、はじまりの気功は何でしょうか。それは亀の呼吸です。いまから何十年か前に中国もだいぶ奥地の青海省で、亀のまねをする人の姿を描いた彩色土器が発見され、新石器時代末期のものと認められました。「中国四千年の気功なんて、オーバーじゃないの」といわれていたのが、それどころか、少なくとも5700年前に具体的な資料があることがわかったのです。
 はじめは椅子に坐ってした方がやりやすいでしょう。浅く腰掛けて、足を大きく開き、そけい部のところに両掌を当てて下腹を押さえるようにします。鼻から息を吐いていって上体を前に倒して行きます。おなかを凹ませて吐き切り、頭が足の間に落ちるようにし、頭のてっぺんを押し出すように首を伸ばします。

 あごを前に出して、そのままゆっくりと引き上げ、息を吸ってきます。その形で上体をおこしてくるので、上がってきたときはいっぱいにのどが伸びてのけぞっています。のけぞったまま息を吸い切り、ふーっと吐きながら正面を向きます。もう一度ゆっくり息を吸って、吐いて行く時にまた前に倒して行きます。ゆっくり三回から九回して、最後はふーっと吐きながら正面を向きます。
 なれるとごくゆっくりのほうがきもちよくなるのですが、最初は無理をしないで、自分のペースでしてください。あるいは下に下りて一息つく、のけぞって一息つく。というようになってもかまいません。

 お腹を圧迫して、普通新陳代謝しにくい腸間膜や子宮の周辺の血液を入れ替えるので、女性に取っては特に大切な方法です。腹圧が高まると、頭がさえざえとしてきます。あごで背骨をひっぱっていくストレッチがはいっていて、背骨の調整にもなります。背骨のちょっとしたゆがみが原因で起っている肩こり、神経の圧迫による内臓の不調も多いのです。延髄を曲げ伸ばしして自律神経のバランスも調整します。でも一番大事な点は、全身が一つになって故郷する中で脳が深く休まり、大海に悠然ともぐったり浮かび上がったする亀の気分を味わえることです。
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2015-16フィンランド洛北日記抄 (6)

2016年9月19日昨日 4:35

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〈翁〉の聖空間

 


〈翁〉の聖空間

2008年の「洛北日記抄」の中の文章です。

〈翁〉をどうしても見たかった。〈翁〉にまつわる論議はけっこう読んで来たが、情けないことにまだ見ていない。中学高校で一度は行っているが、半ばは寝ていたようで、雰囲気しか記憶していない。1月13日に観世会館の一月例会で〈翁〉があるということに気づいたのが10日ころだった。岡崎の観世会館は前を通りかかって知っていたが、入るのははじめてだった。

 自分の希望で席を選ばせてくれる。早めに行ったので正面の最前列がまだ空いていた。舞台に上がる階段の真ん前である。開演までの一時間、すやすやと眠った。それでも上演の最中に時々寝た。ずっと冷静な観察者である必要はなく、巻き込まれて行けば、寝るのが当然という所もあった。夢幻能などというけれども、能舞台全体が夢うつつだった。明晰反省な意識で批評するというのでない、半ば無意識で共感するという体験だったのかも知れない。
 〈翁〉を演ずる舞台も橋懸かりも注連飾りに取り巻かれている。特別の聖空間であり、もとは収穫祭となんらかの関わりがあったことをうかがわせる。

 「数ある曲の中で別格とされる〈翁〉は、能が芸能として整う以前の祖先型であり、新年を言祝ぐにもっともふさわしい神事である」とプログラムの解説は書き出している。神事というのは神に祈る儀式と言うことだ。キリスト教やイスラム教の神はどこやらこの宇宙の外にいるので、天に向かって呼びかけることになるが、日本の神は祈って呼んだ者に取り憑く。つまり呼んだ人が神になるのだ。「縁者は前もって精進潔斎した上、当日も鏡の間に最短をしつらえ清めをし、寿福の象徴である老体の神に成り代わって天下太平国土安穏を祈るのである」。つまり〈翁〉に限っては舞台に上げられるべき娯楽と意味が違う。精進潔斎とは演者たちが一定期間生ものはもちろん火の穢れを避けるために火を通さないものを食べて身を清めることである。上演に先立って鏡の間で翁のめんを飾って酒を汲む。神としての翁の面のお流れを戴くのだ。これは観客からは見えない所でされている。揚げ幕が上がって、この面を入れた面箱を先頭に捧げ持って橋懸かりを進む「翁わたり」からが見えるようになる。翁を演ずる役者も直面(ひためん)である。能のすべての演目で、舞台の上で直面から面をつけるのは〈翁〉だけである。
 シテがちょうど私の前に来て、深々とお辞儀をするので、室町将軍にでもなった気がして、おもわず頭を下げてしまう。頭を下げるなら面をつけて神が降臨してからでいいわけだが。「とうとうたらり」という誰もその意味を知らない呪文のような謡が始まる。千歳が千歳の舞を舞う間にシテは白式尉の面をつける。白い髭の老人の面である。翁の舞が始まる時に、世界が180度反転する。シテは今や神が憑依している。観客が平伏しつつ拝見する立場になる。戸井田道三がこの仕組みに着いて書いている。

 「いまのわれわれが〈翁〉を見て、シテの平伏する時はこちらが上位にいながら、白色尉の面をつけると同時に、舞台にいるのが神でこちらは拝見する立場に立たされてしまうのは、猿楽が本来乞食の所行であったからである。いやしめられる身分の者であったからこそ、逆に神聖なるものに変身しうる社会的な約束が成立していたのであるし、また神聖なものに変身しうるものとして物をもらうがゆえに卑しめられた、とも言えるであろう」
 戸井田が言っているのは、河原乞食として村の境目に寝泊まりすることを余儀なくされる被差別の存在が、村の日常的秩序と無縁の「まれびと」として来訪して、そうした身分外の人たちだからこそ神を呼んで神を演ずることができるという日本の共同体のしくみがこの〈翁〉に集約されているということである。『神と乞食の芸術』という戸井田の著書の副題は、翁だけでなく能全体がこの両儀的性格をひきずっているという意味である。丸山政治学と柳田民俗学に橋をかけた神島二郎が『近代日本の精神構造』の中で書いている「ハイ外主義」(拝外と排外を同時に指している)の概念を絵に描いたのがこの〈翁〉なのである。折口信夫は翁が直面で出て面をつけるのは、旅芸人の伝統から来ると言っている。

 立ち上がった翁がそれまで千歳の舞を舞っていた狂言方と一瞬向合う形があり、そのまま何事もなく狂言方は後見座に退いて翁が「ちはやぶる」と謡い出すのだが、戸井田はこの一瞬の向かい合いが、これのもとになった散楽で性交の真似をして、「さかりて寝たけれども、まろびあひけり、とうとう、かよひあひけり、とうとう」と謡うのを省略したのだという。各地に残る〈翁〉無数のでは、この豊作を祈る性的な身振りが省略されずに残っている。このあとの鈴の段で種蒔きと今でも呼ばれている所作をすることと、この一瞬の向かい合いが実は照応し合っているという。都市化された世阿弥の能の中にかすかに田楽の身振りが残っている。
 舞い収めると面を外して面箱に入れて退場する。あらためて三番叟が出て直面で力強い「揉の段」を舞ったあと、黒式尉の面をつけ、鈴を受け取り、「鈴の段」となる。『ふり人間ー演劇の境界』の中で石井達朗はこの鈴を「振る」ことを「振りをする」という言葉の語源として劇的な物を考察しようとしている。鈴を振ることで「地の精霊、山の精霊を発揚させる呪術的動作」がここにあるという。「直面ではこの神聖な動作をすることができない。仮面と同じく、”ふり”もまた神聖行為と名づけられるべきものである」。石井は人が神を演じて神聖化することに「振り」の根源を見る。いわば日常行為の振動数を変調して異次元の振動数に同調する行為として鈴振りがあり、そこに「振りをする」「振り付け」から「ぶりっ子」に至る劇的行為の源泉を見ようとするのである。
 〈弓八幡〉が〈翁〉の脇能になっていた。世阿弥の昨で、男山は石清水八幡宮を舞台にした祝いの能である。〈宝の槌〉という狂言と四番の仕舞をはさんで〈花筺〉(はながたみ)であり、また三番の仕舞があり、最期に〈岩船〉という祝言能である。龍神が八大竜王の助けを借りて住吉の浜に宝船を高麗唐土からもたらすというだけで、ストーリーも何もない。祝いという言葉がもともと「口にしたよいことが実現いる」という意味だから,無責任によいことを口にするだけでみんながその気持ちになるということである。
 祝いという言葉の背後には呪いがある。悪いことを口にしても実現する場合がある。能は練り上げられた言葉がいいも悪いもそのように現実を帰る力を持っていると思われている時代の神事であり、芸術である。夢うつつの半睡状態で祝言を浴びた半日だった。

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2015-16フィンランドひとりでできる気のワーク (9)

2016年9月19日 4:35

 



胸をなでおろす

 

 


ひとりでできる気のワーク (9)   

胸をなでおろす

【両手を喉から腹に下ろす・指先で胸を叩く】
 楽に坐った姿勢で、両手を胸に重ねてみます。てのひらの 中央が両方の乳首の真ん中に重なるようにします。どちらの 手が下になるかは自然にやってみてなったほうでいいです。 ここはツボの名前で言うと「壇中」、生理学で言うと胸腺の あるところです。
 心は脳の働きといまでは割り切られていますが、東洋医学 ではもともとこの位置にあると考えられてきました。この奥にある心臓にも「心」という字がついていて、心臓はただ血液循環にかかわるだけでなく、心の中枢だと考えられていたのです。実際に「胸が塞がる」とか「胸騒ぎがする」とか「胸を打たれる」とか「胸締め付けられる思い」とかいうのはすべてこの部分で実感するものです。じっと手を当てて、てのひらのぬくもりを味わっていると、とても暖かい感じがしてきます。手当てというのはこれのことなのです。だんだん「胸温まる思い」になってくれましたか。

 十本の指先でばらばらと胸を叩いても気持ちのいいものです。壇中の回りを叩き、鎖骨の下、周囲をていねいに叩きます。げんこで叩けばゴリラのポーズになりますが(実際「五禽戯」のなかにある)まずは穏やかに。鎖骨の周囲は人と向合うとまず緊張するところなので、誰でもしらずしらずにこっているところですし、それが呼吸が浅くなったり、胃が動かなくなったり、ゼンソク気味になったりとつながることもあります。胸を叩いたりさすったりしていると、この周囲の気の流れがよくなり、毛細血管も開いてほぐれやすくなり、いろんなことが楽になります。「胸襟を開く」というのはこのことだったのか、襟のボタンだけ外してもだめなんだとナットクされます。
 もう一度胸に手を重ねて、ゆっくりとお腹までさすり下ろします。両手を重ねたままおろします。それを何十回かくりかえしてみると、だんだんに深いところに安心がひろがっていって、ああ「胸をなでおろす」ってこういうことだったんだなあとわかります。

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2015-16フィンランドひとりでできる気のワーク (10) 

2016年9月21日

写真


三つの声


ひとりでできる気のワーク (10)  

三つの声

【Ong-A-Hum】
頭がもやもやして、クモの巣が張ったみたいで、「ああ中までシャンプーできたらいいのに」なんて思う時、どうしますか。
首をほぐしたり、スワイショウしたりするのもなかなかいいものです。呼吸法も気持ちいいし、いっそ汗の出るを運動をえいっとしてしまってもいいかも知れません。でも私のおすすめはこれ、声を出してあちこちに響かせて行くチベット密教の秘法です。
背骨を真っ直ぐにして坐ります。最初は「おん」ongの音を出します。口の奥に卵を丸呑みに下みたいにして鼻の奥を開け、ngの音を頭蓋骨に響かせます。そして頭のてっぺんより少し後ろから抜いて行くようにイメージします。片手を頭頂部に当ててぶるぶると震えていれば波動が伝わっているのが確かめられます。「おーん」と長く出して、息が切れたらまた継いで、三分とか五分とかしてみます。 この時は肛門を少し締めてつり上げるようにし、下腹をぐぐっと締めて行きます。
二番目は「あー」です。これは合唱団みたいに指が三本はいるくらい開けて、ふつうの「あー」を出します。これは喉に響かせて行きます。無理に大声にする必要はないし、苦しいほど長くすることもありません。音の高さも自由ですが、普通は高い音は使いません。「あー」のときは特に腹を締めずにそのまままします。
三番目は「ふむ」humの音です。唇を突き出して「ふ」を言ってから唇も鼻も閉じてmmmmを出します。ngが開けるのと逆で、上を閉じる音です。頭に手をやってみると、全然震えていないのがわかります。どこに響かせているかというと、お乳のあいだの胸腺に響かせて、胸から世界に向けて気が広く流れ出て行くようなイメージするのです。この時は息が出るにつれて下腹がゆるんでいくようにします。
「おん」で気が入り、「あ」で溜まり、「ふむ」で出て行くとされています。二分ずつやれば全部で六分、五分ずつやれば十五分、場面に応じて好きにすればいいですが、雑巾で床を吹き上げたような爽快感が残ります.
[普通はこのあと三つつなげて、オン・アー・フムOng-A-Humと連続して発声して行くのが普通であるが、ここではふれていない]

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2016年9月宝ケ池と深泥が池

2016年9月23日 2:25

緑が池宝ヶ池


ふたつの池のことを書いておく


宝ケ池と深泥が池

ふたつの池のことを書いておく。いずれもご近所の話だ。
わが家の最寄りの駅は叡電の宝ケ池である[2007年当時]。宝ケ池という池はそこからかなりの距離があって、徒歩なら30分はかかる。車だと白川通を北上してすぐ宝ケ池通りを左折すると、左手に国際会館とグランドプリンスホテルの入り口がある。もう少し行くと岩倉操車場前という二股になっていて、左に行って坂を下ると宝ケ池という池がある。この二股を右に取って突き当たって左に降りると京都博愛会病院があり、その前に深泥が池がある。
ふたつの池は随分雰囲気が違う。宝ケ池は陽で深泥が池は陰だ。名前からしてそうだが、たたずまいも名前の通りである。宝ケ池のほうは真冬でもたくさんの人が散策したり運動部の学生が周囲を走ったりしている。深泥が池は三分の二くらいが葦や蒲に覆われ、どんよりと暗く、人影もない。京都で幽霊伝説と言えばこの池で、タクシーに女性を乗せたら途中で消えてシートがぐっしょり濡れていたというありふれすぎた話だが、ネットでどんどんひろまっていくのは一度でも行った人の印象がそうだからだ。しかし、生物相から言えば、宝ケ池は人工湖でほぼ死んだ池である。何カ所が水の出ている所はあるが、わき水でまかなわれているわけではない。あひるや鴨はいるが、岸の大部分はコンクリートで固められていて、見えない生物が豊かに生きている気配はない。それに比べて、深泥が池の豊かさは日本でも有数とされる。「10万年前」と立て看板には書いてあるが、そのころの自然が残されているのである。

少し時間があるので散歩しようと言うことになって、宝ケ池に出かけたのは最近のことである。プリンスホテルからも入れるのだろうが、反対側に無料駐車場があるのでそちらにまわる。正面にプリンスホテルが見える。このホテルにはもうだいぶん前だが京都の外食産業の社員総会みたいなのに招かれて講演をしに来たことがある。隣の国際会議場のほうはやはり京都の通販会社の主宰した国際会議で顔を出したことがある。どちらの時も池までは気がまわらなかった。

とりあえず一周してみる。二キロもないのですぐた。舗装された道なので足裏感覚としてはあまりリラックスできない。所々山に入って行く落ち葉の道があるので、迷い込んでみるが、あまり冒険をするまでもなく湖畔の道に戻ってしまう。貸しボートが並んでいて、冬は人もいず、つながれているだけだ。このボートがみんな浮かんでいたらさぞごみごみした落ちつかない雰囲気になるはずで、冬はまだしもなのかも知れない[夏にボートが浮かんでいてもそう雰囲気は壊れないことがわかった。大体が祭りがあったりしないとそんなに立て込むことはない]。

ここは江戸時代に作られた灌漑池だった。昭和24年というと私の生まれた翌年だが、自治体が競輪を主催していい法律ができてここに競輪場ができたが、9年後に廃止して跡地は「子供の楽園」になった。そして京都最大の自然公園となって発展したが、余り深い自然に出会えると期待すべきではない。
位置的には松ヶ崎の東山、西山の裏手に当たる。松ヶ崎は日本最大の日蓮宗徒の町で、大文字焼きの時には西山に「妙」、東山に「法」の字が焚かれる。ほかの三つの火が空海の伝承と結びついているが、ここは日蓮である。反対の南側から見える訳だ。西山が鞍馬街道をはさんで上賀茂の山と森に接している。深泥が池はその鞍馬街道沿いにある。別の日に直接深泥が池をめざしてみた。
博愛会病院の駐車場に車を置いて歩いてみる。博愛会病院は昭和三年に結核療養所として作られた歴史のある病院だ。次第に内科、外科、眼科、リハビリ科、神経内科などを具えた総合病院となり、昭和35年というから1960年に精神神経科を作っている。平成19年4月にはとうとう結核病床を廃止している。 以前ここの精神神経科医長をしていた塚崎先生のことを思い出した。一緒に中国に行ったり、いろいろと交流があった。今は北区でつかさき医院として独立開業しているようだ。彼は患者と一緒に森に行ったり山に行ったりする樹木療法とか山岳療法とかを提唱していたことがある[自身も山伏体験を続けている]。自然とのつながりを回復することで癒されるというのは本当だろうが、医師の手間も大変で、すべての患者とつきあって行くのは到底無理そうだ。でも三分間医療の現状ではこういう思いだけでもありがたい。

病院の駐車場から奥に入って行くとじきに柵があり、楽々通り抜けられるように広げられているので、入ってみる。踏み分け道はあるがすぐに消えている。水もあるがほとんど植物で覆われているので、反対側に回り込むことにした。背の高い枯れ草に覆われている。車道を何分か回り込むと水面が見えて来た。ここは昭和の初めに深泥池植物群落として国の天然記念物に指定され、20年ほど前にタヌキ、シカ、リス、イタチなどの動物も加えて「深泥池生物群落」として再指定された。ネットにある深泥池シンポジウムの呼びかけには「池の中にはハリネズミゴケやオオミズゴケで構成された浮き島があります。この池には北方系のホムロイソウやアカバネゴケ、ミズグモなどウルム氷期からの生き残りの種が見られるなど、非常に貴重な動植物が見られます」「近年この池は富栄養化がおきつつあり、ヨシやマコモが増加しただけでなく、アメリカミズユキノシタ、ブラックバス、ブルーギルなどの外来種が侵入し、本来の水生生物群集が変化しつつあり、その存続が危機的な状態になっていると思われます。この対策として外来植物や外来魚の駆逐やモニタリングが、京都市の支援のもと、研究者や市民グループの協力で行なわれつつあります」ということらしい。また一方で、「浮き島湿原にシカの足跡や糞が散在している上に、カキツバタやミツガシワなどが菜食された跡が残っている」ことを心配する学者もいる。10万年の歴史がここ数十年の間に都市化の波にさらされてしまったのだから、よほどの注意をもって保全して行かなければならないということなのだろう。ここは流れ込む川がなく、貧栄養であることで環境が保護されて来た。浮き島というのは池の免責の何割かが、枯れた植物が沈殿せずに浮かんで島になっているのである。

みぞろが池歯科という看板があるように、「みぞろ」といういい方もあるようだ。「御菩薩池」と書いた古典もある。この池から出たという伝説の地蔵があり、江戸時代に上賀茂神社の管理するお堂があったが、明治の神仏分離で鞍馬口通り寺町の善通寺に移された。今も深泥池地蔵を名乗っていて、もとは京都の六つの出口に祀られていたという京都六地蔵のひとつとして、今も八月の地蔵盆には六地蔵を御詣りする人は絶えない。写真で見ると頭が丸いことをのぞけば地蔵とは思えない色気のある像である。
池の畔に動植物のリストを書いた看板があるだけで、狭い狭い土地があり、あとは自動車道に取り巻かれている。せめて周囲を一周できる山道があればいいと思うが、整備されすぎてはまた不本意だし、難しい所だ。池に面して和菓子屋があったので、桜餅とうぐいす餅を買ってみる。小さな店構えだが伝統の力を感じさせる味だ。
川があり、池があると自然の恵みを意識しやすい。今の所高野川、北白川、鴨川とこの二つの池が私の空間感覚の座標になっている。

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街のスタンドに無料で置いてあったgo baaanという宣伝雑誌

2016年9月23日 17:07




あまり金のかかる店には寄り付かないのだが、街のスタンドに無料で置いてあったgo baaanという宣伝雑誌が「肉食」特集をしていて目についた。私はごはん、麺類、甘み糖質類をできれば全面ストップし肉魚野菜は食べ放題というダイエットをしているので、たまには甘いものやご飯の誘惑に負けることもあるが、なるべく脱炭水化物を目指している。酒も焼酎や赤ワインはいいことになっていて、糖類ゼロのビールにも時に手を出す。それで肉食特集などはありがたい。

ステーキというと7000円、10000円というところが多いが、ここにはステーキ定食1380円、ステーキ丼1180円の「どんどん丼」、サーロイン弁当1180円の「ミートショップヒロ」などの、まあたまには行けないこともないクラスの店がけっこうある。東本願寺の「石窯バルCENTRO」はボリュームたっぷり三人前はある豚の窯焼きがおいしそうだ。西五条のイオンモールの裏にある「洋風料理Piccolo Campare」の1000円のスペアリブも。そして極めつけは聖護院の「ボタン」のイノシシ盛り合わせ二人前1900円、木屋町の「馬野郎」の馬刺盛り合わせ1190円といったところ。産地から材料を取り寄せていたらなかなか外食の閑はないが、どんな味にアレンジしているかを勉強に行く価値はあるだろう。ほとんど外食していなかったが、行ってみたくなった。

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大木幸介さんという理論物理学の教授

2016年9月24日 18:44

 



大木幸介さんという理論物理学の教授がいる。三十年前からこの人の本を面白がって読んで来た。いま99歳になる。お元気なのかはわからない。最近の消息がなく、死亡記事を探してもない。このほどネットで消息を探したついでに、まだ見ていない著書がいろいろあることを知った。それも、大部分が一円で出ている。一円のものはたいてい送料が257円かかる。二冊ずつ同じ古本屋が二点あるから、八点分で2056円だ。一点だけ一円でなく七七円のがあった。そういうわけで、十冊手に入れるのに2056+77+9で2142円で10冊手に入れた。
《脳から心を読む》講談社ブルーバックス
《欲脳》光文社
《感情はいかにしてつくられるか》講談社現代新書
《ヒトの心は脳のここにある》河出
《麻薬・脳・文明》光文社
《やる気を生む脳科学》ブルーバックス
《脳内麻薬と心の健康》ブルーバックス
《愛する心が脳でわかる》講談社
《毒物雑学事典》ブルーバックス
《毒の百科》ダイヤモンド
まだ買っていないものがいくつもある。うちのトイレには三冊ある。この13冊をとりあえず全部読んでみれば、ひとまとまりの概念が得られるに違いない。脳で起っている心理現象をすべて物質面から説明するレーニンみたいな人なのである。気功の意念の力とか丹田とかがいささかも神秘主義無しに解明されて行く。ぎりぎりまでわかって、まだ解明されない所が出てくる。そこが気功の固有の仕事だ。幸か不幸か気功をやる人は誰もこのジャンルに興味を持っていない。

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大木幸介『脳から心を読む』が現代の脳革命の端緒となったというお話

2016年9月24日 1:46

 





大木幸介『脳から心を読む』が現代の脳革命の端緒となったというお話

 人間の脳といえば、誰でもひとつ頭の中に持っていて、心という情報の創出ができる特別巨大な脳コンピュータを考える。ところが、小型のリトルブレインと言われる脳が人間の全身に散在し、それぞれに脳として重要な活動をしている。1966年久留米大学医学部生理学教室の纐纈教三教授は、人間の全身に散在する小型の脳の一つ内臓神経節をリトルブレインとよび、人間の頭にある巨大な脳と同様に薬物に反応することから、そのミニチュアであり、そのモデルとして研究できることを提唱した。

 著者はこの概念を含め、すべての自律神経節をリトルブレインと呼ぶことにしたい。なお内臓の一部にはその場所だけを自動的に活動させている神経細胞の大集団があって、「神経叢」と呼ばれている。この神経叢は自律神経節と関係が深いので、ここではリトルブレインに含めておく。

 心は度々述べたように人間の大脳と脳幹の協調で創出される。この時心の成分「知」の源泉は大脳新皮質から、「情」の源泉は大脳辺縁系から、「意」の源泉は脳幹の視床下部から構成されると考えた。そして、そのまた源泉は生命の脳である脳幹に、さらにそのまた源泉は、全身に散在した自律神経とその神経節であるリトルブレインにあると考えたい。そうすれば全身に散在したリトルブレインをきたえることが脳幹をきたえることになり、それが即人間の脳と心をきたえることになる。このことを人間の心について考えれば心の成分、知・情・意を逆に意・情・知ときたえることになる。まずリトルブレインと同じ性質の脳幹(なかでも視床下部)から創出される意欲が、次に脳幹に続いた大脳辺縁系を中心に全身的に醸成される感情が、最後にもっとも進化した大脳新皮質から創出される智能がきたえられることになると考えられる。

 スポーツの場合、勝負が目的となり、勝つために大脳新皮質を中心に全能から全身が活動し、プロのスポーツマンの場合には知育偏重の場合と同様に、却って大脳新皮質に偏った鍛錬になってしまう。これでは負のフィードバックが効かない前頭前野から鍛錬されてしまい、却ってストレス過剰で場合によってはストレス病となる。
 これに対して東洋的練成(修行)例えば禅、ヨーガ、瞑想などは、自ら全身を整え、次に全脳の調和をはかる方法である。まず全身のフィードバックによるホメオスタシス(調和)がはかられ、その結果ストレス過剰やストレス病にかかった前頭前野が必然的に正常化される。したがって東洋的煉成は、近代化のために頭脳労働に偏った近代生活の中で、ストレス病と闘い、安心立命するための最善の方法と思う。

 東洋的煉成について、著者は専門外であるが、それを全身に散在するリトルブレインを鍛錬するという立場から考え、説明してみよう。東洋的煉成では、まず臍下丹田といわれ、腹式呼吸も提唱されいる。このことは腹部にある消化管をととのえることもさることながら、へそと消化管の奥(後部)にあって、脳幹に匹敵すべき、内臓神経節を中心にした消化管の支配系と言う、かなり大きなリトルブレインを鍛えることである。ここには、交感神経節も副交感神経節も、さらに多数の神経叢も集まっており、混然として、しかも整然と自動的に消化活動を運行させている。消化の過程は複雑な一大化学工場でありそれを支配しオートメーションで運行するためには、脳幹に匹敵すべき、分散はしているが、大きい脳を必要とするのである。

[大木氏は副腎、心臓、腎臓などの活動もそれぞれリトルブレインによって運営されていると考える.これが解明されれば「東洋的煉成の真意が分子レベルから理解される」としている。この脳モデルは丹田説だけでなく、チャクラ説に対応し、さらに「腸は脳である」「心臓は脳である」から「皮膚は脳である」「全身の細胞が脳である」という現代の一連の画期的な発見の端緒となった]

 

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2015-16フィンランド小栗判官と深泥池の蛇

2016年9月24日 23時間前

小栗判官

 

 

小栗判官と深泥池の蛇

 



 ご近所の深泥池のことを調べるうちに、意外な名前に出くわした。小栗判官である。
 説教節の代表的なもので、死と再生の物語であることは知っていた。せりか書房の久保覚編集長が生きている頃、のちに札幌大学学長、日本民族学会会長になる山口昌男とかフランス文学者であり『熊野考』『はじまりの意識』で知られる丸山静とか,そうそうたる記号学や現象学の学者、文芸批評家の横断的な研究会があって、その末席に加えさせてもらっていた。22,3の時である。その一回で丸山さんが後に『熊野考』の小栗判官論に形をなした最初の問題関心を話してくれて、この説教節が強烈に意識に残った。
 小栗判官は死と再生の物語として知られている。もともと京都の貴族である小栗が京にいられない事情ができて、東国に逃げる。そこで照手姫と逢い、妻とするが、妻の父親に恨まれて殺害されてしまう。照手姫も追放されて流浪する。殺害された小栗はえんま大王に助けられて復活することになる。ただしもとの形ではなく、足の立たない障害者として生まれ直すのだ。熊野に御詣りすればもとの姿に戻れるといわれる。小栗は諏訪から地中をたどって藤沢の遊行寺で蘇り、そこの遊行上人に餓鬼阿弥と名づけられる。板に車をつけただけの土車を自分の手で動かしたり慈悲深い人に引いてもらったりしながら小栗は熊野に向かう。途中美濃の国で今は女中として働いている照手姫が出会い、小栗の変わり果てた姿とは気づかぬままに同情して引いて歩くが、照手も気づかないし小栗も目も見えず耳も聞こえなくなっている。小栗は熊野の湯に21日間浸かって熊野権現に祈り、とうとうもとの姿に戻る。

 小栗は京都に戻って両親にも出会い、天皇にも報告する。奇跡を祝っていくつかの国を与えられる。やがて小栗は照手姫と出会い直して、結ばれる。
 こういう話は「貴種流離譚」に分類される。身分の高いものがあれこれの事情で大変苦労して長い旅を強いられる。その間にいろいろな目にあう。小栗はいったん殺されて大変な手間をかけて蘇生するし,照手姫も船に閉じ込められて流されたり遊女になるよう迫られたりしながら、機知のおかげと、たまたま出会う人の好意の助けによってなんとか生き延びる。こういうストーリーを通じて何を説教しているのかというと、もともと照手が「照る日」であり、日光の観音の化身であるということと、熊野権現を信じて行けば絶望的と見える事態も突破できるぞということになるのだろう。そういう死と復活の物語として聞いていた。実はその後丸山さんがどう考察を進めたかは読んでいない。
 これは中世説教物語の小栗判官の話だが、この説教にはまだ前があるのを知らなかった。小栗は京都の大納言の息子だが、鞍馬の毘沙門天にも祈願してその申し子として生まれた子である。毘沙門天と言えば七福神ののひとつだが、もともと北方守護の四天王の一人で多聞天ともいわれる。多聞天というのはあらゆるお経を聞いて熟知しているという意味らしい。申し子というのもよくわからないが、とにかく毘沙門天の影響下に、もしかしたらある種の化身として、小栗は生まれた。若者となった小栗は普通でない暴れ者で、性的な精力も並ではなかった。父親がさまざまな女を娶らせるが、どれも一夜で気に入らない。とうとう二、三年のうちに七二人の奥さんをとっかえひっかえしてもらうが、誰も気に入らない。離婚歴二回でも多いかと思っているのに、七二回とはすさまじい。しかし小栗は七三回目にははまって、年貢の収め時と思ってしまうのだが、なんとそれが深泥池の蛇だったのだ。

 「小栗殿は、つひに定まる御台所のござなければ、鞍馬へ参り、定まる妻を申さばやと思ひ、二条の御所を立ちい出て、市原野辺の辺りにて、漢竹の笛を取りい出し、半時ほどぞ遊ばしける。深泥池の大蛇は、この笛の根を聞き申し、十六七の美人の姫と身を変じ」という次第。市原野は川重のゴミ処理場建設問題で住民が長いこと闘って裁判で勝利した場所であり、左京区の向山の手前で深泥池に遠くない。とにかく笛を聞いて惚れた大蛇が少女に化身して口説き、小栗判官もこれにははまってしまったのだった。やがて大蛇の化身は妊娠し、大蛇は子を生む場所を求めて神泉苑の池に行くが、ここには龍神がいて闘いになってしまう。天地が震動し壮絶な闘争になる。
 この神泉苑は二条城のすぐ南、御池通に面してあり、桓武天皇が794年、平安京の造営とともに作った水の庭園である。今も広い敷地の大部分を池が占めている。二条城ができた時にもともとの神泉苑の一部だった池を大幅に二条城に取込んだ。東寺が管轄しているが、これは天長のころに西寺の守敏と東寺の空海が雨乞いを競って空海が勝ったためといわれる。雨を降らせるのもむろん龍神である。なぜわざわざここに行って龍と闘って子供を産もうとするのか、その後どうなったかの記述がない。とにかく天地を騒がせたことの責任を問われて小栗は京都から追放されて東国に行くことになる。そして東国で照手と遭うのだから、妊娠させた大蛇の化身とは切れてしまったことになる。

 大蛇の化身として描かれた女性は洛外に排除された身分外の集団だったのかも知れない。そういう女性に本気になってしまったために小栗は追放されたのかも知れない。深泥池の北の岩倉は京都人の意識の中では「精神病院のある場所」としてイメージされていて、子供たちの間には相手が変なことをいうと「岩倉へ行け」という差別的揶揄が通用している。深泥池に直接面している博愛会病院の精神科は昭和29年と新しいが、明治17年にできた岩倉癲狂院が強く意識されている。しかしそれには長い背景があった。ここには天台密教の余慶法師が十世紀に起こした岩倉大雲寺があった。冷泉天皇の后や後三条天皇の第三皇女がこの寺で精神病を平癒させた。松岡正剛が千夜千冊の中で小俣和一郎の『精神病院の起源』が書いている歴史を紹介しているのによれば、この寺の周囲に滞在型の精神病治療をしたい人の宿がつぎつぎに出来、そのひとつが岩倉癲狂院になった。この『精神病院の起源』は未見だが、密教系の滝行、水行など水を使った治療、浄土真宗系の漢方治療、そして日蓮宗の法華経や題目を唱え続けて無我の境に入ることでの治療という三つの起源を説いているという。滝、川、泉に対する信仰は精神的不安定を癒すことと不可分であったのかも知れない。

 世阿弥の五番能では「狂」が四番目になる。この「狂」は病的な精神異常のことではなく、普通でない昂った精神状態、自分が自分でなくなって舞い狂うことを指している。それが周囲の力学で固定化されてしまうと精神病ということになると言えるかも知れない。とすれば能の一つの役割に発生機の精神異常を見せて治癒させるということがあるのだろうか。小栗は障害者として生まれ変わって道行きの末に健常者に再生するのだが、狂った深泥池の大蛇はどうやって癒されたのだろうか。

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2015-16フィンランドひとりでできる気のワーク (11)

2016年9月25日 5:45

小栗判官

 

 


  ひとりでできる気のワーク (11)  

指回し

【一本ずつの指回し】
 テレビでも紹介された糖大病院の栗田昌裕先生の指回し健康法。もともと脳の血行をよくして速読術に役立つということで発表されたのが、いろいろ病 気が治ったりすると評判になりました。しかしそれ以前に、自分の指と対話してやるやり方として、よくワークショップなどで紹介させてもらっています。
 両手の五本の指先につけて、中に丸い気の球が入っているようにイメージして、指同士がとんがらないようにします。そのままでまず親指の先を離して、爪の部分ほどが重なるようにしながら小さな縁を描いて交互に回します。指がなるべくふれあわず、なめらかに行くようにします。適当に二三十回回したら逆回しをし、次に人差し指にかかります。
 このへんまではいいのですが、普通は中指になると「おっとっと」で滑らかに回らなかったり、ほかの指が離れそうになったりぴんとこわばってしまったりして、意外にむずかしいのがわかります。薬指になるとまず大部分の人がほとんどコントロールできないことがわかります。たかが自分の指なのに意思に従わないのはちょっとショックで、自分の手を叩いたりする人もいれば、全然やめてしまう人も出てきます。薬指を動かす腱は短くて頭でコントロールしにくいので、頭を空っぽにして「まかせる」感じがないとうまくいきません。
 小指に移って、少し自信を回復してください。小指からもう一度薬指、中指、人差し指、親指と戻ってきます。
 これだけのことなのですが、ひとつには、からだというのはなかなか思うにまかせないのが普通なので、意思に関係なく動いている無意識の部分とつきあう謙虚さが大切だということを理解してもらうチャンスになります。もうひとつは、やろうと思っても脳に回路のできていないものはできない、やっていくと回線が形成されてできるようになるという「学び」の根本問題をからだで理解することができるということがあります。

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ハンガリー料理とトルコ料理の本が届いた

2016年 9月 26日 19:26

 

 

注文していたハンガリー料理とトルコ料理の本が届いた。もともとハンガリー料理の本を薦められていて、探し出した。トルコ料理は一緒に売っていたので、それぞれが800円だが、一緒に取り寄せてみた。ハンガリー料理はヘルシンキに専門店があって、よく通った。でもこうしてみると、グーラシュと何品かしか知らなかった。
グンデルのメニューは深く研究するに価する。もともとの民族的な色彩にイタリア料理、トルコ料理の色彩が加わり、19世紀からパプリカの威力が加わった。過剰なまでの盛り付けも気に入っている。 トルコ料理も想像以上に面白い本だった。ムール貝やすずき、ぼら、ひめじなどはまったく新しい体験。シシケバブだけでないさまざまなケバブがある。ドルマも葡萄の葉にご飯と肉を入れたのしか知らなかったが、多種多様なドルマがあることが分かった。
世界の人々が日々何を食べているかを知って、真似して行きたい。それは「私は誰か」を知る最良の手段と思っている。

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東京に二泊三日 (その1)

2016年 9月 26日 16:04

セミナー

 

 

東京に二泊三日 (その1)

 檜原村には金土と二泊、王子でしてその日に帰ってくる。その気になれば神保町の古書街に寄ってくることもおいしい店を探すこともできはするが、やはり今の東京は落ち着きが悪く、なるべく早く帰るという気持ちになる。檜原村は東京と山梨の境目で、福島方面とは一番遠い所だが、静岡の汚染がひどい状況だから遠いからと行って安心はできない。とにかく今の日本では安心できる所はどこにもない。程度の差はあれ京都もおなじことだ。 
 金曜日は横浜線の成瀬の駅で4時に待ち合わせる。いつもお世話になっているWさんの車だ。それで一時間あまり乗って、メトロという業務スーパーへ行き、当日必要な野菜とかあれこれを買う。今回は馬肉や鹿肉、イノシシ肉や羊肉はすべて京都から持って来ている。カレーにする馬肉鹿肉豚のホルモンも昨日12時間煮てタッパーで運んでいる。あとは豆腐とか野菜類、調味料の類いだ。六時過ぎまで買物にかかって、そこから檜原村に向かう。今日は一番乗りでなく、スタッフが五六人来ている。スタッフ七人くらいの夜食を
今日から作る。今日は簡単に馬鍋である。馬の肉二種類と白菜、小松菜、豆腐だけの簡単な鍋で、メトロで勝ったタイの激辛の唐辛子調味料と、オリーブ油と醤油にあれこれスパイスを入れたのと、既成の昆布だしに中国の黒酢を入れたものと、三種類のタレで食べてもらう。仕上げはそれにスープを足して中華麺を煮る。タイの激辛調味料と豆板醤を入れた真っ赤なスープである。五玉で八人で少し余ってしまった。まともな鍋物の鍋がないので、遠慮のない片手の 中華鍋のままである。

 前回急なガンに襲われて気功も一生懸命にしていた和光大学の道場さんが退院してくることになっていたが、退院が日曜日になって来られなかった。そのまま会えずに一週間ほど前に亡くなった。この場所で初めて会ったので、いないのが嘘のようである。
 洗い物がすんで、明日の料理にかかる。刺身とかが多いから、直前の作業が多く、一時までには大体準備ができた。寝るつもりで自室に上がったがネットとかマッサージとか、それにかわぐちかいじの『ジパング』の七から十四を持って来ているのでそれを読み進めていたら、四時になってしまった。源平の殺し合いをリアルに描くが義経と徳子の恋をロミオとジュリエット風に描いているのが救われる。二時間ほど寝ることにする。

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東京に二泊三日 (その2)

2016年 9月 27日 21:16

 

 

東京に二泊三日 (その2)

 朝六時に起きて、階下に下りた。今日の夕方の料理の準備を少しずつ進めながら、朝食を作る。バゲットのオープンサンドだが、少し足りなくて食パンの方も使った。卵をゆでてやわらかくゆでたマッシュポテトとマヨネーズで和える。鯖缶は鯖梅はここの人たちもよく真似してくれているが、加熱してからマヨネーズと生クリームとクリームチーズであえる。ぶどうとりんごのジャムにクリームチーズを半分加える。トマトとオニオンをフレンチドレッシングに漬けたもの。ブルーチーズとアンチョビに胡瓜を乗せたものなどなど。きれいに盛りつけたので、スタッフのためとは思わず、いつもの朝粥など探してしまった
 何人か加わって、11時から5時までは五禽戯の講義。みんな途中ハッピータンくらいでよく頑張った。おなかが減ってないと動物の真似はできないですからね。
 最初は華佗の話とか、まあ気功の歴史のありふれた話。といってもなかなか中国の先生でもまとまって話してくれることはない。講義が続くと寝ている人も二三。周稔豊の五禽戯の基礎的なものをする。五種類の動物、熊、虎、猿、鹿、鳥が一動作ずつしかない。とりあえずの入門編。それでも結構疲れる。昔は平気で五種類やれたが、今は猿などは息切れしてしまうから、教え方もゆったりする。

 昼休みはない。そのかわり一時間くらいで少し休憩する。
 講義と実習で二時間が過ぎてから、五禽戯の現代的理解について語る。まずビデオを見てもらう。Move Like the Animalsというアメリカの友人が送ってくれたビデオだ。ここでは子供と大人がまじって、クマの歩きをやり、ワニの真似をし、カエルになったりいろいろしてみる。その真似をするのはけっこうきついことがわかる。しばらく這い這いをしてみた。
 それからウェン・ウィンガーの脳の各部分を刺激するには「体育」が必要なのだと言う論議を紹介する。延髄は魚の脳なので、水の中で活性化する。それも、前頭葉が目標管理して早く泳いだりしないで、ぱちゃぱちゃやっていたりが一番延髄が動き出す。水から上がったら爬虫類の動きになり、視床下部が著しい刺激を受ける。大新皮質でも、その大部分はふだん使われていない。窓から落ちそうになる、というより、落ちるかもと考えてだけでおしりがぞくっとするのは、もと樹上生活をしている時に尻尾が立ち上がって木の枝を捕まえる準備をしたものだ。人間はしばらく水中生活をする間に尻尾をなくしてしまったが、気功では「尻尾のある振りをする」のは重要なファクターだ。これはアメリカのジャン・ピアジェ研究所が研究して来たことだ。

 アメリカのドーマン博士のことも話した。障害のある子供は進化のどれかの段階が抜けていることが多い。カエルが抜けていればぴょんぴょんはねさせる。ワニが足りなければ這う。人間として十分な能力を獲得するには「それ以前」をすべて体験しなければならないのだ。これは画期的な着想だったが、かなり値段が高く、また子供たちに決して安易でない努力を強いるものだったので、反対する人もいた。だがドーマンは確実に効果を挙げ、世界の130カ国からその負担に耐える親子を集めた。
 彼らが五禽戯を模倣したのかどうかは知らない。だが五禽戯をやる人が当然こうした情報を知っているべきだと思うのだが、中国では関心がない。中国でも自発五禽戯を指導している指導者は真似する動物がこの五種類ではなく、カエルとかヘビとかでもいいという立場の人もいる。もっと自由なアプローチがほしい。
 いろんな話をするうちに4時をまわってしまった。基本の五禽戯をもう一度。それから胡耀貞の動作と張宇の五禽戯とを少しだけ紹介する。いろいろこなしてもらうのは無理なのだが、多様性を知って欲しかった。最後に感想を聞いて、自分がどの動物がやりやすかったかを聞く。ひとりひとり、私は熊とか、虎とか,鹿とか、鳥とか言う。

 それからが実は肝腎な所だ。熊は脾臓に対応している。鹿は肝臓、猿は心臓、虎は肺、鳥は腎臓である。それはその人の中で、どの内臓が活発に動きやすく、それに対応する動物がやりやすいということを意味している。まず得意な動物をやってみることで、自分の中で活発な臓器をさらに元気にする。次に自分が何となく苦手な動物をやっていくと、実はそれは不活発な内臓と対応し合っていることが分かる。次第に五つの動物をどれもやれるようになるということは、五つの内臓がバランスよくなって行くことでもある。それでも得意な動物と不得意な動物はある物だが、だんだんに五つの動物と「和解」していく。それは人間として全体化していくことだ。五禽戯はこういうふうに使われる。私が私の正確だと思っていることは、長い成長の過程でそう思わされて来たり、自分に無意識に強いて来たことでしかないと分かると、自分はどの動物にもなれるという幸福な思いにひたされるのである。

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東京に二泊三日 (その3)

2016年 9月 27日 2:29

 

 

 五禽戯のあとのメニューですが。

鹿サラミ、鹿ソーセージ取り合わせ

パプリカのマリネ
  赤黄オレンジ緑のパプリカ、オリーブ
ブルーチーズのカナッペ
  食パン、バター、オリーブ
フロマージュブランとアンチョビのカナッペ
  食パン、パプリカ

馬刺とたてがみ、鹿の刺身盛り合わせ
  大葉、みょうが、かいわれ、
馬のサガリのユッケ風
  にんにく、しょうが、山椒、桜かいわれ、卵黄

鹿すじ肉、マトン焼き肉用の焼き肉
  焼き野菜・玉ねぎ、ピーマン、ナス

ニース風サラダ
  ジャガイモ、玉ねぎ、サーディン、レタス、ゆで卵、マヨネー
ズ,フレンチドレ
トマトサラダ
  トマト、玉ねぎ、パセリ、フレンチドレッシング
サラダ菜とフルーチーズのサラダ
  サラダ菜、ブルーチーズ、玉ねぎ、生クリーム、オリープ油
  サラダ油、酢、マスタード、玉ねぎ、にんにく、クルミ

羊スジと豚スジ、鹿のスジ、豚の白モツと野菜のカレー
  じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、白菜、ピーマン

 このほかに、馬肉のピザを用意していたが、買ったのが間違えて
クレープだったので、これはなしにした。ご飯を炊いてカレーにした。

 11人が食べてたっぷりの中身。五時から九時ころまで宴会をして、残った九人のためにイノシシのすき焼きを作った。鹿児島から送ってもらったイノシシ肉だ。すばらしくうまい。白菜、玉ねぎ、豆腐、小松菜と取り合わせる。
 そのあと中華麺の五つ入ったのをこと袋買っていたので、チリソースと豆板醤で煮た。これでちょっと余る程度。11時宴会終了。日本酒、五粮醇、唐辛子のウォトカ、たくさんのビールを飲み干した。みんな痩せているのに健啖家だ。あ、少し太い、ぼくに近い所のある人もいたけれど。でもカレーのライスを除けば、こうしたメニューはやせるメニューである。

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東京に二泊三日 (その4)

2016年9年27日 3:22

 

 

東京に二泊三日 (その4)

 

 またしても四時間睡眠だった。天井のライトが本を読むような仕立てになって居らず、寝転がって読むと文字が見えづらいので、布団に坐って『ジパング』を読み続けた。足の包帯を取り替えるのに一時間かかってしまった。
 六時に起きて残り物で朝ご飯の用意。青じそ、かいわれ、クレソンなど残りの葉っぱを全部使ってサラダ。残った食パン一枚とフランスパン一切れを細かく切って揚げてクルトンに。ほうれん草としめじの炒め物。ナスとピーマンの炒め、唐辛子ソース。鯖缶の残りを使って麻婆豆腐を作る。卵10個をスパニッシュオムレツにし、残りのオリーブの実をふりかける。ご飯一杯のこっていたのをいつもの粥に仕立てて、一人一杯にする。あたらめいご飯を炊き、カレ
ーを食べられるようにする。
 これで残ったのはニンニク二個、チーズ、クレープ、持参したカットニンニク、唐辛子、松の実のタッパー。人参三本、玉ねぎ二個、豆板醤、予備の穀物酢は置いて行く。
 七時半から食べて、八時半頃出て、五日市まで送ってもらった。今日は清水さんが新宿まで同行。王子には10分前に到着。今日は七人が全日参加。
 朝は少し昨日の話をしたら、ぜひ王子でもして欲しいという話だったので、みんな揃う一月末にやることになった。11月の王子は全日の土曜日まで中国に行ってるかも知れないので、一週伸ばして12月の4日になった。この話を檜原村とし忘れた。
 自分の生徒さんがガンの術後だと言う人が来ていたので、あらためて初級の抗ガン功法をやる。特に坐ってやれるものを中心に。
 午後は集中して易筋外経を四十分する。ていねいに七回ずつやるとどうしても40分はかかる。私は大体14回ずつしているが、いつかそろそろ21回やれるかとやってみたら、へとへとになって一日何もできなかった。まだ21回の実力がついていない。14回がやっとである。49回やれるようになるには二三年かかかるということだろうか。それとももう年取って無理だということなのか。筋トレとまったく別の筋肉のついていくやりかたをぜひ実践して行きたい。
 そのあと易筋洗髄経を行ける所までということで七までした。それから五転・五浄・五触のうち、一番もともとの五浄と五触の基本の五つだけした。
 京都でまた人と会う約束になっていたので、まつすぐに帰った。八時に京都駅についた。新幹線で『ジパング』七册を読み上げて、一時間ほど寝た。十四冊で終わりと思っていたら、まだやっと壇ノ浦で、まだまだこれから続いて行くらしい。

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ひとりでできる気のワーク (12)

2016年9月27日 19:38

セミナー

 

 

ひとりでできる気のワーク (12)  

手当て
【おなかの手当て・胸の手当て・喉と首の手当て・お臍に両手を重ねる】
 お腹が痛ければ自然にお腹に手がいきます。てんぷらを揚げていて腕に油がはねれば「あちち」とやっぱり手がいきます。頭がくらくらすれば両手で頭をかかえます。この時われわれはなにをしているのでしょう。手から出る気で癒しているのです。
 イエスが目の見えない人にさわったら見えるようになったとか、弘法大師が手で触れるだけで難病を治したとか、そういうフシギな話とこれはどう関係があるかというと、実は同じ物なのです。彼らは普通の人より少し集中力が強く、イメージの力が強かったのかも知れませんが、手を当ててからだを元気にするというようなことは決して特殊な能力ではなく、誰でもできること、というより、誰でも本能のままにしていることなのです。でも、ときどき意識的にやってみると、その力は強くなります。人にしてあげる前に、じぶんでやってみて、その快感を確かめてください。治るかどうかということより、自分で、あるいはお互いに、気持ちがよいかどうかがいちばん大切なことなのです。

 練習をしてみるといっても、実はからだのどこでも手を当ててみればいいだけで、決まったやりかたがあるわけではありません。
 両手を胸のお乳のあいだに重ねてあててみましょうか。胸が騒ぐとか胸塞がる思いとか胸のつかえとか、みなこの場所のことです。手を当てていると、なんとも温かい、ほどける気分になってきます.ああ、胸温まる思いとはこういうのだとナットクされます。
 手当ての特別の技術というのはないのですが、なるべく無心にぽかんとなること、当てている掌と当てられている部分との一体感を味わうというのがコツといえばコツです。
 右手をのど、左手を首に当てて、のどを包むように手当てをします。疲れて声がかすれるなんてことがありますが、気をなくしやすい場所であるだけに気を補いやすい場所でもあります。しばらく当てていると深いところからリフレッシュしてきます.お臍に両手を重ねて、ぽかんと瞑想状態になって見てください。だんだん腹がすわって、ずっしり落ち着いてくるようです。おなかの調子もよくなりそう。

 からだじゅうどこでも気持ちのいいところに当ててみて構わないのです。十分自分で味わったら、回りの人ともやり合ってみてください.また別の次元のコミュニケーションができるはずです。

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2015-16フィンランド洛北日記抄 (7)

2016年9月29日 6:00

写真


漱石と比叡山の二つの道

 

 

漱石と比叡山の二つの道

 雲母坂を実際に上がってから書きたいと思っていた。往復四五時間が作れないはずがない。なかなかその元気が出ない。山というのは久々に登ると、死ぬかと思うほどつらい。何日か続けたりしていると、だんだん楽になって,その日だけ同行した者とえらい差がついてしまう。しょっちゅう六甲に上がっていた四十代のはじめでもそうだった。今はその程度で楽にあがれるようになるかどうか、自信がない[これは2005年の文章である。今は足が弱っていて、車で上がって近所を散策する程度しか可能性がない]。

 漱石が比叡に上がったときもけっこう大変だったと思う。何度も寝転がって休む場面が『虞美人草』にも書かれている。
 『京都文学散歩』という本に『虞美人草』のことが出てくる。『虞美人草』の最初の部分は東京から京都を訪ねた二人の青年が比叡山に登る所から始まる。

「今日は山端の平八茶屋で一日遊んだほうがよかった。今から登ったって中途半端になるばかりだ。元来頂上まで何里あるのかい」
 「頂上まで一里半だ」
 「どこから」
 「どこからか分かるものか、たかの知れた京都の山だ」〉

 山端というのがいま私の住んでいる町である[2005年当時]。平八茶屋はわが家から三百メートルくらいのご近所だが、本膳料理、若狭の海魚料理が二万円から二万五千円、名物麦とろでも四千円から五千円、宿泊もできて三万五千円という格調の高い所なので、前を素通りするだけである。
 そのあとに、初めての新聞小説『虞美人草』で張り込んで展開した漢文調まじりの美文の典型で、登って来た道を振返る箇所がある。
〈 春はものの句になりやすき京の道を、七条から一条まで横に貫いて、煙る柳の間から、温かき水打つ白き布を、高野川の磧(かわら)に数え尽くして、長々と北にうねる路を、おおかたは二里余りも来たら、山は自ら左右に逼って、脚下に奔る潺湲(せんかん)の響も、折れるほどに曲がるほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更けたるを、山を極めたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾を縫うて、暗き陰には汁一条の道に、爪上がりなる向こうから大原女が来る。牛が来る。京の春は牛の尿(いばり)の尽きざるほどに、長くかつ静かである 〉

 『虞美人草』は東京を舞台とした恋愛小説で、比叡山が主役というわけではない。しかし全編を読み通しても最も印象に残るのは,最初の、二人の青年が比叡山に上がる所である。冒頭のせいもあってていねいに書き込んである。

 『京都文学散歩』でこの項目を担当した河村吉宏氏は元の京都新聞論説委員で造形芸術大や仏教大学の講師もしている人だ。この部分に触れて、「着物の裾をはしょって、雲母坂から比叡山に登るのは」と書いている。それで、すっかりそのつもりでいた。雲母坂とは前にも書いたが雲母湯とか雲母漬けの店というのが家から十分ほどのところにあって、そこから比叡に上がって行く道である。きらら坂と読むが「うんも」がキラキラ下から見えたための名だとか、道から雲が湧くようだとかの諸説がある。ところが水川隆夫という京都女子大で文学を教えていて引退した人の『漱石の京都』という本によると「四月九日、漱石と菅虎雄は、早く朝食をすませ、昼食を持参して、八瀬から比叡山へ登るために家を出た。狩野享吉は出張で東京に出かけていて留守だったと思われる」とある。

 狩野享吉はもともと漱石に東京帝大に孔子の口を世話してくれた友人だ。その狩野が京都帝大文科大学の学長になった時に漱石を英文学かの教授として招こうとする。漱石は東京で闘いたい俗物がたくさんいるのでと断るが、京都は大好きだ。仕事ではなくて遊びに行きたいと書く。明治40年には朝日新聞社に入社して時間の余裕もでき、漱石は京都にやってくる。菅は独文科にいた頃の同窓生である。東京から京都と言っても、二時間余りで来られる今とはだいぶん違う。この時で神戸行き特急で11時間半かかっている。もっと前、二六歳で子規と二人で京都を歩いたさいには17時間40分もかかっている。

 その菅と二人で比叡に上がる。日記には「高野より登る」とある。そうとすれば雲母坂である。しかし水川氏によるとこれは「上高野」の書き間違いだと言う。とにかく、高野から修学院離宮の方に上がって[赤山禅院の前を通り]雲母坂を使ったのではないというのだ。なぜか。ひとつは「天武天皇の落ち玉える昔の儘に、棚引く霞は長しへに八瀬の山里を封じて長閑である」というので、八瀬を通ったと考えられる。八瀬は雲母坂よりだいぶん北で、ここから松尾坂という登り口がある。〈温かき水打つ白き布を、高瀬川の磧に数え尽くして、長々と北にうねる路を、おおかたは二里余りも来たら、山は自ら左右に逼って〉というアプローチはどうも八瀬口としか思えない。

 これだけなら、雲母坂から上がって八瀬を見下ろしていたのかも知れないと反論できる。しかし『虞美人草』の一では大原女に登山口を聞いた二人が「渓川に危うく渡せる一本橋」を横切って登ることになっているが、これは今は鉄筋コンクリートになった西塔橋、つまりケープルの登り口の橋に違いないと水川氏は言う。

〈「若狭へ出ても構わんが、いったい君は地理を心得ているのか」
「今大原女に聞いてみた。この橋をわたって、あの細い道を向へ一里上がると出るそうだ」「出るとはどこへ出るのだ」 「叡山の上さ」〉

 こんなに北に歩いていたら若狭に出ちゃうぞという愚痴が出たのだろう。だが若狭は花折峠を越してはるかに北へ一日である。
 ケーブルのできたのは大正十四年のことだから、西塔橋も漱石の頃は丸木橋である。西塔橋が叡山西塔への参詣道起点でもあった。ここから上がる松尾坂は八瀬西塔橋から西塔の釈迦堂に向かう古道である。雲母坂は御所からの勅使や、修行僧が使ったので「勅使坂」や「禅師坂」とも称される。三十いくつあるという登り口の中で京都側からのメインロードはこの雲母坂と松尾坂だ。

 漱石は二九歳で子規と来たときも比叡山に上がっている。明治二十五年七月九日のことだ。「七月九日、漱石と子規は左京区山端川岸町(当時は愛宕郡修学院村)にある平八茶屋で川魚料理を賞味したのち、比叡山に登り、その夜も柊屋に泊まったと推定される」と水川氏は書いている。作品中の〈山端の平八茶屋で一日遊んだほうがよかった〉というのは四半世紀前野子規との旅を思い出していたのかも知れない。二人の青年のある部分は、子規と自分が登りながらかわした戯言が反映しているのかも知れない。

 この若い漱石がどちらの道を登ったのか、年譜にもなく、どちらの本の著者も触れていない。私には一度目は雲母坂、二度目は松尾坂だったように思える。私は情けないことに雲母坂は半分まで、松尾坂は三分の一ほどまでたどりついて降りて来てしまった。だが途中の森と水は存分に楽しんだ。

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上田淳子『はじめてのシャルキュトリー』

2016年9月29日 9:03

 

 


 上田淳子『はじめてのシャルキュトリー』(河出書房新社)と村上武士『シャルキュティエのソーセージレシピ』(誠文堂新光社)の二冊を買った。私のように昔から料理本をずっと読んで来た者にとってもシャルキュトリーやシャルキュティエというのは初めて触れる言葉である。上田の本の最初に説明がある。「シャルキュトリーとは《chair(シェール)》=《肉、挽肉》と《cuit(キュイ)》=《火を通した、焼けた》という言葉がフランス語です。もともとは、豚肉の加工品やそれらを扱うお店のことを意味します」「本書では、現在シャルキュトリーで売られているものの中でも、本来意味する「豚肉の加工品」ーハム、ソーセージ、パテやテリーヌ、リエット、ベーコンーの作り方を中心にご紹介します。さらに、肉の加工品つながりということで、鶏肉のコンフィ、鳥レバームース、コーンビーフなどの豚肉以外のレシピも会わせてご紹介。この一冊で、肉の加工品のほぼすべてを作ることができます」。

そして保存料や着色料を一切使わない無添加であること、作り方が分かればもっと好きになる、何より買ったものよりずっとおいしいと書いている。 

 ソーセージを作るには、「腸詰め」であるから、腸がなければならない。羊の腸はウィンナーサイズのものに向き、豚の腸は直径2?3センチなのでフランクフルトのサイズに向いている。そして腸に宛てがう金口と肉を入れるための袋が要る。プロの人はそのための電動式の器械を持っているし、手回しで押し込む器械もある。たまに作るくらいなら手で押し込んで問題はない。

 最初に挽肉をビニール袋に入れて、徹底して揉む。この肉を袋に詰めて押し出して腸に入れ、腸を一本の腸詰めの長さに捻って行けばいい。凧糸で縛ったりもする。それを茹でて、出来上がり。これにドライトマトやトマトペースト,にんにくを入れるとプロヴァンス風、松の実とオレガノを入れるとイタリアン・ソーセージ、クルミの入ったノア、唐辛子を入れたチョリソ、牛乳や卵を入れて子牛で作るミュンヘン風の白ソーセージなどなど、思いのままである。腸を使わないテリーヌやパテ、トルコ風のケバブなどもある。そのあとにハムの作り方があり、レバームースやコーンビーフの作り方もある。ケバブとかコーンビーフとかは腸などが届く前にもすぐやれそうだ。レバームースの本格的なやり方も試してみたい。

 もう一冊の『シャルキュティエのソーセージレシピ』のほうはもっと分厚く、詳しい。第二ステップで勉強する本の感じだ。本の半分が、アジアのソーセージ、地中海周辺のソーセージ、オーストラリア・アフリカ南部のソーセージ、アメリカ・南米のソーセージと、ソーセージで世界の旅ができる。さまざまな香腸はぜひ作ってみたいし、リビアやアルゼンチンのソーセージもめっぽうおいしそうだ。透明なゼリーを使ったアスピックタイプのものもためしてみがいがあるし、血のソーセージもしてみたい。普通の肉屋では血は手に入らないが、どこかで流通しているのだろう。

 そんなに肉ばかり食べたいわけではない。昨日も残った挽肉と馬の刺身をピーマンに詰めたのを10個ほど作ったが、半分も食べられなかった。また今朝食べた。おとといのハンガリー風シチューも今朝仕立て直してまた当分食べられる。いろいろ作ってみたいペースに食欲の方がおいつかないと、誰かを呼ぶしかないわけだ。
 シャルキュトリーは私がこれまでまったく取り組んで来なかった分野だ。新しい自分に出会いたい。

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2015-16フィンランド洛北日記抄 (7)

2016年9月29日 6:00

写真


漱石と比叡山の二つの道

 

 

 



ロシアのサウナの話です

2016年9年27日  6:47

 

 

昨日 6:47

ロシアのサウナの話です。

北の都のバーニャ作法 2016年9月29日 アナスタシヤ・セミョノヴィチ, ロシアNOWへの特別寄稿
 サンクトペテルブルクには今も20ルーブル(およそ30円)という料金で入れる市営のバーニャ(ロシア式蒸し風呂)が残っている。

 ワシリエフスキー島の17番ラインにペテルブルクでもっとも人気のあるバーニャのひとつがある。大きなサウナ室と建物の全ての階を通過する形で設置された巨大なペチカを備えた本物のロシアのバーニャの料金はバスに1回乗るのと同じ金額だ。女性用サウナには60以上の荷物用棚があり、親切な女性従業員がいて、観葉植物がジャングルのように置かれていて、マッサージルーム、ペディキュアサロンがある。

サウナ室でのルール

バーニャで体と心をきれいに

 平日の料金は1時間半で45ルーブル(およそ70円)、毎週火曜日は割引デーで20ルーブル(およそ30円)。中では白樺や樫でできたヴェーニキと呼ばれるサウナ用の枝箒(発汗を促すために身体を叩くもの)が売られている。蒸気浴を楽しむためにやって来る人もいれば、近くにあるお風呂のない共同住宅から身体をきれいにするためにやって来る人もいる。サウナ室では40?60人の女性が暗黙のルールを守っている。そのルールとは、誰かが焼けた石に水をかけている間は、蒸気を「飲み込んで」しまわないよう黙っていること、そして蒸気が充満しないうちは枝箒を使わないというものだ。かなり年老いた女性が杖を片手に、湿った木の階段を一段一段つらそうに登っている。女性は階段を登り切ると幸せそうに蒸気を吸い込み、こう言う。「娘さんよ、腰を温めておくれ。でないと家に帰れないからね」

 このバーニャは人口の多いワシリエフスキー島にある最後の市営のバーニャである。数年前、ガヴァンスキエ・バーニが閉鎖されて以来、17番ラインを訪れる客は「元ガヴァンスキエの客」と昔からこのバーニャに通う常連客とにはっきり分かれる。また街の中心部により近いところにもう一つ、さらに古く、有名なバーニャがある。

犯罪の巣窟、映画のロケ地

 現在、4番ラインの角の家に「ジンジャー」と書かれた派手な看板がある。この建物は19世紀にバーニャを作るために特別に建てられたものだ。それから167年間にわたり、サウナとして、お風呂として、くつろぎの場所として愛されている。ここは7つの部屋に分かれていて、その中には子連れの母親のための部屋もある。女性用サウナ室で正しくサウナを楽しんだ後、わたしは女性従業員の助言に従い、男性用サウナ室へと向かった。従業員曰く、男性用サウナ室にこそ常連客がいるということだった。男性用の廊下への入り口できちんとノックする。従業員、マッサージ師、そして客たちは皆20年から30年もの付き合いだという。彼らは1990年代、このバーニャが地元の犯罪者たちの巣窟だったことを記憶している。

 客のひとりウラジーミルさんは言う。「犯罪者たちがここにやってきて、ゴールドのチェーンや十字架をピカピカさせて、このサウナ室に腰掛けていたよ。でも派手な争いはここでは起きなかった。やはりバーニャは彼らにとっても聖なる場所なのだろう。1994年、ワシリエフスキー島では27件の依頼殺人があったんだ。島だけで、だよ。わたしは当時、地元の警察で働いていたからよく知っているのさ」

 一方、4番ラインのバーニャが有名なのは犯罪者の巣窟だったからではない。毎週、有名なロシアの映画監督アレクセイ・バラバーノフがここに通っていたからだ。またロシアのカリスマ的映画となった「ブラート(ブラザー)」に登場するバーニャのシーンはここで撮影された。ホールの壁には映画のシーンを映した写真が飾られている。30年にわたってバーニャで働く地元のマッサージ師イーゴリさんは「リョーシャ(バラバーノフ監督の名前アレクセイの愛称)のことはよく知っているよ。サウナが好きでね。昔はレンフィルム(ソ連の大きな映画会社)の指導部がみんなでここに来てたよ。当時は大きな会社の社員たちが連れ立ってここに通っていたんだ。それぞれの会社が何曜日にくると決まっていたものさ」

バーニャではみんな平等

 このバーニャは、他の多くの施設同様、1990年代に市営から民営となった。市営として残ったのは指導部が当局と良好な関係にあったバーニャのみで、そうしたバーニャは市からの資金を受け取り続けている。しかし誰もが600ルーブル(およそ940円)もの料金を出して「ジンジャー」に定期的に行けるわけではない。
 バーニャの従業員たちは、バーニャの経営は概して赤字だと打ち明ける。しかし人々には安価でサウナに入ったり、身体を清潔にしたりできる場所が必要だ。マッサージ師のイーゴリさんはこう話す。「ワシリエフスキー島にはお風呂のない共同住宅がたくさんある。それにお風呂があったとして、バーニャのようにはきれいには洗えない。しかもバーニャは身体と心をより健康にするのです。バーニャではみんな平等なんです。1990年代、わたしは地元のすべての権威者、それから地元の警察官全員の背中を治しました。しかしわたしは誰にも何もしてもらっていません。なぜならわたしはマッサージのスペシャリストとして、彼らによいマッサージを施しただけだからです」

 平日の夜にわたしは別の市営のバーニャに足を運んだ。ペトログラツカヤの方にあるチカロフスキエ・バーニである。戦後のアンピール様式風に建てられた円柱のついた立派な建物で、2つの翼廊があり、1つはフィンランド式サウナ、もう1つはロシア式サウナで、入場料はそれぞれ35ルーブル(およそ55円)、45ルーブル(およそ70円)となっている。バーニャに入ってみた。

 女性用サウナ室の従業員エレーナさんは言う。「お客さんはいろいろな理由でここにやってきます。習慣だという人、健康のために通う人。たとえば98歳のおばあさんがいて、彼女は歩くのも困難で、恐らくサウナに入ってはいけない健康状態ではないかと思うんですが。しかし彼女は1ヶ月に1度、サウナに来るんです。しかも着替えを手伝おうと申し出ると、毎回必ず断るんです。『背中だけ拭いてくれさえすれば、あとは自分でゆっくりできるから』と言ってね」

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2015-16フィンランド

ショスタコーヴィチは私が子供時代親しんだ作曲家だった

2016年9年27日 7:05

ショスタコーヴィチ


私は背伸びしてショスタコーヴィチの指揮をしたかった

 

 


ショスタコーヴィチは私が子供時代モーツァルトとチャイコフスキーと並んで親しんだ作曲家だった。ロシアNOWに西端110年の記事が載ったので、転載する。私は背伸びしてショスタコーヴィチの指揮をしたかったが当時の中学のブラスバンドではまったく無理だったので、ムラヴィンスキーなどのレコードを聴きながら自宅の暗い部屋で指揮棒を振って、「指揮しているつもり」になっていた。有名な七番よりソ連の文化官僚との全面対決になった五番のほうが今でも好きだ。この記事にはショスタコーヴィチが終生官僚主義と闘わねばならなかったことは一言も書いていない。


ショスタコーヴィチ 7つの事実 2016年9月25日 アンナ・ポポワ、ロシアNOWへの特別寄稿
 9月25日は作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチの生誕110年にあたる。交響曲第7番(レニングラード)などの作曲者として知られるショスタコーヴィチについて、7つの興味深い事実を集めた。


1. 映画のピアノ伴奏の仕事をしていた


 ショスタコーヴィチは幼年時代から音楽に関わる仕事をしようと心に決めていた。そして1919年にペトログラード音楽院に入学した。ロシア革命が起こり、第一次世界大戦が終戦し、激しい内戦が繰り広げられていたころのことだ。音楽院の教室は寒かったが、ショスタコーヴィチは音楽を諦めることなく、毎日オーケストラのコンサートに通っていた。1923年、ショスタコーヴィチは映画のピアノ伴奏者の試験に合格した。映画が上映されている1時間半、映像に合わせて即興でピアノを演奏するという仕事だった。ショスタコーヴィチは気に入ったフレーズを残し、それを発展させ、繰り返し弾いた。そうして、映画の登場人物ひとりひとりのメロディーを作っていった。


2. ピアニストを目指していた

 ロシアの優れた作曲家セルゲイ・ラフマニノフを見習い、ショスタコーヴィチは作曲だけでなく、ピアニストとしてコンサート活動を行おうとしていた。ショスタコーヴィチは1927年にワルシャワで開かれた第1回ショパン国際ピアノコンクールにも出場。自作の曲をいくつか演奏したが、その結果はディプロマを受賞するにとどまった。

3. 卒業制作の曲が世界中で演奏されている

 ショスタコーヴィチは19歳で音楽院を卒業したが、その卒業制作として書いたのが交響曲第1番である。この曲を聴いたドイツの指揮者で作曲家で、ベルリン市立歌劇場の音楽監督だったブルーノ・ワルターはすぐにスコアを送付してほしいとショスタコーヴィチに依頼した。そして1927年11月、国外での初演が実現した。交響曲はワルターに続いて、レオポルド・ストコフスキー、アルトゥーロ・トスカニーニによって指揮された。

4. 交響曲第7番は包囲されたレニングラードで演奏された

 ショスタコーヴィチが交響曲第7番の作曲に着手したのは、大祖国戦争が始まった1941年9月のことだ。第3楽章までをレニングラードで書いたあと、12月にクイブィシェフ(現サマーラ)で完成させた。そして交響曲は1942年8月、レニングラード・フィルハーモニーにて演奏された。演奏家たちは厳しい生活環境に置かれながらも力を尽くし、リハーサルを重ね、聴衆を前に演奏した。会場は空席ひとつなかった。市街では爆撃が続いていたが、ホールの明かりが消されることはなかった。レニングラード中がこのシンフォニーを聴き、またレニングラードとともに全世界がこの音楽を耳にした。交響曲第7番の楽譜はイギリスとアメリカにマイクロフィルムで送られた。


5. オペラ、そしてソ連の歌謡も作曲した


 ショスタコーヴィチはクラシック音楽の大作を残した作曲家として知られる。実際、15の交響曲、3つのバレエ音楽、3つのオペラ音楽を書いた。しかし実はショスタコーヴィチの興味はさらに広いものだった。ピアノ組曲プレリュードとフーガ、オペレッタ「モスクワ―チェリョームシキ」、映画音楽、交響詩…。エヴゲニー・エフトゥシェンコ、アレクサンドル・ブローク、ミケランジェロ、ギヨーム・アポリネール、フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩による曲もある。

6. ソ連航空宇宙学のテーマとなった歌がある


 ショスタコーヴィチが作曲した「祖国は聴いている、祖国は知っている」という歌の一部は全ソユーズラジオのジングル(コーナーや楽曲の切り替わりなど番組の節目に挿入される短い音楽)となり、メロディーには初の人工衛星のシグナルが使われた。そしてユーリー・ガガーリンも着地の際にこの歌を口ずさみ、歌はたちまちソ連航空宇宙産業のテーマ曲となった。


7. ゴーゴリの中編小説をオペラにした

 ニコライ・ゴーゴリの風刺小説『鼻』は、ショスタコーヴィチのもっとも有名な作品のひとつであるオペラ音楽の下敷きとなった。リブレットの執筆にはショスタコーヴィッチのほか、作家のエヴゲニー・ザミャーチンが参加した。しかし初演は失敗に終わり、16回の公演が行われた後、レパートリーから外されることとなった。『鼻』が世界的名声を博したのは1960年代のことで、ロシアだけでなく、外国でも上演された。また2000年に再びこのオペラへの関心が高まり、マリインスキー劇場で上演されたほか、ローマ歌劇場でもペーター・シュタイン演出で上演された。さらに2010年にはメトロポリタンオペラのレパートリーにも加えられた。メトロポリタンでの演出は現代美術家のウィリアム・ケントリッジが手がけた。

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ロシアはマクドナルドや

2016年9年27日 7:28

 

 


ロシアはマクドナルドやケンタッキー・フライドチキンやバーガーキングに占領されなかった世界でも珍しい土地だ。マクドは店を出したが、今や全面撤退の様相となり、ほかのファストフート店も流行っていない。それは、ロシアには豊富な伝統的ストリート・フードがあって、町中はそのスタンドで占領されているからだ。

ロシアのストリート・フード7種 2016年9月22日 ジナイダ・クナコフスカヤ, ロシアNOWへの特別寄稿

 ロシア人は家庭料理をとても愛するが、時間のない時にボリュームのあるものを食べることもある。ロシアに来たらぜひ試食してほしい、人気の高いストリート・フードを、7つ集めた。


チェブレク

 このカフカス&クリミア・タタール料理のチェブレク(羊肉入り揚げパン)は、ロシアのほぼ全土で定着している。イースト菌を入れない薄い生地の中に、香辛料入りのひき肉を詰めて、高温の油ですばやく揚げる。チェブレクを食べるときは気をつけなければならない。中からジュワっと出てくる肉汁でやけどをし、また服を汚してしまう可能性がある。チェブレクは、「チェブレチナヤ」という食堂で食べることができる。こういった食堂にはソ連のイメージがある。


ブリヌィ
 ロシアで一番人気のストリート・フード、ブリヌィ(クレープ)は、昔から「マスレニツァ(乾酪週)」の民衆の祭で食べられていた。21世紀になると、ファーストフード店でも買えるようになった。ブリヌィ・チェーン「テレモク」では、客を「スダリ(旦那様)」、「スダルィニャ(奥様)」と昔風に呼んでいる。まん丸なブリヌィを数分間焼いた後、好きなものを入れる。満腹感のあるブリヌィにしたければ、ハム、チーズ、またはイクラを入れよう。甘いブリヌィにしたければ、ハチミツ、ヴァレニエ(ジャム)、練乳を入れよう。

ポテト

 ロシアで今日最も人気のある根菜。これが普通にストリート・フードになっていても不思議ではない。ストリート・フードとしてのジャガイモの人気を最初に高めたのは、ファストフード・チェーン「クロシカ・カルトシカ」。時間の経過とともに、店名は普通名詞になった。焼いたジャガイモに縦に切れ目を入れ、さまざまなものを詰める。中身はチーズ、バター、キノコのマリネ、ディル入り羊乳チーズ、赤身の魚など。

シャウルマ

 シャウルマとは、トルコのドネルケバブやギリシャのギロスに似た中東料理。1990年代初めに全国に爆発的に広がった。シャウルマの屋台は今や、地下鉄のどの駅にもある。店の中をのぞくと、垂直な串に刺された肉のかたまりから、薄く切り落として、野菜と混ぜ、ケチャップ、マヨネーズ類を加えて、ピタパンでくるんでいる。

ポンチク

 ソ連時代に人気となった甘いストリート・フード、ポンチク(揚げドーナツ)。現代とは異なり、厚手の紙袋にいくつか入れ、粉砂糖を振りかけて売っていた。このふっくらポンチクは食堂「ポンチコヴァヤ」で売られている。サンクトペテルブルクで、1970年代風のふっくらポンチクを食べることができる。

ボイルド・コーン

 茹でトウモロコシである。大きな鍋で茹で、塩を振り、バターをのせて、みずみずしいトウモロコシをいただくまでの待ちきれない時間を、ロシア人の誰もが知っている。通りでは、食べやすいようにスティックが刺さっている。ソ連のニキータ・フルシチョフ時代、トウモロコシは「平原の女王」と呼ばれていた。大きな国の腹を満たす食料として、とても期待された。今日、トウモロコシは「公園と保養所の女王」と呼ばれている。そこで売られていることが多いためだ。

ピロシキ

 ピロク(ピローグ)は、パイ、タルト、パン、またはケーキである。小さいピロクのことを単数形でピロジョクといい、複数形でピロシキという。このピロクとは、宴会を意味する古代ルーシの「ピル」という言葉からきている。宴会にこの料理が欠かせなかったということだ。現代人はピロシキを毎日でも食べることができる。一部のピロシキは完全な昼食になる。魚、肉、米、キノコ、ネギと卵、野菜、ベリー、果物などが入る。あきることはない。

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2015-16フィンランド久々に冷蔵庫の掃除をしたら

2016年9月30日 7:48

淳平


みかけない箱が出て来た




淳平 久々に冷蔵庫の掃除をしたら、みかけない箱が出て来た。エストニアのチョコレートかなと思って蓋を開けたら、なんと菊の御紋のついた金銀のチョコレート。表が菊の御紋で、裏が二重橋の向こうに富士山が見えるシュールな映像。金10枚と銀5枚である。誰がくれたのか記憶がない。何年くらい冷凍していたかも自覚がない。ロッテ製菓かと思いきやロック製菓という聞いたことのない所。ちょっと調べてみたら、園遊会とか皇居の勤労奉仕に行った人が、皇居の売店で買うものだそうだ。500円というから安いものだが、普通では手に入らないものだから、もっとありがたがらなくてはいけない。味は普通のありきたりのものと書いてから、罰が当たると反省している人がいた。それは菊の御紋がついていれば、特別のものと思いたい。感激しそうな人に出してやればよかった。自分では甘いものはあまり食べないから、またいつか宴会を盛り上げるために再冷凍しようか。

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タイムライフのドイツ料理の本を読んでいて

2016年9月30日 13:49

 

 



 タイムライフのドイツ料理の本を読んでいて、ソーセージを作っている写真が出て来た。小さな金属の輪っかに腸をはめて、そこに挽肉を詰めている。器械もあるらしかったが、このいかにも手作りで押し込んでいるというのが気に入った。どうしたら手に入るかなと思って、ドイツ人独峰に相談した。誤解して立派な器械をもってこられてもいけないから、とてもシンプルな輪っかだけあればほしいのだがと英語で書いた。私は高校時代ドイツ語を取っているがもう完全に忘れているし、独峰は日本語は普通に話すけれど文章は読めないので、ふだんメールはすべて英語である。なんか探してみますよと言ってくれた。彼は11月に十数人の弟子を連れて日本ツァーをやることになっていて、その時気功講習もする。梨木神社の場所取りもしてあげた。

 だがシャルキュトリーの本を見つけて、ネットで探すと、羊の腸と口金と袋とで2000円程度で手に入ることが分かって、注文した。独峰には「日本で手に入ったからいいですよ」と書いた。
 腸が届くまで、腸に入らないメニューを先に作ってみよう。今日はこれからトルコ風の「カバブ」とレバームースとコンビーフの材料を探しに行く。カバブも普通の串焼きは何度もしているが、挽肉をジップロックに入れて練って練ってと作るのは初体験だ。レバームースもいつもいい加減な作り方をしているが、フードプロセッサーはないのでミキサーでしてみるというのはこれも初体験。もうひとつ、コンビーフは買うものと決めていたが、牛を柔らかく煮て行って手でほぐすというのも、これまた初体験だ。

 料理は慣れたことを慣れた手順でできることの何千通りのストックがあるけれども、それでもよく知っていることを繰り返すだけでなく、日々知らないことに挑戦したい。初めてのことがあるだけ、精神の老化は遅くなる。

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