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2016年10月

 

 



2015-16フィンランド久しぶりの「発見」だった。

2016年10月 1日 0:01

淳平


さろん淳平のことである




久しぶりの「発見」だった
さろん淳平のことである

 久しぶりの「発見」だった。さろん淳平のことである。
 晴れたので近くの家具屋をまわってみようかと、北大路通りを東に走った。ひとつは開いてないし、あと2カ所ではちょっと大きすぎてぴったりしたものがなかった。大きさというより奥行きが20センチ程度のものを探しているのだ。一軒では韓国の薬箪笥があった。120くらいの小さな引き出しがついた、すばらしいものだった。外側の模様がいいと主人は言って「楢材です」と説明した。ひとつひとつの引き出しに、葛根とか桂皮とか書いてある。うちの教室の正面に置けるし、台所に積み上げてある20くらいの薬はすぐに入れられる。いや、ほんとに欲しくなったが、80万もする。「これだけ稼げたら、真っ先に来ますよ」「ぜひ、お待ちしてますよ」と店を出た。

 家具屋はまた探すとして、下鴨本通のナカムラでベーコンとカバブとレバームースの材料を買って帰ろうとして、さろん淳平に突き当たった。

 疲れたことだし、お茶くらいと思っていた。いつも素通りしていた町家ののれんが気になった。さろん淳平と白木の看板がかかっている。黒塗りの格子戸がある。靴をぬいで玄関を上がる。八人から十人の席があちこちにあるが、廊下にある二人席に行った。豊かな庭木に面していて,気持ちがいい。子供時代の庭にあったヤツデがすきで、ヤツデが二三カ所ある雑木っぽくしかも整っている庭である。コーヒーゼリーを頼んだ。水のほかにほうじ茶がついてくる。その茶の入った赤い陶器といい、コーヒーゼリーの器といい、ため息の出るようなものばかりだ。大テーブルでおばあさんが三人話していたが、新年の歌会の締め切りが今日だとか、ホットカーペットがすり切れて買い替えたとか、孫のメールの言葉遣いが変だとか、どうでもいいおしゃべりをしているのを聞くともなく聞いている。

 表の一文字瓦とか屋根の鍾馗さんとか、米俵がぶつかっても大丈夫という意味の米屋格子とか、家の作りを伝えるパンフがあって、「店内ご自由にご覧くださいませ」と書いてある。腕木、通り庭(火袋)ねずみいらず、葛石、舞良戸、狆潜りと説明無しにはわからない仕組みが。押し入れを開けると二階への隠し階段がある。二階は貸しスペースになっていて、一時間1000円一日5000円で貸してくれる。

 11月の三日から六日には「猫の宴」がある。陶芸、創作人形、切り絵、写真、木工,人形などに寄る猫の展示会だ。一も二もなく来てみたくなった。

 トイレに行ったら、手水の水にもヤツデが浮いていた。しょっちゅうは行けないにしても、月に一度二度「淳平で本を読む日」があってよさそうだ。
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2015-16フィンランド洛北日記( 最終回 )

2016年10月 1日 5:12

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八つ橋は箏の形



洛北日記最終回

八つ橋は箏の形

 八つ橋と言えば京都を代表する土産物である。
 ひろく言えば「煎餅」の仲間だ。せんべいといえば、東京では草加煎餅に代表される米粉を醤油味で焼いたものをまず思い浮かべるに違いない。私自身そうだった。しかし関西では飛鳥時代に中国の小麦粉を油で練ったものが煎餅という名前で伝わったので、名前からすればこちらの方が古い。中国語でいえば「煎餅」(チェンピン)は小麦粉に葱など焼いたお好み焼き風のものを言う。小麦と砂糖を焼いた亀の子煎餅は空海が長安で知ってその作り方を京都の和菓子屋に伝えたとされる。今では亀の子煎餅と言えば岩手という感じだが、米粉と砂糖の煎餅はもともと神戸の楠公さんの菊水煎餅のような上方の煎餅の伝統を作ってきた。八つ橋は広く言えば煎餅の仲間だが、うるちの米粉と砂糖で作る点が、上方の小麦と砂糖の煎餅とも、関東の米粉と醤油で作るせんべいとも違う。そしてシナモンで風味付けしている所が非常に珍しい特徴である。

 私はと言えば八つ橋が苦手だった。きらいというほどではないが、わざわざ食べたいとは思わない。柔らかいのやあん入りが出て来てその方が食べやすいが、それほどひきつけられたわけではない。黒ごまのがでてきて、はまった。自分のために買うことはないが、中国に行ったりアメリカに行ったりという時に空港で土産に買うようになった。やっと日本を代表できるレベルの味になったのである。

 この八つ橋が実は人名だということを知らなかった。いや、八橋検校のことは知っていたが、八つ橋の語源だとは知らなかった。釣谷真弓の『おもしろ日本音楽史』という古代から現代までの日本の音楽の歴史を書いた本の中で、日本の琴の寛政者と言っていい矢橋検校のことがあつて、その墓が金戒光明寺にあり、その門前に琴をかたどった八つ橋を売る店が出来たと書いてある。この寺は法然が比叡山を下りて拠点とした寺で、比叡山の黒谷にちなんで「黒谷さん」と呼ばれる。岡崎の北の高台にあって、この墓地から西山に沈む夕日を拝むのがすばらしい。

 八つ橋のメーカーは六つ七つあるようだが、聖護院八つ橋と本家八つ橋西尾が八橋検校没後四年の元禄二年(1689)に森の参道で琴の形の干菓子を売り出し、八つ橋と名づけたということらしい。ふたつの会社がともにこの茶店の継承者なのか、もともと二つあったのか、そのあたりは互いの説明ではよく分からない。あの八つ橋が彎曲しているのが「琴の形」だったと初めて気づいた。井筒八つ橋が百六十年余りあとの文化年間の創業、そのほかはおおむね戦後の出発のようだ。

 門前に市を立てて成り立つくらいに、参詣に来る八橋検校の弟子とその関係者は多かったのである。八橋検校の孫弟子の生田検校が「生田流」を立て、五代あとの山田検校が「山田流」を立てて、日本の琴はこの二つの流れになったが、歴史的功績から言えば八橋検校の方が遥かに大きく、二台流派もその手のうちにあることは誰でも認めている。

 八つ橋自体が八橋検校の発明だと言う話もある。「常に物を大切にする検校は特にお米を大切にしており、いつも米櫃を洗う時に残る米のことが気になっていた。ある朝、日頃何かにつけ世話になっている茶店の主人、岸の治朗三が井筒で米櫃を洗っているのに気づき、残った米を捨ててしまうのはもったいないと諭し、小米、砕米、そしてその残りの米に蜜と桂皮末を加えて堅焼き煎餅を作るといいと教えました。これが京の堅焼き煎餅の起こりと伝えられています」という話がある煎餅のサイトにあったが出典根拠は示していない。

 私たちはふだんなにげなく「琴」(こと)という言葉を使っているが、これは「琴」(きん)と「箏」(そう)そしてその他の雑多な伝統弦楽器の総称である。「琴」(きん)は中国の楽器で、日本の伝統楽器「箏」(そう)では柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対して、琴(きん)では柱が無い。伏羲や神農や舜の名前と結びつけられる中国の琴は江戸時代に日本に伝わって一時は中国をしのぐ隆盛を見たという。これは文人趣味の教養としてで、そこから職業的な演奏家がでることはなかった。「箏」(そう)は日本の伝統と言われるが、もっとずっと早く、奈良時代までに伝わったものが独自の発展をとげたものである。雅楽に使われる箏は「楽箏」とよばれ、民間に広まった物を「俗箏」という。八橋検校は琴ではなく、箏のほう、俗箏の名人であり、完成者である。よく知られた六段の調べなどはこの人の作ったものだ。箏の調弦を中国流の律音階から、日本で一般的になっていた都節音階に変えた。またどのようにしてか西洋のチェンバロの変奏曲に接して、同じテーマを変奏して行く曲を作ったと言われる。信長が西洋音楽に接して一定の教養があったことは知られていて、宣教師経由でそうした文化情報が入ったことも考えられる。八橋検校の没年1685年は、西洋音楽ではバッハ、ヘンデル、ドメニコ・スカルラッティの生年でもある。

 律音階というのは荒っぽく言うとドレミソラドであり、都節音階というのはミファラシレドである。明治期に伊沢修二ら官僚がドレミソラドの陽旋法を音楽教育の基礎に据えようとしたのに対して、中山晋平らは都節音階をベースに船頭小唄などを流行らせて行く。

 当時の箏曲の演奏家は盲人だった。按摩か箏曲が盲人の仕事として保護されていたのである。その組合を当道座といい、その最高位の人を検校といった。八橋検校は先に三味線に熟達してから箏の道に入ったため、柔軟な発送で一大革新を進めることができたともいえるだろう。箏曲は上方では地唄をベースに生田流の器楽曲を中心に発展し、三味線、胡弓と合奏する三曲が発達し、江戸では山田流が河東節と結びついて歌曲中心に発達した。三味線音楽が劇場音楽として、また芸者の芸として各階層に親しまれたのに対して、箏は「純音楽」だった。職業としてでなく、教養としては、武士の娘などに親しまれたらしい。当道座の制度が廃止されたのは明治四年である。

 八橋検校の墓が金戒光明寺にあるというので出かけてみたが、広い墓地だしもう真っ暗な時分で見つけられなかった。また朝から出かけてみることにしよう。東大路を降りて丸太町の手前を入るだけだから、ご近所なのである。この寺では一度気功の合宿をしたことがある。立派な門とだいぶん石段を上るので周囲の夜景がなかなかである。維新の時には会津藩主松平容保が京都守護職を命じられてこの金戒光明寺に千人の兵を置いた。家康の遠謀で、この寺はそのまま要塞になる仕立てをしていた。

 夕闇の迫る中、雲水姿で南無阿弥陀仏の旗を立てた十人ほどの僧侶が知らない念仏を唱えながら足早に通って行った。阿弥陀堂のほうからも読経がかすかに聞こえた気がしたが、空耳だったかもしれない。
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2015-16フィンランドカバブはおいしくできた

2016年10月1日 22:06

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合い挽き肉の串焼きだ



カバブはおいしくできた

合い挽き肉の串焼きだ

 カバブはおいしくできた。合い挽き肉の串焼きだ。挽肉をビニール袋に入れてよく揉む。塩や胡椒も入れる。もっともジップロックの大型の袋を買って来たのだが、揉んでいるうちに二カ所破けてしまった。つなぎ目のない袋の方がいいのか。100円ショップのいろいろな袋を見てみよう。ピーマンとタマネギをこまかく切ってまぜる。コリアンダー、クミン、シナモンなどをまぜる。これを長円形にまとめて、竹串を刺す。本では金串になっていたがとりあえずあるもので。これをオーブンで焼いて行く。

 レバームースは初体験。普通のレバーペーストは月一くらいで作っていたが、何が違うかというと、キモだけでモツは取り除くことと、生のままミキサーにかけること。いつもはゆでた肝を刻んで作っていた。本来フードプロセッサーなのだがあるものですませる。生のまま牛乳に漬けて半日おき、取り出して赤っぽくなった牛乳は捨てる。これをミキサーにかけ、バター、卵、赤ワイン、ブランデー、生クリームを入れてブレンドする。これをそばちょこ三つに入れて銀紙で蓋をし、オーブンのプレートに水を張って蒸して行く。15分では固まり切らないのでもう30分蒸し焼き。これは今まで作っていた物よりだいぶ上品で、すばらしい。

 ベーコンは豚の三枚肉の塊をまずオーブンで焼き、中華鍋にチップスを入れて餅焼き網を乗せてその上に三枚肉を乗せ、大きな寸胴鍋の蓋をかぶせて、スモークする。これで普通の煮たり焼いたりのように簡単にスモークできる。しかしネットを書いたりしているうちに、少し加熱しすぎてしまった。こげた感じで、堅くなったが、味はすごくおいしい。

 あとコーンビーフはまだ煮ている最中だ。四時間くらいかかる。ビーフの安い肉を塊で買って、小さく切り、煮て行く。肉が手でほぐれるようになるまで、煮て行く。だんだん小さくなって行くようで心細い。水を足しながら(もう四度足した)中火で煮る。なんか、四時間も経てばなくなって行く気がする。がまんがまん。

 とりあえずでき上がった物を大皿に盛ったが、それぞれをほんの少し切り取っただけで、食べる前に疲れてしまった。
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2015-16フィンランドひとりでできる気のワーク(13)

2016年10月1日 22:18

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寝る前にどうぞ


ひとりでできる気のワーク(13)


寝る前にどうぞ

【背骨ゆらし/左右・前後・右回し・左回し】
ひとりでできる気のワークは12回出たパンフレットの前に、前触れとして出した「100リスト」から続いていたので、もう一回ありました。

 この欄だけNO.13になったのは、最初の「気持ちよさ100の提案」のパンフレットから続いているからです。最初は気というものの性質を知ってもらうための自分ひとりや、ふたりでする実験を紹介していましたが、あとは自分で体験できる簡単な方法を八種類紹介してきました。これくらいでも毎日少しずつ体験を重ねて行けば、からだと心をほぐし、整え、自分を深く知って行くための手がかりをつかむのに役立っているはずです。ちょっとやってみて、頭でわかった気になってしまうのが一番だめで、繰り返し実行することからしか何も生まれてきません。これ以上の情報を外に求めるより、これらの「自己との対話法」をてがかりに、内に情報を求めてほしいのです。

 寝る前にちょっと坐ってやる、心とからだのリラックス法を紹介しましょう。これ一つでもちゃんと実行すれば「気功的生活」のドアをあけることができます。

 もう寝るだけになって、暗くして静かな音楽でもかけて、あるいは静寂を楽しみながら、布団にあぐらをかいて、上半身をゆったりと左右にゆらしていくのです。尾骨を中心にしたメトロノームの動きになるのですが、首の力も抜いてしまい[この時は前には垂らしません]、頭の重さで自然に背骨をひっぱるようにします。だんだんに背骨がほぐれていきます。

 次に前後に、眠くて「船を漕ぐ」ように動かします。あごを前後にまわすようにしてやると、首の力が抜けて、背骨がなめらかに動きやすくなります。

 首を垂らして前から右に回して行きます.適当に何十回かしたら反対回しをします。

 こり四種類だけで背骨は整い、背中、肩、腰がほぐれたのがわかります。自然治癒力の一番の要が背骨です。あまり「運動という感じではなく、静かに気持ちよく、波に身をゆだねるように、だんだん失神するような感じでやります。最初の左右ゆらしだけでもう十分という方はどうぞそのまま眠りについてください。

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2016年10月よく働いた日曜日だった

2016年10月3日 11:39

バイク


朝九時半から自転車で出て

 

 よく働いた日曜日だった。朝九時半から自転車で出て、北大路通を下鴨まで行き、そのまま北山駅を経て深泥池まで行った。十数人の人が水質調査などしているのを横目で見ただけで、池をかすめるようにして山沿いの道を東へ。自動車道がくるりと回って宝ケ池のほうに上がっている脇の階段の道を自転車を押して上がり、そのまま宝ケ池に出る。久々なので宝ケ池をぐるりとまわってみる。いつもの東屋のところでしばし坐る。いつも宝ケ池駅方面からここに来て一連の気功と基本的な足の鍛錬をしていたところだ。今日は日曜なので人が多い。鯉は相変わらず密集して泳いでいて、亀もたくさんまじって泳いでいる。鴨がその間を悠然と泳いで行く。
そのまま国際会館やプリンスホテルの前を通って、ほぼ半周してから北出口のほうに上がり、プリンスの方へ行って国際会館駅に出る道と、岩倉の円通寺のほうに行く道とが別れるが、岩倉の方に道を取る。急な下りが続き、右側に喫茶店ドルフが見えてくる。ここが今日の目的地のひとつだ。テラスの方に行って坐る。ガラス越に大きな十本に枝分かれしたけやきが見える。コーヒーと自家製のプリンをとった。日曜で、空いた席はほとんどない。五人のおばさんが大声で何やらしゃべり散している。そのこちらでは、ヤクザと情婦を連想させるカップルがタバコをふかしている。二人とも派手な和装で、女の方は帯に大きなハートが描いてあって、ひどく趣味が悪い。普通は和装の人を見るだけで気持ちがなごむものだが、いろいろあるものだ。まわりの客のおかげでなんとなく落ちつかない。特濃という感じのプリンはおいしかった。コーヒーも濃くておいしい。
早々にドルフを出て、コーナン宝ケ池店一号店に行った。工具部品専門の店で、トイレのカギが壊れているのをどうしようかと見に行ったが、結局簡単な掛けがねをつけるだけにして、70円ばかりのを買って来た。あとは京都市指定のゴミ袋のみ。すぐ近くのホームセンターコーナン宝ケ池上高野店に回ってみる。まず園芸の方に行って、植木鉢をいくつかと土など買う。鉢植えの並んでいる所でグズマニアを158円で見つける。有害な化学物質8種類のうち6種類を80%除去という物で、これでカネノナルキ、オリヅルラン、カクタスツリー、ドラセナとともにプロメリア(グズマニアはその一種類)が全部揃った。ついでにコリアンダーの種子も三袋買ってくる。
握力が著しく落ちている気がするので、ぎゅっと握るハンドグリッパー250円も買う。あとはスモーク用のチップの安いのを一袋。主として見に行ったのはキャスター付きの低い本棚をあと三つくらいデスク脇に入れたかった。2500円ほどであったが、ネットでも見てみることにする。
コーナンを出て北大路を下り、Very Berry北白川店に行く。山端町にすんでいた頃はよくここに本を読みに来ていた。店の前にUSAの国旗があるが、ハワイイの店で、たいていハワイアンがかかっている。ハワイアンとボサノバならいつまでも聞いていられる。ここでは焼きりんごとココナツのパンケーキをとる。いろいろうまそうなものはあるのだが、昔からこればかりだ。パンケーキ三枚にココナツクリームと焼きりんご、アイスクリームが乗っている。修学院にはもうひとつSpeak easyというアメリカ国旗の店がある。こちらはアリゾナかテキサスかというところで、中西部の店の古い仕立てにアメリカンブレックファーストを選べるようになっていて、こちらも愛用した。堀川からはちょっと遠い。
ここに寄った目的の一つは向かい側の中古家具の店にあった。ここでいろいろ物色し、無印良品の奥行き20センチ程度の本棚12000円を見つけ、買った。これはトイレに入れようと思っている。もうひとつ300リットルの冷凍冷蔵と三段の冷蔵庫が24000円で出ていたので、思い切って買った。今の冷蔵庫は日々これだけの料理をこなしているにしては小さいし、中のプラスチック板が折れてしまっていた。この古いのは水を冷やしたりの飲料専門にして、向かい合わせに置こう。
もう一軒最後に、一昨日来たばかりのサロン淳平に寄った。ロイヤルミルクティを頼んだ。なかなか自分ではこういう香りを出せない。廊下の二人席が空いていなかったので掘り炬燵の席に入った。二人席には元の京大教授かと思われる人がお茶を飲んでいて、蔵書の整理と管理がいかに大変かというような話をしていた。
ナカムラ下鴨店に寄って野菜を少し買って帰った。イノシシがまだだいぶ残っているので、その一部で味噌仕立ての鍋をしようか。九時半に出て、五時に戻った。結構な運動量で、疲れ果てて二時間ほど眠った。
夜半、明日冷蔵庫が届くので、台所の大掃除をした。焦げ付かせてあきらめかけていた鍋を二つ、復活させた。

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2015-16フィンランドからだにいい植木

2016年10月3日 17:08

サボテン


再録します

 

からだにいい植木。再録します。

そのうち、「一般的な VOC 8種類のうちの6種類を 80%除去した」 という強力な除去能力を持っていたのが、「ブロメリア」というもので、これはパイナップル科の植物のことで、「アナナス類」とか、あるいは具体的な名称ですと、「グズマニア」という名前でよく売られています。
ショップ系のサイトで検索する場合は「グズマニア」が最適かと思います。

このグズマニアは、街中の店などでは安く売っていることもあるのですが、ネットでは、豪華仕立てのかなり高い値段のものが多いです(このようなものとか)ので、安価なものは地道に探すしかないのかもしれません。

しかし、もうひとつの強力な除去作用能力(アセトンという VOC を 94%除去)を持つ「ドラセナ」は、ものすごく一般的なものです。
ドラセナというのは、熱帯アジア、熱帯アフリカにおよそ 50種類が分布する科で、様々な種類がありまして、「幸福の木」とかいう名前で売られているものもあります。下のはすべてドラセナです。

これは、比較的安価に購入できるもので、「ドラセナ」で検索すれば、楽天でも Amazon でもヤフオクでも数多く表示されます。
100円ショップなどでも売っていて、私の家にも何年も前に 100円ショップで買って、今では大きく育ったドラセナがいくつかあります(置き場に困りつつあります)。
それにしても、現実として、病院やネイルサロンやパチンコ屋にまで置かれているような、こんなに一般的な観葉植物が、実際に「アセトンを 94%除去している」というのは、置いてあることが単に「観葉」だけではなく、「効能」もあるということになりそうです。
その他の、オリヅルラン、カネノナルキというのは、それぞれ下のようなもので、オリヅルランは、いろいろな庭で見かけるものですが、せっかくなら、屋内に置いたほうが良さそうです。

・オリヅルラン

・オリヅルラン

・カネノナルキ

・kamezo.cc

「カクタス・ツリー」というのは、私にはわからないものでしたが、カクタスはサボテンのことですので、サボテン類の観葉植物ではないかとは思います。あるいは、サボテン類全般に大気汚染の除去能力があるのかもしれません。
ちなみに、上に出てきた植物たちの特徴として、「育てるのがとても楽」ということです。
忘れた頃に水をやる程度で十分で、あまりにも暗いところではダメですけれど、ある程度日光が当たるところで、たまーにケアしていれば、枯れるということはまずないと思います。
これらの観葉植物が枯れる原因で最も多いのが「水のやり過ぎ」です。冬などは、「水をやることをすっかり忘れていた」くらいでも大丈夫な気がします。本当に強いです。

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2015-16フィンランド本棚と冷蔵庫が届いた

2016年10月 4日 2:03

Tom House


本棚はトイレに入れるつもり

 

本棚と冷蔵庫が届いた。本棚はトイレに入れるつもり。使えなくなっている洗面所をはずして、そのあとに入れる。深すぎない。せいぜい20センチくらい。使いやすい。普通の本棚は本を一列並べてももう一列と思いたくなるくらい余計な奥行きがある。上四段が文庫新書サイズになっている。下の方はサイズが大きくなっているので棚板を足してもいい。洗面所をはずす作業があるのですぐには入れられない。冷蔵庫は今までの物よりだいぶ大きく、264リットルある。今までの物を窓際に移して、向かい合わせにした。移動させて三時間はスイッチを入れないでというのでそれに従って、夜中の一時になってスイッチを入れた。これから中身を移して行く。いままで冷凍庫が上段にあって、使いにくかった。古い冷蔵庫は清水の水を1000ミリリットルのボトルに入れた物が常時16本くらいあるので、それをいれて冷やしておく。他に飲み物を買ったときはこちらで冷やす。シャンパンなどもここで冷やす。ウォトカは冷凍庫に置いておける。野菜を今まで外に出していたが、新しい冷蔵庫に野菜スペースがある。あとはボウルや網の置き場所を考えないといけない。
この機会に、日曜の夜中を費やして、流しの下をすっかりきれいにした。かつてここに生活した二代のネズミの糞をとって、きれいに磨いた。どこに置いていたっけという古い鍋や、流し箱やが出て来た。パウンド型が大小三つも出て来た。昔愛用していた鍋を二つも焦げ付かせたまま置いていたが,一時間かけて磨き上げてぴかぴかにし、使えるようにした。大きな厨房でなら新入りに「おいこれ磨いとけ」とやらせる所だが、一人だから刺身作るのも煮物も皮むきも鍋磨きも全部自分でする。万年見習いである。

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2015-16フィンランド冷蔵庫はちゃんと機能しているが

2016年10月 4日 19:28

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余り入れる物がない

 

 

 冷蔵庫はちゃんと機能しているが、余り入れる物がない。チーズとバター、甘酒など。上段の奥にレバームースとコンビーフ、真ん中の段にタッパーに入れたカバブとかサーモンとタラをスモークしたものとキムチとか。冷凍庫には氷、野菜かごにはポテトとセロリ。まだこれから作って行くぞ。って冷蔵庫に入れるために作るにもおかしいけど。もうひとつの古い冷蔵庫には水の一リットルボトルを16本ほど入れた。鷹峰を越したところにあるおいしい水だ。まだこれ以外にタンクに30リットルほどある。
今日はまたコーナンまで遠出をした。一日置いてまた来たわけで、これくらいだと遠いという感覚がなくなっていく。まず100円ローソンで壁に貼って何かとぶらさげるフックというのか、これを買いに行った。ついでに一リットルのジンジャーエールが100円なので買う。
家具屋を覗きつつ行く。トイレには買った本棚は少し大きくて、枕書茶楼の小さい本棚を入れることにする。そこにちょうどこの本棚が入る。20センチの薄型本棚が好きなのである。文庫類を入れても前が空かず収まりがいい。トイレの古い洗面台はとっぱらったのだが、水道管がむき出しになっている。そこに本棚を置くと、後ろの板に穴を開けないと収まらない。それでこの部分を隠すような椅子なり棚なりを置こうと思い立った。35センチ四方のテーブルを作れたらいいのだけど、ぴったりの出来合いの家具が安く見つかればそれに越したことはない。いつも覗く一軒でちょうどいい感じの猫足の台があった。だがもっと大きいのとセットになっているし、値段がついてないが高そうだ。ご主人は留守で店は開いていない。また寄ることにしよう。
あと二軒ほどみたがはかばかしくない。最初はここまでで帰るつもりだったが、コーナンに足を伸ばす元気が出て来た。また鉢植えを見たくなって園芸の店にまず寄る。いろいろ見て回るが、買ったのはまた158円のを二つ。フィカスの下にホワイトサニーと書いてあるのと、ペペロミアとピクシィと書いてあるのと。どういう分類か分からない。あとでネットで調べてみよう。少しずつ育てやすいサボテン類でないのに踏み込んでいる。
材木とかはもうひとつ遠い店にあるから、目標を定めず全般に見て行く。棚についてはいろいろ見てみたがまだ買わない。木製の踏み台を買った。今もあるのだが戸棚の上の段の物だの、皿だのを取ったりするのに必要だ。風呂に入るのに足が上がりにくくなったことがあるのでこれは風呂場で使う。鍋を重ねて保管するとなると鍋のふたを別に収納したほうが効果的だ。と思って探したらちゃんとあった。シンクドア用なべぶたラックというもので、鍋蓋を三つかけられる。ふたつ買った。ついでにグラススタンドというのが500円と安かったので買った。洗ったワイングラスを六つから八つ下げておける。バーで見かけたことがある。
北山通りまで降りた所で、そうだ、Speak Easyに行って見ようと思いついた。修学院の駅から下がってすぐの所。おとついのVery Belly同様星条旗が下がっている。入り口に外人さんが一人坐っている。と見えるが人形である。Very Bellyはハワイアンだが、こちらは強いて言えばテキサスかアリゾナか。西部劇を連想させる。昔通っていた頃はずっと英語のテレビをやっていたが、いまはろくでもない日本の番組を流しているのは困ったものだ。四時すぎているが、昼を食べ損ねたので、目玉焼きとベーコン、トースト、ハッシュドポテトを頼む。コーヒーがついて850円。コーヒーは昔通り旨い。最初に赤と緑の二種類のタバスコ、ケチャップ、ソースにナイフフォーク箸がセットで出てくるのも昔通り。手塚治虫のブッダが揃いであったので、最終巻を見てみる。久々の手塚タッチに酔う。
向かいにいかりスーパーがあったので、白菜と椎茸と春菊を買った。イノシシ鍋の残りを食べようとしている。おとといよりずっと楽だった。頑張って遠乗りしたほうがいいのか。

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2015-16フィンランド津村喬の感性クッキング (1)

2016年10月 4日 19:31

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台所、見せます

 

 

津村喬の感性クッキング(抄録。1993年の文章です)



1 台所、見せます


 できあがった料理を「ハイ、どうぞ」と持ってくるのでなく、作るプロセスを「ほら、おいしそうでしょ」と見せてしまうやりかたをオープン・キッチン方式と言います。今度の「気功的生活カタログ」はオープン・キッチン方式で行きたいね、とある時みんなで話し合いました。この企画に参加したフェリシモのスタッフにとっても、私にとっても、どんなふうにしようかと話し合って行く中で本当に楽しい、さまざまな発見があったからです。その発見をナマに伝えながら、ほら、こんなものができつつあるんですよ、とお知らせするために、「気持ちよさ100の提案」と、それに続くことレターは作られました。


1994年の秋にフェリシモにとってもまったくあたらしい「気功的生活カタログ」(まだ仮の名前ですが)が出されます。その準備の中で考えていることをお伝えして、あなたにも台所にちょっと入ってもらえたらもっと楽しいなと思っているのです。

 この企画会議は、ビルの中でしないで、山でやろう、ということになりました。神戸の六甲山系のいくつかの場所で、風に吹かれながら会議をしたのは、今までのカタログ作りになかったことでした。


最初は再度山の灯篭茶屋のテラスの、まだ新緑というには早いもみじの下でやりました。小さなカップの蝋燭をいくつか灯し、中国の細長い船形の香立てに比叡山の香を焚いて、それだけでまわりの山から「しん」とするほどの霊気が立ち上がるのを感じてもらいました。この日は私から「自然を五つのエレメントでとらえて深く自然と付き合う中国の伝統思想を商品構成の一つの基礎にできないか」という提案をしました。五つのエレメントというのは木・火・土・金・水のことで、古代中国の人々は世界の一切をこの五つが変化したものとして見ようとしました。周りの山の上の量感と小川のせせらぎを全身で感じ、もみじや桜の木ずれの音を聴き、蝋燭の火を見つめていると、見えている一つ一つのものが大自然の一部なのだと、あらためて実感してしまいました。


 私はフィンランドに何度も通った体験から、その森と湖のことを話し、気功法などしなくてもいいほど自然な生活を「気功的生活」と呼ぶようになったいきさつを話しました。

 フィンランドでは白樺がとても好かれています。白樺は貧しい土地にまず生えて、自分が枯れてほかの木々がそこで育つようにするので「お母さんの木と呼ばれています。

 白樺を暖炉にくべて、いつまでもその美しい炎を見ます。サウナも白樺で焚き付けて熱の力が熱に変わったものとして、「火加減」にまるで人格があるかのように尊敬を払います。白樺でまな板や皿を作り、フォークを作り、白樺の若い枝でからだを叩いてマッサージし、白樺のタールやその巻きを燃した灰を薬として珍重します。「でもなんといっても白樺が好きになってしまうのは」、私はもったいぶって鞄から白樺の樹液のジュースを出しました。北海道でこの春の樹液を詰めて売ってくれる人がいたので、一人に一本ずつもって来ていて、それが自慢だったのです。何も添加していない樹液だけで、ほのかに甘く、果てしなく透明な感覚です。雪の融けた春のせせらぎがあんな風に空に向けて立ち上がって、こんなにおいしいいのちの水になるとはー「お母さんの水」の素晴らしさが舌と喉でわかった気がしました。

 たとえば白樺物語を頭にはっきりと描けるとき、木の道具と今までとは少し違った出会いができます。商品の数だけ物語ができれば、その品物の産まれた自然環境につながる行動の道筋ができます。そんなカタログが可能でしょうか。


 この企画会議は六甲山の上の茶屋「登六庵」で緑の風に吹かれてもしましたし、布引ハーブ園で夕日をもろに浴びながら、また海辺の須磨観光ハウスで座敷じゅうめいっぱい中国西南少数民族の工芸品を飾り付けた中でも持たれました。フェリシモの人々は気功の奥の世界に次第に触れて、自然体の不思議や自然への感受性ということへの深い気づきを重ねて行きました。私のような気功の世界でしてきたものに取っては、特別の愛好者でない普通の若い女性にどんな風にこの奥深い世界を伝えたらいいのか学ぶことばかりでした。真剣に仕事をしましたが、でも楽しい時間でした。
「登六庵」では私が持参した世界各地の気を感ずるグッズを皆で試してみました。フィンランドの湖のように青いガラスのピラミッドが「すごい」という人もいました。竹と一緒に数千度で九回焼いた韓国の塩の強い陽気を感じたり、五台山の霊水の波動を感じたり、いろいろな体験をしました。ハーブ園では私が持ち帰ったばかりのハワイイの伝統的な守護神像を巡って論議したり、匂いや音といった五感の拡張をどうしていけるかを論議したりしました。須磨では「Oリングテスト」等、このレターの「気のワーク12ヶ月」二でてくるようなことをみんなでこってやってみたり、結局「気持ちいい」というのが自然と自分の出会う場所だから、気持ちのよさを洗練して行くことが大事、とそろそろ結論の見てきた話をしたりし増したるそこで「気持ちのいい経験100メニュー」の原型が提案されもしのです。

 気功的生活という言葉は中国ではなくてフィンランドで出てきました。私たちが便利な文明生活の中でもう忘れていた自然と一体になった暮らし、しかも原始生活というのでない、とても快適な暮らし。

それを味わってみるために皆で行きませんか、と社長に提案しました。社長は忙しくて日程が取れませんでしたが、編集の大森さんと企画の今井さんが7月のヘルシンキ伝統医学会議とラップランド旅行に参加することができました。このことはまた次の機会に書きましょう。みなそれぞれに、人生が少し変わってしまうような体験をしました。それがカタログに活かせたらいいのですが。だってこれを読んでいるあなたにも、そういう経験をしてほしいからです。

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2015-16フィンランドフィンランド・トントゥ感覚 2

2016年10月5日 20:25

北欧


編集会議をフィンランドでしませんか

 

 フィンランド・トントゥ感覚 2
[1993年の文章です]

 「気功的生活のカタログ」の編集会議をフィンランドでしませんか、といったときは冗談だったのですが、フェリシモの二人の若い女性が参加してくれることになって、思いもよらずすんなり実現してしまいました。前号の今井さんの記事にあったように、大森さんと今井さんがいろんな体験をしてきて、そこから商品カタログの組み立てが進んでいるのはとてもよかったと思います。

 気功って中国のものなのに ? なんでフィンランドなの、とよく聞かれます。

 日本に長くすんで日本武術や指圧などあれこれやってから気功にたどりついたフィンランド人の青年がいて[30の好青年が今や還暦だよ]、彼に一通りのことを伝えてから、帰って気功協会でも作って呼んでね、と行って帰したら本当に組織を作って招いてくれ、一家で1988年に初めてたずねたのです。そうしたら、中国気功もよく吸収してくれる感受性も素晴らしいのですが、それよりもそこに住む人たちの自然な暮らしと感性に一家で惚れ込んでしまって、ほとんど毎年、もう八回も通うことになってしまいました。

 フィンランド人は嫌なことがあると森に行って
自分の好きな木と対話します。
一年に五週間とか五十日とか休んで、
夏小屋で徹底した自然暮らしをしてリフレッシュします。

 サウナと湖を往復する素晴らしいリラックスの方法を知っています。家の中でも暖炉や蝋燭などの「リビングファイア」を欠かさずに瞑想するように暮らします。ゆったりと、自分の暮らしのリズムと、美学をもっているのです。
家の暗がりにも、納屋にもサウナにも、森の中にも、無数のトントゥという要請がいて、自分たちを見ている、人間の知らない所でいろんなことがうまく行くように働いている、と大部分の人が信じています。身長30センチくらいの、とんがり帽子の小人で、まれにその姿の見える人もいて、私の尊敬する友人である哲学者タピオ・カイタハリュもそのひとりです。
蝋燭をつけると見慣れた部屋がまったく違ってしまうのは、暗がりが生き生きとしたニュアンスを持つからです。そこに何かいるのかな、と思うのは実は心の暗い部分の豊かさに気づくことでもあります。谷崎潤一郎が「陰翳礼賛」二回多様に、日本人は本来暗がり大好き派だったのに、こんなにどこも明るく照らしまくるようになってしまい、見えないものへの畏敬をなくしてしまいました。

 気功的生活というのは
難しいことではなくて
たとえば電灯を消して蝋燭をつけてみることから
自分を見直してみることでもあるのです。

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2016年10月木曜の古本市に

2016年10月6日 18:49

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幸田露伴全集が出ていたので興奮した

木曜の古本市に幸田露伴全集が出ていたので興奮した。露伴随筆集は全五巻持っているしいろいろな文学全集の露伴のものはもちろんあるし、岩波文庫などでも皆持っているが、全集には手が出なかった。前に調べた時には20何万が一番安かったのである。今度一冊100円で出ていたのは、第七巻小説七、第八巻小説八、第一二巻戯曲、第一三巻詩、第二一巻評釈芭蕉七部集二曠野,第三四巻訳注水滸伝二、第三五巻水滸伝三、第三六巻水滸伝四、第三七巻水滸伝五、第三九巻書簡の10冊である。もっとないの、と兄ちゃんに聞いたら朝だったらもう10冊ばかりあったんですがねということだった。ま、あっただけでいいか。
私が隅から隅までも面白いと思っているのは露伴とシュタイナーである。シュタイナーは西洋人だけにかなり異論がある。ゲーテのほうが、改造社版全集を持っているが、まだすみずみまで面白い。とくに光学や植物学が面白い。だが幸田露伴は文句無しの絶賛である。ひとりの人間がよくあそこまでと思わせる。釣りや将棋についての気楽な文章でも好きでたまらない。列子の解説もいい。言語論もすばらしい。昔神戸に移って仕事がなかった時に図書館でかなり読んだものだ。
でもこうなると全集全部欲しい。20万は無理だがもっと安いのは出ていないか。ネットで見るとなんと10800円であった。すぐに注文した。1から23の箱が傷んでいるらしいが、そんなことは問題ではない。全部箱から出して真っ黒になるまで読み倒したい。いや露伴全集が手に入るとなると、本棚二段あけなければ。もしだめでもyahooで二万の43巻本が出ている。どちらかは手に入るだろう。こんなに安くなっているとはびっくり。古本屋で手に入れたことがきっかけになって、生涯の財産が手に入りそうだ。
Kindle版が57作品200円というのもあった。これも旅に持ち歩くのにいいか。遠くから拝んでいたのが急に身近になった。

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2016年10月評判の『京都ぎらい』を買って

2016年10月6日 10:59

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著者は井上章一

 

 

 

 評判の『京都ぎらい』を買って、その日に読み上げた。著者は井上章一。朝日新書。表紙には新書大賞2016第一位、24万部突破、千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く、とキャッチコピーである。
著者は右京区の花園の近くで生まれ、五才の頃に嵯峨に引っ越してそこで育った。結婚してからは宇治に住んでいる。というとよそ者の目には生粋の京都生まれ京都育ちと見える。京の人気のある町家のひとつ杉本家のなくなったご主人が生きている頃、井上氏は建築家の町家研究の一環としてインタビューに行った。そのときに京都弁で質問していた井上氏に杉本氏は「君、どこの子や」と聞いて来た。「嵯峨から来ました。釈迦堂と二尊院の、ちょうどあいだあたりです」というと杉本氏はそれはなつかしい、「昔あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」と言った。嵯峨の子か、田舎の子なんやなと言われたわけだ。それから洛中の人の「中華意識」に敏感になっていく。国立民俗学博物館の梅棹忠夫氏を訪ねて取材に行った折に、杉本氏にそう言われた経験を語り、「先生も、嵯峨あたりのことは、田舎と見下したはりましたか」と聞くと、西陣で生まれ育った梅棹氏は「そら、そうや。あのへんは言葉づかいがおかしかった。僕らが中学生ぐらいの時には、まねをしてよう笑いおうたもんや。じかにからこうたりもしたな。杉本秀太郎がそんなふうに言うのも、そら、しゃあないで」と答えた。改めて差別されたのである。
ところが中京の新町御池で育った友人にその話をしたら「京都を西陣のやつが代表しとるんか。西陣ふぜいのくせに、えらい生意気なんやな」と反応した。三十数年来の友情が音をたてて崩れた。生粋の洛中人が西陣までこんなふうに差別しているとしたら、嵯峨のど田舎などなんて言われるんだろうと思ったのだ。
中京の老舗のお嬢さんと話をしていて、だんだん適齢期でなくなってきたと嘆く彼女にどんな縁談が来たのかと聞いてみると「とうとう、山科の男から話があったんや。もう、かんにんしてほしいわ」というので思わず「山科の何があかんのですか」と聞くと彼女は「そやかて、山科なんかいったら、東山が西に見えてしまうやないの」と言い放った。自分が嵯峨だと言ったら東山など霞んで見えるだろと言われるようだった。
ところが自分を振返ってみると、山一つ越えた亀岡の人に嵯峨ならお隣さんですなと言われたら、普通に応答するだろうが内心むかっとして、嵯峨は京都市内なんやでと言いたくなる。宇治市に住む今も城陽市と比べれば京都だという意識がある。洛中の差別意識にさらされる中で、自分がよそを差別するようになってしまった。
これは差別なのか。今では部落の人を公然と差別する人は少ない。少なくとも表面上は身体障害者を差別しなくなっている。ただその分、ハゲやデブやブスについてはおおっぴらにして構わない。人を差別したい意識が、小さな負の印になだれ込んで行く。東京人が千葉や埼玉を愚弄することも、名古屋をジョークタウンとして弄ぶことも、マスコミでは許されている。洛中洛外も自分から差別するつもりはないが、何か聞かれればとんでもない差別意識が露呈してくる。
五十年代に竹内好が本土の人の沖縄差別意識にふれて、琉球列島は全体として差別されているが沖縄本島の人は石垣島や久米島や与那国島に対してひどい差別意識を持っているし、沖縄本島の中でさえ地域が違えば差別がある、と書いていた。奄美は薩摩からむろん手ひどく差別されて来たが、沖縄からも差別され、奄美大島は徳之島を差別し、という差別の重層がある。これはいかにしてわれわれは「国民」たりうるのかということを問うた中での苦渋の発言である。私が最初の本『われらの内なる差別』で問いかけてから46年、事は何も解決していない。
井上氏が第五章「平安京の副都心」で嵯峨からの「反撃」を試みているのがこの本の白眉である。平安時代初期に嵯峨天皇が嵯峨を愛し嵯峨離宮を作ったことでこの名をおくられた。大覚寺はその離宮あとに作られた寺院である。嵯峨天皇の何代かあとに皇室は分裂し、のちの南北朝の対立が生ずるが、御所の持明院を本拠にした持明院統と大覚寺統に別れる。この大覚寺統が南朝に受け継がれる。持明院殿は室町通りにあった。嵯峨が敗北して権力の拠点は足利将軍の門前町である室町に移された。これが洛中の嵯峨に対する差別の源泉だ。後醍醐天皇は足利と対決して足利を怨んだまま死んだので、足利は恐れて天龍寺を建てて鎮魂した。梅原猛氏は「法隆寺を聖徳太子の怨霊の鎮魂の寺であるとする私の仮説は、天龍寺が後醍醐天皇の怨霊の鎮魂のために足利尊氏によって建てられたという事実から思いついた」と述べている。藤原氏が自分が弾圧した菅原道真の祟りを恐れて天満宮を作ったのも同じ事情だ。
だが敵対する怨霊をこそ大切に祀らねばならないという中世までの常識が、徳川に至って崩れ、明治以後は見る影もなくなる。会津の死者たちは祀られなかった。西南戦争や佐賀の乱の死者たちも。日清日露以降の対外戦争でも、日本は敵とされた者の死者を祀らないで、これまで来てしまった。日本のよき伝統を言うなら、まず日本の犠牲になった朝鮮、台湾の人々、中国と東南アジアの人々の怨霊を、日本人戦死者とまったくひとしく祀らなければならない。日の丸や君が代も少しも日本の伝統ではなく、明治以後に侵略精神とともにでっちあげられたものだと井上氏は言う。
こんな、いわば、ひねくれた本が24万部も出ているのは、まだこの国に批判精神が残っている証だろうか。まだのかたに一読をお勧めする。

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2016年10月三島由紀夫の『宴のあと』が100円で出ていた

2016年10月6日 19:43

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昭和35年に初版が出て

 

 


三島由紀夫の『宴のあと』が100円で出ていた。昭和35年に初版が出て、41年に三刷が出ている。この主人公は昭和30年に安井誠一郎と都知事を争った有田八郎とその妻料亭般若苑のおかみ畔上輝井。四年後に東龍太郎と再度争ったかが負けた。有田は戦時中からの高級官僚で近衛、平沼、米内内閣の外相を務めたが、社会党を中心とする革新統一候補として都知事に挑戦し破れた。三島がそれを暴露的に小説にし、有田が訴訟を起こし、日本で最初のプライバシー訴訟となり、三島が敗訴した。
この小説の現物を見るのは久しぶりで、父親の本棚にはあった。55年に安井と争った時の実質の中心は総評だったから、高野と有田は親しかった。私は八歳だったが、何度か有田にもあったし、般若苑の宴会へ連れて行かれて畦上とも会った。いまうちには裏に般若苑と書いた皿が一枚残っている。何かのバーティのお土産だった。
有田は貴族院議員から戦後は衆議院議員になった。「戦前は「欧米協調派」に対する「アジア派」の外交官として知られ、昭和11年(1936年)の広田内閣時代に何度も蒋介石の国民政府との防共協定を提案しており、近衛内閣時代に東亜新秩序の建設表明をした。日独伊三国同盟には最後まで反対したが戦後は公職追放。追放解除後は革新陣営(日本社会党)に属し日本の再軍備に反対したことで有名である」
再軍備反対は55年ころの大きなテーマだった。51年からなしくずしに朝鮮戦争支援の仕組みが作られ、自衛隊の前身の警察予備隊ができた。アメリカの支援を受けて経団連、日経連、商工会議所が戦争支持へと企業社会を巻き込んだ時に、有田はこれへの対抗軸を作ろうとしていた。もともとがアジアと一体になって欧米と対抗する立場だったが、そのアジアを軍部が独走して占領してしまったことに反対しつづけた。その軍部がそっくり残って再軍備を進めている。
畦上も必死で有田を支援した。「有田が[二度目に]都知事選に出馬すると、料亭を閉めて有田を支援。料亭を担保に選挙資金を得ようと五島慶太との間で話がまとまりそうになったが、岸信介首相の圧力で白紙になった。落選後、選挙によって莫大な借金ができ、有田は椎名町の広大な土地と自宅を売却、畔上が料亭再開のための資金援助を吉田茂に頼んだことで揉め、同年に離婚した」
三島がその経過をほとんど事実そのままに書いて小説にした。文学を口実にしているが、岸信介にすりよるような態度だった。三島は吉田茂の息子の英文学者吉田精一に仲介を頼んだが、吉田精一が有田の立場に立ち続けて「仲介」したので三島と吉田は絶交する、という一幕があった。でも私はこの小説を読んでいない。読んでみて改めて論議しようと思う。

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2015-16フィンランド10月定例講習

2016年10月08日 19:23

2015-16フィンランド
淳平

いつも通り第二土日です

10月定例講習

いつも通り第二土日です。
場所は京都の気功文化研究所です。

10月8日(土)
13:00〜14:30 背骨ゆらし、声の気功そのほか
14:30〜16:00 グルーミング徹底研究
16:00〜17:30 周稔豊易筋洗髄経と易筋外経

18:00〜    希望者のみ夕食。今日はトルコ料理です。
トルコ風のポテトサラダ、葡萄の葉の変わりにキャベツ巻の
ご飯と肉、トルコ風餃子、ナス入りピラフなど
1000円
10月9日(日)
09:00〜12:00 胡耀貞気功研究
12:00〜13:00 お昼ご飯
お粥とあれこれ500円
13:00〜15:00 質疑.参加者の希望に応じての功法研究。
なければ亀蛇気功のより深い部分を実習しながら研究します。

参加者によって、抗ガン気功の希望があれば随時初級の講習をします。
本格的にやるには、近く発表する抗ガン気功コース[通信・実習]を受講してください。

一日会員5000円 一般6500円
075-777-7719


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2016-10今日はトルコ料理の実験

2016年10月8日 4:19

淳平


トルコ料理の本を取り寄せて

今日はトルコ料理の実験。トルコ料理の本を取り寄せて一通り読んでみた。アルメニア料理、カザフスタン料理などと微妙な違いが面白い。マントゥは中国の饅頭をマルコポーロがイタリアに伝え、イタリアから中東全域に広まったと見られる。

カナッペ
タラのウナギの稚魚もどき+きゅうり
自家製コンビーフ+レモン
自家製チキンレバパテ+オリーブ

人参サラダ
人参をゆでて半茹でにする。粗くおろす。ヨーグルト、にんにく、塩、オリーブ油を混ぜる。
人参をまわりに盛り付け、トマト、おにおん、胡瓜、黒オリーブと盛りつける。

白いんげんと肉の煮込み
肉のぶつ切りと玉ねぎを炒め、トマトペーストを入れ、豆と赤唐辛子を入れる。

森のケバブ
肉の細切れと八つ切り玉ねぎを炒め、一時間煮込む。にんじんとポテトをあとから入れる。

キャベツのドルマ
キャベツをはがしてゆでる。挽肉と米、玉ねぎのみじん、松の実を練り、ディルとミント、パセリと塩をまぜて練る。これをキャベツにくるみ、弱火で煮る。

マントゥ
ワンタンの皮に挽肉と玉ねぎ、チーズを入れ、四方から包んで揚げ、スープを入れ、スープがなくなるまで煮詰める。唐辛子を振り、ヨーグルトを添えて食べる。

ナスとトマトのピラフ
挽肉と玉ねぎを炒める。ナスは小さく切ってゆっくり炒め、米に材料を混ぜ、トマトペーストを加えて炊き上げる。


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2016年10月今日はトルコ料理の実験

2016年10月8日 4:19

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トルコ料理の本を取り寄せて

 

 

今日はトルコ料理の実験。トルコ料理の本を取り寄せて一通り読んでみた。アルメニア料理、カザフスタン料理などと微妙な違いが面白い。マントゥは中国の饅頭をマルコポーロがイタリアに伝え、イタリアから中東全域に広まったと見られる。

カナッペ
タラのウナギの稚魚もどき+きゅうり
自家製コンビーフ+レモン
自家製チキンレバパテ+オリーブ

人参サラダ
人参をゆでて半茹でにする。粗くおろす。ヨーグルト、にんにく、塩、オリーブ油を混ぜる。
人参をまわりに盛り付け、トマト、おにおん、胡瓜、黒オリーブと盛りつける。

白いんげんと肉の煮込み
肉のぶつ切りと玉ねぎを炒め、トマトペーストを入れ、豆と赤唐辛子を入れる。

森のケバブ
肉の細切れと八つ切り玉ねぎを炒め、一時間煮込む。にんじんとポテトをあとから入れる。

キャベツのドルマ
キャベツをはがしてゆでる。挽肉と米、玉ねぎのみじん、松の実を練り、ディルとミント、パセリと塩をまぜて練る。これをキャベツにくるみ、弱火で煮る。

マントゥ
ワンタンの皮に挽肉と玉ねぎ、チーズを入れ、四方から包んで揚げ、スープを入れ、スープがなくなるまで煮詰める。唐辛子を振り、ヨーグルトを添えて食べる。

ナスとトマトのピラフ
挽肉と玉ねぎを炒める。ナスは小さく切ってゆっくり炒め、米に材料を混ぜ、トマトペーストを加えて炊き上げる。

 

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2016年10月先住民デザイン

2016年10月9日 19:23

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フィンランドに行くついでに

 

 

3 先住民デザイン

 フィンランドに行くついでに少し回りたいところを回って、「気功的生活」の手がかりになるような商品を集めてみないかという話になりました。あちこち行きたいところはありましたが、とりあえず北欧からアメリカに飛んで、各地の友人たちに頼りながら、普通の商店にないようなものを探してみようと思い立ちました。サンプルを探すなんて、貿易商になったみたいが素敵ではありませんか。
フィンランドでもそのつもりで田舎の小さな土産物店にまめに入ったりしました。

 白木細工の小物とか、アロマセラピーやハーブや、いろいろ目を引くものはありますが、ついつい目を引くのはラップランドの先住民サーメの人々のデザインです。

 シャマン・ドラムやナイフなどはえーいサンプルだと高いのを張り込んでみましたが、あまりに素晴らしいので手元に置いておくことにしてフェリシモにまわさなかったものもあります。
ストックホルムではバイキング・グッズやムーミン関連のグッズを買い集めました。ニューヨークの友人の家を拠点に、グリニッジ・ヴレッジの辺りや郊外のニューサイエンスっぽい店を訪ねました。あのウッドストックにも行って、面白い店が軒を連ねて並んでいるのをうらやましい思いで見て歩きました。西海岸ではバークレーを足場に、有名なガイア・ブックスに通ったり、テレグラフ通りの工芸品屋台をひやかしたりしました。つてをたどってアリゾナのナヴァホやホピの居留地まで行き、モニュメント・ヴァレーにキャンプして、アメリカ・インディアンの工芸品を集めました。

 集めたものをまとめてみて分かったのは、「気の出るモノという感じで直感的に欲しいと思って買ったものの八割が先住民のデザインだったということです。

 人間と宇宙が深いところで融け合った体験から出てきたものなので、そういう体験から遠ざかっている現代人にとって、触れるだけで感性がゆさぶられ、力が与えられそうな気がします。
たまたま去年は国連の国際先住民年でした。去年だけでなく、今後10年を先住民復権の都市にしようということが決まりました。

 それはただ彼らが貧困と抑圧の中にいるからというだけでなく、現代の病を癒してくれる精神的な力をもっているから、人間の発展方向を問い直すということでもあるのです。

 でき上がるカタログがどのくらい「先住民」づいてしまうか、まだわかりません。しかしこういう大きなうねりとつながった、同時代のものになったらいいなと思っています。

 

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2016年10月土日の講座が終わった

2016年10月9日 19:45

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二日とも少人数だったが

 

 

土日の講座が終わった。二日とも少人数だったが、楽しくやった。
昨日は濱野さんが四時頃から来られて、胡耀貞の道教八段錦と奇形歯着の導引をやってくれた。一緒に習っているのだが、私は主催者でどたばたしていたのでよく覚えていない。濱野さんはその後記録DVDを見てこの二つを研究してマスターし、ご自分の学校の気功の場で教えている。DVDに撮影しませんかと口説いて、今月中に撮ることになった。九時まで差しつ差されつで飲んだ。浜田さんは久米島の久米仙、私はひさびさに入手した伊佐錦の黒。もう一度昔やっていた気功懇談会のようなものを復活させる相談をした。来春までに準備をしようということになった。

 

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2016年10月津村喬の感性クッキング(抄録)

2016年10月10日 12:59

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台所、見せます



 

津村喬の感性クッキング(抄録)


1 台所、見せます

 できあがった料理を「ハイ、どうぞ」と持ってくるのでなく、作るプロセスを「ほら、おいしそうでしょ」と見せてしまうやりかたをオープン・キッチン方式と言います。今度の「気功的生活カタログ」はオープン・キッチン方式で行きたいね、とある時みんなで話し合いました。この企画に参加したフェリシモのスタッフにとっても、私にとっても、どんなふうにしようかと話し合って行く中で本当に楽しい、さまざまな発見があったからです。その発見をナマに伝えながら、ほら、こんなものができつつあるんですよ、とお知らせするために、「気持ちよさ100の提案」と、それに続くことレターは作られました。


1994年の秋にフェリシモにとってもまったくあたらしい「気功的生活カタログ」(まだ仮の名前ですが)が出されます。その準備の中で考えていることをお伝えして、あなたにも台所にちょっと入ってもらえたらもっと楽しいなと思っているのです。

 この企画会議は、ビルの中でしないで、山でやろう、ということになりました。神戸の六甲山系のいくつかの場所で、風に吹かれながら会議をしたのは、今までのカタログ作りになかったことでした。

最初は再度山の灯篭茶屋のテラスの、まだ新緑というには早いもみじの下でやりました。小さなカップの蝋燭をいくつか灯し、中国の細長い船形の香立てに比叡山の香を焚いて、それだけでまわりの山から「しん」とするほどの霊気が立ち上がるのを感じてもらいました。この日は私から「自然を五つのエレメントでとらえて深く自然と付き合う中国の伝統思想を商品構成の一つの基礎にできないか」という提案をしました。五つのエレメントというのは木・火・土・金・水のことで、古代中国の人々は世界の一切をこの五つが変化したものとして見ようとしました。周りの山の上の量感と小川のせせらぎを全身で感じ、もみじや桜の木ずれの音を聴き、蝋燭の火を見つめていると、見えている一つ一つのものが大自然の一部なのだと、あらためて実感してしまいました。

 私はフィンランドに何度も通った体験から、その森と湖のことを話し、気功法などしなくてもいいほど自然な生活を「気功的生活」と呼ぶようになったいきさつを話しました。

 フィンランドでは白樺がとても好かれています。白樺は貧しい土地にまず生えて、自分が枯れてほかの木々がそこで育つようにするので「お母さんの木と呼ばれています。


 白樺を暖炉にくべて、いつまでもその美しい炎を見ます。サウナも白樺で焚き付けて熱の力が熱に変わったものとして、「火加減」にまるで人格があるかのように尊敬を払います。白樺でまな板や皿を作り、フォークを作り、白樺の若い枝でからだを叩いてマッサージし、白樺のタールやその巻きを燃した灰を薬として珍重します。「でもなんといっても白樺が好きになってしまうのは」、私はもったいぶって鞄から白樺の樹液のジュースを出しました。北海道でこの春の樹液を詰めて売ってくれる人がいたので、一人に一本ずつもって来ていて、それが自慢だったのです。何も添加していない樹液だけで、ほのかに甘く、果てしなく透明な感覚です。雪の融けた春のせせらぎがあんな風に空に向けて立ち上がって、こんなにおいしいいのちの水になるとはー「お母さんの水」の素晴らしさが舌と喉でわかった気がしました。

 たとえば白樺物語を頭にはっきりと描けるとき、木の道具と今までとは少し違った出会いができます。商品の数だけ物語ができれば、その品物の産まれた自然環境につながる行動の道筋ができます。そんなカタログが可能でしょうか。


 この企画会議は六甲山の上の茶屋「登六庵」で緑の風に吹かれてもしましたし、布引ハーブ園で夕日をもろに浴びながら、また海辺の須磨観光ハウスで座敷じゅうめいっぱい中国西南少数民族の工芸品を飾り付けた中でも持たれました。フェリシモの人々は気功の奥の世界に次第に触れて、自然体の不思議や自然への感受性ということへの深い気づきを重ねて行きました。私のような気功の世界でしてきたものに取っては、特別の愛好者でない普通の若い女性にどんな風にこの奥深い世界を伝えたらいいのか学ぶことばかりでした。真剣に仕事をしましたが、でも楽しい時間でした。

「登六庵」では私が持参した世界各地の気を感ずるグッズを皆で試してみました。フィンランドの湖のように青いガラスのピラミッドが「すごい」という人もいました。竹と一緒に数千度で九回焼いた韓国の塩の強い陽気を感じたり、五台山の霊水の波動を感じたり、いろいろな体験をしました。ハーブ園では私が持ち帰ったばかりのハワイイの伝統的な守護神像を巡って論議したり、匂いや音といった五感の拡張をどうしていけるかを論議したりしました。須磨では「Oリングテスト」等、このレターの「気のワーク12ヶ月」二でてくるようなことをみんなでこってやってみたり、結局「気持ちいい」というのが自然と自分の出会う場所だから、気持ちのよさを洗練して行くことが大事、とそろそろ結論の見てきた話をしたりし増したるそこで「気持ちのいい経験100メニュー」の原型が提案されもしのです。


 気功的生活という言葉は中国ではなくてフィンランドで出てきました。私たちが便利な文明生活の中でもう忘れていた自然と一体になった暮らし、しかも原始生活というのでない、とても快適な暮らし。


それを味わってみるために皆で行きませんか、と社長に提案しました。社長は忙しくて日程が取れませんでしたが、編集の大森さんと企画の今井さんが7月のヘルシンキ伝統医学会議とラップランド旅行に参加することができました。このことはまた次の機会に書きましょう。みなそれぞれに、人生が少し変わってしまうような体験をしました。それがカタログに活かせたらいいのですが。だってこれを読んでいるあなたにも、そういう経験をしてほしいからです。

 

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2016年10月オーロラ・イルカ・気の体験 (5)

2016年10月10日 12:59

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「100メニュー」の投票結果ベスト30

 

5 オーロラ・イルカ・気の体験

 「100メニュー」の投票結果ベスト30を発表します。圧倒的な一位は「サンタの故郷ラップランドでクリスマスを体験しオーロラを見る」でした。零下25度の戸外に立って空を見上げて長時間オーロラの出現を待つのがどんなものか知っていて投票しているのかなと首をひねりもしましたが、でも本当に気持ちいい体験には違いありません。二番目が「イルカと泳ぐ」。これもイルカの迷惑にならないようにコンタクトすることができるようになるには、事前の準備が必要です。樹林気功もそうした人間以外のものとのコミュニケーションの訓練になります。

「気って本当にあるの? 気の出し方高め方」も高い人気でした。旅をして非日常体験をするのと、気のレッスンなり健康や美容への応用と、半々というところでしょうか。

「気功的生活のカタログ」の中には、こうしたイベントやワークが商品とからめて、たくさん提案されるはずです。でもその前に、これに関心を持ってくださる方々と一緒に旅をしたりワークショップをしたりしながらカタログを作って行きたいと思い、6月から始めて行くことにしました。生活参加型のイベントに参加してくれた皆さんの写真も入ったカタログにできたらと思っているのです。きれいなモデルさんだけのカタログより、私たち一人一人が変容して行くリアリティが出てくると思いませんか。二泊三日の合宿の中で、100メニューの中の樹林気功、月の瞑想、温泉体験、気の基本訓練などが複合的に体験できる企画をいろいろと用意しています。

順位                               票数
01 サンタの故郷でクリスマスを体験しオーロラを見るツァー 3920
02 イルカと一緒に泳いでみる 2052
03 満月のパワーを知ってきれいになる 1760
04 気って本当にあるの? 誰でもできる気の出し方高め方 1622
05 北京で大好評痩せる気功を全公開 1549
06 南の島の浜辺のフルムーンパーティ 1507
07 温泉にひたってからだが大地に溶け込む 1317
08 からだをきれいにする体内浄化呼吸 1248
09 海中浮遊瞑想体験 1241
10 ハワイ・熱い太陽と仲良しツァー 1172
11 とろけてしまいそうなミュージックセラピー 999
12 ルナティックナイト・高原の満月の宴 904
13 中部フィンランドでムーミン博物館とハルトラ人形館 855
14 右脳発達プログラム 821
15 体調を整える自分の香り作り 800
16 5000年を経た屋久島縄文杉に会いに行く 762
17 月と一体になる月輪観体験 740
18 簡単な運動呼吸イメージを通してからだと心をほぐす 710
19 呼吸法瞑想法で本当にくつろいだ自由に心をとりもどす 699
20 日本一きれいな四万十川で遊ぶ 664
21 北海道白樺体験 635
22 自分にタッチし深いところから癒すタッチング気功体験 617
23 地球の音、惑星の音を聴くアストロノミックコンサート 539
24 痩せて元気になる!ハワイイの伝統料理クッキング 507
25 全身浄化、体力回復の亀の呼吸を中心に基礎気功ワーク 486
26 土と火が出会う焼き物体験  451
27 私の木、私の森を探す旅   425
28 すぐ覚えられる新編集コンパクト太極拳  423
29 聖なる水に満月を映して・京都鞍馬山月祭り体験  413
30 ワープロコンピュータで心身疲労を守る  409

[30位までの投票総数は31754である。100位までたどれば、おそらく五万人くらいが投票行動に参加しただろう。見て関心を持ったが出さなかったという人はその数倍はいただろう。30位までで直接気功とはつながらない項目は「焼き物体験」だけといってよい。29項目は気功のいずれかの側面を使っている]

 

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2016年10月水曜日にはフィンランドの

2016年10月10日 6:45

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トゥィヤ・コッコネンとその二十歳前後の息子が来る

 

 

 

 水曜日にはフィンランドのトゥィヤ・コッコネンとその二十歳前後の息子が来る。お母さんの方とはもう25年からのつきあいである。彼女は女優でパフォーマーであり、大劇団に属することなく、自分でさまざまな場を作って来た。私とは断続的に出会い、最近はフィンランドでの気功指導者講習の初級を二年ほど受けた途中で病気になって休んでいた。以前東京に来たことがあるが、あまりいい思いを出来なかったらしい。今度息子と京都だけで一週間の旅をするというので、何日もつきあえないが、いい体験のできる手伝いを少しでもしたいと思った。


金曜日の一日、隣のトヨタでレンタカーを借りて、朝からあちこちを案内する。ざっと京都の仕組みを知れば、そのあと自分たちで歩きやすいだろう。清水寺に行ってから祇園の場所だけ教えて、白川通を上がって詩仙堂に行く。私自身が何度でも行きたい小さな空間。天台に新羅からの道教がからんだ唯一の痕跡、赤山禅院に行く。お昼は一乗寺中谷でリーズナブルに1000円の昼セット。ここは食器から建物まで楽しんでもらえるはず。
そのあと上賀茂神社の雷信仰と神山、水信仰にふれてもらってから、少し戻って金閣へ。陳腐なようでやはり美しい。そこからちょっとつきあってもらって水を汲みに行く。鷹峰から氷室辺りの森を見てもらう。水を汲んでから、そこにはフィンランドから持って来た丸木作りの喫茶店があるので、そこでお茶を飲んでもらう。

鷹峰方向に戻らないで周山街道に突き抜け、そのまま渡月橋に行く。中に入る時間があれば様子を見て天龍寺や大覚寺へ行く。時間がなければ広沢の池だけでも見せたい。
夕方気功文化研究所に戻って来て、ゆっくりしてもらい、そのあとなるべく京都らしいコースをだす。まあ金をかけるでもない「おばんざい」である。息子さんが特に京都の料理に興味があるみたいだ。京料理こんなんですよというまとまった概念を持ってもらう。あとは自分たちでお金を使わないでおいしいものが食べられる店をいくつか紹介する。絵入りの英語の簡単なパンフを作って渡してやろう。残りの五日間を楽しんでもらうために。そんな計画である。

 

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2016年10月鈴木医院に行ってから

2016年10月11日18:39

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出町の辺りで買物をして来た

鈴木医院に行ってから出町の辺りで買物をして来た。 まず本のことを書こう。枡形商店街には古本屋が出来た。いつも木曜に鞍馬口のショッビングセンターに店を出している所と同じだ。前に一度来ているが、品揃えは格段に増えていた。

 通り過ぎるつもりだったが自転車に乗ったまま『The Complete Guode to Country Cooking』だった。手に取ってみると全ページカラーで、材料もわかりやすく書いてある。402ページは片手で持てる限界である。アメリカの家庭料理を、中西部中心に集めていて、500のレシピが書かれている。こんな本をどこの誰が放り出して100円で売っているのだろう。亡くなったのだろうか。チリ・コン・カルネもクラシック・チリと当時にサンタフェのチキン・チリなどが出ていて、真似せずにはいられない。といったらここには何百ものやってみたいレシピがある。最初の方のパン関連と最後の四分の一が甘いデザートであるので,せめてここは作ることを禁じておく。アリゾナでカウボーイのお爺さんにモニュメント・ヴァレーの車で上がり易い山に上がって焚き火でクックしてくれたクラシック・チリの味が忘れられない。

 厚さで言うとこっちのほうがすごい。ジョージ秋山の最高傑作『銭ゲバ』が100円で買えた。こちらは917ページ。巻末に「1970年代の衝撃」という記事・対談があった。「銭ゲバは資本主義の旧約聖書だ」という遠藤ミチロウの言葉がのっている。「オレは今でも銭ゲバだ」というジョージ秋山のインタビューが載っている。『アシュラ』『デロリンマン』『現訳聖書』『サーメン』『灰になる少年』などのこうこくがなつかしい。

 『カラスはどれほど賢いか』(中公新書)は私にとっては人類とネズミの次に親しい生物の生態を知るために買った。唐沢孝一さんという高校の先生で鶏に詳しく何冊も本を出している人。  大山康晴『昭和将棋史』(岩波文庫)は増田との対決を自分でどう書いているかが気になった。ゾルゲと処刑された尾崎秀実『現代支那論』、魯迅が行きつけだった上海内山書店の『そんへえ・おんへえ』の二冊は岩波新書のハード・カバー版。

 田中宇の『アメリカ以後・取り残される日本』(光文社新書)。この人の書く物は膨大な世界で流通するニュースをもとに、日本のニュースでは報じないようにしていることを報道してそこから見えてくる世界を描くので、いまジャーナリストとしては一番面白い。前に会員に入っていたが、ずぼらをして支払いが滞り無料サービス版だけになつていたが、今日郵便局で一年分振り込んで来た。

 山辺嘉彦『気のマンダラ』(柏樹社)。今日本で一番水準の高い気功論議をしている人である。だが私は彼が嫌いで、お互いに断交状態にある。敵から学ぶのは重要なことで、彼の二冊の本は熟読している。この本も持っているのだが、図書室にもう一冊ほしくなった。

 菊池昌典『増補・歴史としてのスターリン時代』(筑摩書房)もなつかしい本で、たしか手元には無くなっている。ぱらぱらと読むといろいろ面白いが、最後に近い所の「私の非公認レーニン像」が特に面白い。最近中沢新一君の『はじまりのレーニン』を読んだので、それと一緒に論議してみよう。

 

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2016年10月鈴木医院は久々に行った

2016年10月11日 19:34

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足がひどい状態になっていた時に

 

鈴木医院は久々に行った。六月末に帰国して足がひどい状態になっていた時に行ってもよかったのだが、なんとなく塗り薬のある間は自分で経過させてみようと思って、いかなかった。薬が切れてやっと腰を挙げた。鈴木さんご夫妻はOリングを診断に使っていて、直接治療には使っていない。ご本体の大村さんだともう区別がつかないようになっていて、その分訳が分からなくなっている。鈴木さんは手にオリーブを持たせて私の方に手を触れている看護婦のOリングを見る。「あらオリーブが全然効果がないわ」という事態には二年半ぶりになった。オリーブの葉の粉末がいかにいい薬だろうと、Oリングでいらないと出たらそれに従うのである。しばらくいろいろテストしてみて、「これまでの感染症は完全に治ったということなのね。ほんとに治りにくいのにすごいわ」と奥さん先生は言った。「その代わりに左足の傷口ともうひとつ上の方、そして右足の三カ所は皮膚にいつもいるような菌にかかっている。ということはこれは割合早く解決するということだわ」ということになった。本人としては自覚がないが、別のもっと退治しやすい菌が相手だったとは。


オリーブの葉の粉末にはずいぶんお金を使った。塗る方が月に一袋として30ヶ月で21000円、ほかに飲むのが4000円が三ヶ月分だったから40000円。それでもわけのわからない薬を飲むよりすっとよかった。新たに三種類の塗り薬と貼り薬をOリングで確定して、出してくれた。これでだいぶん気が楽になった。薬代も一割負担で1250円だから、安い。
そのまま枡形商店街に行って、まず羊の細切れを500gとラムの塊の1200円のを買った。外の街路の店で柿を六個300円で買った。これはどこよりも安い。商店街の中の甘いものやに行って、餡の入ってない豆餅を二つ買った。いつもいくスーパーで野菜あれこれとやたらに安い挽肉など買った。鶏のやたらに大きなカツが190円特売で出ていた。卵とじにして鶏カツ丼にしようか。いつもの果物屋でカナダ産の松茸を大きなかごに一杯1250円と書いていたから、くれというと1000円でいいわになった。ちいさいみかんも30個くらい200円。


それからもつ専門店へ行って、ハチノスがなんと120円で売っていたので、500gもらって来た。これはバスク料理にいろいろレシピが出てくる。もつ大好き人間なのにハチノスを買ったのは始めてである。長い人生でまだいくらも「生涯初めて」に出会うに違いない。

 

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2016年10月ハチノスは牛の二番目の胃である

2016年10月13日 3:31

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一番目がミノ、二番目がハチノス

 

10月13日 3:31

ハチノスは牛の二番目の胃である。一番目がミノ、二番目がハチノス、三番目がセンマイ、四番目がアカセンマイ。一番普通に牛モツとして食べられているのがミノで、最近はなかなかなくなったがセンマイの刺身もよく食べられていた。ハチノスはとてもうまい部分だが、あまり重視されていない。赤羽の黒龍江料理店で出していたのと、韓国料理ででてきたのくらいかな。『バスク料理大全』には二つのハチノス料理が紹介されている。
ひとつはスペインの山バスクの「ビスカヤ風ハチノスの煮込み」である。四人分でハチノス一キロ使う。玉ねぎ一個、人参一本、セロリ一本、トマト一個、黒胡椒、ローリエ、ニンニク、チョリソ150gそしてビスカヤソースが500gいる。ビスカヤソースは赤玉ねぎ、玉ねぎ、長ネギ、トマト、りんご、ガーリックオイル、チョリセロ(乾燥赤ピーマン)、トーストしたパン、コニャック、白ワイン、魚介類のスープストックで作ったソース。四時間余りかかる。ハチノスは四回茹で溢して匂いを取り、玉ねぎ、人参、セロリとトマト、黒胡椒、ローリエを入れてハチノスを煮込む。柔らかくなったら一口サイズに切る。オリーブ油でにんにくとたまねぎ、チョリソーを炒め、ハチノスを加え、ビスカヤソースとさきの茹で汁を加えて一時間弱火で煮込む。
もうひとつはフランスの山バスクの郷土料理で「バスク風トリップ」である。これはハチノスが主役だがミノやシマチョウや赤センマイも入れる。これは15人分というので多めだが、ハチノス一キロ、ミノとシマチョウと赤センマイが500gずつ。玉ねぎ人参セロリにんにく、タイム。ジュー・ドゥ・ヴォライユというのは鶏ガラのスーブストック。六時間煮て、内臓は取り出して4〜5センチに切り,野菜はうらごしして、鍋に戻してほとんど汁が無くなるまで煮詰める。赤唐辛子の粉末を振る。
どちらも旨そうでしょ。今回はビスカヤ風だな。
ハチノスは買って来てすぐ使えるわけではなく,黒い皮を向かなければならない。ネットに「47度で三分、さらに78度で三分」できれいに向けるという映像があった。「沸騰させて五分を二回」できれいに剥けるというのもある。ま、いろいろやってみるしかない。
今日は京都料理をしなければならないから、ハチノスは後回しだな。

 

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2016年10月今日の木曜古本市は不作だなあ

2016年10月13日 15:36

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ざっと見て回って

 

 

今日の木曜古本市は不作だなあとざっと見て回って宝島『帝都東京』星野之宜『巨人たちの伝説』(劇画)岡本隆三『長征』くらいであきらめて買いに行こうとしたら、大型の画集などある所に辻留の『椀盛』があった。B5版箱入りの立派な本で定価6800円。神保町の料理本専門店に行くと二万しているのが100円である。ところが喫茶店に行って開いてみると『椀盛』の箱に『煮たもの』の中身が入っていた。珍しいこともある物で、もともと売った人が間違えて入れたまま保管していたのか、本屋に並べられるうちに入れ替わったのか。こちらとしては『煮たもの』のほうがありがたい。
懐石傅書であるから家庭料理ではない。「若水」と題した正月のせちものから始まって、「雪おこし」「厳冬」「恵方」「夜咄」「寒念仏」と少しずつ季節の進んで行くのにしたがって、その季節の「煮たもの」を紹介している。雪おこしでは伊勢海老具足煮おろししょうがと小鯛骨抜き姿煮、厳冬では鯛の頭とかぶらの煮合わせという具合だ。鯛の頭は実は三つ290円でよく買ってくるが、こんな処理の仕方があったか。辻留にはいつも驚かされる。
辻留の盛りつけ方は本当に天才的だ。実は本物にであったことはなくて、いつも写真でばかりなのだが、ほかのさまざまな料理屋に比べて、ぱっと見ればわかるというくらいに、辻留の皿の演出力は群を抜いている。それと器で妥協しない。
この本では東京の国立博物館、京都の国立博物館、根津美術館などと前田青邨等の作家から借り受けて器を使っている。どうもその器でないとこの料理は引き立たず、器もまたその料理によって生きてくる。辻留の料理写真にはそういう一期一会の勝負のようなものが漂っている。それが同じ著者の『みそ汁の本』などと違う。
季節ごとの煮物の写真には大部分が器の話が書いてある。辻留が書いている所もあるが、「加藤」とか「林家」とかだけでどこにも紹介がなさそうだが、他の人が書いたものもある。「伊勢海老具足煮おろし生姜」は「仁阿弥道八作雪竹手鉢」に入れられている。竹が雪をかぶったような取っ手のある籠のように焼いたものだ。
「乾山以来,雪竹の鉢は好まれたと見え、またそれ故流行したらしいのですが、仁阿弥(にんなみ)はより精巧で且つしなやかです。雪にたわむ竹は歌俳にもよくうたわれていますし、また画題にもなっていますが、これをやきものにして鉢として見ますと興味一塩のものがあります。使い場にしましても、雪であるから必ずしも冬にとは限らないので、却って土用の炎暑に持ち出して、思いがけない涼味三斗にやんやの喝采を博した話も聞いています」こういう解説がすべての料理についている。
後ろの頁には詳細な作り方があり、後半は辻留の本格的に煮物論である。
本の後ろに書名「椀盛」と5500円の価格が手書きしてあるのを見つけた。やはり中身の点検もしないで、6800円を機械的に5500円にしたのだ。100円で私の所に来て、その価値は何百倍にもなるだろう。

 

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2016年10月買物が確定して,メニューが決まった

2016年10月13日 17:13

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明日トゥイヤと息子に食べてもらうもの

 

 

 

 

買物が確定して,メニューが決まった。
明日トゥイヤと息子に食べてもらうものである。
鮎を食べさせたかったが、昨日は売っていたのが今日はなかった。それならグジなどと考えたが、サンマもいいなと思い直して、魚屋がきれいに焼き上げたのを三本買った。直前に温めて、おろしと、れんこんの酢漬けを添えて出す。気取った料理ではないが、日本の秋の味を体験してもらうには却っていいかも知れない。1500円の予定が450円ですんだから、その分ハモとか卵焼きとか買った。八寸などは買ったものばかりだが、京都の紹介としては仕方ない。
湯葉と合わせるpersimmonは柿である。松茸はカナダ産のが安く手に入った。大皿盛りと銘々盛りの配分が頭を絞る所だ。
刺身をつばすのアボガド、マヨネーズ仕立てと鯛のピーナツサラダ仕立てとふたつ出す。椀が最初のしじみ汁と、松茸とえびの土瓶蒸し風と、最後の白みそ雑煮と三つ出す。
初めての京料理体験だから、ぜひ楽しんでもらいたい。
◆Tsubasu Sashimi(young yellowtail. raw fish)
Avocado,onion,kaiware(child of radish)wasabi,mayonnaise
◆Clear soup of sijimi shell
◆Sea bream Sashimi
Radish,celery,kaiware,pea nuts,Daitokuji natto (soy beans)
◆Boiled chicken and Koya-tofu
Koya-tofu made in Koyasan frozen been curd
with shiitake mushroom,green vegetable
◆Yuba(skin of tofu)and persimmon with wasabi
◆Matsutake(pine tree mushroom)with boiled shrimp and vegetables
◆Bloiled Sanma(saury)
with pickled lotus
◆Fresh salad of tomato,onion,cucumber
◆Hassun(assorted side dish)
Radish and smoked salmon,boiled in soy sauce child Ayu
baked chicken wing,baked eggs,baked hamo
momiji-bu(gluten made like maple leaf)
◆White miso soup with rice cake
◆Pickled cucumber and radish
◆Traditional Japanese cake

 

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2016年10月四時はおしっこで目が覚めたが

2016年10月16日 7:27



二度寝して七時には

 

 


四時はおしっこで目が覚めたが、二度寝して七時には足の激痛で目が覚めた。両足痛いが特に右足のふくらはぎ。長時間運転すると必ずなる。運転による筋肉の負担と、明け方の冷えと水不足。布団の中でストレッチしても痛みはとれない。こういうときのためにデスクにはドライヤーが備え付けてある。水を飲んでから、ドライヤー右足三分で痛みはとれる。念のため左足も一分。ついでに首回りが凝っているので、首を温める。動きはすぐよくなる。少し食べ過ぎの胃袋にも当てておく。あちこちやれば元気になるが面倒くさい。
昨日は楽しかった。そのことはあとで。今は盛大な洗い物に取りかかる。

 

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2016年10月まだしばらく片づける気がしない

2016年10月16日 8:51

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台所散らかし放題は精神状態にいい

 

[まず昨夜書いた分を]
まだしばらく片づける気がしない。台所散らかし放題は精神状態にいいと思うけどどうですか。時に散らかし,時にぴかぴかにする。どちらも気持ちいい。このまま相棒のDVDを見たりしよう。相棒は初めから全部見て行っていまシリーズ7まできたが(中には何本かテレビで見たのもあった)おとといからシリーズ15がはじまって、まだ相当に大変である。勝手に大変がってるだけだが。
八時半にトヨタレンタに行ってヴィッツを借り、四条のホテルに行ったらちょうど出て来た。トゥイヤは余り年取って見えない。こちらはおじいさんになったのに。息子は二十歳かと思ったら誤解で十二歳だった。ヨーナスという。端正な顔をしていて、挨拶もきっちりできる。

まず清水の近くに連れて行って、近場の駐車場全く開いてないので一時間後に同じ場所で会おうということにした。駐車場のあるサークルKに行ってサンドイッチ食べたりして待つ。FMこころなんて車借りたときしか聞かない。清水周辺は物凄い人で、それでもそれなりに面白いことはあるし、このあとの閑散とした雰囲気と対比してみてほしいと思ったのだ。
次に詩仙堂に行った。ここは打って変わって閑静で、一時間居る間に三四組しかほかの客が来なかった。清水寺でヨーナスは少し頭が痛くなっていたが、ここで完全回復した。正直なものだ。彼は座敷に座り込んで庭を見て動かず、没頭していた。そのあと庭をまわって、ししおどしなども見て、「こんなところに住みたい」と言い出した。フィンランドだって木は多いが単調である。詩仙堂は小さいが宇宙を圧縮したようなところがある。そのあと三十六歌仙を見せる。李白も杜甫も知らないが雰囲気は伝わっていた。

まだ11時半だったがおなかすいてる雰囲気だったので、近くの中谷に行った。和菓子・洋菓子の店だが昼定食をしている。以前の小座敷に上がる雰囲気はなくなって椅子席になっていたが、昼定食は変わらず、赤飯と白みその雑煮とひじきの煮物と昆布の漬け物と胡麻豆腐だった。トゥイヤが私が払いますと出してくれたが、一人1000円の安いのに驚いていた。
そこから赤山禅院へ。天台の寺と道観と両方あるところだ。日本で禁止されたという道観がなぜあるのかと聞かれて、円仁が遼東半島の新羅人の村に長く世話になったがそこが赤山という道教の神を祀っていた。五台山に行って帰った時に嵐に逢い、赤山の神に祈って助かったので、その神社を作りますと約束した。天台宗でありながら道教の寺というのはここだけである。でも新羅人がずっと支えて来たので、裏にある金神社や歓喜天は朝鮮のものだというような話をした。最澄自身が新羅人の何代目かの子孫である。

この場所も気に入った。相生社に人形の札がたくさんあって、何が書いてあるのかと聞くから、あるものは「理想の女性が見つかりますように」とか「誰々と結ばれたい」とかもうカップルになった人が「ずっと二人でしあわせになりたい」とか書いているのを紹介した。詩仙堂では絵はがきをあげたが、ここでは猿のお守りを自分たちで買っていた。皇白表鬼門で屋根には皇居を向いた猿がいるのだ。最澄以来の伝統で日吉神社には本物の猿の檻がある。
そこから上賀茂神社に行った。京都という街は新羅の秦氏が大きな役割をして至る所に痕跡を残しているが、古い日本人では加茂氏がそれと同等の役割を果たした。加茂氏はもと葛城山にいたが京都に移って来てこの地に彼らの聚落を作り、京都建設に協力した。もとはあの小さな神山(こうやま)に居た。今も神山からながれてくる水がご神体のようなものだ。加茂氏は中国古代の道教に通じる雷信仰を持っていた。いまでも雷社(いかづちしゃ)というのだ。

 

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2016年10月ちょっと水を汲みたいのだが

2016年10月16日 12:06

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水タンクを六つほど持ち込んでいた

 

 

 

 ちょっと水を汲みたいのだが。水タンクを六つほど持ち込んでいた。いったん千本通りに戻って鷹峰への道をたどる。山道に入って、フィンランドにはこういう道はないので、怖いような面白いような。氷室から下って水汲み場へ。水を入れるのを手伝ってもらってから、近くに喫茶店があるんだけどと誘う。はせがわに行く。フィンランドから持って来た大きな小屋なのはサプライズ。トゥィヤはコーヒー、私はオーレ。ヨーナスは豆乳入りのコーヒーがあるかと交渉して、メニューにはないが豆乳の用意はありますと、個性的。猫がいたり、いろいろ癒される。
ふたりはヴェジタリアンなのかと確認すると、トゥィヤは魚は食べる、ヨーナスは肉を少し食べるがステーキとかは食べないということだった。

金閣寺とかはあきらめて、高雄のほうに走る。渡月橋を見せたかった。広沢池を通るがあまり感動的でない。天龍寺とかあちこち閉まっている。もう四時半である。ああ、加茂氏のことを伝えたから秦氏のことも伝えたい。まっすぐ行けば松尾大社だから下からだけでも見せたい。喫茶店をもう30分早く出ればよかった。松尾大社の駐車場に着いたときは四時五十分。五時に閉まるので見れる所だけ。
そこは四条通りの終点なのでそのまま堀川四条まで走り、わが家へ。水だけ運び出してもらい、車を返してくる。ガソリン代は600円。

チベット医学の図鑑を見てもらってる間に用意をして、鯛の刺身とつばすとアボカドの刺身と、トマトサラダと柿の白和えと、しじみ汁を並べる。酒飲まないので冷やしてある水を。食卓には蝋燭を三つ。
鶏と高野豆腐と椎茸と小松菜の煮物。トゥイヤは鶏だけ残していた。松茸とえびの吸い物。ヨーナスは松茸はもちろん初めて、えびの殻を剥くのも初体験らしかった。そろそろお腹がいっぱいというので、サンマはやめた。ヨーナスはお腹いっぱいで眠くなって来た様子。最後の白みそ雑煮も昼に出たからやめる。八寸の酒の肴取り合わせのようなものを出す。それと白菜と大根の漬け物。八寸は小鮎の飴煮、鱧の付け焼き、大根のサーモン乗せ、卵焼き、いくら小鉢、鶏の塩焼き、もみじ麩。白菜と大根の漬け物。デザートに用意していた錦玉[あずきと栗入り透明ゼリー]を帰って食べてねにした。

彼らはサーモンの缶詰二種、トナカイ肉の缶詰二種、伝統的なパンを三種類くれた。
こちらからは、独峰のCD五枚組と李遠国のカード二種類とチベット族の首飾りとをあげた。ドア・ツー・ドアなので12番のバスで帰ってもらった。帰ってからメールが届いた。
This day with the mind washing temples and this amazing Kyoto style dinner were the high point of our trip. Thank you so very much for your kindness and hospitality! Joonas sends his very best thans and greetings to you!
今度フィンランドに来たら寄ってね、ごちそうするしと言われた。残り時間京都で楽しく過ごして欲しい。

 

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2016年10月買物が確定して,メニューが決まった

2016年10月16日 14:38



明日トゥイヤと息子に食べてもらうもの

 

 

 

 

週末はぶたじんが650円が350円と飯田の鈴木商店からメールが届いた。見てみるととりじんも同じだ。ぶたじんは豚ジンギスカン、とりじんは鶏ジンギスカンのことだ。豚は335g、鶏は430g入ってるからかなり安い。しかも質がいい。ただ買値が7000円を越さないと800いくらの送料がただにならない。そう思って馬とマトンの欲しいのを並べてみて、豚ジンギス鶏ジンギス二つを積算してみるとかろうじて7290円になった。明日の晩まで少し悩むかな。

 

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2016年10月露伴全集がついた

2016年10月16日 15:30

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送料込みで10800円はなにか申し訳がない



露伴全集がついた。送料込みで10800円はなにか申し訳がない。持てる限界の重さの荷物を運んでくれた佐川急便にも申し訳ない。おととい振り込んだところだ。机に一番近い本棚を四段空けた。並べてみると三段で収まった。昔買った露伴随筆集が四段目の半ばを占める。あれこれ浮気していないで、中国思想の本道をきっちり勉強し直せと説教されている気がした。第十五巻には支那に於ける霊的現象、神仙道の一先人、蘇東坡と海南島などがある。第十六巻の史伝二には論仙があって仙人呂洞賓はじめ三つの文章が載っている。蘇子膽米元章もある。蘇子膽は蘇東坡のこと、米元章は書家米?の字である。第十七巻には太公望や王羲之が載っている。十八巻は墨子、道教に就いて、道教思想、仙書参同契が入っている。第十九巻には遊仙窟、列子を読む、蘭亭文字などの気功に直結する文章がある。まずこのへんのわかりやすそうなところをまとめていこう。

ここに挙げたものでない文章にもいたるところ道教、仙道関連の記述があるし、小説の中にもいろいろある。誰の全集であれ、全集にはなかなか線を引いたり書き込んだりができなかったが、この露伴全集はノートを兼ねるくらいに書き込んでみたい。だが露伴の多くの文章はむつかしく、漢和辞典、古語辞典と首っ引きである。まずは少年文学の十巻、十一巻から読んで露伴世界になれるか。岩波文庫の随筆集上下にしてもすらすら読める所となかなか入り込めない所があった。新しい外国語を学ぶように、一段突き抜けると、すらすらいくのだろう。しばらく浸り込んでみたい。

 

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2016年10月津村喬の感性クッキング 2004年

2016年10月16日 17:28

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ワークショップとは何か

 

 

 

津村喬の感性クッキング 2004年の文章

7 ワークショップとは何か


 「ワークショップって、何かお店なんですか」と聞かれたり、「働かされるんですか」と聞かれたりしますが、これは無理に訳すと「体験学習を通じて何かを作り出すこと」「講義を受けて勉強して帰るというのでなく、全身で体験し体感し、表現する機会を持つこと」です。ただ気功を習っても「体験学習」には違いないのですが、体験を通じて自分の中の何かが変わってしまうような「気づき」をしてもらいたいというのが企画する側の願いです。

つい先日もフェリシモの新入社員研修の一環として気功を体験してもらうワークショップをしたので、それを例にとって紹介しましょう。一泊二日の短い時間ですが、帰る時には皆「何週間もここにいたみたい」と言い合ったものです。
場所は大阪の北、三田にある関西学院の千刈キャンプ場。キャンプと言ってもテントに寝るのではなく、森の中に点在するキャビンに泊まり、ガラスを開けると緑の風の吹き抜ける板張りのホールで気功をしたり話し合ったりしました。人数はスタッフも入れて16人。
最初にアイスブレーキングと言って気持ちをほぐすためのゲームみたいなことをします。ここでは4人で組んでひとりがお地蔵さんのようにまっすぐのまま横に倒れて三人で支えるというのをしました。支えてくれるとわかっていても、かなりこわいのです。繰り返すうちに自分で頑張ろうとしないでまかせていくという感性がでてきます。

みんなで円になって「あざらしごっこ」をしながら自己紹介します。樹林気功について、本誌の1号にあったようなことを少し話して、あとは各自森の中で体験してもらいます。 
午後は1時間半にわたる立ったままの空中浮遊感覚の気功。それからビデオでアメリカ北部の風光を撮影したものとイルカとのコミュニケーションを描いたものをに時間ほど見て、イルカごっこの呼吸法をします。

夕食はバーベキュー。ついでに消し炭でフェイスペインティングをしたり、火を囲んで動物のダンスをしたりしました。片付け、入浴のあとは自己マッサージ、二人で組んでの気功マッサージでとろとろになって、あとは飲みながら深夜までの交流。
翌日は早朝からほぐしの気功。午前中はまた森の中で各自体験。動物ごっこで盛り上がったので五禽戯の簡単な動作をやってみて、自分の好きな物を練習してもらうことにします。 
最後の午後はじっくり質疑応答をしてから、一人ずつ何かの動物をやってもらいました。皆で手をつないで、気を通して終わります。この間に三回にわたって「ふりかえりシート」を書いてもらって、皆の反応や体験の深まりを確かめながら進めて行きます。

これはわずか三〇時間のワークショップの一例です.素敵な自然に包まれ、また何も緊張のない気の流れの中で進めるので、盛りだくさんに体験しても疲れません。熱海や六甲でまたお会いしましょう。

 

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2016年10月携帯を使わなくなって三年になる

2016年10月16日 12:30

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以前に比べれば減ったが

 

 

 

私が携帯を使わなくなって三年になる。以前に比べれば減ったが一応青電話があちこちにあるので、不便は感じない。といっても青電話も年に一二度であるが。そんな私から見ると、ほとんどすべての人がコミュニケーション中毒症にかかっているように見える。レンタカー屋で携帯を聞かれて持っていないと言ったら「私が五年間ここで働いていて、携帯を持っていないと言ったのは初めてのお客です」と言われた。では自宅の番号をと言われたが、運転中は自宅には誰もいないのだし、まいいかと書いた。考えてみれば世界中で大部分の人が携帯に支配された生活をしているのだ。それがサムスンの電話のようにいつ爆発するかとなるとどうして暮らして行くのだろう。


英学者 携帯電話を深夜オフにするようアドバイス c Fotolia/ Wckiw


サイエンス 2016年10月16日 03:28短縮 URL 0 62660 英国の学者達は、深夜、自分の携帯電話の電源を切るよう、すべての人にアドバイスしている。いわゆる「電子不眠症」の原因になる可能性があるからだ。
英国の学者グループの調査によれば、小中学校生徒の10人に一人が、寝る前に1時間弱、携帯電話を使っており、そうしたことから生徒達は、重要なニュースを見逃してしまったとの夢を見て、夜中に10回程度目を覚ましてしまう、という。 学者グループは、次のようにアドバイスしている-「 現在、生徒のおよそ45%が、いわゆる『電子不眠症』に苦しんでいる。そのため彼らは、授業に集中できず、教師が伝えた情報を十分に自分のものにすることができない。それゆえ両親は、すぐに問題を解決しなければならない。もちろん、それは容易なことではなく、おそらく子供達との間で騒ぎが持ち上がるだろう。しかし一番初めから、両親は子供達に、携帯電話は、寝る前に必ず切らなければならないと説明する必要がある。なぜなら携帯談話の使いすぎは、明らかに健康に有害だからだ。」

 

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2016年10月周易参同契

2016年10月16日 12:45

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中国の錬金術であり、多大な影響力を持ち

 

 

周易参同契

「中国の錬金術であり、多大な影響力を持ち、後世の錬丹術師や不老長生を目指す者たちから「万古丹経の王」と呼ばれて重要視されてきた、中国最古の錬丹術の書物『周易参同契』と呼ばれる書物が存在する。

そもそも道教は黄帝や老子を教祖として起った宗団ですが、そこに古代的ないくつかの呪術や魔術が混入し、上天世界に到達して神仙となることを教えていた中、それを中心のテーマとしたのがこの『周易参同契』であるといわれています。」

というのはネットで流通している「解説」のひとつですが、典型的な間違いなので指摘しておきます。まず「錬金術であり」というのが間違っています。当時すぐに理解してくれる人がなかったので、錬金術(体の外部での変化)の書物だと思わせて、その通例の用語を意味転換して用いて煉丹を提唱したのです。

そもそも道教は黄帝や老子を教祖として起こった教団ではありません。古代の有名人たちの名前を借りてつくった物です。黄帝内経の内容はまったく継承されていませんし、老子も名前だけ神様の一人にされましたが、老子の哲学はまったく継承されていません。道家と道教は内容的にはほとんど関係ありません。ほとんどというのは、老子は哲学の書ですが、張陵が書いた『老子想爾注』と、太平道と天師道の双方から信奉された『太平経』は信仰の書であり、むしろ信仰の立場から本来の老子をねじまげました。「そこに古代的ないくつかの呪術や魔術が混入し、上天世界に到達して神仙となることを教えていた」のは事実そうでした。だがそれと対極の世界を示して、そうしたさまざまな迷信を粉砕して、黄帝と老子の本道に戻そうとした所に『周易参同契』の本領があるのです。魏伯陽の老子理解は非常に正確で、それを宗教として読む余地はありません。 しかも煉金術(のちの化学)に対しても「鉛、銀、朱砂、水銀の配合が細かい所まで知られているのは、まことに魏伯陽のお陰である」と元代の陳致虚は言っていますから、非常に正確なものでした。その同じ正確さで、魏伯陽は「精・気・神」という三つの基本物質の関係を述べました。そして「内丹の修行は自分の内側で行なうことができる」と明確にしました。魏伯陽は内丹気功の祖で、まさに老子や黄帝の道を哲学・科学として発展させたのが内丹気功です。気功には導引・吐納・静定・存思・内丹の五大流派がありますが、その中で内丹だけが「先天の気」に依拠していて、「後天の気」を使う他の四つの流派とは違っています。

『周易参同契』の中には神仙思想も呪いも「上天世界に到達して神仙となること」も書かれていません。それは古代中国の先進的な科学思想が人の内面的完成について考察した書物なのです。

 

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2016年10月露伴全集の月報に

2016年10月17日 3:30

中谷宇吉郎


中谷宇吉郎が「露伴先生と神仙道」を

 



 

 

露伴全集の月報に中谷宇吉郎が「露伴先生と神仙道」を二回、「仙書参同契私観」七回を書いている。このうち前の八回も価値がないわけではないが、文献の周りを嘆息しながらぐるぐる回っているようなもので、やっと最後の最後になって気功の実践につながる記述になる。最初の方の量子力学や相対論という彼の専門分野と露伴の中国古典理解をつなげたところも面白くないわけではないが、ここでは話を絞って練功法の話に入ろう。

「魏伯陽の内丹では服丹餌丹の法や各種の観法及び符呪はもちろん強く斥けているので、修練の第一としては"自然の観察を誤らずして能く之に順ふこと"を挙げている。現代科学と同じだと感激している。つぎに「"禾を植うるには常に黍を以てすべし、覆鶏には其卵を用ふ、類を以て自然を輔く、物の成る陶冶し易し"として、鶏の卵から鳶の雛を期待するやうなことをいさめている」金丹とか仙薬というものは体の外にあるわけではなく、内にあることを言っている。「人は自然の中に存するもので、自然は又人の中に行なはれているのである。我に於て悠久なる自然を体得して自然に於て霊妙なる我を認得」する。
実際には静かな部屋にただ坐るのだというと坐禅とどこが違うのかというかも知れぬが、これは達磨西来より数百年以前のことであるから、むしろ坐禅が内丹の一部をまねたのである。しかし坐禅が寂定を目指す純陰的な修行なのに対して内丹は陽的であり、練功して身心を変化させようとしている。

「さて體を緩うして空房に座し、気を緩め神を凝らして修煉を重ねるうちに、和気が身内に漲って"淫々として春澤の如く、液々として解氷に象り、頭より流れて足に達し、窮境復上升"する境地に達し、"自然に気は神を戀ひ、神は気を慕ひ、二者相結ばんと欲すること、たとへば男女相引くが如き"に到る。この神と気の交渉は、晦つきて朔に転じ、陰極まりて陽発するの機微に通ずる。この時適当に法爐に火が進められると、"鉛は飛んで乾宮に上り、汞は結んで神舎に復"り、豁然として一形象を得る。これを"聖胎を結んだ"という」
これは簡単に描写できないが、魏伯陽はこの部分を五行論と河図絡書を引いて詳しく説明しているので、河図絡書を理解している者には大体は分かる。こうして有限の生命の中に無限の自然の生命を体得することができるというのだが、この辺り生物学者としての発言はあきらめているようだ。

こういう深奥野の教義が突如としてどこから来たのか。老荘や管子墨子にもその前身ないし胚芽と言えるようなものは皆無である。露伴先生は婆羅門の教えが南方経由で呉越に伝えられ、中国固有の天帝思想と結びついて生じたものではないかと推察している。ヨガの一流派と似ている部分はないことはない。今になってそれが陳瓔寧や胡耀貞の伝統と結びついて再び花開こうとしているのである。

 

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2016年10月北大路タウンを歩いていて

2016年10月17日 17:59

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大垣書店がいかにも大放出風

 

北大路タウンを歩いていて、大垣書店がいかにも大放出風の本を並べている中で、ふと『ゆるつま』というのが目についた。聞いたことのない単語だが、ゆるいつまみの省略形であることは用意に想像がついた。新書判で小さい本だったから引き止められたのかも知れない。書いているのは高谷亜由さん。920円が540円になっているのが気に入った。最近は100円とかでしかほとんど買わないので。いきなり最初が「かきピーとじゃことチョコレート」。ドレッシングも何もなし。これはちょっと料理本の常識を破る物だ。ベビースターラーメンのソース焼き飯なんてのも相当な物だ。こういうのは私などプライドが邪魔をしてちょっと書けない。でも少しやってみたくなる。ひじきなんて市販のを買ってしまう。そのままでなく木綿豆腐と葱といりゴマであえる。たしかに料理にはなっている。

パラぱらっと見て私のお気に入り、というか、今晩何も買わないで作れそうな物から紹介する。

◆かぼちゃサラダグラタン
市販のかぼちゃサラダ、好みのクラッカー二枚砕いて、ピザ用チーズでグラタンにしちゃう。
◆酢みそカマン
カマンベールをいくつかに切って芥子入り酢みそで和える。これは今日やっちゃおうかな。
◆大根とハムのサラダ
大根は半月にして塩でしんなり。ハムは適当に切る。スプラウトは根を切る。レモン、オリーブ油、粗挽き黒胡椒。
◆明太豆腐ディップ
豆腐水切り、からし明太一腹、カッテージチーズ、ごま油でペーストにする。やさいでもくらっかーでも。
◆わかめのナムル
ワカメ戻して水切る。ごま油で長ネギととう辛子、ワカメを炒めおろしにんにくと酒醤油酢を入れて炒める。
◆ジャンボ鶏つくね
鶏腿挽肉250g,ごぼう15cm、葱生姜味噌.練って片栗粉も加え大きいまま焼く。しょうゆと辛子、マヨネーズを適量。
鶏挽きが余っているのでつくねは作っておきたい。あとは酢味噌カマンと大根とハムのサラダならある。三つもあれば十分だろう。

京都に住んでいて、気楽に会えそうな感じだ。会わなくても十分メッセージは伝わってくる。もともとはベトナム料理、タイ料理の紹介ではじめた人らしい。
さて、台所へ。

 

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2016年10月トゥイヤとヨーナスがもうじき帰国する

2016年10月17日 18:21

味噌汁


もう一度よびたくなって

トゥイヤとヨーナスがもうじき帰国する。もう一度よびたくなって、日程の交渉をして、明日の三時から六時までということにした。私の料理もいいのだが、大阪の普通の主婦の味を紹介してもらいたくて、ちょっと頼んだ。みそ汁と一二品作ってもらう。あとはこちらも二三品作る。おみやげは何にしようと相談して、大阪の彼女はみそと塩麹を用意してくれることになった。

私のほうはほんのちょっとの米である。新潟県魚沼産のコシヒカリを二合だけきっちり角形に包んだ物があって、二キロとかになるとちょっと負担だろうし、このくらいがいいかな。あとは恥ずかしながらローソンの100円ものである。カツオの糸削りを2g4袋、北海道のだし昆布、これは中国浙江省産のスライス椎茸、高野豆腐の四個パック、干うどん四束、本醸造減塩醤油。全体で米も入れて1000円程度の物。これをコンパクトにパッキングして、使い方を英語でメモして貼付けようと思っている。日本の味を思い出してくれたらいい。そしてヨーナスの将来につながれば嬉しい。

 

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2016年10月トゥイヤとヨーナスは

2016年10月19日 23:43

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木曜日の早朝帰国する

 

 トゥイヤとヨーナスは明日木曜日の早朝帰国する。今日水曜日も龍安寺とか金閣寺に行くことにしている。昨日火曜日に、お別れでうちにまた招いた。フィンランド人はいつでも人に招かれると花を持って行く。ふたりはツツジに似た、もっと強烈な赤の、見たことのない美しい花を持って来た。さっそく食卓に飾った。私の方からは前に書いたようにコシヒカリ、かつおぶし、こんぶ、減塩醤油、高野豆腐、ひじき、みそ、干し椎茸などを一口ずつ取り合わせたもののセットを作ってあげた。ヨーナスが将来日本料理を勉強したといっていたからだ。

彼らにはおととい錦市場に行く機会があった。何を見たらいいかというので、魚屋などは面白いが買って行けない。その場でちょっと食べる串ものも売っているから、よさそうだったら食べてみたらいい。七味の店と乾物屋のものならフィンランドにもって帰れる。そんな話をしたが、結局雑踏の中を歩いただけでよくわからなかったらしい。「ちょっと高いし」「そうなんですか。何が高いか安いかまだまったくわからないし」「それはそうですよね。一緒に歩いてあげればよかった」

実は買えないことを想定して、ちょっとの量の質のいい米と、やや質のいいみそと、あとは100円ショップで揃えて、昨日こんなもの買いたかったんでしょう、というセットを作ってあげた。英語の説明書と、英語のラベルを貼って。でないと何が何だかわからないからだ。
この日はその日の朝になって簡単な料理を作った。先日はちょっと気取って京料理という風に構えたが、今日は特別の材料を使わず、ありふれた野菜の料理にした。

◇玉こんにゃくのカツオ風味醤油炒り
◇叩きごぼう
◇白菜菜とお揚げの炒め物
◇えりんぎ、またいけ、しめじ、えのきのバタ炒め
◇さつまいもの醤油とはちみつ煮
◇絹厚揚げと万願寺とうがらしの煮付け
◇いなり寿司
◇たくあん千切り、らつきょう、野沢菜

あと、鯛と焼き豆腐の煮物ともやしとハム、お揚げのみそ汁があったのだが、お腹いっぱいになったようで、出さなかった。最後に煎茶を出して味わってもらった。
二日間、とてもいい交流が出来た。「私たちはヘルシンキの北の郊外に住んでいるから、こんどフィンランドに来たらぜひ一日いらしてください。ごちそうしますよ」と彼女は言っていた。楽しみなことだ。ヨーナスの手料理もぜひ味わってみたい。

そう、いろいろ忙しくて遅くなったが、一月のチケットをやっととった。一月三日から二十四まで。今回は短い。五万くらいから50万代まで同じ普通席でも価格の差がある。五万というのはトルコ航空でトルコに長時間泊まって行く。フィンエアの正規料金は56万とかだが、75000円で売っている。チャージが着いて81000円だ。直通でこれよりやすいのはないので、これにする。トンミの本の出版が一月の予定だが、出版記念会などしたいのだが、まだ決まっていない。

 

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2016年10月たくさんのヒューマンチェーン

2016年10月19日 23:56

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「ひすいの水」の故郷、牟尼溝

 

93年の文章の最終回
12 たくさんのヒューマンチェーン

 「ひすいの水」の故郷、牟尼溝を訪ねた時のことですが、そこの自治体に当たる松潘県人民政府の人たちが総出で迎えてくれました。チベットの客を歓迎するハタという絹の布を一人ずつ首にかけてくれます。日焼けした、深い笑いジワを刻んでいるがまだ若いはずのこの県長さんはチベット族の出身なのです。わずか一日の事ですが、本当に温かいもてなしを受けました。
その夜にその県長さんの立ち会いのもとで、ひすいの水の会社と四川の環境教育センターと日本の地球市民企画室のあいだでの協約調印をしました。それぞれの立場でひすいの水を通じて四川の環境保護のために努力すること、地球市民企画室の紹介で海外に売れたひすいの水に関して、会社の売り上げの12%を環境保全費として、その三分の一ずつを三者で管理運用することにしました。といってもみんなの気持ちは同じで、この場所を生かした保養所兼自然学校のような基地を作って行こうというだけのことなのですが、みんな気功的生活カタログの趣旨に賛同して、すごい熱気で支えてくれようとしています。

自然写真家の森本大二郎さんは九寨溝から牟尼溝までの美しい写真を撮り続けました。遠藤亮及さんと福村祖牛さんはこの水の響きに匹敵するほどの音楽を作ろうと、作曲を続けました。彼らは気功的生活カタログでひすいの水と一緒に手渡して行ける写真集やCDを作るためにわざわざ同行してくれたのです。手描き友禅による仏画で有名な足立幸さんもこのCDのジャケットのために水と光そのものを描きたいと、手間のかかる制作に熱中してくれています。[企画は実現しませんでしたが遠藤さんのCD”Water Planet”に痕跡がのこっています]

北京では、新しい技術による浄純水を製造している古くからの友人が「こんなのはカタログに使えないか」と持ってきてくれました。天然水を千回以上濾過して加熱なしに極めて純粋な状態にし、それにミント油でフレーバーをつけたものでした。たいないのいらない物質とどんどん反応して外に出してしまう浄化効果があるということでした。四川省の別の会社が、脳に刺激のある極上のラドン水を一緒に開発できないかと調査資料をくれました。ロシアで聖水が売り出されたと資料をくれた方もいました。

一方で、このレターを読んで「ひすいの水が早く欲しいと連絡をくださる方もたくさんいます。中には「癌の母親に飲ませたくて」「親戚が死ぬ前にぜひ」という方もいて、私が個人輸入したものをお分けしたりしました。
この二つの情熱をつなぐのが私たちの仕事です。これはこの新しいカタログが作り出したい無数のヒューマンチェーンの、ほんの一つの例にすぎません。その可能性をもっと掘り起こし大きなうねりにして行くためのスタッフの努力が続いています。
[ひすいの水はなぜか現地企業が逃亡し、続けられなくなってしまった。そのころからフェリシモの態度もおかしくなり、こちらには何の説明もなしに、カタログは中止、全部やめるとなった。フェリシモのカタログは海外から色々集めてくるというのでなく、集めてきたものに基づいて全部日本で作って行くという方針だったから、とても品揃えが無理だったのだろうと推測できるが、それも含めて説明はなかった。大きな夢を膨らませたが予告だけして実現できなかった]

 

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2016年10月法務局に呼び出されて

2016年10月20日 16:50

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NPO法人のことである

 

 法務局に呼び出されて行ってきた。NPO法人のことである。もともとよく分からないので、適当に書いて郵送し、呼び出してくれるだろうと思っていた。先週金曜に電話があって、来週の木曜までは忙しいと木曜に行くことにしたのだ。理事を変えたいとか定款を変えたいとか相談に乗ってもらって、二週間以内に何とか揃えてまた相談に来ることにした。法務局の用事は20分くらいですんだ。

荒神口を下がった所にある法務局の隣には鴨川に面した喫茶店があって、行くたびにそこに行くのが楽しみだったのだが、お店はつぶれていた。お金の余裕があれば、買い取って喫茶店をやってもいいと思うくらいのいい立地で、竹林越しに川面が見えた。いい店だったのだが、私がいい店と思う店はたいてつぶれるのである。向かいは京大病院で,ということは比叡山から大文字山が見えた。

24日に客をするので、そろそろ材料を集め始めないと行けない。今回はフランスの精進料理である。わが家の冷蔵庫はいまイノシシから豚から羊から牛の二番目の腸から馬のサガリからとにかく肉が一杯だが、野菜の方は余り入っていない。24日に使いそうな物のうち、明らかによそより安い物だけを選んで買った。ペコロスが20個くらいで100円だったので二つ買った。
今日は羊屋さんにも内臓屋さんにも寄らない。もう一軒の安い八百屋でトマトの大きいのが250円だったから買った。近所では380円している。レモンも四つ150円で買った。干したイチジクをフレスコで100円だったと記憶しているので、今出川のフレスコに行った。枡形町の商店街では480円である。フレスコに並んでいる中には今日は切れていた。ミックスナッツとマンゴーを買って代用させることにした。

室町を上がると、初めての古本屋に出会った。獺祭書房(ダッサイショボウ)というところだ。カワウソの祭りというのが不思議な名前である。ロバート・ゴダードの二冊の長編が100円それぞれ上下で出ていたから買った。アメリカの探偵小説では、対極的だがマイケル・コナリーとロバート・ゴダードが一番好きだ。この二冊も持っているのだがここ半年ほど見つからないので、100円ということなら買ったのだ。中に入って中野重治の『レーニン・素人の読み方』が1000円で出ていたので一も二もなく買った。最近中沢新一君の『はじまりのレーニン』を読んでどう悪口を言おうかと考えていたので、この本はありがたい。
喫茶店に入りたい、と思いつつ、新町通りを上がって来たらもううちのそばに出てしまった。

 

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2016年10月ジョージ秋山の『銭ゲバ』

2016年10月20日 10:50

銭ゲバ

先日買っていたがやっと読んだ


 ジョージ秋山の『銭ゲバ』を先日買っていたが、やっと最近読んだ。『少年サンデー』で1970年から71年にかけて連載したものだ。全部を一冊にまとめたので、厚さ7センチ、917ページもある。2,000年にソフトマジックから3,500円で出ている。例によって100円で手に入れた。すぐあとに『少年マガジン』で『アシュラ』の連載をはじめ、神奈川などいくつかの県で有害図書指定を受け、一部では販売禁止になった。『銭ゲバ』はそうはならなかったが、PTAから目の敵にされたのは同じである。私は20代初めで最初の『われらの内なる差別』を出した頃だったが、ふたつの少年漫画誌は小学校四年の創刊時から読んで居り、大人になっても漫画もシェイクスピアもレーニンも全く区別なく読み続けた最初の世代に属している。79年と言えばその少し前から早稲田の総長室を占領して通っていた頃であり、『銭ゲバ』も「お、われわれの時代の資本論が出た」という受け止め方で読んだ。

 ストーリーをごく簡単に振返ると、父が女と駆け落ちして母ひとり子一人の極貧生活を送る風太郎が主人公である。中学生のごろつきとつきあって握時に加担して小遣い稼ぎをする一方、新聞配達なとをするが母は過労で病気になり、そのまま死んでしまう。「かあちゃんは銭があったら死ななかったズラ」と思った風太郎は手始めに車から大金を盗み、世話になった近くの兄ちゃんに見られて殺してしまう。大会社の社長の車に当たり屋をして拾われ、そこに運転手として住むようになる。やがて障害のある社長の娘と結婚し、地位を得てから社長の家に放火して社長も死に、後任の社長になる。その妻は虐待して首を吊ってしまう。妻の姉は好みの美人で、放火の前に犯してそのまま放置するが、生き延びて、その時に出来た男の子を連れて現れ、復習のために風太郎と暮らす。

 風太郎の会社は至る所で水俣病と同じ有機水銀中毒を引き起こすが、彼はかまわず営業を続ける。高校三年生の女の子と出会い、初めて恋心を持つが、やがて彼女も金を欲しがるようになり、彼女を殺してしまい、ますます絶望する。
 第二部では政界の泥沼社会に入り込み、知事にまでなるが、結局自分そっくりの息子も絞め殺し、自分もピストル自殺する。
 上野昂志が解説で「そのような迂回路を取り去ったあとの、資本主義の純粋形態」といっている。金銭こそ最大の力、ということを誰が否定できようか。彼は資本主義の論理を裸で生きる男であり、徹底した虚無を抱え込むしかなかった。われわれは彼のように純粋でないから自殺せずに今日も生きている。当時の人気バンドスターリンのリーダー遠藤ミチロウは「『銭ゲバ』は資本主義の旧約聖書だ」と書く。ご本人のジョージ秋山のインタビューもあるが、漫談だけでたいしたことは何も言っていない。ジョージ秋山自身が「時代に書かされた」漫画なのだ。

 

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2016年10月幸田文の随筆はみな、いい

2016年10月22日 16:50

幸田文

文庫版でも何冊か持っている


 幸田文の随筆はみな、いい。文庫版でも何冊か持っている。『雀の手帖』『おとうと』『木』『包む』『ちぎれ雲』『きもの』『崩れ』『季節のかたみ』。買いたくてまだ買ってないものもある。『台所の音』『黒い裾』『番茶菓子』『草の花』『月の塵』『駅・栗いくつ』『さざ波の日記』『闘』『ふるさと・隅田川』『動物のぞき』『回転どあ・東京と大阪と』などだ。古本で一円で出ているものも多いから、何冊かをのぞけば十数円+送料で手に入る。もっともいろいろな文学全集に入っているものもあるから、その半ばは持っている。しかし、私が繰り返し繰り返し読んだ「この一冊」というと『父・こんなこと』である。父には「その死」とサブタイトルがついている。露伴が死ぬまでの、一歩ずつ弱って行き、字もよめなくなり、露伴が露伴でなくなって行くまでを書いている。死ぬ前の日にやや長く文と話して「じゃ、おれはもう死んじゃうよ」という有名な別れの言葉を吐く。

 最後の「喪主」の部分に、露伴がまだもう少し元気だった頃にある人の葬式に青山斎場に行ってきた話をしたとき、露伴が「にこにこと機嫌よく、お前は私の葬式がどういうようになると思っているかと訊いた。機会である。子の方からやたらには切り出せない事柄である。狡猾さを気にしながら問を以て答とした。『どんな風にするのかしら』『おまえがきょう見てきたものとは凡そ違うものなのさ。溢れるほどに人が来るなんて思っていれば見当違いだ』と云って笑い、『明の太祖の昔話にあるじゃないか。棺桶も買えない貧乏な兄弟がおやじさんを明き樽に入れて荷いでとぼとぼ行く途中の石ころ道に、吊った縄は断れる、仏様は転がり出す、仕方がないから一人が縄を取りに帰ったなんていうのは、いくらなんでもあんまり厄介すぎるから、まあ住んでる処の近処並に極あっさりとやっといてくれりゃそれでいいよ。おまえには気の毒だがうちは貧乏だ。

わたしの弔いのためにおまえが大骨折って金を集めたり、気を遣ったりして尽してくれることはいらない。傷むなと云ったっておまえは子だから傷むにきまっている。それで沢山なんだよ。』なごやかな心で柔らかく話すときの父の調子は、まったくいいものであった。よその父親は如何に娘に話すか知らないが、こういう時の父は天下一品のおやじだと思っている。どこのおとうさんととりかえるのもいやだと思う。だから叱られて泣く時にはたまらないが、思い出して我慢するのである」

 露伴には文もいたし小林勇もいたが、私には死の瞬間に立ち会ってくれそうな人は居ない。むしろ何週間かして腐乱死体になってから発見されるスタイルかも知れない。それはそれでいい。息子には水葬にして墓はいらないと遺言してある。せめて気功をしながら息絶えて、仙人を真似てみるか。
 孫の玉子との対話で露伴は「そうさ、おじいさんも仙人になれば雲に乗ってどっかに行く」「そんなの少し変だわ」「変じゃないさ、いいじゃないか」と言っていた。文は最後に二句書き付ける。
  老子霞み牛霞み流砂かすみけり
  獅子の児の親を仰げば霞かな  机の脇に揃えてみた露伴全集は私の「流砂」である。そして獅子の児のほうは娘に、蹴落とした私も霞だといっているのだ。
 いや書き始めた時には「あとみよそわか」の掃除や洗濯の話をしようと思っていた。それは機会を改めよう。

 

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2016年10月幸田文の「こんなこと」に少し触れる

2016年10月22日 16:50

幸田文

前にも少し書いたと思うが

 幸田文の「こんなこと」に少し触れる。前にも少し書いたと思うが。
「掃いたり拭いたりのしかたを私は父から習った。掃除ばかりではない、女親から教えられるはずであろうことは大概みんな父から習っている」と彼女は書き出している。「おしろいのつけかたも豆腐の切り方も障子の張りかたも借金の挨拶も恋の出入りも、みんな父が世話をやいてくれた」
八歳の時に生母が亡くなった。継母は家事がほとんどできなかった。「父は兄弟の多い貧困の中に育って、朝晩の掃除はいうまでもないこと、米とぎ、洗濯、火焚き、なんでもやらされ、いかにして能率を挙げるかを工夫したと云っている」
14歳の時に掃除の稽古がはじまる。はたき作りから始まる。「お父さんのおもちゃ箱と称する桐の三ッ引き出しの箱があって、父専用の小道具類がつまってい、何かする時はきっとこれを持ち出すのである。」和紙の原稿反故を斬って渋引の糸屑で締めてはたきを作る。 

二日目にそのはたき掛けからしようとすると、整頓から始めるとおこられる。障子のはたき掛けの前に天井の煤を取る。箒で取るときは絶対に天井板に触るなと言われる。縁側でそのごみをとっていると、「みっともない格好だ。女はどんなときでも見よいほうがいいんだ」と叱られ、右手に箒の首をつかみ、左の掌にとんとんと当ててみせる。やっと障子にはたきをかけられるが、また怒られる。「はたきのどこが障子のどこに当たるのだ。それにあの音はなんだ。学校には音楽の時間があるだろう。いい声で唱うばかりが能じゃない、いやな音をなくすことも大事なのだ。あんなにばたばたやって見ろ、意地の悪い姑さんなら敵討がはじまったよって駆け出すかも知れない。はたきをかけるのに広告はいらない。物事は何でもいつの間にこの仕事ができたかと際立たないのがいい」
反抗の感情に燃える文に「いいか、おれがやって見せるから見ていなさい」としてみせる。「房の先は的確に障子の桟に触れて、軽快でリズミカルな音を立てた。何十年も前にしたであろう習練は、さすがであった。技法と道理の正しさは、まっ直に心に通じる大道であった。かなわなかった」


まねてみると、どうしても鋭敏すぎる音が出る、うまくいかない。父は「お嬢さん痛いよう」とそばで笑っている。
唐紙は毎日はたくほど埃がたまるものではないが、それでも埃はたまる。「その時は羽の塵払いを使え、羽根のない時はやつれ絹をつかえ、絹のない時はしら紙のはたきをつかえ,それもない時はむしろ埃のまんま置いとけ」といわれる。
「箒も自分でしてみせてくれた。持ちよう、使いよう、畳の目・縁、動作の遅速、息つく暇もない細かさであった」
解放されて、拭き掃除はしばらくあとでいいといわれ、起って歩きかけると「あとみよそわか」と言われた。もういいと思っても呪文を唱えてみるんだ

 

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2016年10月幸田父子の格闘

2016月10日25日 17:40

幸田文

もうひとつ掃除のことだけ紹介

 

 幸田父子の格闘。もうひとつ掃除のことだけ紹介しておく。今回は水掃除だが、水は恐ろしいとのっけから脅される。水は破壊力を持つ。その水を飼いならして掃除に使いこなすのだから大変だ、といわれれば、そんな気もしてくる。「どこのうちでも女どもが奇麗にする気でやっているが、だんだん汚くなって行くじゃないか」
「雑巾は刺したものより、ならば手拭のような一枚ぎれがいい。大きさは八つ折が広げた掌からはみ出さない位」差し雑巾は不潔になりやすい。バケツに八分目汲んであったが「どうしてどうして、こんなにたくさんの水が自由になるものか」と六分目に減らされた。「いいか、始まるぞ。水はきついぞ。」にこにこしているから、心配は要らない。
だが、雑巾をしぼって立ち上がると、あちこちに、以外の遠さにまで水玉がはねている。 
父はやってみせてくれる。「水のような拡がる性質のものは、すべて小取りまわしに扱う。おまけにバケツは底がせばまって口が開いているから、指と雑巾は水をくるむ気持ちで扱いなさい。六分目の水の理由だ」少ない水はすぐ汚れるから度々取り替える。面倒がる、骨惜しみをするということは折助根性、ケチだという。露伴家ではケチということばは最大級のものだ。「水を取り替える労を惜しむのがケチなら、よごれた水で拭いて黒光りがしている廊下はさしづめケチの見本である、気に入らないのも無理はない。よい廊下をよく拭き込んだのは,ちょうど花がつおのような色とてりをもっているそうである」
このところが、本当に名文だなと思う一節で、息をのむところである。
「父の雑巾がけはすっきりしていた。のちに芝居を見るようになってから、あのときの父の動作の印象は舞台の人のとりなりと似ていたのだと思い、なんだか長年かかって見つけたぞという気がした。白い指はやや短く、ずんぐりしていたが、鮮やかな神経が漲ってい、すこしも畳の縁に触れること無しに細い戸道障子道をすうっと走って、柱に届く紙一ト重の手前をぐっと止まる。その力は、硬い爪の下に薄くれないの血の流れを見せる。規則正しく前後に移行して行く運動にはリズムがあって整然としてい、ひらいて突いた膝ときちんとあわせて立てた踵は上半身を自由にし、ふとった胴体の割に毛会かなこなしであった。『わかったか、やってみなさい』と立った父は、すこし荒い息をしていた。後にも崎にも雑巾がけの父を見たのはこの時だけである。
身のこなしに折り目というかきまりというかがあるのは、まことに目新しくて、ああいう風にやるもんだなと覚えた」
「父の教え方は大別三段になっているようである。やらせてみる、やって見せる、も一度やらせて見る,である」
文は自分の気づかなかった「無意識の動作」を感ずるようになった。「雑巾を搾る。搾ったその手をいかに扱うか、搾れば次の動作は所定の個所を拭くのが順序であるが、拭きにかかるまでの間の濡れ手をいかに処理するか、私は全然意識なくやっていた。『偉大なる水に対して無意識などという時間があっていいものか、気がつかなかったとはあきれかえった料簡かただ』と痛撃された」
「『水の扱えない者は料理も経師も絵も花も茶もいいことは何も出来ないのだ』と脅されれば、すぐに厄介だと思ってへこんでしまうのである。『おとっつぁんがうるさいなんと思えば大違いだ。お茶の稽古に行ってみろ。茶巾を搾って振り回したり、やたらに手みずをひっかけていいという作法は無い。私の云うところはあたりまえ過ぎるくらいあたりまえだ』という」
露伴の叱言をまだまだ聞いていたいが、これくらいにする。まず江戸弁が心地良い。私の両親は山の手を標準にした標準語を身につけていたが、なにかの時に江戸弁が染み出て来た。私にはもう江戸弁を操る能力は無いが、隅田川界隈に行って江戸弁を聞くのが楽しみなことでもあった。もうひとつ、露伴はここでは掃除の技術を語っているが、五重塔では建築家の伝統技術を、いさなとりでは漁師の伝統技術を語った。そして仙書参同契や道教や墨子では気の伝統技術を語った。どの分野も、自分で家を建てたり見たり、釣りをしたり、瞑想したり、そして掃除をしたりに実際に生かした生きた智慧だったのである。「文豪露伴」の作られた像では見えないところだ。

 

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2016年10月健身気功協会の雑誌に

2016年10月25日 18:30

幸田文

いくつかの連載をしています

 

健身気功協会の雑誌にいくつかの連載をしていますが、そのひとつに「気功は脳をどのように鍛錬するか」という長期連載の文章を載せています。その四回目に「側頭葉の機能障害とその回復」を書きました。まだこの号が印刷されるのは少し先なので、ここで全文発表することはできません。しかしその処方箋としての「声を出す気功」についてはここでもたびたび取り上げてきましたので、部分的に紹介するなら構わないでしょう。それで雑誌『健身気功』に興味を持ってくれれば、買っていただく、入会していただくこともできます。この雑誌には小さなものも入れると私は七つの文章を書いています。

ダニエル・エーメンの『愛と憂鬱の生まれる場所』にそって話を進めています。側頭葉というのは能の病気に関しては今まであまり注目されてきませんでした。簡単に言うと左の脳が優位の脳である場合が多いのですが、「言語の理解と処理、中期・長期記憶、言葉の検索、情緒安定、視覚と聴覚の処理」に関わっています。また劣位とされる右半球の脳は「顔の表情の読み取り、音声のトーンやイントネーションの区別、リズム、音楽の鑑賞、視覚による学習」に関わっています。側頭部に問題があると「記憶力低下、原因のわからない頭痛や腹痛、不安や恐怖心、感覚異常」読解困難、情緒不安定などなどが引き起されます。その多くは頭部の打撃による外相によって起こり、本人も気がつかないことが大部分です。アルツハイマーや癲癇の多くもこれとかかわっています。

エーメンはデパコートなどの抗うつ剤とともに、声を出すこと、音楽をやる、舞踊、モーツァルトを聞く、などの処方をしています。その部分を引用しましょう。
「それよりもエーメンが推奨するのは「いつでもどこでも、歌を歌おう」ということです。シャワーの中で鼻歌を歌ったりするのは側頭葉にとてもいいのです。それだけでなく、教会で歌ったり、合唱サークルに参加するというだけで、側頭葉の病やそういう傾向が改善するのがわかるでしょう。
歌だけでなく、詩の朗読や気に入った文章の朗読は脳の血流を大幅に改善します。ヨーデルとか普通のハミングでも、脳は活発になります。トーニングというのは一定の高さで声を出すことで、「あー」とか「おーむ」とかがそれです。ドン・キャンベルは『モーツァルト効果』という著書の中で「トーニングを毎日欠かさず五分間行なうと、大勢の人が発声によって楽な気持ちになり、体の調子を整え,恐怖心などを解放し、肉体的苦痛から自由になる様をこの目ではっきり見ました。いやなテストの前のリラクセーションから、耳鳴りや偏頭痛の症状の除去に至るまで、多くの人がトーニングを実践的に取り入れています。トーニングには不眠症などの睡眠障害を軽減する効果も見られました。そして脳波のバランスを整え、呼吸を深くし、心拍数を下げ、総合的な幸福感をもたらします」と述べています。
エーメンは「アーは即座にリラクセーションをもたらす。エーまたはエイは刺激的で集中力を高め、苦痛と怒りを解放する。オーやオムは最も豊かな音で筋肉の緊張をやわらげる」と書いています。
これが気功の得意分野であることはいうまでもありません。

気功で声を出すのは五つの場合です。

①リラクセーションのためのソーンやアー。
②声の高さを変えて内部に作用させる吐音導引法(高血圧だと高い所から落としてくるなど、郭林の方法)
③内臓ごとに音を変えて行く六字訣
④さまざまな念仏、真言
⑤内養功などで息を止めている間、「自己静」(私は静か)「自己坐健康」(坐れば健康になる)などを唱える。

このうち③や⑤は声に出さずに黙念する場合もあります。④では「トホカミエヒタメ」「ヒフミヨイムナ」など日本の神道の真言、「南無神変大菩薩」などの日本で作られた真言、「南無観世音菩薩」「おんそらそばていえいそわか」など中国語を日本読みにしたもの、「おんまにぺめほん」などのチベット語を中国読みにしたもの、「ガテーガテーパラーガテー」などのインド語などがあります。私は最近はたいていの気功教室を「声を出す気功」から始めています。

エーメンは更に「いい音楽をいっぱい聞こうと提案しています。とくにクラシックを。なぜでしょうか。これまでのところあらゆる実験で着実に効果が上がっているのはモーツァルトだけなのです。

「カリフォルニア大学アービン校(UCI)の研究者たちによる実験は非常によく知られています。モーツァルトの『二台のピアノのためのソナタ(K448番)』を聴くと、視覚空間的な学習能力が高まることが証明されたのです。フランセス・H・ラウシャー博士のグループが心理学の学生36人を遣って行なった実験によると、モーツァルトの曲を10分聴いたあとでは空間IQテスト(スタンフォードビネー知能検査の一部)の得点が八点から九点も上がりました」「(次にやったのは)抽象的な一六個の図形を一分ずつスクリーンに映し出すことによって空間的能力をテストするというものでした。五日間にわたってあるグループはモーツァルトの『二台のピアノ』を、二番目のグループは何も聴かず、三番目のグループはさまざまな軽音楽を聴きました。どのグループも一日目より二日目のほうが点数がよくなりましたが、何も聴かなかったグループが14%、軽音楽グループが11%向上したのに対して、モーツァルト組は62%アップしました」

私はずっと昔から、新しいコンピュータを買うたびにまずモーツァルトのヴァイオリンコンチェルト3と4、ピアノコンチェルト20,21,23,27などと四つのホルンコンチェルトを入れて、むろん他の曲とともにですが、聴けるようにしてきました。エーメンは同じ音楽でもヘビーメタル・ロックは脳を安定させる効果がまったくないと入っています。やはりバロックからロマン派までの音楽が効果的なようです。私の場合にはハワイアンやボサノバもそれにつけ加えたい所です。江戸小唄や一連の古曲も。

楽器を習うことは声を出すことと同様に大きな効果があります。視覚空間部門や読解力にそれが著しい影響があったという実験が引用されています。楽器はむろんうまくなりたいという本人の努力は必要ですが、うまい必要はなく、また何歳からでも始められます。私は子供の時に習ったアコーディオンと母親が亡くなる前に多少仕込んでくれた三味線をもっと年取ってからもう一度やろうと計画しています。リズムに合わせて体を動かすことも、人に見せるまでになればいいですが、人に見せなくても,自分のための癒し効果があります。

バイオフィードバックも気功による脳の自己コントロールと結びつけて行けば、側頭葉の治療に顕著な効果があります。
気功をもっと声を出すことや音楽を聴くこと、楽器で遊ぶことと積極的に結びつけて行きたいものです。」

 

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2016年10月陳兵の『道教修煉養生学』の中の

2016年10月26日 19:41

幸田文

「道教煉養学と現代気功はどんな関係があるか」





 陳兵の『道教修煉養生学』の中の「道教煉養学と現代気功はどんな関係があるか」のほぼ全訳である。
現代に通用する気功という言葉はもともとは道教の書に出て来た。隋唐の時代、道書の中では気功は「服気功夫」を指していた。「気功の妙篇は、気術の道とほぼひとしい」許孫の書いている言葉では「気功は内丹、長生久視の道である」という。
ここでは気功は内丹修煉を指す。近代には武術や医療界が、道教に基づいて気功の言葉を使い出した。気功は呼吸を調節して人体内気の功夫を鍛錬することになった。今日では気功の意味は更に広汎に、諸家、諸派の各種の煉意して功夫を修養するものをすべて含むようになった。
我が国の当代の気功界は一般に道、釈、儒、医、民間、武術の六大家に気功を分類しているが、その中でも道教の煉養方法がもっとも雑駁にして多様であり、理論もまた相当に系統だっていて、その影響は最大である。道教煉養術には守竅、調息、存服日精月華等の静功と按摩、導引、叩歯、咽津、鳴天鼓などは気功の世界で採用され、最新流行の気功鍛錬方法になっている。道教の行気による攻病法、布気法[手当て法]、揺禁法、などは広く運用されて気功医療と見られている。道教の内丹功は気功界流行の人を引きつける上乗功法となっている。宗教色が特に濃厚な存思もまた改造されてさまざまな気功の中に使われている。
道教煉養学の理論の現代気功への影響は深いものがある。道教と中医は人を小さな一天地と見る天人合一の全体観を持ち、気功界に批判的に継承されて、現代気功学の理論的基礎になっている。『東方気功』編集部の『気功学知識講座』第一講は「天人合一の全体観」であり、その基本の上に継承し、道教の煉養理論、道、太極、有無などの基本理論モデルを作っている。道教煉養学の陰陽五行、八卦、元気、精気神説も多くの気功流派の功法、功理の中に浸透している。「意守」「守一」「入静」「運気」「内視」「周天」「胎息」「守るに似て守らず、忘れるなかれ、助けるなかれ」「走火入魔」など、現代気功の常用語は、皆道教から出て来たものである。
道教煉養学派非常に幅広く膨大な体系を持っているが、宗教の中で古代文化を発展させたものであり、宗教信仰と時代の認識の水準にはギャップがあるのは当然で、その中から非科学的な粕の部分を捨てる必要がある。現代気功科学と対比し、その研究方法にははっきりしない古いものがあり、正確性、厳密せいに欠けるものがある。現代の気功科学の研究を掌握し、さまざまな学科から、多面的な角度から見て行くなら、当然古代宗教気功学の発展の速度も速く、得るものがおおいだろう。

 

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2016年10月幸田露伴を読む会

2016月10日26日

幸田文

月一度、気功文化研究所で集まりを持ちます

 


幸田露伴を読む会

月一度、気功文化研究所で集まりを持ちます。
人が集まろうが、誰も来なかろうが、津村はやります。
露伴の中国古典関連の著作を読み、声に出して朗読するのが目的です。
まず露伴全集十八巻の範囲で、
道教に就いて、道教思想、水滸伝、墨子、雲南、仙書参同契
などを読んで行きます。
十八巻を読み上げたら、
十六巻の論仙(仙人呂洞賓など)、蘇子膽米元章、十七巻の太公望、王羲之、
十九巻の遊仙窟、列子を読むなど
中国古典ではありませんが
努力論、一国の首都なども読んでみたい所です。
人が誰も来なかった場合、ひたすら津村が朗読して録音します。
人がきた時は少しずつみんなで読んで、意味を解説し
みんなで討論します。
そして後半は津村が朗読して、録音します。
事前に申し込んでもらって、テキストが必要なら間に合うようにコピーします。
ご自分でテキストをお持ちならコピーを買う必要はありませんが、
聞いてすぐにわからない言葉や読みにくい漢字に注釈をつけたものを作ります。
そのほうが役に立つかもしれません。テキストのコピーの「付録」ということになります。
毎月の録音を販売します。
年間3000円で「幸田露伴を読む会」の会員になってくれ、
月1000円の参加費でその月の会に出席した方は、
1000円+送料でその月の朗読のCDを受け取ることができます。
年間会員でその会に出席できないでCDだけ受け取りたい方は
月2000円+送料で録音テープを受け取れます。
テキストのコピーも注文ができますが、コピー代実費なので
資料の長さによって代金は変わります。
会員にならずにテープだけ欲しい方は、録音時間の長さに応じて
2000円から5000円程度+送料に価格が変動します。
「道教に就いて」だと二回分で46ページ、「仙書参同契」だと二回分で74ページです。
「仙書参同契」は価格も60%程度上昇します。
テキストコピーは会員と同価格です。
非会員(気功文化とは別で露伴を読む会の)で月例会に参加する時は
当日参加費は2000円で録音は会員と同じ1000円+送料です。
年三回以上非会員のまま参加するよりは会員になった方がお得です。
会員なってももちろん注文は義務ではなく、欲しいものだけを注文すればいいです。
当面第二日曜、定例授業がすんでから開催します。
2017年1月はフィンランドに行っていますので、2月からスタートします。

2月12日(日)15:00 道教に就いて第一回
3月12日(日)15:00 道教に就いて第二回
4月 9日(日)15:00 道教思想第一回
5月14日(日)15:00 道教思想第二回
6月11日(日)15:00 仙書参同契第一回

会員になります、という意思表示をしてください。
kikoubunka@yahoo.co.jpに露伴研究会と明記して、
名前、住所、電話、メールを登録してください。
折り返し中谷宇吉郎が露伴全集月報に七回連載した「周易参同契」についての
文章のコピーをお送りします。『雪』で知られる科学者ですが、
露伴の文章をうまく要約しています。
また振込先をお知らせします。
当面年間三千円の分だけです。あとはCDなどが買って戴ける形になってから知らせます。

このやりかたは当面三年間、2020年の一月時点までやり、
解散するか、継続するか、別の形で発展させるかをご相談することにします。

 

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2016年10月露伴の文章は時に

2016年10月27日 0:40

AAAA


見たこともない漢字が使ってあって


 

 

 


 

露伴の文章は時に見たこともない漢字が使ってあって、自分の教養の限界を否応無しに教えられる。「道教に就いて」でも本題に入る前の最初の三ページのうちに、すくなくとも現代ではこうは使わないという言葉がいろいろ出てくる。
「草率に」は久松潜一等の国語辞典でひいてみると「倉卒・草卒」があって「あわただしいこと」とされている。
「假令」は「かりに」と読む。このくらいは知っている。
「支那を掩蓋する」は「おおいかぶせる」。
「清眞教」もわかんないと困りますね。イスラム教のこと。
「貽つた」は「おくった」と振り仮名がある。国語辞典にも漢和辞典にも古語辞典にも出ていないで中日大辞典に出ていた。贈る、あとに留め残す、とある。「朝鮮日本に多少の影響を貽つたに過ぎない」という文章。
「道教の源委流傳」この委がわからない。
「聊か」いささか。
「然様」さよう。
「那方」あちらの方。
やれやれ。国語、古語、漢和、中日の辞典を総動員である。

 

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2016年10月そろそろ来年のカレンダーがないと

2016年10月27日 12:30

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困るようになって来たので


 

 

2016年10月27日 12:30

そろそろ来年のカレンダーがないと困るようになって来たので、本屋であれこれ見ていて、京都手帖2017を衝動買いしてしまった。五年くらい前から毎年見てはいたのだが、今年はとりわけ情報が充実している気がして。たとえば12月のところにはまず二ページ見開きの月間表があって付きの上弦や満月が分かるようになっている。中表紙にいろいろな守り神として獅子だけでない狛犬がいろいろ。大原野神社は鹿が、鞍馬寺には虎が、三宅八幡には鳩が狛犬になっている。岡崎神社は兎、大豊神社は大国主にちなんだ鼠。
そして毎日の予定書き込み欄には1日が北野天満宮の献茶祭、萬福寺の朧鉢八大接心、3日厄落としの大根炊き、梅小路講演手作り市、四日が地主神社しまい大黒、東寺のがらくた市、5日が鷺の森神社の御火焚、7日が千本釈迦堂の大根炊きなどがほぼ毎日記入されている。右上の頁には四五行で英語の文章があり、Geisha and maikoとかKyoto vegetableとか、Ema-Votive Tablet とかの説明がコンパクトにまとめてある。巻末には祇園祭、葵祭、時代祭のMap、哲学の道、京都駅周辺、嵐山、花園、伏見、宇治などの地域Map、市バスの路線図、タクシー電話、社寺データ、博物館や美術館、図書館、年齢早見表などがあり、そのあとがノートになっていて最後に書き込み用アドレスがある。表1234とカードとか挟み込むための仕掛けがある。至れり尽くせりである。
2016年はフィンランドで作られたムーミン手帖を使って来た。祭日とか当然違っていて、え、今日郵便局休みかよ、とか困ることもあった。まあ京都の年中行事がどれほど必要かわからないが、来年一杯使ってみることにしよう。

 

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2016年10月自転車でぐるっと一回りして

2016年10月27日 17:30

AAAA


古本屋三カ所ほど行った。


 

 

 

自転車でぐるっと一回りして、古本屋三カ所ほど行った。
露伴関係では
◇幸田露伴 上 塩谷賛 中公文庫
◇幸田露伴 中 塩谷賛 中公文庫
これはネットで取り寄せたばかりのものだった。いずれも100円だったので、迷わず買った。
◇五重塔 岩波文庫
新品同様のが出ていた。これもテキストは何種類も持っているが、文庫本は初めて。
◇流れる  幸田文  新潮文庫
◇崩れ   幸田文  講談社文庫
それ以外では
◇ジョン・リード 世界を揺るがした十日間 上 岩波文庫
子どものころ暗記するほど読んだが,なぜか手元にない。
◇田山花袋 東京の三十年 岩波文庫
◇山内昌之 イスラームとアメリカ 中公文庫
この人は読むからに信頼できる。
◇金芝河 良心宣言 国民文庫
これも何種類か持っている。
◇長谷川義記 北一輝 紀伊国屋新書
この新書がなつかしくて買った。
◇井波律子 酒池肉林 講談社現代新書
後沖縄の観光案内の大きな本を買った。写真を見るだけで楽しい。
しめて1200円である。

 

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2016年10月昨日は残り野菜と余った鶏で

2016年10月28日 20:31

AAAA


天ぷらをしようと思ったが


昨日は残り野菜と余った鶏で天ぷらをしようと思ったが、小麦粉を見たら鼠に食い尽くされているのがわかった。蓋が開いていたのだ。材料をそのまま冷蔵庫に入れて、昨日は一昨日からのタイの頭の煮込んだの(みっつが250円のが半額になっていた)ですませた。今日はいよいよ小麦粉を買って来て、片栗粉と半々にして天ぷらを揚げる。きのこ、にんじん、じゃがいも、ヤングコーン、さつまいもなどなど、もうすぐ捨てなければならないものばかりだ。鶏は天竜から送って来たものだが、地鶏だがとてもやわらかい。
向かい合わせに置いた冷蔵庫を二つ使っている。古い方はアイスノンの類いとかお茶やコーヒー豆を凍らせてあったり、下には水の1リットルボトルが20本ほど冷やしてある。入り切らない野菜も少し入っている。新しい冷蔵庫はとにかく中段の冷凍庫が肉で一杯で、馬,鹿、羊、牛の大腸やハチノス、しま腸、羊のステーキ用や挽肉、イノシシ、鶏皮、等々がつまっている。下段は野菜あれこれ。上段には調理済み、半分調理したもののタッパーがあれこれ入っている。まだ二割くらいしか使っていない。これでバスク料理をしたりトルコ料理をしたりとなると、できあがったものが入るようになる。
作務衣の大きいのを早く着たくて外に干していたら、今日は突然の豪雨でまた少し濡れてしまった。あちこち片づけたいがなかなか思うように行かない。

 

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2016年10月幸田露伴の全集が揃って

2016年10月30日 16:06

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ようやく書斎も落ち着きを取り戻したようだ


 

幸田露伴の全集が揃って、ようやく書斎も落ち着きを取り戻したようだ。これまではとびとびに九点しかなく、肝腎の15巻から19巻のあたりがなかった。机の右側に並んでいるのはこの露伴全集と露伴随筆全集、露伴と幸田文の文庫本20冊ほどと、一連の研究書、「蝸牛庵訪問記」「露伴と道教」「露伴と現代」などだ。もうひとつ、昭和17年に大東出版社から出たゲーテ全集が揃いである。光学や植物学の研究が充実している。これは札幌のススキノにある行きつけの古本屋で買った。同じ時に自分の『今日も一日おいしかった』や『一人暮らし料理の技術』の旧版も買った。
寝室にはTeaback koさんが買ってくれた芥川龍之介全集の揃いがある。一緒に飲んでいて大阪のもう閉まっている古本屋のウィンドウに積んであって、酔った勢いで「欲しい」と言ったら「明日来て買ってあげますよ」というので、「お金渡しときます」と言ったら「このくらいいいですよ」と太っ腹なところを見せて買って送ってくれた。何かでお返しをと思いながらまだ機会がない。わが家の晩餐に招こうか。
寝室には谷崎潤一郎全集と荷風全集がある。谷崎のほうは半分ほどでまだ揃っていない。荷風は二巻ほど抜けている。露伴とゲーテは書斎で、谷崎と荷風と芥川は寝室でといかにもではないか。
書庫にはマルクスエンゲルス全集のうち12冊、レーニンは5冊ほどで、どちらも7,8000円で全巻揃いを見つけたからそろそろ揃えなくちゃと思っている。毛沢東選集は日本語・中国語五つくらいの版がある。
三木清が二巻ほど抜けている。岩波1967年版。正岡子規全集大正7年版がこれは全巻ある。非売品と書いた変なもの。
鴎外全集、藤村全集はバラバラで数巻ずつ。廣松渉著作集が五巻ほど。タイムライフの世界の料理があと二冊買うと全巻揃う。柳田國男全集はいったん揃いで持っていたのだが、人にあずけるうちに流されてしまったので、五巻ほど買い戻した。新中国料理大典五巻、これは揃っている。ブレヒトとベンヤミンは著作集初め日本語で出た関連文献はほぼ持っている。文庫版では矢田挿雲の江戸から東京へは全部ある。折口も全集で欲しい所だが文庫であれこれ持っている。 
うちの図書室の枕書茶楼という名前は「瀟洒たり枕書の眠」からとったものだ。これだけあれこれ揃えていると、もっと枕が要りそうだ。

 

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2016年10月水曜日はよみうり教室の

2016年10月30日 05:15

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京都探索の日だ


 

水曜日はよみうり教室のみんなの京都探索の日だ。いろいろな事情ですくなくなってしまって、運転する私を入れて五人になった。今回は気楽に宝ケ池と深泥池を中心に散策する。池の畔で亀を見ながら気功をしたり。すぐのところにフィンランドのおしゃれな店と、大きなケヤキが見られる喫茶店があるので、そこに寄ったりする。
お昼はうちで。秋春と京都料理が続いたので、今年はバスク料理ということになっている。何品かフランス料理も含まれる。
◇ピンチョスというのはアンチョビとオリーブと胡瓜のピクルスの爪楊枝差し。
◇イワシの衣揚げ。
◇子牛のラグー。これは挽肉料理。ポテトピュレー添え。
◇豚のリエット。豚を四時間煮てペーストに。フランスパン添え。
◇いろいろのきのこのオムレツ。
◇ギリーン野菜とブルーチーズのさらだ。
◇まぐろとアンチョビとルッコラのサラダ。
◇りんごのパイ。
こんなところで、メインがないと言えばないのだが、まあ、美味しいもののオンパレード。
そのあとほろ酔い気分でいつも水を汲む泉までいって、秘密の喫茶店に。船岡温泉に行ってもいいんですよ。

 

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2016年10月連日の冷え込みに

2016年10月30日 20:15

ストーブ


ついにストーブを出した


 

連日の冷え込みに、ついにストーブを出した。八月に二万いくらで冷房を買った時は、暖房がついていないのを見て、ふん、大丈夫さと思っていた。だが冬が近づくと、暖房もある五万の方がよかったかと思ってしまう、もうひとつ寝室に去年買ったのは冷暖房がきくが、実は暖房はあまり効かない。
寝室用にガスストーブを出した。これは強力で燃費も安い。食堂用にアラジン。これは網で焼いたり湯を沸かしたりと重宝する。たしかにこれらがあれば、暖房はいらない。石油は春に2リットル缶一杯にしておいた。自転車でちょうど一つずつ運べる重さである。アラジンがあると、餅とか海苔を焼いたり一日中ことこと煮るスープを作るか,楽しみな所だ。バスク料理には「ここで四時間煮る」とかいうのがたくさん出てくる。やってみざるをえないだろう。
もうひとつ、机の足元で使っていた小さな電気ストーブがどこに行ったか。そのうち見つかるだろう。
ほんとはネットに出てくる小さな薪ストーブがほしい。五万くらいだから、家賃を遅らせれば買えないことはない。テーブルの上にも置けるくらいで、薬缶を置いたりシチュー鍋をおいたりもできる。今はろうそくしか生の炎はつかっていない。フィンランドにはどこにでも暖炉があって、薪がどこにでもある。毎年秋になると一人で妄想している。火と暮らしたい。水はたっぷりある。火があれば水火相交である。とりあえずは蝋燭とアラジンである。

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2016年10月私の師匠の陳攖寧の原則です

2016年10月31日 18:30

AAAA


中国道教協会のトップだったのですが


 

 

私の師匠の陳攖寧の原則です。中国道教協会のトップだったのですが、少しも宗教家らしくありません。むしろ宗教らしさが大嫌いでした。生涯自分を道教徒とも道家とも認めず、六千年の伝統を持つ仙道を現代に復活させようとしてきました。

陳攖寧の十条の戒語

学理   研究を重んじ崇拝を重んじない
功夫   実践を貴び空談を重んじない
思想   積極が必要で消極は不必要である
精神   自立を望んで依頼を望まない
能力   団結を押し広げ分散を押し広げない
事業   創造を重んじ模倣を重んじない
幸福   生前を大切にし死後にとらわれない
信仰   実験を根拠として経典によりかからない
住世   長く生存して早く朽ちておとろえない
出世   超脱して仏に帰依しない

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2016年10月道教の始まりはどのようだったか  (一)

2016年10月31日 18:57

荘子


道教教団形成以前


 

 


道教の始まりはどのようだったか  (一)


雑誌『健身気功』に乗ったものです。実際に載ったのとは別バージョンですが、基本的には同じです。
ここでは道教の本当の基礎知識をお伝えします。これ以上は参考文献として挙げている著作をぜひご自分で研究してください。


道教教団形成以前

 アニミズムというのは、宗教の始まりの形でした。教団や理論が形成される前に、ごく自然な素朴な万物に対する尊敬を表現するものとしてアニミズムは存在しました。たとえばアイヌ民族は人間のことをアイヌというのですが、人間以外のすべての物や動物や鳥や虫をカムイと呼びました。カミという日本語とどちらが古いのか分からないですが、カミよりも徹底して自然万物をカムイととらえました。岩波文庫では「アイヌ神謡集」という歌の記録がでていますが、日本だったら民謡集というところを神が歌ったものと名付けました。実際にそれはフクロウやキタキツネやサケが歌った歌として記録されています。そのような自然観は世界中にありました。
中国では精霊を鬼神とよび天神・地祗[ちし]・人鬼の三種類があると考えました。天神は日月や寒暑、雨風などを指したが次第に上帝や皇天などの人格的な神のイメージになりました。地祗は山川、土地などのほか竃[かまど]、室内、門、水神などを指しました。そして人鬼は死者の霊魂で祖先の霊をはじめ、いいものも悪い物もすべて含めて魑魅魍魎をさしました。
アニミズム、精霊信仰の中から、中国では巫術、陰陽五行説、神仙説、讖緯論、等が生まれ、それと道家思想の神秘的解釈が結びついて、道教の文化を次第に作って行きました。
巫術はシャマニズムのことですが、古代中国人は霊魂を心霊的に見るだけでなく魂魄といった物理的な存在と捉えていました。巫術者は神降ろし(神がとりついて予言などをする)、夢の解釈、雨を降らせる祈り、占星術などをしましたが、医術も初めは巫術に含まれていました。心理治療が大きな意味を持っていたのです。陰陽は物事を2で割り切ってその組み合わせを考えて行く古代の論理学です。2で割り切れないことも多いので、もうひとつ5で分類して行くイメージの論理学を作りました。陰陽と五行を組み合わせると極めて複雑なことが説明できることがわかり、これが古代哲学の基礎になり、易もここから生まれてきました。
神仙説はとくに荘子の中の真人にいろいろ想像を上乗せして、空を飛んだり永遠の生命を得たりする話が拡張して、道教の中で大きく発展しました。
讖緯論とは世界の神秘主義的な解釈に基づいて、五行説のさらに複雑さを増した神秘主義ということができます。「緯」は「経」の反対語で地球の緯度・経度などにも使われますが、「経」が本に書かれた真実を言うのに対して、「緯」は本に書かれない神秘を意味します。秦の始皇帝がこれにこって、王宮の生活や戦争などすべてこの解釈でしたことはよく知られています。
これらのものが集まって道教文化を形創りました。
ここではっきり区別してほしいのは、道家と道教はまったく違うということです。
道家は老子、荘子、列子などを呼ぶ言葉で、諸子百家の時代の哲学思想です。老子や荘子には宗教を作ろうという気はまったくなく、自分の書いた物がのちに宗教に利用されるとは考えもしなかったでしょう。
それに対して、道教は宗教です。仏教は「中国化」はしましたが、インド発祥の物です。中国の歴史から生まれた宗教は儒教と道教ということができます。儒教はどちらかといえば北方の宗教で父=男権を象徴しました。道教は南方・揚子江流域のもので、母権制社会の影響を色濃く残しています。
老子や荘子が活躍したのは紀元前450年くらいのころです。最初の道教教団である太平道は紀元後180年ころですから、時代的にも700年近くずれています。

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2016年10月道教のはじまりはどのようだったか (二)

2016年10月31日 18:59

AAAA


道教教団の成立と最初の気功学


 

 

道教のはじまりはどのようだったか (二)

道教教団の成立と最初の気功学

 太平道は五行や巫術に長じていた干吉(かんき)という道士が、符水というお札を焼いたものをまぜた水を飲ませて病人を治したと言われます。その後張角が出て、現世利益に重点を置いた宗教体系を作り、後漢末の社会不安に応じて下層民の間に受入れられました。これが後に後漢朝打倒の黄巾の乱に発展しました。赤をシンボルマークにした漢に対して時代は次に移ったとして黄色を次の時代の色とし、頭にも黄色い布をつけたので黄巾の乱といわれたのです。名もない民衆の怒りが爆発して一時は大きな国を作りそうでしたが、結局諸侯に滅ぼされました。乱が平定されるまでに教団そのものが消滅してしまいました

これにわずかに遅れて出来たのが四川省の鶴鳴山に成立した五斗米道です。張陵という江蘇省の人がいて、幼い時から老子や天文地理予言の書を学び、一時は今の重慶市の知事にまでなったが腐敗した朝廷を離れて諸国を放浪し、鶴鳴山の評判を聞いて訪ねました。ここにはもともとチベット族の宗教集団がいましたが、張陵は辞を低くして教えを乞い、鬼をコントロールする巫術を習いました。その間にチベット族の人たちは彼の幅広い教養と人格に触れて彼を天師と仰ぐようになりました。そこに拠点を持った張陵は隣の青城山に巣くっていた強盗集団を征伐し、また四川各地の邪教を叩いて平定しました。そしてだんだんと大きな組織作りを始め、各地の山に連絡所を作ってつないでいきました。同時に五斗の米を入会金とし、その米を街道沿いの各地に置いて、旅する物が餓えることのないようにしました。それで初期の道教教団は五斗米道とよばれたのです。

巧みな組織作りとともに、張陵は教団の思想原理、神学思想体系を打ち立てました。それが『老子想爾注』という老子の注釈書でした。老子を曲解して、神秘化し、太上老君という神格化された老子が作られました。老子が本来書いていないことをわずかずつ付け加えて、老子を教祖とする神学大系をつくりあげたのです。李遠国氏は『老子想爾注』についてこう書いています。「『老子』を曲解し利用することによって、『老子想爾注』は不老不死の境地が実在することを明解に述べている。『老子想爾注』は『老子』の「道」を「一」と言いかえ、次に「一」を神秘化することによって『道』をも神秘化し、神仙の世界に通ずる『守一』の功法を創始した」(『道教と気功』)。私たちはなんとなく「守一」は老子の思想だと思い込んでいますが、老子には「抱一」「居一」などはありますが「守一」が老子の主張だというのは『老子想爾注』で出てくる考えなのです。老子の「抱一」を解説して張陵は書いています。「『一』は身体にはいない。身体にまとわりついているのは世俗の欺瞞に満ちたならわしのみで、真実の道ではない。『一』は本来天地の外側にあり、天地の間に入ってきて身体を往来している。皮膚の内側を『一』が往来し、どこか一カ所にだけ存在しているわけではない。『一』は分散すれば気となり、太上老君となる。太上老君は崑崙山を統治し『虚無』『自然』『無名』といった言葉を使い分けているが、すべて『一』を指しているのだ」。だから不老不死は存在するし到達も可能だとして「結精」「煉気」「成神」などを論じていますが、これは後の内丹気功の基礎になって行く概念です。

この本の中では気を論じて「道気は天地の間に存在しているが、清浄微細なため見ることは不可能である。およそ血の通った生物は皆道気を仰ぎ見る」「清気は見えず、何もないように思えるが、いくら呼吸しても尽きることなく、どんどん出てくる」「悪い心を弱体化させれば気は復帰して髄に満ちあふれる」「呼吸をやわらかくして胎児の真似をせよ」成神とは心を完成し安静にすることであり、「心が動揺せず、喜怒の感情が起らなければ、五臓は互いに調和する」「身体を放念し心の修行につとめる」「心が安静になれば仙人の寿命にも届くだろう」というのを見ると、張陵が老子を神秘化するとともに、極めて具体的な「気功のやりかた」として整理して人々に実践してもらう体系にして行ったことは疑いありません。
老子や荘子は漢民族とはいえず、南方の楚の民族の支配圏に生きました。張陵は南方の出身者ではありませんでしたが、チベット族の文化に触れ、その人々と一緒に道教を形成しました。漢の文化圏から現れた儒教とは大きく異なっています。気功的な物の大きな部分は南方や西方から来ました。道教そのものと同じに気功もまた南、西から中国全土にひろまっていったのです。
『老子想爾注』とほぼ同時代に現れた道教の経典である『太平経』は張角の太平道と張陵の天師道の両方で信奉され、経典とされましたが、誰が書いたのかはわかっていません。この本によって道教の教理、教義、道術、儀典が基本的に確立されたのですが、特に内煉法は具体的で同時に理論的にまとまっています。「人間は混沌の気を生じ、気は精を生じ、精は神を生じ、神は明を生ずる。長寿を実現したければ気を保護して神と合体させ、精が身体を離れないようにし、この三者が一つに合体するようイメージする。しばらくするとそれがはっきり現れてくる。身体は軽くなり、精は透明になり、光は輝きを増す。心がとても安静になり、悦びがこみあげてくる。こうやって太平の気が反応してくる。心の修行を行い、それが外部に影響を及ぼす。その結果長寿が実現し、外部の世界は秩序が保たれる。筋力を労することもなく、太平の世が訪れるのである」「神・精と気の関係は魚と水のようなもの、気が絶えれば神と精は雲散霧消し、水が絶えれば魚は死ぬ」「長寿を得ようとする人は、気を愛[いつく]しみ、神を尊び、精を重んじなければいけない」。 

この愛気、尊神、重精はのちの気功文献で繰り返し論じられる所です。この中には「守一」「内照」「存神」「守静」「食気」「辟穀」「胎息」「還魂」「思存」「還精」等の内容豊かな功法が具体的に論じられています。太平経は力強い人間讃歌に満ちあふれています。
「生命はおまえの手近にあるというのに、なぜ胸をたたき天に訴えたりする必要があろうか。自分の体を清めずに誰の体を清めるのか、自分の体を慈しまずに誰の体を慈しむのか、自分の体を整えずに誰の体を整えるのか、自分の体を心配せずに誰の体を心配するのか、自分の体について自分で責任を負わなければ誰に負わせるのか。このように考えれば、超自然的存在を恨んだりすることはなくなるだろう」
こうしてみると『老子想爾注』『太平経』の二冊でのちの気功でテーマになってくる課題のほとんどがすでに取り上げられ論じられていることがわかります。

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2016年10月道教のはじまりはどのようなものだったか (三)

2016年10月31日 19:01

AAAA


道家と道教、仙学の言葉の整理


 

 

道教のはじまりはどのようなものだったか (三)


道家と道教、仙学の言葉の整理

 道家と道教という言葉の違いについては繰り返し述べて来たので、もうわかっていただけたことでしょう。簡単に言えば
道家=老子に始まり、荘子や列子によって継承された古代の哲学思想である。老子の生没年はわかっていないが、紀元前551年から紀元前479年とされる孔子が訪ねて行った記録があるから、それから数十年年上と見られる。
道教=老子より約700年後に張角が立てた太平道と張道陵が四川鶴鳴山で起こした五斗米道というふたつの宗教教団に始まる宗教で、儒教、仏教と鼎立し、中国社会に今日まで大きな影響力を持っている。

これが後に混同されるようになったのは、これらの宗教の中で老子が神格化されて、宇宙神が老子という人格に降臨したとされ、また老子という哲学の書を張陵が書いた『老子想爾注』という形で宗教書へと曲解されていったためでした。
それでは、中国では割合使われる道学という言葉はなんでしょうか。これは立場によって違う使い方をされ、道家や道教の立場からは「老荘の学問」ととらえられていましたが、「道学といえばそれは儒学を指す」といういい方もあります。これは宋学において、道家の代表的存在である陳摶と儒学の中興の祖である朱子がともに「太極図」を取り上げて自分の思想の中心にしたためで、本来老子の概念であった無極・太極・五行の哲学が儒学も含めて、中国思想全般の基礎に据えられたという事情によっています。
それでは、道家・道教と深い関係にある「仙」「僊」とは何でしょうか。大形徹先生の《「僊」と「仙」》を少し紹介します。

「仙人の「仙」という文字は「僊」と書かれることもある。「仙」と「僊」は成り立ちの異なる 文字である。ごく簡単にいえば,「仙」は本来,山に住む人の意味であり,「僊」はもと魂の遷移 を示す文字であったように思われる。ところが,『新字源』の「仙」は「もと,僊の俗字」とし, 「仙」は「僊」の俗字扱いであり,『漢語大名典』の「仙」は「和作『僊』」と述べ,同じ文字と いう認識である。」 「神僊」の語は,ふつう「神仙」に同じとされ,「カミ・仙人」といった名詞として理解されている。けれども「神僊」と「神仙」は本来,区別する必要がある。「僊人」は「真人」や「神人」と同列の語として扱われて いく。始皇帝の時代から武帝の時代にかけて,「僊人」という言葉が繰り返し使用されていくに つれて,その実体は依然として明らかではないものの,その存在自体はしだいに確実なものとし て認識されていくのである。」そして「魂の昇偲にもとづく「僊」から,山に住み不老不死の人である「仙」へと質的な変 化をともなっていく」
現代の道教思想を代表する陳?寧は中国道教協会の会長でしたが、自分を道教徒と呼んだことはなく、常に仙学=僊学と呼んでいました。両者を同じ意味で使うこともあるし、僊学が仙学に変化したという意味で使う場合もありました。大形氏と三浦国雄氏、堀池信夫氏が編集した講座道教第三巻『道教の生命観と身体論』のなかに沈恩明氏が「陳?寧「仙学」小論」で、仙学は「仙になることを目指す完備された実際の修行の手順と、それに対応する理論とから成る総合的な修練システム」だと論じています。この意味での仙学は道家と並んで古代から存在したものですが,陳?寧はそれを再発見して、現代の実践的な学習体系として提案したのです。陳?寧はそれを「六千年にわたる伝統」と言っています。
それはさまざまな宗教が成立する遥か以前からの伝統でした。陳?寧はこの伝統に立って、その歴史が生み出した最良のものである内丹をテコとしていま再び仙学を、と呼びかけるのです。

「仙学家の強敵は科学者だと知る必要がある。ただし、将来に於いて、世界中で科学者に対抗できるのは、ひとり仙学家に希望があるだけだ」「ただ仙学のみが人の生命の不十分な点を救うことができ、その能力は世間のすべての科学より高いと私は考えている。およそ普通の科学が解決できない問題も仙学は十分解決することが出来る」
彼は内丹学の頂点を最初に極めた魏伯陽を尊敬していましたが、宋学以降の儒仏道三教一致には賛成しませんでした。張伯端もまた仙学で考え抜くべき所で仏教の引用で済ませてしまいました。白楽天もまた老子の五千言と「薬」「仙」を対立させてとらえ、「仙」を排斥ました。
陳攖寧は道教の組織のトップに居たのに、自分を道教家と考えることはありませんでした。また老荘からいろいろなものをとったが、自分を道家思想家だと考えることはありませんでした。彼は若い頃から死ぬまで「仙学」の人だと考え、仙学六千年の伝統を復活させて、現代の科学に対抗する唯一の道にすると考えていたのです。
ここではただ、道家、道教、道学そして仙学の区別と連環を基礎的に説明することが出来ただけです。

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