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意識
2015/5/8 「中国の人たちに話しをしに
2015/5/8 正しいことは何度でも
2015/5/8 明治神宮の森
2015/4/18 瞑想を行うと
2008/3/-- *翁* の聖空間
2014/2/8 気功の大きなテーマは「時間遡行」です
2014/2/8 亀蛇気功をほとんど静功としてやってみる
2013/10/23 赤ちゃんになりたい


ティクナットハンのこと

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「中国の人たちに話しをしに行きたい。つないでくれませんか」

2015年5月8日


.ティクナットハンは漢字で書けば釈一行。ベトナムのお坊さんだ。ベトナムが解放された時に、対立する両派を分け隔てなく支援したために新生ベトナムにいられなくなり、フランスに亡命して、祖国の孤児を引き受ける共同体を作る一方、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなどで仏教の心を伝え広げる仕事をして来た。その人気と説得力はダライラマに匹敵する。わたしは90年代に彼を日本に招いた時に比叡山の何日かの合宿を主宰し、山のなかで歩く瞑想をしたり、部屋の中で講話を聞いたりした。わたしがいつも合宿をしていた清里でも何日かのリトリートをした。その時は料理を作ってくれた人たちが食べられる草と間違えてよく似た毒草を使ってしまい、大変なことになった。ティクナットハンは「ぜひ中国の人たちに話しをしに行きたい。つないでくれませんか」と言ったので、わたしは次に北京に行った時に何人か気功関係者と仏教関係者と資料を持って言ってその話しをしたのだが、ふだん友好的な人々がベトナム人についてはけんもほろろで全然話しを聞いてもくれなかった。そんな苦い思いでもあった。でも彼の教えは今までのどんな仏教の教えよりわかりやすく、身にしみた。悟りのことをunderstanding といっていたし、勤行(きんひん)のことをwalking meditationと呼んでいた。わたしの家のトイレには今でもかれの"Walking Meditation"の英語版がある。
NHKの宗教の時間に二夜連続でティクナットハンを取り上げた。最初の晩にうとうとしていたら、聞き覚えのある声が聞こえて来て飛び起きた。途中からこのいつも心にかけていたふるい友人の、いつも通り話す姿を見て、そしてごく最近、昨年の11月に脳出血で倒れた話しを聞いた。さいわい命はとりとめ、リハビリ中だという。
実はその前に天河合宿で最近ティクナットハンのことを聞いて興味を持っている人がいて、その話しをしたばかりだった。そうだ、どうしているだろうと思っていた三日後にこの放送があった。
二日目はやはり深夜の二時四十分からだった。今度はきちんと全部見た。わたしの知らない彼はいなかったが、やはり一言一言が新鮮だった。もう一度全部の日本語になった著作を読み返してみようと思った。それと同時に、わたしがどれほど深く彼の影響を受けて来たかを痛感した。長いことあっていなくても、通じていて、わたしがうまく言えないことを言ってくれている感じだった。もう88歳。肉体がなくなっても、彼の言葉とともに生きて行けるとは思うものの、あの笑顔をいつまでも見ていたい。

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「正しいことは何度でも言わなくてはならない」

2015年5月8日


仲間内で判り切ったことは書かないという習慣がある。
わたしの書いたものはみんなが読んでくれているような錯覚があって、
二度同じことは書かないということもある。
だがそれは思い上がりなのだなと、何度も反省する。
ちゃんと原稿料を取れる文章なら同じネタでなんども稼がないというのはあるかもしれないが、インターネット時代にはそんなことはない。
ましてこの三十年間に三度か四度書いてきたに過ぎないたとえばティクナットハンについて、いったい何人が読んでくれて、覚えているだろうか。書きたいことを恐れずに書けばいいのだ。
毛沢東も言っているように「正しいことは何度でも言わなくてはならない」。
彼も二度三度と同じことをいうべきか、まよったあげくの台詞なのだろうか。
ティクナットハンのことである。
たとえば「一枚の紙に雲を見る」ということを何度も説明したい。
紙の上には何も見えない。だがその紙を漉いた人の手を見ることはできる。
紙を漉いた人に昼のお弁当を作って届けた人もいる。彼女がどんな生活をしているかを紙の上に思い描くことも出来る。紙を売るために運んで行く人がいる。そうかと思うと、木を切り倒す人がいて、切り倒した木から紙を作るために準備をする人もいる。木が自然に生えたのだとしても、自然に朽ちて肥料になった落ち葉があったりほかの草があったりする。その木を育てた水は天から落ちて来た。そうかつては海の水だったかもしれないしあの川の流れであったかも知れない。私にはねをあげた水たまりだったかもしれない。その水たちが天に上がって、雲になった。だから、因果ということでいえば、雲があるから紙があるのだけど、雲と一枚の紙の間には無限の存在がそこにからみあっている。それらのどのひとつが欠けても、その紙は私の前にない。全世界がつながっている。
それが「色即是空、空即是色」ということだ。
一枚の紙はすべてでありうる。そして何ものでもない。
だからミスコピーをすると、結局使いもしないメモを作ったりして、部屋がかたづかないのであるけれども。

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明治神宮の森

2015年5月8日


NHKでティクナットハンのことを二日連続でしていた。二日目にはその前に一時間、明治神宮の森のことをやっていた。そのことから書きたい。明治天皇が亡くなった時にこの神社を建てるのだから、それ以前は荒れ野原だった。社を建てるだけでなく、その広い土地に森を作ろうということになって、森林学者とその二人の弟子が計画を作った。首相だった大隈重信から横やりがはいった。全部杉を植えろと指示されたのだが、学者たちは頑としてはねのけ、当初の計画通り雑多な広葉樹林を育てることにした。
何平米だかメモするのを忘れたが、やたらに広い。そこに神社に必要な建物と参道をまず取ったが、面積的には5%にしかならなかった。あとの95%が森になることになった。全国によびかけて、何十万本の木を集め、多くの人は自分で植えにきた。学者たちは最初は松や針葉樹から始め、その間に広葉樹を植えて次第に針葉樹が肥料になり広葉樹が勝って行くような植え方をした。150年経って森が完成するように設計した。西洋のような手入れをしていく庭でなく、森に自分を決めさせる森。いま100年経って、はじめて100人余りの土壌学、植物学、昆虫学などの学者が入って何日間かの調査をした。一本一本の木を種類と位置と大きさを測って行く作業は二年間にわたって続けられるという。何もない荒野から100年たてばこんなに美しい森が自生してくることがわかった。原宿渋谷の高層ビルが廃墟になっても、この森は一歩ずつ広がって、さまざまな昆虫や狸たちを養ってくれるだろう。
わたしは『山と渓谷』という雑誌だったか、C・W・ニコルさんと対談した時にこの明治神宮を歩きながら録音するというのをした。むろんその「95%」には入れなかった訳だが、でも至る所にお母さんのような木や友達になりたい木がいて、わたしは樹林気功について話し、彼はおばあちゃんから寂しい時は木を抱いておいでといわれて育ったウェールズの少年時代の話しを聞き、一本一本の木と対話して歩いた。それは「対談」だったが、たくさんの木々たちとの「座談会」のようなものだった。いまここの木々たちは、フクシマから流れてくる放射能の雲に移動することも出来ず、じっと絶えているのだ。

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【ティク・ナット・ハン 】
ティク・ナット・ハンは、ベトナム出身の禅僧・平和運動家・詩人。 ダライ・ラマ14世と並んで、20世紀から平和活動に従事する代表的な仏教者であり、行動する仏教または社会参画仏教の命名者でもある。アメリカとフランスを中心に、仏教及びマインドフルネスの普及活動を行なっている。

生年月日: 1926年10月11日 (88歳)
生まれ: ベトナム トゥアティエン=フエ省

略歴


1926年にフエに誕生。1942年に、同地の慈孝寺にて出家。

ベトナム戦争中は、戦禍をくぐりながら、どちらの側にも立たず、非暴力に徹した社会活動を推進し、「社会奉仕青年学校」などの学校や病院を設立し、孤児たちの社会的支援や、死体の回収などを行なった。

また1966年に渡米してベトナム戦争の終結を強く訴え、詩や著作を通してアメリカ社会に禅を根付かせるのに貢献した。その思想は、キング牧師に深い影響を与えた。キング牧師の推薦により、1967年度のノーベル平和賞の候補となる。1973年のパリ平和会議ではベトナム仏教徒主席代表を務めた。1982年に南フランスにプラム・ヴィレッジ(Plum Village Midnfulness Practice Center)を設立。社会的活動を継続するとともに、その教えにひかれて集まる多くの人々への瞑想指導を始める。彼の精神的指導のもと、プラム・ヴィレッジは小規模な地方の農場から、西洋で最も大きく活動的な仏教僧院へと成長した。2003年、2011年には、アメリカの連邦議会にて瞑想を指導。2006年にはパリのユネスコ本部で、暴力、戦争、地球温暖化の悪循環を解消するための具体的手段を要請する演説を行う。2007年、ハノイにてユネスコ主催の国際ウェーサカ祭に基調講演者として招かれる。2008年10月、インド国会にて開会の辞を述べる。2009年、メルボルンの万国宗教会議で講演。2012年、ウェストミンスターの英国議会及びストーモントの北アイルランド議会に招かれ、慈悲と非暴力のメッセージを伝えた。2011年、カリフォルニアのGoogle本社で1日マインドフルネスによるリトリートの指導を行う。

2014年11月、ティク・ナット・ハンは、フランスにて重篤な脳出血で倒れ昏睡状態に陥るが、翌年初めには少しづつ意識を取り戻す。言語に障害が残るも奇跡的な回復を見せ、2015年4月にはプラムヴィレッジに帰還。現在は、訪問医の指導と弟子たちによる24時間体制のケアの元、リハビリに励んでいる。...Wikipediaより  

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瞑想を行うと

2015年4月18日


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真実を探すプログから。 瞑想とは前頭葉の血液を減らす事。 それだけでなくて、気功にはその分の血液を脳のさまざまな部分に持っていく力がある。普段使わなくなっているさまざまな進化の段階の脳を活性化することで、人体の可能性が開けてくる。生物がもった最初の脳は「丹田」の内臓神経節である。瞑想研究はだんだんに深まっていくだろう。 ■瞑想を行うと歳をとっても脳を若く保てることが明らかに:米研究■ ヨガや禅で行う瞑想といえば、心身をリラックスさせる作用で知られている。実際、ストレスを緩和するなどの効果があることがこれまでの研究で明らかになっている。 そして、このほど新たなメリットが加わった。瞑想を行うことで加齢に伴う脳の萎縮スピードを緩やかにすることができ、その分”若さ”を保てるというのだ。 ◇脳の萎縮が緩やかに 人は誰しも歳をとり、次第に脳が縮んでくる。その結果、記憶力が低下したり、思考や反応が緩やかになったりする。いわゆる老化だ。 だが、カルフォルニア大学ロサンゼルス校の研究によると、瞑想をすることで脳の萎縮スピードが遅くなることが確かめられた。 具体的には、神経細胞を多く含み、情報処理を行う灰白質と呼ばれる部分にプラスに働くのだという。 ◇灰白質部分の萎縮に差 研究では瞑想を行う50人と、瞑想を行わない50人の脳を、加齢に伴いどんな変化が現れるか観察し比較した。被験者は24?77歳で、瞑想の経験年数は平均20年だった。 研究によると、どちらのグループでも歳をとるにつれ萎縮が見られたが、瞑想を行う人の灰白質部分は、瞑想を行わない人ほどに萎縮しなかった。 その差は明らかで、この結果に研究チームも驚いたという。研究著者の1人、Florian Kurth氏は「灰白質部分、つまり広範囲にわたって瞑想がプラスに働くことになる」と話す。 ◇認知症対策にも有効? 先にも述べたが、灰白質は情報処理の中心となる部分なので、ここが萎縮するとボケや記憶力低下などを招く。裏を返せば、灰白質部分を健康に保てればボケなどを回避できるということになる。 現代では平均寿命が伸び、その分、認知症などを患う人も多くなっている。できることなら年をとってからも心身ともに健康でありたいもの。ストレス緩和だけでなく老後のためにも瞑想を取り入れると良さそうだ。
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* 翁 *の聖空間

2014年3月21日


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*翁* の聖空間

2008年3月--日

 

 

〈翁〉をどうしても見たかった。〈翁〉にまつわる論議はずいぶん読んできたが、情けないことにまだ見ていない。能そのものをたいして見ていなかった。中学高校で何度かは行っていたが、半ばは寝ていたようで、雰囲気しか記憶していない。1月13日に観世会館の一月例会で〈翁〉があるということに気付いたのが10日ころだった。新年でないと〈翁〉に出会える機会はなかなかない。岡崎の観世会館は前を通りかかって知っていたが、入るのは初めてだった。

自分の希望で席を選ばせてくれる。早目に行ったので、正面の最前列がまだ空いていた。舞台に上がる階段の真ん前である。どうせ寝るからと開演前の一時間余りすやすやと寝たが、それでも上演の最中にも時々寝た。夢幻能などというけれども、能舞台全体が夢うつつだった。明晰判明な意識で批評すると言うのでない、半ば無意識で共感するという受け取り方なのかも知れない。

 

〈翁〉を演ずる部隊も橋掛かりも注連縄に取り巻かれている。特別の聖空間であり、もとは収穫祭となんらかの関わりがあったことをうかがわせる。

「数ある曲の中で別格とされる〈翁〉は、能が芸能として整う以前の祖先型であり、新年を言祝ぐにはもっともふさわしい神事である」とプログラムの解説は書き出している。神事と言うのは神に祈る儀式と言うことだ。キリスト教やイスラム教の神はどこやらこの宇宙の外にいるので、天に向かって呼びかけることになるが、日本の神は祈って呼んだ者に取り憑く。つまり呼んだ人が神になるのだ。「演者は前もって精進潔斎した上、当日も鏡の間に祭壇をしつらえ清めをし、寿福の象徴である老体の神に成り代わって天下泰平国土安泰を祈るのである」。つまり翁に限っては舞台に上げられるべき娯楽と意味が違う。精進潔斎とは演者たちが一定期間魚の生ものはもちろん、火の穢れを避けるために火を通さないものを食べて身を清めることである。上演に先立って鏡の間で翁の面を飾って酒を汲む。神としての翁の面のお流れをいただくのだ。これは観客からは見えないところでされている。揚幕が上がって、この面を入れた面箱を先頭に捧げ持って橋掛かりを進む「翁わたり」からが見えるようになる。翁を演ずる役者の直面(ひためん)である。能のすべての演目で、舞台の上で直面から面をつけるのは〈翁〉だけである。

 

シテがちょうど私の前に来て深々とお辞儀をするので、室町将軍にでもなった気がして、思わず頭を下げてしまう。頭を下げるのなら面をつけて神が降臨してからでもいいわけだが。「とうとうたらり」という誰もその意味を知らない呪文のような謡が始まる。千歳が千歳の舞いを舞う間にシテは白式尉の面をつける。白い髭の老人の面である。翁の舞いが始まるときに、世界が180度反転する。シテは今や神が憑依している。観客が平伏しつつ拝見する立場になる。戸井田道三がこの仕組みについて書いている。

「いまのわれわれが〈翁〉を見て、シテの平伏するときにこちらが上位にいながら、白色尉の面をつけると同時に、舞台にいるのが神でこちらは拝見する立場にたたされてしまうのは、猿楽が本来乞食の所行であったからである。いやしめられる身分の者であったからこそ、逆に神聖なる者に返信しうる社会的な約束が成立していたのであるし、また神聖なものに変身しうるものとして物をもらうがゆえに卑しめられた、ともいえるであろう」

戸井田が言っているのは、河原乞食としての村の境目に寝泊まりすることを余儀なくされる被差別の存在が、村の日常的秩序と無縁の「まれびと」として来訪して、そうした身分外の人たちだからこそ、神を読んで神を演ずることができるという日本の共同体の仕組みがこの〈翁〉に集約されているということである。「神と乞食の芸術」という副題は、翁だけでなく能全体がこの両義的性格をひきずっているという意味である。丸山政治学と柳田民俗学に橋をかけた神島二郎が『近代日本の精神構造』の中で書いている「ハイ外主義」(排外と拝外と同時に指している)の概念を絵にかいたのがこの〈翁〉なのである。折口信夫は翁が直面で出て舞台で面をつけるのは、旅芸人の伝統から来ると言っている。

 

立ち上がった翁がそれまで千歳の舞いを舞っていた狂言方と一瞬向き合う形があり、そのまま何事もなく狂言方は後見座にしりぞいて、翁が「ちはやぶる」と歌いだすのだが、戸井田はこの一瞬の向いあいが、これのもとになった散楽で性交の真似をして、「さかりて寝たけれども、まろびあひけり、とうとう、かよいあひけり、とうとう」と歌うのを省略したのだという。各地に残る無数の〈翁〉では、この豊作を祈る性交の身振りが省略されずに残っている。このあとの鈴の段で、種蒔きと今もよばれている所作をすることと、この一瞬の向い合いが実は照応し合っているという。都市化された世阿弥の能にかすかに田楽の身振りが残っている。

 

舞い収めると面をはずして、面箱に入れて退場する。あらためて三番叟が出て直面で力強い「揉の段」を舞った後、黒式尉の面をつけ、鈴を受け取り、「鈴の段」となる。『ふり人間--演劇の境界』の中で、石井達朗はこの鈴を「振る」ということを「振りをする」という言葉の語源として劇的なものを考察しようとしている。鈴を振ることで「地の精霊、山の精霊を発揚させる呪術的動作」がここにあるという。「直面ではこの神聖な動作をすることができない。仮面と同じく、”ふり”もまた神聖行為と名付けられるべきものである」。石井は人が神を演じて神聖化することに「振り」の根源を見る。いわば日常行為の振動数を変調して異次元の振動数に同調する行為としての鈴振りがあり、そこに「振りをする」「振り付け」から「ぶりっ子」に至る劇的行為の源泉を見ようとするのである。

 

〈弓八幡〉が〈翁〉の脇能になっていた。世阿弥の作で、男山の石清水八幡宮を舞台にした祝の能である。〈宝の槌〉という狂言と四番の仕舞をはさんで、〈花筐〉(はながたみ)であり、また三番の仕舞があって、最後が〈岩船〉という祝言能である。龍神が八大竜王の助けを借りて、住吉の浜に宝船を高麗唐土からもたらすというだけでストーリーも何もない。祝いということばがもともと「口にしたよいことが実現する」という意味だから、無責任によいことを口にするだけでみんながその気持ちになるということである。

祝と言う言葉の背後には呪いがある。悪いことを口にしても実現する場合がある。能はよく練り上げられた言葉が言いも悪いもそのように現実を変える力を持っていると思われている時代の神事であり、芸術である。夢うつつの半睡状態で祝言を浴びた半日だっ

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気功の大きなテーマは「時間遡行」です。

2014年 2月 8日


脳と体の中にはたくさんの過去が蓄積しています。適当な階段を作れば、そこに降りていくことができます。これはフロイト・ユングのテーマとも重なります。仏教気功には、意識を「識神」と「元神」に分ける考えがあり、これは最も早い無意識の理論とされています。「識神」のほうが自覚できる自意識のことであり、「元神」はそれを超える「もうひとりの私」です。これは天台小止観の具体的な瞑想法の中でも使われており、「瞑想を体験する私」と「それを遠くから見守っている私」に分離することで、意識を安定させるのです。

易筋経の中には「農作業をまねる」という動作だけでできたものがあります。農民が家に帰ってから農作業の前のついた体操をやるかというと、もちろんそれはないので、農作業から脱け出して都会に来た若者が、お父ちゃんの年になってきたら体のあちこちにガタが来たな、お父ちゃんの動作だけで...もまねようか、として生まれたものに違いありません。それは「都市から農村への時間遡行」の行為です。

気功の中には、老人が意識的に子どもをまねるものがたくさんあります。還童功、童子功の類です。極点まで行くと「胎息」があります。生まれてくる前にもどって肺呼吸でなく丹田呼吸をしようというのです。これはイメージの問題ですが、とくに道教は、人間はもともとまっさらな鏡なのに生長するにつれて汚れて真実を映さなくなる、それを磨かなければならないという考えがあります。これは人は加齢とともに成熟するという儒教の正反対の考えです。これも「大人から子供へ、赤ちゃんへの時間遡行」といえましょう。

そして動物になる五禽戯、鳥になる大雁功や鶴翔庄、爬虫類になる亀蛇気功などが、人類が人類以前をまねることで再活性化しようとする気功の例です。これは「人類から動植物への時間遡行」と言えるでしょう。

ただ都会人である、大人である、あるいは人間であるというのは見かけにすぎません。私たちのおなかには、腔腸動物であったころの最初の脳(内臓神経節)がまだ残って機能しています。それ以後の各時代の脳もどれひとつ廃物になってはいず、神経節や内分泌器官として残っています。その全部を使っていきたいというのが気功です。ちなみに中国古代の言葉では内臓神経節(最初の脳)のことを丹田と呼んでいます。

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亀蛇気功をほとんど静功としてやってみる

2014年 2月 8日


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亀蛇気功をほとんど静功としてやってみる。というのが幸村さんに受けていたようなので、その話を少し書きます。
亀蛇気功は天津中医薬大学の周稔豊先生の主な功法の一つです。
亀のまねをするというのは、気功にとって一番の始まり、最初の行為です。
歴史的にも、それは5500年前の青海省から出土した壺に描かれていて、しゃがんで顎を突き出して、息を吸っています。男性と女性の両方の性器が描いてあって、お乳もあります。男女両性具有の人が亀のまねをしています。これが今のところ一番古い気功の記述です。

おなかを圧迫しながら息を吐いて行って、これで骨盤内の血液を入れ替えます。あごを前に出して上がってくることで、後頭部を圧迫し、それを急にゆるめることで、後頭部、視床下部の血液を増量します。骨盤の中というのは、ヒトにとって最も根源的な場所で、生命の泉につながります。視床下部は爬虫類の脳と言われ、事実両生類から進化し...て地球の水系から独立した時に形成された脳で、闘争・逃走本能と深く関わり快・不快の中枢神経に関わっています。

気功はさまざまな瞑想法とともに、前頭葉の休止を主題にしていますが、一般の瞑想と違って、前頭葉の血液を視床下部に送ったり、大脳基底核に送ったりします。視床下部を活性化するのが亀蛇系統の爬虫類の気功であり、大脳基底核を活性化するのが五禽戯などの動物気功です。鳥の気功は小脳を活性化します。

亀蛇気功は静功から始まって、静功に終わります。その間に、蛇の系統の運動と、亀の系統の運動が入ります。蛇の運動は背骨を左右に揺らしたり、前後に揺らしたり、回転させたりひねったりします。背骨を蛇に見立てているのですが、
背骨は中枢神経の入れ物ですから、それをほぐすことで「脳とハラ」がつながりなおします。まず背骨を波打たせることになれなければなりませんが、なれてきたら運動としてはごく小さなものにしていって、髄液を通すことに主眼を置きます。そのあとに「霊亀戯水」と「神亀服気」の二つの静かな運動があります。霊亀戯水は空気中を泳ぐようにして体のまわりの気を確かめていきます。神亀服気が5500年前からの呼吸法の本体で、ゆったりと呼吸をしながら骨盤と視床下部を活性化していきます。上達につれて、全体が静功に近づいていきます。

気功の歴史の始まりに帰ることは、私の心身の根源に帰ることでもあります。この青海省から四川省にかけて、揚子江の源流のひとつである岷江が流れていますが、その成都の少し北の部分に「鱉(すっぽん)」を王の名前とする王朝が紀元前1600年から前1250年ころまで続きました。これも亀の呼吸と関係があるようです。実際に亀すっぽんは呼吸が長いことで古代人の尊敬を得ていたようなのです。

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赤ちゃんになりたい

2013年 10月 23日


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津村喬

 『季刊精神療法』に書いたものだが、年月が書いていない。調べればすぐ出てくるだろうが、80年代のものと思う。コピーが出てきたので記録しておく。「自己調和としての、身振りの再編集としての気功」という欲張りな副題がついている。気功をする人にまず最低限理解してほしいことなのだが、なかなかいつも教室で伝えるわけにはいかない。

気功の簡単な説明をしたいときによく引用するのが老子の道徳経の中の「専気致柔、能嬰児乎」の八文字です。「気をもっぱらにし、柔をきわめ、よく嬰児たらんか」と読みます。前半が気功の方法で、後半が気功の目的だと説明するのです。

赤ちゃんのようになりたいというのですが、それはなぜでしょうか。

赤ちゃんはお母さんの世話にならなければ生きていけないし、何もできない、何も世俗の権力を持たない、弱い存在です。しかし赤ちゃんはそこにいるだけで、部屋じゅうの気を集めてしまうし、オギャーと泣けばますますすべての気を集めてくることができます。

赤ちゃんは気の権力を持っていて、それ自身気のカタマリなのです。それはなぜかというと、社会の中でどんな役割を果たすこともなく、ただ「存在している」からです。また赤ちゃんは自分のカラを持たず、すっかり開かれているので、誰もが自然に抱いてみたくなります。なかなか大人になるとそうはいきません。

いつも赤ちゃんでいることもできないけれども、一日のある時間、赤ちゃんのように「ただ存在している」状態になると、心身の疲労を解き、自己調和を回復することができます。それは気功の目的のひとつです。いずれにしても、生命の始まりに立ち返って、自己の生涯の全体と調和したい、という願望が「能く嬰児たらんか」という言葉にはこめられているようです。

ではどうすればそのようになれるかというと、「気の集中とリラックス」といっているように聞こえます。専気を気の集中、致柔をリラックスと読むのは無理がありませんし、集中すれば緊張してしまい、リラックスすれば気が散漫になってしまうのが普通なので、集中とリラックスが両立するのは特別な状態だとわかります。事実、気功状態とよばれる脳の状態は、覚醒と安静が、「気がつくこと」と「気にならないこと」が両立する状態です。

でもこれだけでナットクしてしまわないで、もう少し詳しく考えてみたいのです。気を専らにしたいというのは、人間の意識というのはたいていの時間「心ここにあらず」の状態になっているからです。意識というのは一瞬で遠くに行くこともできれば、過去にも未来にも行くことができます。自分を縛る環境から自由になって想像力を羽ばたかせることなしに、人類は自然環境を越えて文明というものを作り上げることができませんでした。しかしそのようにして文明を作りながら、ヒトの意識はずっと自分の肉体を裏切り続けたのです。なぜなら、意識がどこに行こうと、肉体は「いま、ここ」にしかいられないからです。

心身統一といいますが、それはどのようにして可能なのでしょうか。からだが心についていくことはできないのだから、心が遠くに行くことを禁欲して、「いま、ここ」のからだのことを考えていることだけが心身統一の可能な状態です。この時気は最大になると、合気道などの武道でもいわれます。

私たちはいつも気配りをし、段取りをして、これをしなくちゃ、あれもしなくちゃ、とか、人にどう思われるか、とか悩んで生きています。少しも「いま、ここ」の生を楽しむことができず、いつも今はどこかに到着する途中のように見え、到着するやまた別の目的地が設定されてしまうように、私たちは「意識を病んでいる」のです。これをやめるには自己の存在の中に入って、一体化するしかありません。気配りをやめて自分にだけ気を配る、という「専気」の思想は、「配慮」から抜け出して「存在に耳を傾けなさい」というハイデガーの世界に通じ合っているようです。

それでは致柔とはなんでしょうか。

きわめて柔らかい、ということはリラックスに関係していることは確かですが、でも腰を曲げると手が何センチまでつく、といった類の柔らかさのことではないでしょう。赤ちゃんのからだも柔らかいけれど、ここでいうのは純粋な生理的のことではなく、もっと社会的な「こだわり、こわばり」のことであるように思われます。私はW・ライヒの用語を借りて、「ヨロイ」ということを言うのですが、「ヨロイを脱いだ状態で赤ちゃんになれる」という意味にとることができないでしょうか。

「いいお顔してごらん」と言われて、顔をくしゃっとすると母親が笑ってくれることを理解した時から人生の演技ははじまる、と戸井田道三さんが『演技』の中で書いていました。そこに始まって、ヒトはさまざまなシナリオを受け入れつつ演技し続けます。やがて「女の子は女の子らしく」というように言われて、自分の中の、その時代が女の子らしくないとみなしている身振りを抑圧することになります。男も同様です。学校に入ると、露骨な身振り管理が始まり、制服制帽まで含めて、その学校の生徒らしさが強制されます。会社に入れば会社の人間らしく、課長になれば課長らしくとヨロイを重ね着していって、だんだんヨロイの十二単といった態になります。仕事の中でも、たとえばバスの運転手さんが腰をいつも固定して酷使しているだけでなく、料金箱が左にあるために、いつもいつも左に背骨をひねり、偏った疲労が蓄積してしまっているというように、その人固有の歪みが定着されていきます。そういうもの全部含めて、からだのクセ、ともとらえることができるし、緊張体系ととらえることもできます。一面からいえば、「私らしさ」とは私固有の緊張体系、私のヨロイ・コレクションともいえ、あまりリラックスしたら、個性など誰もなくなってしまうかもしれないのです。

ヨロイは私が社会から身を守りつつ、社会に適応するためのもので、必要なものです。この社会で、なんらかのヨロイなしに、誰も生きていくことはできません。それによって周囲から承認され、関係を結ぶために、生物としての私が欲しているのとは異次元の身振りを着込むことはしかたのないことです。

たとえば私が気功について話してほしいと言われて出かけて行ったら、一応「先生らしさ」を演ずることになります。みんなが集まって話を期待しているのに、そのへんに寝っ転がって本を読んだりしていたら、集まったみんなも主催者も困るでしょう。みんなもおとなしく「生徒」であるように演じています。これはお互いの情報交換をスムースにするための仮のヨロイだとわかっているので、何も問題はありません。講義の時間が終わったら私はヨロイを脱いでしまって、もう友達ではあっても「先生」ではありません。いろんなヨロイをこのように扱えれば、あまり問題は深刻にならないのです。

しかし問題は、そのヨロイが脱げなくなってしまうということです。顔に貼り付いて取れなくなった仮面のように、ヨロイが私の全部だと思うようになってしまうと、私は自分を牢獄に幽閉することになります。私は先生でしかないのでしょうか。誰某は課長でしかないのでしょうか。レッテルが存在を覆い隠してしまいます。ヨロイを脱げないままに誰かと抱き合おうとしても、ただヨロイがガチャガチャいうだけで、ぬくもりもやさしさもありません。重いヨロイは私のからだを圧迫して、筋肉のこわばりを引き起こしもします。いつも偉そうにする社長さんは腰痛になりやすいし、いつも「すいません」というふうにしていると、鎖骨の周りが板のようになってしまいます。人間関係のヨロイが生理的緊張につながっていくさまざまな道を心身医学や気功医学は示してくれることでしょう。

さきの老子の言葉は、「ヨロイを脱げば赤ちゃんのようになれるよ」というようにもとれ、また「自分の中の赤ちゃんを見つけたらヨロイが脱げるよ」というようにもとれます。



気功の中ではヨロイを脱ぐという課題は、

⑴過去に遡って、過ぎ去ったすべてと調和しようとすること、

⑵そして、私らしさの枠を出て、ほかのものを演じようとすること

の二つに要約されます。ほかのものとは、人生の中で、あるいは社会史の中で、あるいはまた生命進化の歴史の中で、過去に振り捨ててきたものを指すので、実際には二つはおなじことなのですが。

たとえば易筋経という気功法のあるシリーズは、農作業の名前のついた動作から成っていますが、これは農民がわざわざするはずもなく、都会に出た息子が父の年になって反省して生み出した「反省する都会人」の田園詩にほかならないでしょう。子供のふり、赤ん坊のふり、胎児のふりをするというのは、私の過ぎ去った過去と調和したいということでしょう。亀や虎や猿や鶴をまねるのは、あるいは樹木のように立ち、巌のように坐るのは、進化の歴史の各段階と調和しなおしてみることにほかなりません。人はそこで「私らしくない」たくさんの身振りを演じて「私からの自由」を実感することになるのですが、しかしその私らしくないものとは、実際には「私が採用しなかった私」なので、自己拡張がそのまま本来の自己との調和であるというプロセスがここに生じます。それはそのまま「宇宙史としての私」との出会いと言ってもいいでしょう。46億年の蓄積なしに、私はここにいないのですから。

私の中にきらいな私がいるというのは、むしろ自己拡張の手がかりがたくさん、わかりやすくあるということです。自分のヨロイを作るために捨ててきたものが消滅せずに見えているということですから、ヨロイを脱げる手がかりがあるということです。きらいな自分の数だけ、自分の抱きしめ方があるのです。

さあそれで、どんなふうに赤ちゃんになってみましょうか。

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