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2019 SUMMER

楽器たち










2019年08月私の小さな部屋にはほんの少し楽器がある

2019年8月18日



馬頭琴

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モンゴル馬頭琴

私の小さな部屋にはほんの少し楽器がある。モンゴルの馬頭琴がいちばんちゃんとした楽器だ。ただ今までったくまじめにやってこなかった。ナバホ族のペーパードラムもある。ラップランドのシャマン・ドラムもふたつある。日本の学校で使うようなスペリオルパイプのやや大きめののもひとつある。アメリカ人の友人にもらったハモニカある。ハワイのシャマンもらった鼻フルートもある。もうひとつが、アイヌの口琴(ムックリ)だ。長いこと失っていたのを最近北海道土産でもらった。 こう書くと「楽器だらけ」というふうだが、じつは普通に吹いたり鳴らしたりできるものはほとんどない。それぞれが背後に広大な文化を抱えたものなので、ひとつひとつまじめに向き合わなければその意味を伝えてくれない。いつも関心をもって生活の中で生かさないと、それぞれの楽器の持つ意味を教えてくれないのだ。 私の家はじつは京都から移る時に、いろいろと太一に一時預けたのもあるし、引っ越しを手伝ってくれた人に曖昧な形で願いしたものもある。 その中で早く取り戻さねばと思っているいくつかがある。小さなサイズのアコーディオンと、41鍵というフルサイズのアコーディオンだ。小さなサイズはフィンランドで手に入れたと思うが、フルサイズのは中国のアムール市で手に入れた重いのを船に乗せて神戸港に運んだのである。どちらにしても全日本アコーディオン連盟の教科書は41鍵用だから、ちゃんと勉強する時は大きいのを使わないといけない。 もうひとつ太一にあずけてあるのが母が最晩年に作ってくれた紫檀の小唄三味線である。皮も糸もはずれたままになっているから、復刻するには40万くらいするに違いなく、ここ50年ずっと決心がつかなかったものだ。長唄とか津軽三味線ならば安いものは三万くらいであるからまずそれで手がまわるようにして金をめるしかない。これは復興計画も簡単に行かない。まずはアコーディオン復活作戦かな。

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2019年08月ホルン(1)

2019年8月18日



フレンチホルン

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フレンチホルン

もうひとつ、残っているのはホルンである。フレンチホルンという後ろに吹くやつである。中学の時に親に買ってもらい、中学高校ころにはけっこうこった。学校には吹奏楽部があり、一応トランペットを担当したが、後ろ向きに吹くアルトホルンが気に入り、さらに関心はフレンチホルンに向かった。でも実際にはホルンのパートはあと打ちしかなく、メロディをかなでたりはほとんどなかった。 イギリスにはデニス・ブレインというフレンチホルンの名手がいて、親も祖父もホルン奏者だったが、一番うまいといわれたデニスは自動車の暴走がなによりの趣味で、あっさり死んでしまった。彼が残したレコードは多いが一番有名なのはモーツァルトのホルンコンチェルト一から四でその演奏は水際だっている。私は中学から高校時代ほぼ毎日このレコードを聴いていた。 デニスの演奏を真似てみようというのレベルが違い過ぎ、さすがに真似ようとは一度も思わなかった。 1965-6年頃に私の政治の季節が始った頃に、私は家の奥にフレンチホルンしまいこんだ。一緒に兄のテナーサックスがあったように思うが、早稲田でジャズバンドをしていて私とはまったくレベルが違った兄がサックスをその後どうしたかは知らない。今も大船の家に50年以上放置されたホルンがあるのか、ないのか、一度確かめてみなければなるまい。

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2019年08月アコーディオン(1)

2019年8月19日


1950年代

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アコーディオン

アコーディオンて、見たことがない人が多くなっているだろう。日本では1950年代にかなりの程度広まった。小学校で先生たちが使った。ピアノやオルガンが滅多に手に入らないし、今のようにキーボードもろまっていなかったから、しかたなしにアコーディオンを使ったのである。からだがあってアコがあれば音楽室でなくても子害でも授業がなりたったから広がったのである。 もうひとつひろまったのは、労組の合唱団だった。50年代の労組は単産の本部も支部も、それぞれのレベルの合唱団を組織していてさまざまな交流会を持ったりしていた。それを中央レベルで指導するために中央合唱団と音楽センターを持っていた。関鑑子という歌手と芥川也寸志という作曲家がいた。彼らは「若者よ」「祖国の山河に」「我らの仲間」「民族独立行動隊の歌」「しあわせの歌」などを次々に作って流行らせた。日本で作られたこれらの歌と同時に「仕事の歌」「心騒ぐ青春の歌」「カチューシャ」「灯」「モスクワ郊外の夕」などのソ連の歌が次々に訳されて、歌われた。 アコーディオンはこうした歌を歌うために使われた。

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2017年06月アコーディオン(2)

2019年8月19日



ピアノと同じように鍵盤

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アコーディオン

アコーディオンは背中の二本のベルトで支えて胸にぶら下げる。右手はピアノと同じように鍵盤を操作でき、左手の方は右手のハ音に対してドミソ、ドファラ、シレソとボタンが並んでいる。右手の鍵盤スペースと左手の和音スペースが開いたり閉じたりする蛇腹スペースでつながっている。蛇腹を開いたり閉じたりすると空気が出入りし、それにともなって鍵盤や和音が音が出る。という仕組みの楽器なのである。 もともとアコーディオンはロシアの楽器である。ロシア民謡の哀切な響きに対応する。フィンランドにはロシアから移った。フランスがロシアに特に料理文化の面で著しい影響を与えたのと反比例するように、アコーディオン文化はフランスに入り、 シャンソンにとって不可欠のものになった。さらに、これはもっと詳しく調べてみたい所だが、アルゼンチンに渡って大きな影響を与えた。アルゼンチンタンゴではアコーディオンに代わって両手とも鍵盤なしのバンドネオンが生まれた。

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2017年06月アコーディオン(3)

2019年8月19日



持ち運びができるオルガン

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アコーディオン

アコーディオンの新情報である。自由現代社の『アコーディオンが上手くなる方法』に少し歴史にふれる部分が出て来た。1820年から30年頃に持ち運びができるオルガンが作られて、それがアコーディオンの原型と言えそうだ。パイプオルガンの鍵盤が小型化し木製の笛に鍵盤がついた形だった。15世紀にはダヴィンチが蛇腹を使った楽器を考案している。またこのころ中国の笙がヨーロッパに紹介され、リード楽器が成立した。その前から修道院では小型のオルガンがひろまっていた。 北ドイツ・ハンブルグのフリードリヒ・ブッシュマンが作ったバンド楽器はリードだけでベースはついていなかったがハンドエオリーネとよばれて広く普及した。その後ウィーンのシリルデミアンの作ったアコードの鳴る楽器がアコーディオンとよばれた。1850年頃鍵盤ハーモニーフルートが作られ、今のものの原型になった。この頃ヨーロッパ全域でタンゴのブームとなり、フィンランドタンゴとは別に、アルゼンチンで独自の進化をとげてもっと激しいものとなり、コンサーティーナとよばれる鍵盤なしのボタンだけのものが作られ、バンドネオンとよばれてアルゼンチン初め世界にひろがっていった。

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2017年06月アコーディオン(3)

2019年8月28日





六畳一間は戦乱状態である

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アコーディオン

太一が車でアコーディオン二台と父のトランクを運んでくれた。キーボードも入ったから六畳一間は戦乱状態である。アコーディオンは子供用の小さいのが一つ。左手はキー四つしかついていない。私が小学生の頃にジングルベルとか弾いていたものだ。右手が40キー、左手が32和音とかあるでかいのはアムールの町のデパートで買ったもので、天津製、いまのレートで40万している。1970年と手書きで書いている。70年に買って来た時には政治闘争で忙しくなっていたから、ほとんどさわっていないし、弾きこなした記憶もない。いわば新品同様なのである。背中のひもがぼろぼろになっているので変えてもらった方か良さそうだか楽器本体は何も問題もなく、キーも正確である。 箱は邪魔なのできれいにしてビニールで密閉し風呂場に入れた。父のイギリスに行った時の古いトランクも、そのままオープンにしてバーにしたらよさそうと持ってきてもらったが、当面は余裕がないのでこれもくるんで風呂に入れた。 机の上にはキーボード、押し入れの柱には下からアコーディオン大、小、ウクレレ、馬頭琴とたてに並べた。太鼓とかカスタネットとかモニカとかはあちこちに散乱している。隣家がぴったり接しているから昼間ウクレレをつま弾く程度でキーボードの消音で我慢するしかない。せっかくのアコーディオンにもなかなか出番はない。恥ずかしくない程度になったら近所の生田川沿いでやれることもあろうか。 玄関の小さな本棚を移して机の隣に持ってきた。譜面と教則本などを入れるためだ。クリスマスくらいまでは思い出すための本当の基礎練習だな。60年前のジングルベルからのやりなおしか。

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2019年08月楽器のために

2019年09月06日



隣部屋の人が気になり

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野外練習

机が壁についていたのを90度移した。東西に向かい、北側からはコンピュータとして使い、南側からはピアノとして使えるようにした。鍵盤を机一杯にひろげて使う。狭いのは確かだが、仕方ない。西側の壁にスペースを作り、一番縦型の小さめの本棚を押し込んだ。ここには楽譜関連を入れ、中国茶などを入れる棚にする。楽譜はまだ10冊ほどと少ないが、やがては何十冊にも膨らんで行くだろう。椅子を二つ南北に並べた。北側からはずっとコンピュータ用に使ってきた両肘がつき前後に寄りかかりの余地のある椅子を引き続いてコンピュータ用に使う。南からは今まで遊ばせてきたスエーデン製の古典的な事務椅子を置いて、ピアノ用の椅子にする。
東側には押し入れがあり、三段の本棚になっている。その北側の柱にそって一番下に大きなアコーディオンをおき、小さなアコーディオンを乗せる。その上にウクレレをかけ、更に上から馬頭琴をかける。その脇には画鋲とか小さな釘を打ってムックリというアイヌの口琴やカスタネットや小型のタンバリンやをかける。太鼓が四つあるがここには収まり切らない。
ついこのあいだまでそんな気配もなかったのに、すっかり楽器部屋になってしまった。まだハモニカとかハワイイの鼻フルートとか各種の安いスペリオパイプが押し入れや本棚のどこかにある。
ところが、これだけ楽器があっても、鳴らすことができない。小さいアコーディオンを電動自動車に積んで生田川の川縁に行くくらいのことだろうか。とにかく薄い壁を隔てた両隣には昼間も寝たきりの高齢者が寝ているのだ。いろいろ鳴りものがあっても、キーボードを消音にする以外にいっさい練習はできないのだ。
048とボタンを押すとアコーディオンの音色になる。アコーディオンを忍びながらやってみるしかない。パリの空の下や枯れ葉やモスクワ郊外の夕べは右手は忘れていない。左手はアコーディオンを想像しながら和音をつけていくしかない。

よく行く楽器屋が三軒ある。ほとんど見るだけで、いろんなブラスの光沢を眺めるだけである。
新神戸からフラワーロードを降りてほぼ降り切った所に、トロンボーンやテューバの類いやホルンやトランペットが歩道からも嫌でも目立つように並んでいる。どれも百数十万、二百何万いう楽器ばかりだから、私が出入りするような店ではない。そう思って長いこと入らなかったが、見るだけは別に遠慮をすることもあるまいと、この間初めて中に入った。手に取ることもあるまいが、ホルンなど近くでしげしげと見た。奥には木管があり弦楽器がおいてある。奥の店にはギター、ウクレレなどがあり打楽器がある。先日島村楽器で2700円のウクレレをかったのだが、ここは最低30万からだった。
その島村楽器には三宮アーケードの入り口にあることもあり、割とよく行く。数万のドラムセットから7-8万のキーボードもおいていて、まあ庶民的な店である。〔私の買ったキーボードはヤマダ電気で80鍵15000円だった〕
もう一軒元町アーケードの入り口に窓に楽器と書いているのをみつけて入ってみた。せまいエレベーターで三階につくと、右の壁には十数本の沖縄の三線と胡弓が二本下がっていた。あとは一連のハモニカ。あとはカリンバがいくつかと、珍しいのはケーナがフルサイズで揃っていた。「ケーナが全部あるのはここだけですよ。京都にはおいてあるところがありますが」と言っていた。余り面白くないので早々に帰って来た。
こんなところが三宮の楽器事情とは寂しいところである。

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